中国語の語順は本当にSVOか?

※小説家になろうの自身の活動報告からの転載


 さて、中国語は語順が大切ということは以前も触れたが、この「語順」は厳格で、ある表現において特定の語順以外許されないことが多い。よく中国語についてよく知らない人が「SVOだから英語と似てるんでしょ?」と言うのも耳にするが、残念ながら中国語の語順がSVOというのは多少語弊があるのだ。

 この原因としてあげられる要素は二つある。一つは「話題化」、もう一つは「不定の事物が主語の場合」である。


 話題化というのは文法の用語で、文の中にある一つの成分を文の先頭に持ってくることでその文の話題を示すものである。難しそうに聞こえるかもしれないが、要は日本語の「は」である。


 今日は学校に行った。

 学校は行ったけど、…… > 学校に行く に→は


 日本語の「は」は大体文の先頭に来る(例外もあるが)。中国語でも同じような現象が起きて、文の先頭に目的語を持ってくる場合が多々ある。(我知道这个 これを知っている→这个我知道 これは知っている)これは以前も紹介した。

 話題化自体は別に日本語や中国語特有のものではなく、英語にもある。しかし英語では目的語を前置しないことも多い。この点、ドイツ語などV2語順を持つ言語は語順が自由で、話題化すれば目的語を前に持ってくることができる。


 Meine Mutter habe ich nicht getötet.(母を殺したのは私ではない)


 語順で言うとmy mother-have-I-not-killedという感じになる。話題化は強調する場合などに用いられ、中国語でも、


 我没去过法国。→法国我没去过。

 フランスに行ったことはない。→フランスには、行ったことがない。


 という文が成立しうる。中には目的語が前置した形が普通の場合というのもある。


 什么都有 何でもある・何でも持っている

 哪里都没去 どこにも行かなかった


 「何」+「も(都)」で「何でも」を表現するというところだけ見ると、実は日本語とも似ていると言えるかもしれない。

 さらに、以前も紹介した「把」の他に「连」というのもある。


 连桌子一起搬走 テーブルも一緒に運んで行く


 この「连」は「都」などと結びついて、「~さえも」という意味を表し、これがつくと目的語は動詞の前に来る。このように助詞をつけてしまうとまるで日本語のようなSOVになることがある。現代中国語である普通話は満州族の言語に影響を受け、かつての語順を失ったからだ。

 実際普通話では副詞は動詞の前に来るし、比較級でも「我比你好」という感じで「私」「より」「あなた」「いい」という語順である(そのくせ「母爱大过天(母の愛は空よりも大きい)」というような決まりきった言い回しには古典中国語的な語順が残っている)。


 そして、もう一つの「不定の事物が主語の場合」であるが、これはおそらく中国語のような孤立語ならではの現象と言えるかもしれない。


 桌子上放着一个苹果 リンゴが一個テーブルの上に置いてある

 我家附近有条河 私の家の近くに川がある。

 来了个客人 客が一人来た


 この三つの文は動詞-主語という語順が普通の形である。これらをもし主語-動詞という語順に直そうとすると、主語を「特定の事物」に変えなければならない。つまり英語でいう定冠・不定冠のような概念である。中国語ではなぜかそれが語順に影響する。


 那个人来了 あの人が来た。

 中原死了 中原は死んだ。


 この文を「死了中原」と言い変えることはできない。ただ不定の事物が主語の場合、さきほどの話題化のルールにのっとって、「三个人死了 三人死んだ」と言うことはできる。

 また、中国語の一部の動詞は基本的に主語が動詞の後ろに来る。


 下雨 雨が降る

 打雷 雷が落ちる


 ロシア語でも同様に、雨や雪と言ったものは動詞の後ろに持ってくる傾向があるそうだ。


 これら以外に関しては基本的にSVOなのだが、場合によってVS/OSV/SOVになることも多く、一概にSVOで英語と同じと考えない方がよろしいかもしれない。むしろ日本語に近いところもあるのだ。※補足すると、中国語では「去」などの動詞は直接後ろに場所を表す名詞を持ってこられるため、見た目SVOの文のように見える。実質的に目的語のようになっている。


 ○おまけ


 日本語や中国語は「主題優勢言語」と呼ばれ、主語ではなくその文の主題を前置する傾向にある。主語が完全に必要ないわけではないが、主語の果たす役割は小さく「主語優勢言語」であるヨーロッパの言語と対極にある。

 例えばよく、


 象は鼻が長い。


 という文を見て「この文は主語が二つもある。日本語は不合理だ」と嘆いている方がいらっしゃるが、この「象」というのはこの文の「主題」なのである。日本語では「は」が主題を示し、その文の方向性・テーマを提示する役割を果たす。つまり「象について話せば……」という意味合いを持っているのである。

 同じような文は中国語でも成立しうる。


 我们学校日本留学生很多。

 私たちor私の学校は日本人留学生が多い。


 この文を見れば分かるが、「私の学校(我们学校)」と「日本人留学生(日本留学生)」が二つ並んでいる。中国語は話題化しても日本語と違って何もつかない。日本語の「私{は}、最近胃を手術しまして……」という文のように中国語には主題が動詞の動作主にならない場合が多々あり、その点は日本語と似ていると言える。

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