漢字は英語のスペリングと大差ない

※小説家になろうの自身の別エッセイから転載


 欧米では広く、漢字は「遅れた文字」という認識があるようだ。文字はまず絵や記号として始まり、エジプトのヒエログリフのような絵のような見た目の表意的な文字から、次第に音声のみを表す表音文字にしてアルファベットが誕生した――ダーウィンの進化論のように。

 しかしダーウィンの進化論が後に修正されたのと同じように、こうした「表意文字は遅れた文字である」という考え方も訂正の余地があるのではと私は思う。

 というのも、実際漢字というのは見た目一字一字が複雑なだけで、実態としては英語のスペリングと大差ないのではないだろうか?


 漢字はよく「表意文字」といわれるが、これは誤りである。漢字は表意文字というよりは特定の語を表す「表語文字」であり、地図記号やそういう類であれば確かに「表意文字」なのだろうが、結局のところ発音を表している時点でアルファベットと本質的な違いはない。

 例えば「無」という漢字を例に挙げよう。この漢字はもともと「踊る」という意味で、「舞」の原字である。実際、無という字の甲骨文字を見てみれば分かるが、字の形としては立ち上がった人が何か装飾品を纏って踊っている様子である。つまり「無」という字が今の「無い」という意味を生じたのは、単に「無い」という言葉とたまたま発音が同じだったからである。簡単に言うとただの当て字である(日本語でも無の音読みはブないしム、舞の音読みはブで同じである。現代中国語でも無はwu2、舞はwu3で似たような発音である)。

 しかしわれわれは「無」という漢字を見たとき、音というよりも意味としてこの字をとらえている。それはなぜかといえば、長年繰り返し見たり書いたりしたことで発生した刷り込みによるものだ。

 ここで英語のスペリングを例に出そう。

 例えばeyeという単語とIという単語は発音としては同じである。Writeとrightについても同じことが言える。しかし、英語を使う人間がこの単語を見たらeyeという単語のを見た瞬間に「目」のイメージが思い浮かび、Iという単語を見たら「私」という意味が思い浮かぶのではないだろうか。それはまるで漢字のようである。

 英語は発音とスペリングが著しく乖離した言語である。つまり人は英語という文字言語を読むとき、実態としてはスペリングを意味として捕らえている。

 これは、正直漢字と同じような機能として呼んでいいのではないだろうか?

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