「時制がない言語」とはどういうことか
※「小説家になろう」の自身の別のエッセイからの転載です。
以前同じような記事を書いたが、もう一度整理してみようと思う。
この記事を読んでいる皆さんの大半は、日本語を母語としている方だと思う。そして、英語やヨーロッパの言語について知識のある方もいらっしゃるだろう。ひょっとしたら中国語を学んだことのある方もいらっしゃるかもしれないが、中国語に過去形がないというのはどういうことなのかいまいち理解できていない方も多いのではないだろうか。
私は今まで、「中国語には時制がないんだって。過去も現在も未来も同じ形で表せるなんて簡単だね」という話をそこかしこで耳にしてきたのだが、私からすると実際に中国語を学んだことがない方が想像でものを言っている印象を受ける。というのも、中国語の時を表す表現はそこまで単純なものでもないからである。
結論から言うと、中国語の動詞は動作がある時点で完了するもの(=完了相)とそうでないもの(=不完了相)に分かれる。こういう抽象的な言い方だと分かりづらいと思うので、「食べる」と「だ、である(英語でいうbe動詞)」という動詞で考えてみよう。
日本語の「食べた」という動作には実は二種類ある。例えば「私はさっきりんごを食べた」という瞬間的で終わりのある動作と、「大学生の頃は毎日バナナを食べた」という明確な終わりのない習慣的・継続的な動作である。
英語では後者をwouldを使って表現したりするが、中国語でもこの二つを区別することができる。
・我刚才吃了个苹果。(リンゴを食べた)
・大学生的时候每天(都)吃香蕉。(バナナを食べた)
上の文には「了」がつき、下の文には「了」がつかない。日本語としては両方とも「食べた」と過去形で表現するが、時制のない中国語では逆に区別がされている。
では次に「だ・である」という動詞はどうだろうか。この動詞は状態を表しているので、瞬間的で終わりのある動作にはなりづらい。「二年前、私は大学生だった」と言ったら、どちらかというと「大学生の頃は毎日バナナを食べた」の「食べた」と
そういうわけで、中国語の「是」は過去でも現在でも未来でも全部「是」という形になり、「了」をつけて過去を表すことはない。
・我是大学生。(私は大学生だ/だった。)
要するに簡単にまとめると、中国語には「了」をつけて完了(≒過去形のようなもの)をあらわせる動詞とそうでない動詞があるのである。面倒くさいことに、中国語の全ての動詞はこの二種類のどちらかになるので、それについてきちんと考えないと了をつけなくてもいい動詞に了をつけてしまったり、逆もまたありえる。
例えば「私もそう思っ
そして私が思うに、大半の人は「是」のような動詞と「大学生の頃は毎日バナナを食べた」というときの習慣的な過去の動作のパターンだけを見て、「中国語は現在形と過去形が同じ」という結論に達している気がする。
しかし、中国語で「昨日映画を見た」は「看
では「完了体」と「過去形」の違いは何か、というと、要するにその動作がある時点をもって終了し続いていないのが完了で、そういうことは関係なしにとりあえず今よりも前の時点で発生したことを表すのが過去形である。
例えば、英語には「時制の一致」というものがあり、過去に発生した出来事を表す文ならその文にある全ての動詞を機械的に過去形にしなければならない。
・I bought a bag before I got here.(ここに
この文ではbought/gotは両方とも過去形である。しかし中国語では、
・我来这里之前,买了个袋子。
となって、前の部分は「来了」にならない。「来」という動作が完了していない時点で、バッグを買うという動作が行われたからである。日本語でも「来る」という
そして、「了」は実は動詞の直後なのか、文全体の末尾なのかによっても表したいニュアンスが変わってくる。
・买了本书
・买书了
この二つの文は両方とも「本を買った」という意味なのだが、前者は過去のどの時点で本が買われたのか分からず、より英語の過去形に近い。しかし文末に「了」のついた後者は、現在完了的なニュアンスを持ち「さっき買ってきて今に至る」というニュアンスになる。
英語ではI had a cold.と言ったら、日本語の「風邪を引いた」とは違ってその風邪が
さらに、実は中国語には「过」という経験のアスペクトを表すものもある。基本的に「~したことがある」という意味で使われるのだが、そういう意味である以上当然過去の動作を表すときにも使える。
・我留过学。(留学したことがある。)
これも表しているのは「過去」である。英語でいう現在完了形のようにとらえることもできる。そしてこの「过」と「了」を二つくっつけた言い方も存在していて、「ご飯食べた?」と聞いたら、
・吃过了。(もう食べた)
のような言い方をすることもできる。「过」は「了」と同じように、「是」などの完了しない動作を表す動詞にはつけない。
そして、否定文になると「没」と「不」という二つが使われるのだが、これも実はちょっと面倒である。「没」は完了する動作の否定、「不」は不完了の動作ないし未来の否定として使われるのだが、この時後ろに「了」はつかない。
・还没吃。(まだ食べてない。「ご飯食べた?」と聞かれたら)
・我不去。(私は行かない。行きたくない、のようなニュアンスになる)
そして、先ほどの「过」の否定は「没X过」になる。
よく中国語学習者がこの辺を間違えて過去の否定も「不」で表してしまったり、「不X了」という感じで「~しなかった」を表現しようとしてしまったりするのだが、いずれも間違いである。
ちなみに「不来了」と言ったら、「来る予定だったが、来ないことになった」というような意味になってしまう。
そういえば、中国語には一応未来形のようなものもある。「打算」「准备」「将」の三つである。
・我打算去东京旅游。(東京に旅行に行くつもりです)
・我准备去留学了。(留学に行くことになった)
・2019年将会发生的事(2019年に起きそうなこと)
ただ、日本語と同じで動詞に何もつけない形でも未来形を現すこともできる。「我去东京旅游」でも十分「東京に旅行に行くよ」という意味になる。
こんな感じで中国語でも十分時を表す表現は可能なのだが、時制とはいろいろと勝手が違うので最初混乱するかもしれない。
実際、中国語では文語的な文章(新聞など)だと成語や漢文的な言い回しが使われることも多く、そうなると「了」はますます使われなくなる。この辺が「中国語には時制がない」というのを増強する材料になっているのかもしれないが、普通の会話でも小説でも「了」は使われており避けられない習得要素だと思う。
まとめると、時制のない言語というのは大体時制以外の何かしらの要素(例えば「了」など)で過去を表現することができ、過去・現在・未来の動作を全て同じ形で表現できるというわけでもない。
例えばI went/I go/I will goは中国語では基本的に我去了·我去过/我去/我打算去というような感じになり、時制はないものの時を表すことはできる。
○おまけ
ちなみに、中国語以外の言語でも「了」と似たものを使って完了を表す言語は東・東南アジアに広く見られる。
★インドネシア語
sudah
・Sudah makan?(もうご飯食べた?)
★タイ語
แล้ว lɛːw4
・กินแล้ว kin1lɛːw4(食べた。)
Sudahもแล้วも中国語の「了」と使い方が酷似しており、そしてこれらの言語も時制がないというところも似ている。東・東南アジアの言語では時制がないことの方がスタンダードである。
タガログ語の場合は動詞には完了、未完了、継続という三つの相(アスペクト)によって活用する。
kain 食べる
・kumain 食べた 完了
・kakain (これから・未来に)食べる 未完了
・kumakain 食べている 継続
タガログ語の「継続相」というのは「~している」というような意味だが、過去進行形としても使える。この辺は中国語の「在」とも似ている。(「工作(仕事する)」に「在」をつけて「在工作」というと現在・過去両方について言えるので、文脈によって「仕事をしている・していた」どちらにもなる)
韓国語も日本語と同じように過去形があるのだが、用法に一部日本語との微妙なズレがあるようだ。例えば、日本語では「疲れた」というのは過去形のような形で表現できるが、韓国語では피곤해요(疲れる)になり、現在形で表現される。そもそも韓国語には近い未来を表す活用があるため、日本語と違って現在形と未完了形を同じ形で表現しないためだろう。
(補足 먹어요 食べます 먹을 거예요 食べるつもりです、食べようとします。韓国語では連体形に過去・現在・未来の区別がある。「食べるものがない」というときは「食べる」を「未来連体形」に、「よく食べる(=習慣的によく寝る動作をする)人」というときは「現在連体形」にする。
・먹을 것이 없어요(食べるものがない)
・잘 먹는 사람(よく食べる人)
補足終わり)
しかし中国語では「疲れた」は累了と言い、「了」を使って表現することもできる。これは「今も疲れている」というニュアンスになる。
以前も取り上げたが、日本語の時制表現はアスペクトと時制が混ざったような感じなので、日本語はちょうど中国語と英語の間ぐらいにあるのかもしれない。
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