『さき』と『さっき』

 さて、今回はまた中国人の日本語の話に戻ろうと思う。

 中国人はよく「中国語は世界一難しい」と豪語する。確かに中国語の発音、特に声調は非母語話者にとってとても難しい。しかし日本語も子音や母音の数こそ少ないが、ネイティブのように話そうとすればまた細かい部分で難しいところが出てくる。

 今回はそんな中国人の話す日本語と日本人の日本語のビミョーな発音の違いについてとりあげたいと思う。


 ●「さき」聞きました。


聞きました」

 以前日本語を勉強している中国人と話しているときに、上記の例のような感じで「さき」と「さっき」を使い間違えていたので訂正してあげたら「『さき』も『さっき』も漢字で書いたら同じだろ! 同じ意味だろ!」と怒ってしまった。

 確かに「さき」と「さっき」は漢字で書くと同じ「先」のようだ。しかし残念ながらこの二つは違う意味だし、日本人の皆さんは分かると思うが普通「さっき」を漢字で書くことはない。

 日本語の「さき」と同じなのは中国語の「先 xian1」で、「先に帰ります」と言いたい場合、我先走了とか言うことができる。日本語の「さき」は過去に対しても未来に対しても使え、「まず彼が先に行った」とも「先に行きます」とも言える。しかし「さっき」は中国語では刚才 gang1cai2 刚刚 gang1gang1 刚 gang1であり、意味としては(今の時点から見て)少し前、今しがたという感じで、数分前とか数時間前とかそういう使い方をする。

 中国人に限らず促音の聞き取りは日本語学習者にとって最大の壁の一つのようで、似たような間違いは他の言語を母語とする人にも散見される。英語やフランス語をはじめ、メジャーどころの言語で促音があるのはイタリア語、アラビア語ぐらいなものか。(フィンランド語とかノルウェー語、スウェーデン語あたりもあるらしい)


 ●バガヤル! 八嘎呀路


 どんな中国人でも知っている日本語を三つ上げよう。「卡哇伊 かわいい」、「雅蠛蝶 やめて(AVの台詞……)」、そして「八嘎呀路 バガヤル」である。 

 バガヤル bagayalu、またはバガ bagaとは「バカ」のことで、ほとんどの中国人は「バカ」が発音できず「バ」だと思っている。

 日本人の皆さんにとっては「一体何が難しいの?」という感じがするかもしれないが、実は中国人にとって「か」と「が」のような濁音と清音の聞き分けは結構難しいのである。例えばなんと「行きますか」と「行きますが」は(一部の方言を母語とする人を除き)中国人にとっては全く同じに聞こえるのだ。

 実際、中国人の日本語をよく聞くと「わだし」とか「いきましだ」のように語中に来る清音を濁音として発音していることが多い。

 他にも、

 

「ま」と「ま

「行きます」と「行きます


 ひ > ひと

 ちゃん > ちゃんと

 や > やって

 い > 行った? いた?


 このような例は枚挙に暇がない。

 以前書いたエッセイでも紹介したが、こうした言い間違いが起こる原因は日本語の「清音」が実は二種類あることに因る。

 日本人の皆さん、試しに「態度」と「したい」と言ってみてほしい。「態度」の「た」は「したい」の「た」と少し違う発音のように感じないだろうか(感じないかもしれないけど笑)。実は、「態度」の「た」は音声学の用語でいうとほんの少し帯気(たいき aspirated)している。要するにtという子音とaという母音の間にほんの少し息の出がある。しかしそれに対して「したい」の「た」は息の出がない。

 これら二つの子音は有気音・無気音を区別する言語を話す中国人には違う音として聞き取られてしまうため、語頭の清音は有気音、語中の清音は無気音として理解される。つまり「態度」はピンインで書くとtai do(普通話にdoという音節はないが)、「したい」はxi daiのように聞こえる。

 そしてほとんどの人は自分の耳で聞き取れない発音を積極的に発音しようと思ったりはしないので、中国人は「したい」の「たい」を中国語の無気音のdaiとして発音し、xidaiのように言う。そうすると今度は日本人にはそれが「しい」のように聞こえてしまうというわけである。

 韓国人日本語学習者は「学校」を「かっこう」と言うなど、よく語頭の濁音を清音にして発音してしまう人が多いが、中国人の場合は逆で、語中の清音を濁音に変えて「バカ」を「バガ」と言ってしまうわけである。「行った」と「いた」のような発音の違いによって意味の違いが生じるもの(ミニマル・ペア)は重点的に練習することが望ましい。


 ★上級者向け 拗音の発音 きゃ、きゅ、きょなど


 普通話を含め、中国語は基本的に日本語でいう拗音がない。このため、中国人の日本語をよーく聞くと「勉強」を「ben kiu ベンキウ?」みたいに読んでいる人が多い。

 そしてこれ、実は日本人が中国語を話すときにも問題になってくる。日本人は中国語のxiangを「シャン」、qiangを「チャン」、jiangを「ジャン」のように発音する人が多いが、実は普通話には日本語でいう「シャ」や「チャ」、「ジャ」という音はないので、これらは正確には「シアン」、「チアン」、「ジアン」のように発音されるべきである。


 ★上級者向け えん ≠ en


せい」

「行きま

 

 これもまた、中国語と日本語の微妙な発音の違いで、中国語のenは日本語の「エン」ではなく、あくまでe+nである。中国語のピンインのeはカタカナで無理やり書くならウァーのような母音で、「先生」をsen seiと発音すると日本人の耳には「スンセイ」のようにも聞こえるかもしれない。ここに気をつけてちゃんと口を開いて「エ」とはっきり発音すると、よりネイティブのような発音ができる。

 同様に、日本人が中国語を話すときも「跟 gen1」を「ゲン」と読んでしまうと通じはするものの違和感が出る。今度からenが入っている発音を聞いたら注意してよく聞いてみよう。


 ★上級者向け ら ≠ la


「こちは……」

「こはなんですか……」


 中国人が日本語を話すと、ラ行に違和感があることが多々あるが、これは中国人が日本語のラリルレロをLで読んでいるからである。どうやら中国人の耳には日本語の「ラ」の音が中国語のlaに聞こえるようだ。

 つまり、「こちら」をko qi la、「これ」をko lê(leではないです、念のため)のように発音しているわけだ。

 しかし日本語の「ら」というのは、英語や中国語のLのように舌が上の前歯の歯茎にべったりとつかない。日本語のラはスペイン語のようなのRとLの間にある子音で、どうも世界的に珍しい子音のようだ。この音は外国人にとって正確に発音するのがかなり難しいらしく、中国人に限らずよく聞くとラリルレロに違和感がある外国人が多い。

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