第10話 小説


第十話 

 テレビに流れてくるニュースをぼんやりと眺めていた。地震に津波、戦争に誹謗中傷。年が明けてからこの方、気の滅入る話ばかりだった。昨今の巷間の話題からなにか自らの創作に活かせるものがないかと見始めたが、無為な時間を過ごしているとジマングは思った。もっとも、人生にはそんな時間も必要なのだ。

 神奈川県さき市。川一本渡れば首都東京に至るこの街にジマングの住処があった。めずらしく休日を家で過ごしているが、表の仕事も裏の仕事も併せると、この家にいる時間は少ない。そう考えると無為に過ごす時間も贅沢なものに思える。

 画面左上の時間表示が十五時を示したタイミングで、入口の扉が開く音が聴こえた。来るのがわかっていたので、施錠はしていない。眼を向けるとジャルク・サイゴウが入ってきた。

「おう、久しぶりだな、ジャルクさん」

「年始に会ったばかりじゃないか、ジマ」

 ジャルクは笑みを浮かべると、チラシの束を渡してきた。ポストに入っていたチラシを取ってきてくれたのだろう。ピザのデリバリー、分譲マンション、葬儀場。ありふれたものばかりだった。

 ジマングの家に来たジャルクは、かつてJの名でジマングの裏の仕事を手伝っていた。いや、今でも手伝ってくれているが、その名を変えていた。今ではジャルク・サイゴウを名乗っている。ジマングも、Jではなくジマと呼ばれるようになった。

 ついに還暦を迎えたから、気分を変えたくなった。自身の本名に由来する名前にした。理由を問うたジマングへの回答がそれだった。

 ジマングは還暦まであと三年ある。還暦を迎えたら、何かを変えたくなるのか。考えても、ぴんと来るものがなかった。還暦を迎えても何も変わらず、今と同じように生きていくだけではないか。

 表と裏、それぞれの仕事を始めて三十余年。心境としては、何も変わっていない。自分はまだ、故郷にいた頃のようなガキのままだ。これまでに築き上げたものはあるが、それは他人からの評価でしかなかった。

 ジャルクがソファに腰かけ、背負っていたリュックを下ろした。リュックの中からタブレットPCを取り出すと、なにやら操作を始めた。ジマングもテーブルを挟んだ向かいに腰を下ろした。ジャルクがタブレットを立てるように折りたたみこちらに向ける。三人。男の顔が並んだ。

「三件、依頼が来ている。どれも東京近辺だな。ここからなら車で三十分もかからん。ターゲットは」

「半グレのガキか、組を追われた半端モンか」

「まあ、そんなところだ」

 ジマングはわざとらしく肩をすくめた。最近は似たような、つまらない仕事ばかりだった。パンデミックの時期を経てからというもの、裏の仕事がどうにもつまらないものばかりになった。ジマングが求めるような仕事がないということは、少しは平穏な世界に近づきつつあるということかもしれないが、そうはいっても納得の難しいものだった。

 つけたままのテレビ。ロシア情勢のニュースが流れている。ロシア連邦国家元首、プーサン書記長の会見。大写しにされていた。

 ロシアが周辺国への侵略戦争を始めて、そろそろ二年になる。戦争は膠着しつつあるが、停戦への着地点は見えない。帝政ロシアの復活を掲げ、宣戦布告を行なったプーサンの演説は今でも記憶に新しい。

 ジマングはプーサンが嫌いだった。もっとも今の世界でプーサンを好きな者の方が少ないだろうが、ジマングにとっての、自身の目指す世界にとっての、明確な敵だと思っていた。

「プーサンか」

「ロシアな、行けなくはないが、おまえが仕事をするのはまあ無理だな」

 テレビの画面を見ていたジャルクが、こちらを向いた。

「プーサン、警備の隙はないか」

「俺の把握しているところではな。西側の情報しか入ってきていないが、一応想定はしてみたんだ。だが、おまえの仕事の舞台を整えようとしても、プーサンの護衛の数が三桁を下回ることはない。おまえがすべてをなげうったとしても、三桁という数はとても無理だろう」

「無理だな。俺は一騎当千の戦国武将なんかじゃない。ただのしがないコロシヤだ。一度に倒せるのはせいぜい、十か二十くらいのもんだ」

「ロシアの精鋭部隊を相手に、たいした自信だな」

 ジャルクが低い声で笑うと、再びタブレットに眼を落とした。

「さっきの三件は流すとして、国内の仕事を募るか。なにかリクエストがあれば聞くぞ、ジマ」

 ジマングが息をついた。

「単純なつわものはいないのか。最近の獲物は、俺じゃなくても簡単に捻られるような連中ばかりだ」

「おまえの考えでいうと、どんな相手でも同じように仕事するんじゃないのか。おまえの望む世界を実現するためには」

「時と場合によるさ。こうも雑魚ばかりだと、俺の腕も鈍っちまう」

「そんなもんか」

「そんなもんさ」

 ジャルクがなにか気づいたように、こちらに向き直った。

「ロシアで思い出したが、前にロシアン・マフィアをターゲットとする話はあったな」

「ロシアン・マフィア。相手にした記憶はないな。いや、そもそも外国人が相手の案件が少ないかな」

「場所でいうと北海道だ。裏社会の連中が、ロシアン・マフィアの武闘派の侵攻に手を焼いてるということだった」

 ジマングは口笛を吹いた。未知の強敵。悪くない。

「面白そうじゃないか。北海道はあの、なんていったか、羊の焼き肉がうまい。ぜひ行きたかったな。なんかやらない理由があったか?」

「福岡で仕事をしていた頃だ。ほら、おまえの表の仕事と一緒に併せたやつ。時期が被ったから、断ったんだ。その後、どうなったかは聞いてないが」

「ああ、あったな。あのときか」

 四年ほど前、ジマングの表の仕事であるシンガーソングライターとしてのライブツアーを福岡でやった。そのとき、同じく福岡で裏の仕事を受けていた。獲物はひとりだけだったが、結果として三人の人間を始末することになってしまった。証拠など残していないのでへまをしたという思いはないが、計画通りに処理できなかったのは間違いない。

「その後、誰か別の奴が仕事をしたようで、その組織はロシアに撤退することになったらしい。仕事を受けた奴がひとりでどれほどのことをしたのか、それが撤退の要因になったのかはわからんがな」

「四年も経てば、情勢はまったく違ったものになるか。しかし、外国人が相手というのも興味深いな。その辺のチンピラを相手にするより、ずっといい。考えておいてくれよ、ジャルクさん」

「俺もあまり見ない案件だが、わかった。やってみよう」

「楽しみだ。とびきりの強者がいいな。えんげつとうを持った身長三メートルのほくけいチャイニーズ・マフィアとか、戦火の歌を奏でながら現れる聖女の異名を持つ槍使いとか」

「いねえよ、そんなの」

 ジャルクがこちらを見ずに、そっけなく応えた。それでもこの男なら、どこかから見つけてくるのではないかという期待が少なからずあった。

 獲物が強ければ強いほどいい。実際に獲物を前にしていると落ち着くものだが、強者相手に心の高ぶり、タカナル胸の鼓動を感じたいという思いがある。それは表の仕事をしてきても、裏の仕事をしていても久しく感じられないものだった。

 ジャルクのキータッチが小気味いい音を立てているのを聞きながら、ジマングは立ち上がり冷蔵庫に向かった。五百ミリの缶ビールを二つ。片方をジャルクの前に置いた。ジャルクが軽く手をあげ、しばらくしてから口をつけた。

「そういえばおまえ、小説書いてたな。まだ書いてるのか?」

「ああ、あれな。書き始めてもう四年になるか。福岡に行く頃だった。そろそろ本を出せるくらいの分量かな。四年かけて、ようやく一冊分のペースか」

 ほんとうは、もう書いていなかった。三日坊主とまでは言わないが、書いていた時期は一月にも満たなかった。それでも書こうと思えばこれからも書けるだろうし、書かない言い訳を片付けるだけだ。

 ただあえてひとつ言い訳をするなら、誰かと競うように書きたいと思っていた。音楽を作るのと同じように競い合いたい。音楽に関しては競い合うような知り合いが多かったが、小説を書くような知り合いはいなかった。今の作品は、自分の殻に閉じこもっているようなものだ。いつかは殻を破るように完成させたい。

「おまえの名前があれば、飛ぶように売れそうだ」

「本を出すとしても、俺の名前は使わないさ。色眼鏡で見られちゃ、作品をほんとうには理解されない。それを読んだどこかの誰かに、とてつもなく突き刺さるようなものを書きたいんだ」

「クリエイターの性ってやつか。やっぱりおまえの本職はそっちだろ」

 ジマングはかすかな笑みを浮かべ、首を振った。

「俺はコロシヤさ。歳を取ってからいろいろやり始めたとしても、俺の本質は変わりはしないのだよ」

「そうかい」

 ジャルクが飲み終えた缶をテーブルに置いた。ジマングの持っている缶には、まだ半分ほど入っている。一気に喉に流し込むと、テーブルの上の缶と一緒に流しに置いた。

「もう一本いくか?」

「いや、いい」

 ジャルクがタブレットを閉じ、リュックの中にしまい、立ちあがった。

「帰るのか?」

「ああ、俺の仕事をする。期待していてくれ」

「頼むよ、ジャルクさん」

 テレビでは地震のニュースが流れていた。年始に起きた大きな地震は、国内のみならず世界にも衝撃を与え、その復旧作業は難航している。この国は地震の多い国とされており、ジマングにしてもそこそこの地震なら動じることはないが、それを上回るほどの地震もたびたび起こる。偶然被災していないに過ぎないのだ。

「地震も怖いよな。この国じゃ、いつ自分が巻き込まれるかわかったもんじゃない。俺だって、れきに埋められちゃ助からんかもしれん」

「おまえの場合、仕事の方で地震以上に生命の危機に瀕する機会が多いと思うけどな、ジマ」

「地震雷火事コロシヤ、なんでも気をつけなきゃな」

 振り返ると、ジャルクが後ろ手を振り家を出ていった。ジマングは誰にともなく肩をすくめると、流しに置いていた缶を軽くゆすぎ、逆さに立てかけた。缶をゴミを出すとき、水気を切っておく。小さい頃からやっている習慣だった。と暮らしていた頃は、片付けの雑な麻里依によく注意していたものだった。

 麻里依とはつい最近まで一緒に住んでいたが、高校を卒業してからは家を出ていた。それからしばらくは、家が妙に広く感じたものだ。

 麻里依を引き取って二十余年。今では自分を凌ぐほどのミュージシャンになったと思う。麻里依の成長には眼を細めるが、自分の手の届かぬところへいってしまうのではないかと、いくらかの寂しさも感じていた。もっとも、麻里依にそんなことを言えば笑われるだろう。

 居間に戻り、つけっぱなしのテレビをリモコンで消したところで、部屋の隅、床に直置きしているノートパソコンが眼に入った。これまで小説を書いていたものだ。中には文章のデータしか入っていない。小説を書く専用として使っていた。

 しばらく使っていなかったが、電源ケーブルを指したままなので今も問題なく使えるはずだ。ノートパソコンをテーブルに置き、起動する。デスクトップにはテキストファイルしかなかった。八個。数字だけのファイル名。ひとつのファイルで一話を書いていた。マウスを操作し、一番数字の大きいファイルをダブルクリックした。

 テキストエディタで開かれた文章。ほんの数行、自分でも書いた覚えのない文章。それでもしばらく眺めていると、なにを書こうとしていたのかが徐々に思い出される。脳裏に浮かぶ光景、思いついた言葉をジマングは無心に打ち込んでいく。言葉と言葉が繋がり、やがて文章となる。文章と文章が繋がれば、それは作品である。

 気がつくとテキストファイルのウインドウいっぱいに文章が打ち込まれていた。読み返す。いい出来だと思った。文字数を数えると、ひとつの話の半分くらいの分量が書けている。

 久しぶりにやるか。ジマングは立ちあがり冷蔵庫に向かうと、缶ビールを取り出し、一気に半分ほど呷った。喉に触れる心地よい炭酸と冷気。同時に頭がクリアになっていくのを感じる。

 今ならいいものが書けそうだ。ジマングはソファに座り、テーブルに置いたノートパソコンに前のめりになりながら、再びキーボードを叩きはじめた。

 先ほどまでとは異なり、自分の意志を持ち言葉を紡ぐ。作品を作りあげる。しばらくして、画面に打ち込まれる文字をたどった。

 うん、いい感じだ。いいじゃないか、俺。書けるじゃないか、ジマング。

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シング・ア・ソング・コロシヤ トモ・ヒー @Tomo_He

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