第20話 壁際に立つ者

 飯田雄一の自宅マンション。


 飯田は深夜に自宅マンションへ戻り、入浴を済ませた後に睡眠に入っていた。

 この自宅マンションはセキュリティが売りのマンションで、人の出入りはエントランス以外には無い。

 地下駐車場ですらエントランスを通らなければならないのだ。二十四時間警備の目が光っている。


「ん?」


 人の気配に気が付いた飯田はベッドサイドの灯りを点けた。

 すると、壁際に誰かが立っている。

 月の光は身体全体を照らしてはいないが、ミニスカートとそこから延びる素足には見覚えがある。


「…… クーカ ……」


 飯田は沈着冷静な男だ。きっと、クーカが来る事ぐらいは計算の内なのだろう。


「随分と早い到着だね……」


 飯田は枕を背に上半身を起こした。

 人を探す嗅覚が鋭いとは聞いていたがここまでとは思わなかった。もう少し時間が掛かると思っていたのだ。

 灯りが点いたので、クーカはベッドの端までやってきた。しかし、それ以上は近寄っては来ない。飛び掛かられるのを警戒しているのだろう。


「人が誰かと繋がる時に、誰にも知られないなんて出来ないものよ」


 クーカはカテゴリーから言えば近代兵器だ。当然のように電子戦もこなす。ハッキング程度なら痕跡も残さずに出来る。

 そうしないと敵の本拠地に潜入が出来ない。監視センサーやカメラなどを誤魔化す必要があるからだ。

 今回は、海老沢へかけた電話番号から辿り、飯田に辿り着いたようだった。


「自分のパートナーの心配はしないのかい?」


 最初にヨハンセンの居場所を聞き出さないの不思議に思った飯田が尋ねた。


「自分の事は自分でしなさいと躾けられているのよ」


 クーカはベッドの端から答えた。


「ここは万全のセキュリティが売りのマンションなんだがな……」


 飯田は御自慢の防犯システムが作動しなかったのが不満だった。


「屋上にも人を配置するべきね……」


 どうやら驚異的な跳躍力で屋上まで飛び、屋上入り口の施錠を外して侵入したらしい。


「どうせ、ヨハンセンは逃げたんでしょ?」


 外套の裾から減音器が見える。相手がベッドの上とはいえ隙を見せるのは危険だと判断したのだろう。


「ああ、彼にならとっくに逃げられたさ……」


 飯田は苦笑しながら答えた。ヨハンセンを拘束したまま、電話を掛けに行っている隙に逃げられてしまったのだ。時間にすれば五分も掛かっていなかったはずだ。

 手首と親指をそれぞれ結束バンドで拘束したのだが、それは拘束の意味を成していなかったのだ。


(やはりね……)


 ヨハンセンは無事なようだ。もっとも余り心配はしてはいなかった。彼が兵士としても有能なのは知っているからだ。


(という事は、倉庫で見せられた切断された指は偽物なのね……)


 恐らくはクーカが推測した通りなのだろう。ヨハンセンが抵抗せずに捕まっていたのは情報の収集に違いないと考えた。


「君らのようなベテランの傭兵を拘束するのには、手足を捥いでしまうしかないようだね」


 飯田は自嘲気味に笑っている。


「そうね……」


 拘束されると言う事態に陥った事が無いクーカは曖昧な返事をする。拘束される前に敵を殲滅してしまうので経験が無いのだ。


「私を罠に嵌めようとしたのは何故なの?」


 クーカが言っている罠とは生活雑貨用品倉庫の事だけではない。

 探していたトラックの運転手。後から依頼された武器商人とその居場所。

 自分が知りたい事が次々と都合よく出て来る時には、何か裏がある事をクーカは知っているのだ。


「こちらの本来の依頼を確実にこなしてもらう為に保険を掛けたかったのさ」


 飯田はあっさりと白状した。


「内閣総理大臣の狙撃は断ったはずよ? 射角も逃げ道も確保が難しいから地方遊説まで待ちなさいと……」


 飯田たちは何故か早く実行しろとせっついた。クーカは時期が悪いと断っていたのだ。


「そうだがね。 それでも実行して欲しかったのさ……」


 きっと、訳があったのだろうが、それは飯田の事情で合ってクーカでは無い。

 仕事は自分ペースでやらないと、齟齬が起きて失敗するのは良く有る事だ。


「そうしないと私を餌で呼び寄せた意味が無いと?」


 餌とはトラック運転手と海老沢だ。クーカが探していた相手だ。


「ああ、ついでに総理を葬って貰えれば良かったが断って来たからね……」


 飯田が苦笑していた。断られるとは考えて無かったらしい。 


「総理は私の部下がどうにかする…… ちょっと荒っぽいがね」


 彼が話した荒っぽいという事は、恐らく爆弾で暗殺をするのではないかとクーカは考えた。

 依頼を受けて下見に行ったが総理官邸では無理だと判断したのだ。狙撃する事も考えたが警察も馬鹿では無い。狙撃可能な位置には人が配置されているのを察していた。


「それで、我々は君には別な案件をお願いする事にしたのさ」


 飯田はそう言ったが、クーカは違う事に気が向いていた。飯田が話しているのは決定するのが飯田以外だという事だ。


(彼に指示を出している人物が居る…… 普通に考えて教祖よね……)


 後で、教祖にも話を聞きに行こうとクーカは決意した。しかし、その前に片付けるべき些末な事がある。


「つまり、私が日本に居る必要があったという事ね?」


 それならそれでヨハンセンを通じて依頼すれば済んだ事だ。自分を日本に足止めしたい理由があるはずだ。


(国際手配を受けてる者を足止めね……)


 普通に考えれば自分たちの罪をクーカに被せる為だ。


(手間が掛かる割には大した見返りは無いのに……)


 クーカは鼻に小皺を作っている。彼女が怒った時のものだ。


(私なら濡れ衣を着せても差し支えが無いとでもいうのかしら……)


 相手の思惑通りに動いて得した経験など無い。大概、抜き差しならない事態になるのは経験済みだ。

 中米で麻薬組織撲滅作戦の時もそうだった。裏切り者の思惑通りに事が運んで結果は部隊は全滅した。おかげで世界中を逃げ回る羽目になっている。


「だったら、あんな人たちを寄越したのは失敗だったわね」


 クーカは最初から高飛車で話をしてくる奴は相手にしない事にしている。こちらの話を聞かないから時間の無駄なのだ。だから、問答無用で殲滅した。


「人の恋人を殺して置いてそれは無いだろ」


 恋人と言うのは最後にお漏らししていた女なのだろう。この男が好みそうなスレンダーな女だった。


「恋人? 都合の良い愛人の間違いでしょ…… 貴方が人を愛するタイプとは思えないわ……」


 クーカには恋人と言う概念が分からない。損得で付き合っている男女しか見た事が無いからだ。そして、飯田も死んだ女もそう見えた。


「自分はどうなんだい?」


 飯田が尋ねて来た。


「……?」


 クーカは質問の意味が分からずにいた。兵士としての教育は受けたが人としての教育は受けた事は無い。愛と呼ぶものがピンと来ないのだろう。


「どうして私に足枷を嵌めたがるの?」


 殺し屋を手に入れたいのなら配下の者で十分なはずだ。先日の襲撃した倉庫でも使えそうな兵隊はいた。クーカの戦闘能力が特殊過ぎただけだ。


「餓鬼界を彷徨う鬼を救うのも御仏の教えだからだよ」


 飯田はニッコリとしながら言った。

 死神の娘と言われたり、彷徨う鬼と言われたりクーカの評価は散々な物がある。もっとも本人は気にしてなどいないようだ。

 『人は人。 自分は自分』他人の目を気にしてコソコソ惨めに生きるつもりがなさそうだ。


「うふふ、自分でも信じていない者の声など私に届く訳無いわ」


 クーカは飯田の嘘を見抜いているのだ。


「ふっ、愛を囁く代わりに引き金を引くのが君なのさ」


 その様子を見て飯田が面白がっていた。飯田も信じていなかっかのだろう。彼が信じていたのは組織がもたらす利益だ。

 飯田とすればクーカを手の内にする事で政財界に顔が効くようになると考えただけだ。ただ、受けた印象と実際が違い過ぎていた。


「そうね。 私がするのは死神の娘の素敵なキスだけよ……」


 それを聞いた飯田は微笑んだ。クーカも釣られて微笑んだ。

 お互い笑っていたが、やがて表情が一瞬で消えた。それと同時に飯田は枕の下に隠してあったデリンジャーを構えようとした。

 装弾数二発の小型銃だ。近距離であれば十分に殺傷能力はある。

 飯田からすれば一か八かの賭けに出たのだろう。


 しかし、既に銃を手に持つクーカには通じなかった。

 くぐもった音が寝室に響き、飯田はクーカの銃弾を受け仰向けになってしまった。

 飯田はベッドの上に大の字で横たわっている。壁には飯田の頭を撃ち抜いた飛沫が散っていた。

 しかし、それだけでは安心できないクーカは、飯田の心臓目掛けてもう一発発射した。遺体が反動でビクンと動いた。それで終わりだ。

 何時ものように、仕事の跡の静寂がクーカを包んだ。


(身代わりにされるのは敵わないな……)


 絶命した飯田を見ろしながらクーカはため息を付いた。血の匂いが漂って来る。


(面倒事が増えて行く…… どうしよう……)


 もう一人探す羽目になるとは思っていなかったようだ。


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