第21話 彷徨う孤独

 先島の自宅。


 先島は帰宅してから遅い夕食を取っていた。夕食と言ってもカップラーメンだ。一人になってからはこの手のインスタント食品ばかり食べている。カップラーメンの容器をゴミ箱に入れて台所に向かった。

 コーヒーを飲みたかったのだ。台所に立つのは久しぶりな気がする。


「缶コーヒーは甘すぎて駄目なんだよなあ……」


 コーヒー豆を昔ながらの豆挽きでガリガリやるのが好きだった。すると背後に人の気配を感じた気がした。


「!」


 何気なく振り返るとクーカが居た。先島を見てニッコリとしている。


「え?」


 意味不明な展開に先島は慌ててしまった。


「コホン…… コーヒー飲むかい?」


 心なしか声が上ずってしまった。


「ブラックでお願い……」


 クーカはさも当然のように言ってソファーに腰かけた。そんなクーカの手元に先島はコーヒーを置いてあげた。

 湯気とともに立ちのぼるふわっとした香りが部屋に満ちていく。そんなコーヒーカップを両手で包むようにして飲んでいた。


「貴方は本当に警察の人なの?」


 クーカが先島に訊ねて来た。もちろん、警察手帳は見た事もあるし拳銃を持ち歩いているのも知っている。


「どういう意味だ?」


 妙な質問に先島は戸惑ってしまった。何かの誘導尋問でも始まるのかとドキドキしてしまっている。


「同じ匂いがするわ……」


 意外なセリフがクーカの口から出て来る。


「……」


 世界一の殺し屋に似ていると言われて、先島は苦笑いしか出て来なかった。

 そんな先島の様子にクーカが悪戯っぽくクスクスと笑っていた。


「次からは玄関から入って来てくれるかい?」


 先島は少し空いた窓を指差した。カーテンが風を含んで揺れていた。


「あの人達、首相暗殺を計画してるわ。 公園に植樹に来た時に狙撃するそうよ」


 クーカが唐突に言い出した。


「ぶおっ!」


 先島は咽てしまった。実を云うと今日の会社での議題がそれだったからだ。


「何でそんな重大な事を俺に教える……」


 ひょっとして盗聴でもされているのかと思い始めていた。


「決まってるじゃない。 阻止したいからよ」


 ところがクーカは止めたいと言い出した。


「何で?」


 先島は罠の可能性を考えたがすぐに消した。そんな面倒な事をしなくとも彼女なら失敗しないと思えるからだ。


「私に濡れ衣を被せる為に日本に呼んだのが分かったからよ」


 彼女のルールでは無いようだなと先島は思った。


「やはり、日本には呼ばれて来たのか…… それはトラックの運転手の狙撃か? それとも武器商人の狙撃なのか?」


 先島がさりげなく聞いてみた。両方とも自分の目の前で起きた事件だからだ。


「あら? なんの事かしら?」


 クーカはニコリとしてとぼけた。誘導尋問には引っ掛からないようだ。先島は内心で舌打ちした。


「俄かに信じられんな……」


 もう少し計画の全容が知りたかったので話を引っ張る事にした。クーカの身体検査をすれば色々と見つかるかもしれないが、その前に自分の命が見つからなくなりそうだなと考えたのだった。


「信じる信じないは勝手にどうぞ。 私は他の事で忙しいの……」


 首相の植樹祭の日程は決まっている。それを狙っていると話したのだから、これ以上は話をするつもりが無かった。

 クーカには首相の安全より優先すべきことが色々とあるのだ。


「デートの約束でもあるのか?」


 先島が意地悪い質問をしてみた。


「立候補なさる?」


 クーカが聞いて来た。


「遠慮しとく……」


 先島がそう言うとクーカはクスリと笑った。想定内だったのだろう。


「今日はご家族は居ないの?」


 部屋の中を見回しながら聞いた。

 クーカが家族の事を聞いたのは、キッチンテーブルの上に三人分の食器が並んでいるからだった。


「家族は死神が全員連れて行ってしまったよ……」


 テーブルに綺麗に並べられたままの食器を見ながら先島が呟いた。


「?」


 クーカが小首を傾げてキョトンとしている。意味が分からなかったようだ。


「交通事故でね。 あっという間だったから未だに現実味が無い」


 先島は少しバツが悪そうに話した。普段は思い出さないようにしているのだ。思い出すと叫びたくなるからだ。


「そうなの…… 変な事を聞いてごめんなさい……」


 クーカが素直に謝って来た。意外な出来事に先島の方が恐縮してしまった。


「まあ、どうせなら俺も一緒に連れていって欲しかったぐらいだね」


 話を変えようとしたのか少し自虐的な事を言ってみた。本音と言えば本音なのだろ。


「そう、私は死神が好きよ」


 クーカが言い出した。


「どうしてだい?」


 先島が不思議そうな顔で聞き返した。


「死神は身分のある人も無い人も平等に死を与えるもの……」


 クーカの死生観を物語っているようだ。人の死と言う物に身近で接しているからであろう。それとも死という事が理解出来ないのかも知れなかった。


「そうか? 死神は適当な神様だと俺は思うけどな……」


 先島は死神の娘に言ってみる。


「どうしてなの?」


 不思議な事を言う先島にクーカが尋ねた。


「悪人に罰を与えないで休息を充てるようなものじゃない……」


 これは警察官としての意見なのだろう。罪人に罰を与えるべく孤軍奮闘しているからだ。

 もっとも、先島の場合は違う手法を取る事が多いのも事実だ。


「死ぬ事は安息なの?」


 クーカには先島の言う安息がピンと来ないのかもしれない。邪魔をする者は問答無用で排除するからだ。


「何にも煩わされずに済むじゃないか……」


 実際に生きている間は人間関係に悩まされてばかりだ。しかし、自分一人で生きていけない以上は円滑に事が運ぶように努力する。

 もちろん、先島は死後の世界など信じていない。死んでしまえば全てが終り。そうなれば努力は要らないし悩まなくても済む。だから、安息だと感じているのかも知れなかった。

 それでも先島は生きる努力は諦めなかった。自分が死ねば家族を思い出す人間がいなくなる。それだけは嫌だった。


「……」

「それもそうね……」


 死神の娘はしばし沈黙して答えた。それから少し猫のように伸びをした。先島のマンションに長く居過ぎたと感じているのだろう。


「行くのか?」


 その様子を見ていた先島が聞いた。


「ええ…… それとも傍に居て欲しくって?」


 クーカが悪戯っぽく聞いて来た。


「よしてくれ……」


 世界一危険なテロリストと一緒に居るのは刺激的だ。だが、見た目はまだまだ幼い少女だ。あらぬ噂を立てられたら敵わないと考えたのだ。

 それを聞くとクーカはクスクス笑っていた。きっと断ると分かっていて聞いて来たのであろう。


「君と連絡をしたい時にはどうすれば良いんだ?」


 先島が話題を変えようと違う話を振ってみた。


「んーーー? 大声で叫べばいいわ」


 クーカがちょっと考えて言った。しかし、目が笑っている。


「ちょっと……」


 先島はまたもや戸惑っている。からかっているのは分かっているが困ってしまうのだ。


「冗談よ。 藤井さんと連絡が取れるようにするわ」


 藤井の名前が出て来たのには驚いた。きっと発信器を付けられてしまった時に尾行されたに違いない。

 一通り先島をからかい終わると、クーカは満足したのか窓から勢いよく跳躍していった。

 彼女は少しくらいの高さなら躊躇する事無く飛んでいく。自分の身体能力を見極めているのだ。


(実は羽が生えてるんじゃないのか?)



 先島はクーカの小柄な体が見えなくなるまで見送っていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る