ゾンビ殲滅部隊 -背広のゾンビ-

 福岡県八女市。

 僕は走る車の後部座席に座っていた。

 雷が鳴った。

 車の屋根に雨が打ちつけていた。フロントガラスを雨水が滝のように流れた。その滝をワイパーがなぎ払った。ヘッドライトに照らされた道路は小川のように水がたまっていた。

「レインコートをしっかり着とけよ」

 助手席に座っているドンが振り向いた。

 僕は「はい」と返事をしてレインコートのジッパーを閉めた。

「最近は天気がおかしいからな。50年に一度の大雨が数週間単位で来やがる」

「しかしよく戻ってきたね?」

 運転席のゴブリンがミラー越しに僕を見て話しかけてきた。

「普通あんなドロドロの死体見たらもう来たいとは思わないわ」

 僕は苦笑いした。

 苦笑する僕を見てゴブリンが笑った。

「さすがはドンが見込んだやつだわ」

 ドンはスマートフォンで位置を確認していた。

「この道路の先に大きな橋がある。橋を渡ってさらに先に指定管理施設があるわけだが、俺達はその施設に向かってる」

「指定管理施設?」

「建物自体は公共のものだが、それを運営してるのは民間ってことだ」

「そういう施設があるんですね」

「日本の指定管理施設の数はコンビニより多い。“そういう施設”の方が主流だ」

「で、俺らはその施設で何すればいいわけ?」

「数日前にその施設が一時避難所として開設した。開設したはいいが、連絡が取れなくなったそうだ。様子を見に行った市役所職員も消息不明。この辺りの集落は避難準備区域に指定されているから、ゾンビがいないか周辺を捜索しながら施設の様子を確かめるのが今回の俺達の仕事だ」

「危ねぇっ!」

 車が何かを避けるように急旋回した。

「危ないだろっ! 気をつけて運転しろっ!!」

「暗闇で見えなかったんだよ」

 僕は通り過ぎた道を振り返った。道路の上に何かが落ちていた。真っ暗で何かわからなかった。

 ゴム手袋のパチンっという音が車内に響いた。

 ドンがゴム手袋をはめて防塵マスクを装着していた。

「この集落にいるゾンビと遭遇したら交戦していい。躊躇わずやれよ」

「ゾンビの親族に許可とれてるんですか?」

「この辺はとある宗教団体に入団してる独居老人しか住んでないんだ。老人の身元引受人も宗教関係者ばかり。役所から団体の幹部に連絡とってもらったら、ゾンビになってる老人は殺していいとさ」

「酷いですね」

「そんなもんだ」

「そんなもんですか」

「くそっ! あれはなんだ!」

 車が減速した。

 僕はゴブリンの視線の先を見た。

 人が宙に浮いていた。浮いている人影は溺れているように手足をバタバタさせていた。

 目を凝らして見ると、人影の首から真上に向かってロープが伸びていた。ロープは木の枝に括り付けられていた。

「蜘蛛の糸だな」

 ドンが呟いた。

 芥川龍之介の作品のことを言ってるんだろうか。

 首を吊っている人は背広を着たお爺ちゃんだった。

「昔の人間だから死ぬ時は正装したかったんだろう」

「あれって自殺ってことですよね?」

「おそらくな。ゾンビ化するのが嫌で首を吊ったんだろうが。首吊りくらいじゃゾンビ化は防げなかったんだ」

「気味悪いからさっさと行こう」

 ゴブリンがアクセルを踏んだ。

「あのゾンビの下を通るなよ。落ちてきたらやっか……」

 言ったとたん、ロープがくくりつけてある枝が折れた。宙に浮いていたゾンビがふわっと身軽になったかと思うと、フロントガラスの上に落ちてきた。

 グワッシャン!

 僕らは両腕で顔を覆った。

 複雑な雲の巣のようなヒビがフロントガラスに走った。

「くそめっぇぇぇぇーー」

 ゴブリンが慌ててハンドルを切った。

 落ちてきた背広のゾンビは叫びながらフロントガラスを叩いた。

 ゴブリンは車を左右に振ってゾンビを落とそうとしていた。

「慌てるな。崖から落ちるぞ」

 ドンの忠告は一足遅かった。

 車はガードレールにぶつかった。シートベルトのプリテンショナーが作動した。ぶつかった衝撃で背広のゾンビは崖の下に吹き飛ばされていった。ガードレールで車体の横を削り取りながら、車は崖のギリギリのラインをスリップした。通常ならばガードレールのおかげで車は道路に引き戻されたかもしれない。しかし今日は大雨。タイヤの凹凸はアスファルトの表面にしっかり絡むことなく、遠心力に任せて滑っていった。

 ガードレールが千切れると、車は崖の上から投げ出された。

 車内は無重力状態になった。

 車が崖の途中に生えている木にぶつかると、頭を強打されたような衝撃が走った。割れたフロントガラス越しに見える風景がぐるぐる回転していた。車内を弾けるポップコーンのように飛び回るガラスの破片。僕の持ってきていたリュックが顔面に当たった。

 車がまた何かにぶつかった。

 無音と無重力の状態が少し続いた。

 僕は子どもの時ペットボトルの中にビー玉を入れて振って遊んでいたのを思い出した。あの時のビー玉はこんな気持ちだったのかもしれないと思った。

 フロントガラスの向こうの風景が雨雲になった。

 割れたガラスの隙間から雨が降り注いだ。

 車は再び何かに衝突した。僕の背中に強い衝撃が走った。

 背骨が折れたかもしれないなと思った。

 ・

 ・

 ・

 ほっぺたを叩かれた。

「生きてるか」

 ドンが覗き込んできた。

 僕の頬とまぶたに雨粒が落ちてきた。

「引きずり出すぞ」

「はい」

 ドンは僕のレインコートを引っ張った。頭の中がガンガンして、いや、視界がもやもやして状況が飲み込めてなかった。

 雨でぬかるんだ地面の上を引きずられ、木陰に横にされた。

「大丈夫かよ?」

 ゴブリンが覗き込んできた。

「足、動かせるか?」

「あ、はい。動いてます?」

「大丈夫だ。動いてる」

「起こすぞ」

 ドンが僕の背中に手を回して、ゆっくり上半身を起こしてくれた。

「これは何本だ?」

 ドンが僕の目の前で指を立てた。

「三本」

「自分の名前は言えるか?」

「平林義昭です」

「俺は?」

「ドン」

「こっちは?」

「ゴブリン」

「いや、ジョーカーだっつーの」

 僕はふふっと笑った。ドンもゴブリンも笑った。

「一応全員無事みたいだな」

 僕はドンとゴブリンの顔を見た。二人とも傷だらけだった。

「無事には見えませんよ?」

「それはお前もだ」

 僕は自分の顔を触った。手に血がついていた。

「だろ?」

 ドンに「だろ?」と言われたが、この血が顔から出てるものなのか手から出血してるのかわからなかった。それくらい全身が痛い。

「とにかくこれをつけとけ」

 ドンが消毒液を取り出した。

「大丈夫ですよ。かすり傷です」

「こんな山奥で傷を放置しとくと、感染症にかかるぞ。つけとけ」

「ゾンビ菌よりおっかねーぞ」

「はい」

 僕はゴブリンに消毒液をつけてもらった。こんな事故の後で全身が痛い時でも、消毒液がしみて痛かった。

 僕は木にもたれながらゆっくりと立ち上がった。背骨は折れてなかった。

 雨はまだ降り続いている。止む気配はない。昼間のはずなのに、空は雨雲に覆われて真っ暗だった。

「これしか取り出せなかった」

 テニスラケットを持ったドンが戻ってきた。

「車が歪んで、荷台が開かない」

 ドンがラケットを僕に差し出してきた。

「テニス部だったろ? 持っとけ」

「これは、何のために?」

「武器だよ」

「軽くて握りやすい。バールや鉄パイプより扱いやすいぞ」

 僕はラケットを受け取った。

「今度ちゃんとゾンビの殺し方を教えてやる。とりあえず今日はこいつで戦え。殴る時はグリップをしっかり握ってフレーム部分で殴れ。間違えてもガットで殴るなよ。なるべくゾンビの首から上を殴れ。そうすれば敵は仰反る」

「二人の武器は?」

「どっかで調達する」

「で、俺らはこれからどこに向かう? ライアン達に迎えにきてもらうか?」

「そうしたいが、スマフォがぶっ壊れた」

 ゴブリンは自分のスマフォを取り出した。

「俺のもだ」

 僕は自分の服のポケットを探った。持ってきてたスマフォがない。

「それに迎えにきてもらうにしても、ここじゃダメだ」

 ドンが崖を見上げた。

 ここを登るのは不可能だ。

「山林の中を橋の方向に向かって進む。さっき地図を見たが、橋の近くで斜面が緩やかになるところがある。そこで斜面を登って、橋を渡って目的の施設に行く」

 ドンは僕とゴブリンの肩を叩いた。

「自力で行くしかない。怪我してるだろうが、頑張るぞ」

 僕はうなずいた。

 ドンはレインコートのフードをかぶって歩き始めた。その後ろをゴブリンが歩いて、僕が最後尾を歩いた。歩くたびに全身が痛かった。

 ぬかるんだ地面の上を歩くのは至難の技だった。何度も転けそうになった。

 雨が顔にかかって目をまともに開けられなかった。

 レインコートの隙間から雨水が染み込んでシャツがびしょびしょに濡れた。濡れたシャツが冷えて真冬のように体が冷えた。息を吐くと、わずかに白かった。真夏のはずなのに、空気が冷たかった。

 長靴の中に水が入ってきた。どうも足裏から濡れているようだった。枝か根っこを引っ掛けて長靴が破れてしまったようだった。靴下が長靴の中で滑って余計に歩き辛くなった。

 濡れた靴下のせいで足の爪先から冷たくなってきた。

 鳥肌が立って体が縮こまり、震え始めた。

「どこかで休みませんか?」

 ドンに声をかけた。

「寒いんです」

「汗冷えか?」

「わかんないですけど、寒くて」

 ドンは空を見上げた。

「ここは陰がないから、立ち止まるのは逆にまずい。もう少し進もう」

「でも、ドン。こいつ唇の色がやばいぜ」

 ゴブリンが僕の顔を覗き込んだ。

 ドンもやってきて、僕の顔を見た。ドンはため息をついて、僕を木陰に移した。木陰なのに、葉っぱや枝の隙間から雨が落ちてきた。

「コートを脱げ」

「はい?」

「はやく」

「はい」

 僕はレインコートを脱いだ。

「シャツも」

「えっ?」

「照れてる場合か。急げ」

 僕はシャツを脱いだ。脱ぐ時、濡れたシャツが糊のように貼りついた。

 ドンもコートとシャツを脱いだ。ドンはシャツの下にもう一枚虫取り網のような生地のシャツを着ていた。

「これに着替えろ」

 僕はドンからシャツを受け取り、それに着替えた。

「パタゴニアの速乾シャツだ。お前が着てたのより性能がいいはずだ」

「はい」

 僕はシャツの上から体を摩った。僕が着てたシャツはすぐびしょびしょになったのに、このシャツは濡れても比較的すぐ乾いた。

「服に金かけた方がいい。汗冷えはほんとに命取りだぞ」

「はい」

 着替え終わった僕らは、再び歩きだした。

 雨が弱まってきた。土砂降りだった雨が霧雨のようになった。

 霧雨は霧雨で寒い。手先が冷たい。顔の皮膚が冷気で固くなった。

 温泉に入って暖房の効いた部屋でラーメンでも食べたかった。

 林を抜けて草むらに出た。

「ここを抜けるぞ」

「はい」

「こういう天気の時は林より草むらの方が道に迷いやすい。絶対に離れるな」

「はい」

 僕はドンやゴブリンを見失わないよう注意して進んだ。

 ドンの言う通り、草むらに入ると方向がわからなくなった。雨のせいで視界がぼやけ、どこを向いても草しかない。木立は蜃気楼のように霞んで見え、距離感もわからない。

 頭上で雷が光った。

 一瞬辺りが真っ白に照らされた。

 僕は足を止めて目を凝らした。

 草むらの中に人影が見えた。カカシのようにも見えた。でもカカシにしては両腕を広げてなかった。

 ゾンビか?

 僕は前にいるゴブリンの背中に手を伸ばした。

 ゴブリンの背中はなくて、草に手が当たるだけだった。

 僕はハッとして前を向いた。

 誰もいなかった。

 ドンもゴブリンも先に行っていた。

 霧雨のせいでほんの数メートル先の景色すら見えない。

 ドンに聞こえるよう大声をあげようと思った。

 だけど、近づいてくる足音に気付いて僕は口を手で押さえた。

 僕は身を隠すため姿勢を低くした。

 草をかき分けるような足音。足音は人間のそれに近いが、人間にしてはヨタヨタしていた。

 足音は立ち止まった。

 音が聞こえなくなった。さっきの足音は僕の気のせいだったかなと思ったら再び足音が聞こえた。

 そしてまた立ち止まった。

 まるで僕を探しているようだった。

 僕はラケットのグリップを強く握った。襲われる前に殴る必要がある。

 でももし、近づいてるのがゾンビじゃなくて人間だったらどうしようと思った。

 もしかしてドンやゴブリン?

 もしかして救助に来た人?

 もしかして僕と同じように迷子になった人?

 草をかき分ける足音が辺りを移動していた。

 僕は草陰からそっと顔を出した。

 ヨタヨタ歩いているそいつは背広を着ていた。

 さっきのやつだ。

 首を吊っていて、僕らの車の上に落ちてきたあいつだ。

 崖から落ちたくらいじゃ死ななかったんだ。

 僕は防塵マスクで口を覆った。

 気をしっかり持て。こんな場所にいるなんて、ゾンビじゃないわけがない。緊急時には妙なポジティブシンキングはかえって邪魔になる。

 背広のゾンビは警戒する動物のように辺りを見回していた。

 首がこっちを向いた。僕に気付いてない。

 首があっちを向いた。

 マスクの中で僕の呼吸が荒くなる。

 こっちを向いた。

 あっちを向いた。

 僕はつま先で地面を蹴ってゾンビに向かってダッシュした。

「ぬぁあぁっ!!!」

 僕はラケットで力一杯ゾンビの顔を殴った。

 ラケットのフレームがゾンビの左頬にクリティカルヒットした。ゾンビの歯が折れる音がした。

 僕はラケットを構えてもう一撃を食らわそうとした。

 ゾンビは僕の動き、いや、覚悟よりはやく僕のラケットを掴み、そのまま僕を引き寄せた。ゾンビは右手で、引き寄せた僕の首をしっかりとホールドしてきた。

 僕は歯を食いしばってそれに抵抗した。ラケットを引き離して顔を殴ろうとしたが、ラケットもしっかり握られている。

 背広姿のくせにずいぶんマッチョなゾンビだった。

 そういえば田舎で林業に従事している人は結構な所得があると聞いたことがある。そういう人は家族写真を撮るだけでも、うん十万円の背広をオーダーするのだとか。

 この背広のゾンビもそういった手合いかもしれない。単なる背広を着たじじいにしちゃ握力が強すぎる。

 僕はゾンビの股間を蹴った。

 ゾンビはびくともしない。

 もう一度股間を蹴った。

 全く効いてない。

 首を絞められて息ができない。

 このままだとまずい。

 僕はラケットを手放してゾンビの顎に掌底を食らわした。

 YouTubeで見て覚えた技だ。素人が安易に使うと相手が舌を切って死んでしまう恐れがあるとされているが、この場合相手はゾンビ。遠慮はいらない。

 だが僕の掌底を受けてもゾンビは平気な顔をしていた。

 ゾンビは僕の右手首を掴んできた。

 まずい。

 左腕だけでゾンビに抵抗しても、僕の筋力じゃ意味をなさない。

 ゾンビの口が開いた。

 噛み付いてくる気だ。

 僕はジャンプして両足でゾンビの腹を蹴った。

 つたないドロップキック。だけど下手な掌底より効果があった。

 ゾンビは僕を掴んでいた手を離し地面に倒れた。

 僕はラケットを拾ってゾンビの上にまたがりゾンビの顔を殴った。

 血が地面に飛び散った。

 またがっている方が殴りにくかったので、立ち上がってゾンビの顔を何度も殴った。

 歯の折れる音。骨の折れる音。

 ゾンビの眼球とまぶたの隙間から血液が溢れた。

 まるで地面に倒れている無抵抗な年寄りを嬲り殺しにしているみたいだった。人体を殴っている感覚がラケットを媒介して手に伝わってくる。

 起き上がろうとするゾンビの胸を踏みつけて、殴り続けた。

 地面に赤い血が溢れて、それをすぐに雨が洗い流した。

 ゾンビは動かなくなった。

 動かなくなったゾンビを殴っている自分に気づき、僕は手を止めた。

 ラケットのフレームは折れていた。

 空の奥でゴロゴロゴロゴロと雷が響いた。

 僕はラケットを捨てた。

 はやくドンやゴブリンのところに行かなくては。

 霧雨のせいで相変わらず方向がわからなかったが、崖の上の道路が右手にあるのだけは確かだ。

 僕は回れ右をして草むらの中を駆け足で移動した。

 背後で雷が光った。

 辺りが真っ白に照らされた。

 僕の影が地面に伸びた。

 地面に伸びた人影はまるで巨人のようなシルエットだった。

 僕の左隣にもう一つ人影があった。

 ここにいるのは僕だけなのにもう一人誰かいる。

 僕は慌てて振り向いたが、人影の主はすぐそばまで来ていた。

 背広のゾンビだった。

 まだ死んでなかった。

 殴られまくった背広のゾンビの顔は薔薇の蕾のように腫れていた。

 ゾンビはアメフト選手のように僕にタックルしてきた。

 地面の上に倒れ込んだ僕に背広のゾンビはまたがり、噛みつこうとしてきた。

 僕はゾンビの顎を掴み、なんとか噛まれるのを防ごうとした。

 ゾンビの顔の傷口から体液が流れ出ている。顔に刺さったラケットのフレームの破片は薔薇の刺のように見えた。

 僕はゾンビの脇腹を殴った。

 何度も何度も。

 これもYouTubeで見た技。だけど効果がない。

 ゾンビの顎を押さえている僕の手に力がなくなってきた。

 その時、背広のゾンビが空中に浮かんで、そのまま地面に叩きつけられた。

 ドンだった。

 ドンがゾンビの背広の襟を掴んで背負い投げをしたのだ。

 ドンはゾンビの両脚を持って、合気道の達人のような動きでへし折った。

 地面に倒れたゾンビの顔をゴブリンが石で殴って潰していた。

「一人でよくやったな」

 ドンが僕を起こしてくれた。

「はい。でも二人が来なかったら死んでました」

「上出来だ。先に進むぞ。休める場所を見つけた」

 僕は二人の後ろについて行った。今度は見失わないように。

 いつの間にか、雨も止んでいた。



 ドンが見つけた休める場所は楠の樹洞だった。僕は洞の中に座り込んだ。

 雨は止んでいるのにポツポツポツと雨粒が落ちるような音が聞こえていた。

 きっと葉っぱや枝に残った雨水が滴っているんだ。

 ドンは牛乳パックや食玩の箱を千切って地面に積み重ねた。百円ライターを取り出すと、オイルの残量を確認していた。

「少ないから一発勝負だな」

 ドンが親指でライターのやすりを回転させた。シュッシュッとやすりが擦れる音が何回かして、小さな火がついた。ドンは火を牛乳パックの破片に近づけた。煙が出て、じわっと炎が広がった。ドンは黒く変色した割り箸を放り込み、息を吹きかけた。炎が少しずつ大きくなり、雨で濡れてない枝を器用に折って焚べては炎の大きさを調節した。

 炎の中で木がパチッパチッと鳴った。

 僕らは焚き火を囲んだ。

「火、落ち着きますね」

 僕は雨で冷たくなった手をかざした。

「ゆるキャンだな」

 ゴブリンがぼそっとつぶやいた。

 ドンは黙って枝を焚べていた。

 火力が安定してくると、ドンはプラスチック製のトレーを取り出した。食堂などでよく使われているやつだ。ドンはトレーを割ると炎にかざした。プラスチックが燃える臭いがした。トレーは熱でオジギソウのように縮こまっていった。ドンは職人のような手付きでトレーを回して、まんべんなく熱した。板状だったトレーの破片は、槍頭のような形になった。

 ドンは槍頭を三本作ると、一本ずつ僕らに渡してきた。

「即席の武器だ。ゾンビに遭遇したら使え」

 僕は受け取った武器を眺めた。プラスチック製のトレーを上手く溶かして作っている。槍頭のようだと思ったが、手に取って見るとボウイナイフのようにも感じた。

「使うときは気をつけろ。相手に刺した反動で自分の指を切るぞ。使う時はこうしろ」

 ドンはレインコートの袖で手を覆ってボウイナイフを握った。

「刺す時はなるべく柔らかいところを狙え。それと一撃必殺は狙うな」

「よくこんな知識を持ってますね。普通トレー溶かして武器にするなんて思いつかないですよ」

「俺も最初から知ってたわけじゃない。ライアンに教えてもらったんだ」

「ライアンさん、何者?」

「元自衛官なんだよ」

 ゴブリンが教えてくれた。

「ロックフォート事件の時に、現場に入ってた自衛官なんだ」

「そうなんですか!? 僕あの事件をリアルタイムでテレビで見てました」

「そうなんだな。ライアンはあの事件の時にひどい目にあったらしい…」

 ゴブリンがなにかに気づいて話すのを止めた。

 見ると、ドンがゴブリンを睨んでいた。

「勝手に、他人の過去をしゃべるなよ」

 ゴブリンは口を閉じた。

 皆黙って火に手をかざした。

 ドンが最後の枝を焚べた。

「ライター、どこで見つけたんですか?」

「うん?」

「牛乳パックやトレーもどこで手に入れたのかなと思って」

「少し先にゴミの不法投棄で有名な場所があるんだ。そこから拾ってきた」

「はぁ」

 僕は炎を眺めた。

 この人はどこでも生きていけそうだなと思った。

 炎が小さくなってきた。

 ドンは立ち上がって、靴の裏で火を踏みつけた。火が完全に消えなかった枝は水たまりに放り込んで消火した。

「休憩は終わりだ。行くぞ」

 僕らは立ち上がって、山林の中を歩き始めた。

(続く)

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