被災地 -ゾンビ-
軽トラックの荷台に乗るのは、男のロマンだ。
例えばアメリカのとうもろこし畑とか夕日で赤く染まる丘を眺めながら軽トラックの荷台に乗って旅をする。皆だってそういうのに一度は憧れたことがあるのではないだろうか?
ところが実際の軽トラックの荷台は乗り心地が最悪だ。上下左右にお構いなしに揺れるし、振動で体をどこかにぶつけて青あざができる。
座って乗ったりしたら発車して数秒でケツが痛い。
だから立って乗っている方が利口なわけだが、立って乗るにはそれなりのバランス感覚と軽トラックの屋根にしがみつく根性がいる。
なんでこんなこと知っているかって?
それは僕が今軽トラックの荷台に乗せられているからだ。
先日の大雨でぬかるんだ道は最悪のコンディションだった。雨で川が氾濫した際、道路に大量の礫が溢れたらしく、軽トラックが礫を踏む度に僕が振り落とされそうになるくらい車はバウンドした。
僕は必死に軽トラックの屋根にしがみつこうとするが、ツルツルの屋根の上で僕の手は虚しく滑っていく。
「握力が足りないな」
僕の隣にいる男が叫んだ。
「普段は運動しないのか?」
「大学生になってからは、あまり」
「サークルや部活は?」
「研究が忙しいので入ってません」
「昔は? 中学や高校で入ってたろ」
「テニス部に入ってました」
「ふーん」
男は興味なさそうな返事をした。
「おい!」
男はバンバンと軽トラックの屋根を叩いた。
軽トラックはゆっくり停まった。
行く手をフェンスが塞いでいた。フェンスは東西にずっと伸びていて、迂回して回るのは難しそうだ。
フェンスの扉の前には三人ほど男性が立っていた。
男性の一人が僕らの軽トラックの運転席に近づいてきた。運転手は許可証を提示した。
「今日もおつかれさま」
男性は僕の隣の男に手を上げた。
フェンスの扉がゆっくり開いた。
僕の隣の男が屋根を叩くと、軽トラックが発進した。トラックは砂埃を巻き上げながら扉を通り過ぎた。
振り向くと、男性達がフェンス越しに僕らに手を振っているのが見えた。
「あの人達は誰なんですか?」
「地元の消防団だな。ああやってフェンスを見張ってもらってるのさ」
「あのフェンスはゾンビを防ぐためですか?」
「一応な。フェンスからこっち側はゾンビが徘徊する立入制限区域。向こう側は制限解除準備区域。ゾンビによる感染が広がらないようにフェンスが設けられてる」
「僕は今日あのフェンスの補強作業をする予定だったんです」
男は笑った。
「そうか。フェンスなんてあってないようなもんだ。なんせこの国の年寄りの5人に1人が自然とゾンビ化するんだからな。避難所にいる年寄りがゾンビ化して暴れたら、あっという間にパンデミックだ」
男は笑った。なにがそんなに楽しいのかわからないが、笑っていた。
軽トラックの荷台は常に斜めだった。この町は坂道が多いようだ。
僕は長崎旅行をした時のことを思い出した。
あの町も坂道が多かった。でも高台から見る夜景は最高にきれいだった。
僕の左手に崩れた家が見えた。
軽トラックが家の横を通り過ぎていく。僕の視界がゆっくり家の壁をパンしていくと、家の側面にトヨタのヴォクシーがめり込んでいた。崩れた壁の間からリビングが丸見えだった。
「ゾンビから逃げるのに慌てたんだろうな」
隣の男がぼそっと呟いた。
「映画みたいですね」
男はなにも答えなかった。
「あの家族ってどうなったんでしょう?」
「さあ」
軽トラックは乾いた泥の上を進んだ。空気中に塵が舞って、キラキラ光った。
地元民しか通らないような細い道を進んでいると、男が突然軽トラックの屋根を叩いた。
「止まれ!」
軽トラックは急ブレーキをかけた。
僕は振り落とされないように必死に屋根にしがみついた。
「頭を下げろ」
隣の男がいきなり僕の頭を押さえつけた。
こいつの乱暴さに僕は正直むかついていた。今すぐこいつをはっ倒したい。
だけど、僕が力で負けるのは目に見えている。この男の腕の太さを見るだけでもわかる。
「ドン、どうした?」
運転手が窓から顔を出してきた。
僕の隣の男は前を指差した。
指の先には坂道に立てられた戸建てがあった。戸建ての壁は土壁で、屋根は瓦。古い家のようだった。
その家の駐車場には軽が停まっていて、車体の下からちらちら動く人影が見えた。
「俺がやろうか?」
運転手が小声で言った。
「ライアンはこの大学生を守ってろ。俺が行く」
(この運転手はライアンと呼ばれているのか)
男は防塵マスクと安全ゴーグルをかけて、分厚い手袋をした。荷台に大量に乗った土嚢袋と工具をどけてバールを取り出すと、男は荷台から飛び降りて足音を立てずに家に近づいていった。
僕は軽トラックの影からその様子を見守っていた。
「おい」
ライアンに小声で怒鳴られた。
「周囲に注意しとけよ。映画みたいに後ろからゾンビに噛まれたくないだろ」
「あ、はい。ってことはあそこにいるのはゾンビなんですか?」
「そうだ。音を立てるな」
僕は固唾を飲んだ。
ゾンビ。
僕が中学生の時にテレビで見た映像を思い出した。
宮城県で発生した大規模生物災害。自動小銃でゾンビに応戦する自衛隊員。空から攻撃するヘリコプター。
僕はあのニュースを見て自衛隊に入りたいと思ったのだ。
だけど両親に猛反対された。あの事件で自衛隊員も犠牲になったのだと父親から説得され、結局僕は自衛隊に入らず普通の大学生になった。
でも、あの時のニュース映像が忘れられず、僕は被災地ボランティアに参加した。少しでもゾンビに携わる事がやりたいと思ったからだ。
まさかここでゾンビを見ることができるなんて。
わくわくした。
不謹慎なのは百も承知。
だからといってわくわくを抑えることはできない。
あそこにはゾンビがいて、さっきまで僕の隣にいた男の手にはバールが握られている。ということは、バールでゾンビを倒すということだ。まるで『デッドライジング』だ!
男はゲームのスニーキングミッションのように音を立てず、少しずつゾンビが隠れているであろう軽に近づいていった。
バチバチバチっ、ボンっっ!
突然軽のボンネットに何かが飛び乗ってきた。
蝉だった。
蝉が木と間違えて(あるいは気まぐれで)飛び込んできたのだ。
車体の下をうろうろしていた影は動きを止めて、くるっと向き直るとゆっくりゆっくり移動した。
軽の物陰から人影が現れた。
半袖のシャツを着て、作業用スラックスを履いて、ホームセンターで売っているようなキャップを被ったおじいちゃんだった。
おじいちゃんの頭と背中は釣り糸で支えられているようにまっすぐ伸びて、でも腕は筋力を失ったようにだらんと垂れ下がっていた。
ゾンビだ。僕が中学生の時にテレビで見たゾンビと全く一緒だ。
僕は身を乗り出した。
ここで運の悪いことが起こった。
さっきバールを取り出すために移動させた工具達はたまたま不安定な所に将棋崩しのように折り重なっていた。
そこに身を乗り出した僕の脚が当たってしまい、ゲームオーバーのジェンガのようにガラガラと崩れてガチャンガチャンガチャンと金属音を立ててしまったのだ。
ゾンビは僕に視線を移した。
ゾンビが僕の方を向いた時、ゾンビの顔面の右半分が見えた。ゾンビの右喉は千切れて丸い穴が開いていた。
僕はヒッと悲鳴を上げた。
ゾンビの頬が飴玉を舐めているようにもこもこっもこもこっと動いた。もこもこは喉の中を移動した。右喉の穴からネズミが顔を覗かせた。ネズミはペットショップのハムスターのように愛らしい表情で鼻髭をひくひくさせた後、中に引っ込んだ。
ゾンビは両腕を上げて、壊れたマリオネットのような動きで僕に向かって駆けてきた。ゾンビの履いている草履がペタペタペタペタと軽い音をたてた。
慌てた僕は、軽トラックの荷台から転げ落ちた。
ゾンビがペタペタペタペタ近寄ってくる。
「あわ、あわわわわ」
自分でも間抜けだなと思えるくらい間抜けな声が出た。
僕に近寄ってくるゾンビの後頭部を、男がバールで殴った。
バールの先端がゾンビの後頭部に刺さった。
ゾンビはくるっと向き直ると、殴りかかった男に噛みつこうとした。
男はゾンビの両腕を払いのけると、踵をハンマーのように振り下ろしてゾンビの右足首に蹴りを食らわした。
ゾンビの足首はペットボトルのように凹んで、骨が折れた。
男は体勢が崩れたゾンビの後頭部からバールを引き抜いた。ゾンビの被っていたキャップが地面に落ちて、ゾンビの髪の毛の隙間からスポイトで吹き出しているように血液がぴゅっぴゅっと弧を描いて飛び出た。
男はバールの向きを変えてゾンビの頭部を何度も殴った。
バールに髪の毛や肉片や血液がこびり付いていた。
僕の口の中は酸っぱくなった。胃液がこみ上げてきたのだ。
突然運転席からライアンが降りてきた。
ライアンは物凄い形相で地面に転がっている僕に近づいてきた。
僕は後退りした。
なんだかわからないが怒られる気がした。
僕がさっき音を立てたから? 僕のせいでゾンビに気づかれたから? それとも他に僕に至らないところがあった?
僕は泣きそうな顔で、女子のような悲鳴をあげて地面の上を尻もちをついたまま後ずさった。
ライアンは軽トラックの荷台から左官用のコテを取り出した。コテの先は刃物のように尖っていた。
僕は腕で自分の顔と頭を覆った。
殺されると思った。
だけどライアンは僕の横を通り過ぎて、僕の背後に近づいていたゾンビの右目に向かってコテを突き刺した。
ライアンはゾンビの後ろに素早く回り込んで、ゾンビの首の骨を折った後、ゾンビの両脚もへし折った。
「ドン、こいつどうする?」
ライアンはピクピクするゾンビを押さえつけながら男に向かって叫んだ。
ドンは血だらけのバールを持ってライアンに近づいた。
「ゾンビを殺す時はマスクしとけ。感染したらどうする」
「大丈夫だって、流血するような殺しはしてない」
「大丈夫かどうかじゃなくて、しとけって言ってんだ」
ドンは結束バンドをライアンに投げて渡した。
「これでそいつの脚縛っとけ。後で社協の連中に身元確認させる」
「りょーかい」
「おい!」
ドンは僕の方を向いた。
僕は腰が抜けて口をぱくぱくさせていた。
「ボケっとすんな。ここは被災地だぞ。日本の戦場だ」
僕はコクコクっと頷いた。
(続く)
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