被災地 -ボランティア-
2019年。福岡県朝倉郡。
蝉の鳴き声が空に反響していた。
積乱雲が山の向こうで膨らむように動いている。
まだ列に並んでいるだけなのに、僕のスニーカーはあっという間に砂だらけになっていた。
「次!」
受付から声が聞こえる。列が少しずつ前に進む。
「あなたもボランティア?」
背後から声をかけられた。
振り向くと、髪を後ろで結んだ女性が立っていた。
「はい」
「はじめて?」
「はい。はじめてです」
「大学生?」
「はい」
「あ、じゃあ私と一緒」
「え、マジですか?」
「何年生?」
「三年です」
「ほんと? 私も三年生」
「じゃあ、一緒ですね」
「だねー。どこの大学?」
「福岡大学です」
「遠くから来たね。私は久留米大」
「じゃあ、ちょっと近いんですね」
「うん。てか、敬語じゃなくていいよ」
「はい。まぁ、初対面だし」
「まぁ、そうか」
列が進んだ。
「何専攻してるの?」
「生物学です」
「へー、どんなの?」
「いや、たぶんドン引きしますよ」
「ますます気になるじゃん」
「……蛆虫を使った染色体の実験」
「………」
「ほら、引いたでしょ」
「大丈夫。引いてない。引いてない」
「その顔は引いてるって」
僕と女性は笑った。
「私は社会学専攻」
「社会学か。少なくとも蛆虫に触ることはなさそう」
「一生ないね。蛆虫に出会うのは、この災害ボランティアくらい」
「災害ボランティア長いんですか?」
「一年生の時からずっと」
「すごいな。僕はずっと参加したかったけど、お金がなくてできなくて」
「まぁ、お金はかかるよね。特に福岡市から来てると大変でしょ?」
「はい。だからずっとバイト代貯めてたんですよ」
「どんなバイトやったの?」
「福岡空港で荷物仕分けるバイト」
「あのベルトコンベアみたいなやつ?」
「そうです」
「大変そう」
「筋肉痛にはなりましたよ。でも、レポート作成に比べれば頭使わないから」
「あー、理系は大変だもんね」
列が進んだ。もうすぐ受付だ。
「一緒のチーム組めるといいね」
「一緒のチームとかあるんですか? 僕はじめてなので」
「あるよ。受付済んだ人から六人位でチーム組んで、それからチームごとに現場に行くの。現場ではフェンスの補強をしたり、住民の避難が完了してるか町を見回ったりするんだよ」
「ゾンビに遭遇したことあります?」
「私はまだない。他のボランティアさんでも見た人はあまりいないかも。だいたいゾンビ殲がゾンビ退治してるからね」
「ゾンビ殲って?」
「NPO法人ゾンビ殲滅部隊。この町でゾンビ退治をしてる市民団体」
「NPO…。なんかかっこいいですね」
女性は苦笑いした。
「結構評判悪いけどね」
「そうなんですか」
受付が僕の番になった。
「名前は?」
ボランティアセンターの受付の人が訊いてきた。
「平林義昭です」
「ボランティア保険は入ってる?」
「入ってます」
僕は事前に社会福祉協議会でもらったボランティア保険のカードを見せた。
「初参加ね? じゃあ、あっちのテントの下で待ってて」
「はい」
僕は荷物を持って指定された場所に向かった。
僕はテントの影から校舎を見上げた。
小学校の敷地内に入ったのなんていつぶりだろうか。
ここは小学校のグラウンドにつくられた災害ボランティアセンターだ。
1995年関西地方で発生した大規模生物災害(通称シーナ事件)以降日本ではゾンビ災害が発生するようになった。
当初は自衛隊や警察などがゾンビ対応を行っていたが、そもそも災害対応の専門家ではない両組織では長期的に被災地支援を行えなかった。
また、ゾンビはいわば歩く死体。映画やゲームのようにゾンビをむやみやたらに攻撃することは法律上死体損壊にあたるとされる。
そのためゾンビがゾンビとして発症する前に一番関係が近かった者(家族、親戚、友人等)が対処に同意したゾンビのみ市民団体によって処理できるようになっている。
ただし、人口一〇万人以上の都市で起きるような大規模災害の場合は政府の判断で自衛隊や警察が同意を得ずに対処できるとされている。
僕が今参加しているような小規模の町で発災するゾンビ災害は民間のボランティアで対処するのが一般的だ。
小学校や社会福祉協議会の敷地内に災害ボランティアセンターができて、毎日参加者を募集するのだ。
「名前は平野智子」
「いつもありがとう」
ボラセンの受付の人は僕とさっきまで話していた女子大生にお礼を言った。
あの子は、平野智子というのか。
平野さんは僕のいるテントに向かってきた。
「平野智子さんって言うんだね」
「私の名前? そうか、まだ名前教えてなかったね。私の名前は平野智子」
「僕の名前は平林義昭」
平野さんはニコッと微笑んだ。
その後、僕らの待っているテントにボランティア受付を終えた人達が次々やってきた。
年齢は四、五〇代が多いようだ。
平日の朝なのに、この人達は仕事がないんだろうか。
反対に、夏休み期間中のはずなのに、僕と平野さん以外学生は見当たらなかった。
若い社協の職員がやってきた。
「みなさんおはようございます」
「おはようございます」
「今日はお忙しい中ボランティアに参加してくださりありがとうございます。いつも参加してくださっている方もありがとうございます」
社協の職員は平野さんを見た。
平野さんは照れ笑いをして会釈した。
「ちょうど六名集まりましたんで、ここのチームにはフェンスの補強に行ってもらいたいと思います。えーと、フェンスの補強が初めての方は…」
「おーい!」
怒鳴り声が聞こえた。皆が一斉に声の方をみた。
「この前紹介された奴、ぜんっぜん使い物にならなかったぞ」
この暑いのに長袖の作業着を着込んだ男が社協の職員と言い争っていた。
「しょうがないでしょ。あの時は、あの人が一番若かったんだから」
「俺はな。若者を貸してくれって言ったんだ。四〇代のつかえねーおっさんを寄越せと言ったんだじゃねぇんだよ」
平野さんが僕の耳元でこそっと「あれがゾンビ殲滅部隊の人だよ」と教えてくれた。
「四〇代でもあの人植木屋さんでしょ。体力あったでしょー?」
「体力はあっても言うこと聞きゃーしねぇーだろ。中途半端な年寄りには指示が出しにくいんだよ!!」
僕が凝視していたのがいけなかったのだろう。怒鳴り散らしているゾンビ殲滅部隊の人と目が合ってしまった。
僕は「やばい」と直感して、即座に視線をズラした。
「おい! おい!」
僕の直感虚しく、ゾンビ殲滅部隊の男の人は僕に近づいてきた。
「お前、大学生か?」
「あ、えーと」
ここで「そうです」と答えるとなんだかやばいものに巻き込まれそうな気がした。
「おーーーい!!」
男の人は僕の左耳を千切れそうなくらい引っ張った。
「アダっ、アダダダダダダダダダダダダダっっっ」
「大学生かっっって訊いてんだろ!!??」
「はいっ! はいっ! 大学生ですっっ!!」
「何年生だ!!?」
「っっっ三年生です」
「おい、マジかよ! こんなふにゃふにゃした奴が就活してんのか。腕力は!!!!?」
僕は腕を掴まれた。
「クソみたいな筋肉してるな。立て!!」
僕は立たされた。すぐに突き飛ばされた。グラウンドの砂の上に尻餅をついた。
「体幹が鍛えられてねぇな!!」
僕は尻を蹴られた。
「おい、立て」
「えっ!?」
「立て!!」
「はっ、はいっ!!」
僕は立って気をつけをした。僕の人生史上もっとも決まった気をつけだったかもしれない。
僕をいたぶった男は僕の足先から髪の毛の先まで品定めするように見渡した。
「気に入った。お前、来い」
僕は首根っこをつかまれて、引きずられた。
平野さんが僕を心配するように見ていた。
平野さんが遠くなっていく。
遠く。
遠く。
(続く)
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