第54話 幕間~木下俊道の落慶法要

 

 はい、私が木下です。お電話をいただいた東北新聞の方ですね。どうぞ、どうぞ、奥の方へ。先だっては記事、ありがとうございました。落慶法要の。おかげさまで再建をご存じなかった方からもお電話をいただいて。


 中には「菩提寺もないんじゃ戻れないと思っていたけれど、これでN市に帰ることができる」なんて言う被災者もいたんですよ。あの津波で内陸部に避難したまま、かなりの時間がたってしまいましたからねえ。その土地での生活に慣れると、戻ることが段々と難しくなるものです。そうすると、次第にもともと住んでいた土地の情報に疎くなって、道応寺が再建するかどうかに思いが及ばない人もいたんでしょうね。


 私、思うんですけどね、その土地に住むかどうかを決める要素って学校や病院、スーパーとかいろいろあるんでしょうが、寺もその一つなんじゃないかと。特に、ここのように何百年も続いた漁師町だと、先祖代々の墓というものが誰でにもあるものです。今回の津波はそうした過去とのつながりを根こそぎ絶ってしまった。自分が戻る住処があるかどうかだけでなく、先祖の居場所もあるかどうか。記事のおかげで、そのあたりも重要な問題なんだなあと思いました。


 え? あの記事は記者さんじゃないんですか? そういえば、あの日、写真を撮っていた方はもう少しお若かったかもしれないなあ。おや、次長さんなんですか。失礼。偉い方だったんですね。いやいや、ご謙遜なさらず。


 それで、今日は? 後日談か何かお聞きにいらしたのかとばかり、てっきり。はあ、あの記事の写真で気になるところが? 何でしょう?


 ああ、この手が何かを触っているように見えると。ははあ、さすがですね。若い記者さんとは目の付け所が違うな。確かに、払子を持っていない方の手はお腹に触れているんですよね。この写真。参ったな。この写真を撮られた後はまじめな顔をして読経していたんですが、この瞬間は別のことを考えていましてねえ…。


 次長さんはお子さんがいらっしゃいますか? ほう、三人も。すごいですねえ。私は息子が一人だけおりました。ええ、過去形なのは、そうです。あの日に犠牲になりましてね。俊大と言いました。5歳でした。


 いろいろな業界のことをご存じでしょうが、お寺さんのこともお詳しいですか? ご多聞に漏れず、こうした世界はなかなか、こう、う~ん、女性から理解されにくいところがありましてね。いわゆる嫁の来てがないものです。お恥ずかしながら私もそうで、30歳をだいぶ過ぎてから、他寺の娘をもらいました。


 ですから必然的に子を授かるのも遅くてですねえ。その分、俊大が生まれた時は、それは嬉しかったものです。サラリーマンの方と違って自宅が仕事場でしょう。ですから、何もない日は日がなおんぶして作務を行ったものでした。風呂に入れ、離乳食を食べさせ、爪を切って、鼻を拭いて、おむつを替えて。授乳と寝かしつけは女房にかないませんが、それ以外はたいていやりましたよ。


 動き回るようになり、言葉をしゃべるようになり、どんどんはつらつとしてきた。どうしてなのかってくらい、戦隊ヒーローモノにもはまりましてね。一緒にテレビを見たものです。「トッキュウ1号!」なんてね。トッキュウジャーという番組が大好きでして。よく悪役をやらされました。「ううっ」ってこう、胸を押さえて切られた振りをするんですよ。懐かしいなあ。


 いやいや、語りだせばキリがないですが、思い出は次から次に湧いてくるものですよね。我が子のこととなれば、親はそうしたものだと思います。


 それが突然、断ち切られてしまった…。


 時折、自分は破戒僧なのかと思いますがね。人は亡くなるものです。あとに残される人々を導き、諭すのが我々僧侶の務めなのでしょうが、こと自分のこととなると、言うは易しです。何を修行してきたのか、心は千々に乱れるだけで。そんな私の心のよりどころが俊大の遺品なんです。あの写真の時、懐に入れていました。


 トッキュウジャーの…。どうってこどのない、プラスチック製のコップで…。白くてね、戦隊の5人がポーズを取っているプリント化粧が施されでるやづで。イオンのね、そういうの売ってるコーナーで、買ってくれってせがむもんでね。


 オレ坊主だがら、目立づんだ。どごさいでも。それが市民がいっぺいるどごで、息子が床に寝転がって、買ってけろ、買ってけろってわ言われだら、おしょすぐて。靴もそうだし、鉛筆も、箸もそんだがら、コップまでいいべって思ったげっと、なんだが泣いでる俊大見だらもぞこぐなって。


 「父ちゃん、ありがと」って、ぺこってお辞儀したんだ。あんとぎ。忘れらんねよ。普段は暴れまわってるよなワラスがね、ぺこってわ。そっからいぐらもしねで、津波だおん。仏様はいねのがって思ったよ。正直。やっぱす破戒僧だな。


 それが見っかった。裏にや、きのしたとしひろって、マジックで書いであったの、泥の中がら出できた時はあ、なんだもながったね。泣いだよ。まだ自分で字も書げながったワラス連れでってしまうんだおん。仏様。


 寺ねぐなった時ね、ホントはもう再建なんてする気おぎねがったのわ。なんもやる気おぎねがったもの。ほんでも、あのコップが背中押してくれだとごもあんだよね。坊主だがらさ、ほがに犠牲さなった人のとごさお経上げさいぐんだわ。みんな泣いでんだ。当たり前だげっと。みんな、おらいと同じだど思ったら、泣いでばっかりもいらんねって思えたんだ。なんもねぐなったがらね、ほとんどの人が。遺品見っかったオレはまだ幸せなんだって。


 まだまだ、この町は人のいね町だげんと、寺はねえとなや。みんな、戻ってこれねべ。生ぎてる人間だげでねんだ。死んだ人にも盆や彼岸に帰ってくるとご、残しておがねとな。俊大の帰ってくっとごも、死ぬまで守るつもりだよ。次長さん。


(木下俊道・完)


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あの日を境に 走乍考多(そうさ こうた) @ken1954

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