第6話 十八歳の現実
あたし、前原歌音は十八歳になった。
学校をやめると言い出した時、両親と家族とでいろいろといざこざがあったけど、結局学校をやめることで決まった。その時点で親父からは勘当を言い渡されたけどあたしがまだ十七歳だったから十八までは仕送りをするということで話がまとまった。学校の先生も両親も、あたしを厄介者を見る目で見てたのは印象的だったな。でも、そんな人たちのために学校を卒業するっていうのはあたしには納得いかなかったのだ。
で、十八歳になったあたしは晴れて両親からも勘当を受けるということになったわけだ。まあ縁を切ったとはいえ血は繋がってるから戸籍云々とかはいじってないんだけど、あたしはこれから仕送りもなく一人で生きていくことになったわけだ。
学校をやめてから十八になるまで少し時間があったから店長に頼んでバイトの時間を増やしてもらっていた。その金でしばらく節約しつつ、これから就職という奴をすることになるわけだ。まあ、そうなったんだけども……。
「だー、もうきつい。もーやだ」
あたしはカウンターに突っ伏して言う。なんか悩みや困ったことがあると毎回やってる気がするな。あたしの癖かもしれない。
「まただめだった?」
マスターがコーヒーを淹れながら聞いてくる。
「見りゃわかるでしょうよ……」
あたしは全身で敗北を表現だ。
十八になって勢い込んで就職をしようとがんばってみた。就職のやり方自体はマスターやおっさんに聞いてだいたい分かったし、なけなしの金で買ったリクルートスーツであっちこっち行ってみたんだけど。
「箸にも棒にも掛からないわけだ」
隣でおっさんが笑う。人の苦労を笑うとは嫌なおっさんだ。
「まあでも予想通りですかね」
「そうだねえ」
二人の大人はうんうんとうなずいている。
「やっぱ学歴がなきゃだめなの?」
あたしは聞いた。あたしの最終学歴は中学まで。高校は中退なのだからそうなる。一応高校中退とはエントリーシートに書くんだけども。でもどこに行っても高校中退はだめみたいな感じでお払い箱。エントリーシートが通ればいい方だ。
「そうだねえ。一般社会では学歴が重要だから」
おっさんはこともなげに言う。
「そんなこと言われたってなあ」
そうだよなあ。いろいろあったし、もうやめちゃったし。今から学校に通うなんてのは選択肢にない。でも親を頼ることはできないし、そもそもあの親を頼るなんて御免だ。
「あたし、どうしたらいいんだろう」
突っ伏しながらおっさんを見る。おっさんはただゆっくりと煙草をくゆらせるだけだ。
「ねえ、おっさんはあたしどうしたらいいと思う?」
あたしの問いに、おっさんは片眉だけあげるという器用な表情を作って答えた。
「そうだね、二つくらいなら道を示してあげてもいいかな」
「ほんと!?」
あたしは食いついた。だってまあ、ほかに選択肢もないし。これ以上就職難民していたら生活が困ってしまう。
「ただし」
おっさんは付け加える。
「これは前原さんにやる気があるかどうか。それが重要だね」
「やる気……」
おっさんはうなずく。
「示せる道のひとつはバイトで生活すること。これは今のバイトのほかにもバイトを掛け持ちして稼ぐ方法。収入は低く保証もないし、歳をとってバイトを続ける体力がなくなってきたら収入自体がなくなる可能性もある」
「う……」
あたしはうなった。それはあたしも考えていた道のひとつだ。就職できないならバイトで生きていくしかない。でもそれは不都合が多い道なんだろうなとも思っていたけど、そうか、将来的にバイトそのものが出来なくなる可能性もあるんだな。
「で、もう一つの道というのがやる気があるかどうかというところになるね」
おっさんの言葉。でもやる気があればできるってことなんだろうか?
「どういうこと?」
あたしは聞いてみる。
「一般的な企業とか職場だとやはり一般的な教養、つまり学歴が要求される。だからそれを要求されない、やや一般的ではない道を選ぶのさ」
一般的ではない道? ってなんだろう?
「それはどういう道?」
「つまり職人の世界さ」
職人? えーと、ああ、大工とかそういうことか?
「それって大工とかなんとか、そういう職人仕事ってこと?」
「そういうこと」
おっさんはうなずいた。でもあたし、それこそ大工とかなんて想像もつかないんだけどなあ。
「あたし、そういうの全く知らないんだけどできるもんなの?」
あたしが聞くと、おっさんは言う。
「じゃあ聞き返すが、前原さんは事務とか経理とか交渉とか外回りとか、一般的な会社の仕事ってどうやるのか知ってるかい?」
「え?」
そーいや知らないな。
「どれも知らないだろう? だったらどれを選んでも同じさ。ただ、職人の方がやる気と根気がいる。そういうことだね」
なるほど。言われてみればあたしは仕事ってものを本当に何も知らない。バイトだって始めるまでは何をするかわからなかったし、それと同じだ。やってみるまで分からないのだ。
「でもさ、どういう職人になればいいのかってのは、どう決めればいいのさ?」
全く何も知らないんだからそれを決める何らかの方法が知りたい。
「一般的には何かきっかけがあって職人の仕事や作品に憧れるとかがあるねえ」
「憧れえ?」
あたしは憧れなんて持ったこともないんだけどなあ。
「そう。憧れ」
おっさんは続ける。
「職人の仕事や、作った作品。そういったものに自分の憧れを抱くことでやる気になる。職人仕事はそういうのが多いかなあ」
「そんなこと言われても、あたしは今までそういうのに見向きもしなかったんだから、憧れとかあるわけないじゃん」
そう、ない。むしろ考えてみたらそういうものがあればもう少しまともに生きてきたと自分でも思わなくもない。
「ふむ、こまったねえ」
おっさんは困ってないような顔で言葉だけで困ったという。まああたしのことであっておっさん本人の問題じゃないからそうなるだろうけど。
「結局バイトしかないかなあ……」
あらためてカウンターに突っ伏する。もうどうにもならない気がしてきたぞ……。
「先生、そろそろ最後の道を教えて上げたら?」
マスターがコーヒーをおっさんに出しながら言った。
「最後の道?」
あたしの声に、おっさんが言う。
「ははは、いやあ前原さんが私を頼ってくれないから、言い出すかどうかは迷ったんだけどね」
「へ?」
どういうことだ?
「前原さん、君が就職出来てやる気があればやっていける場所、そういう業界が一つある」
「マジで?」
あたしは顔を上げた。
「だけど前原さんが私を頼っているというわけじゃないから言うかどうかは迷ってたんだ」
「どういうこと?」
あたしにはよくわからない。
「今、前原さんは自分でどうにかしようとして壁にぶつかっている。この壁を乗り越えるために自分でがんばっているわけだ。だけど、そういう時は人を頼ってもいいんだ。礼儀を持って頼めば、人に頼んで壁を超えることは恥ずべきことじゃない。逆に、他人を頼らないという自分を貫いてしまうと周りの人間が助けたくても助けられないのさ。本人が助けを求めないと勝手に助けたら失礼だったりもするからね」
ああ、なるほど。あたしは悩みを聞いてもらってはいるけど、おっさんに就職を助けてくれとは言ってなかった。だからおっさんは自分が助けられることでも手を出さないでいたのか。でも、ということはおっさんはあたしを助けたい気持ちと、助けられない気持ちを持ってたわけで。なんだかこのおっさんも相手のこと考える分損するような人だなあ。
「んー」
あたしは考えをまとめる。そしておっさんを見た。
「おっさん、助けて!」
礼儀とかわかんないから、しょうがないので精いっぱい頭を下げる。これでおっさんは動けるってことだと思うのだけど。
「うん、わざわざ頭を下げさせてすまないというか。でもおかげで私も前原さんを助けられる」
おっさんは苦笑いだ。
「なあおっさん。結構いろんな人から割と面倒くさい性格って言われない?」
「はっはっは。言われるねえ」
まあでも覚えておこう。助けを求めるときは素直に言うことで解決するんだ。きっと。
「それで、おっさんはあたしをどう助けられるの?」
聞いてみる。その方法によってはあたしも否定するかもしれないわけだし。
「うん。前原さんは飲食業ってやってみようとは思うかい?」
「飲食業?」
おっさんが言い出したのは、あたしが今まで考えたこともない世界の話だった。
●
おっさんが紹介したのはこの地域で店を何軒か経営している飲食業の会社だった。以前おっさんが特別に連れて行ってくれたバーもその会社の系列店なのだそうだ。
おっさんに曰く。
「飲食業も職人の世界だ。バイトで接客だけをするのではなく、客が口に運ぶ料理や飲み物まで用意しての接客。それは専門の職人の仕事なんだよ。その上で飲食業なら会社として運営しているところも多いからただバイトするだけよりも安心できる」
問題はやる気と体力――、か。
おっさんは最後にその問題点をあたしに突き付けて話を終えていた。とりあえずやる気と体力は自信がある。どんな仕事だって何をさせられるかわからない以上どこでも同じだってのはわかったし、それなら仕事しようってやる気は十分だ。体力はまあ、若い女の体力としては普通、だと思う。健康に関してというならあたしは結構自信があるし。
そんなわけであたしはその紹介された会社、旬膳というグループのオフィスに来ていた。雑居ビルの2階、扉に旬膳という名前が張ってある。おお、紙に書いた文字をセロテープで張ってあるだけだ。大丈夫なのかな……。
ともかくまずは尋ねてみるか。呼び出しのインターフォンとかないらしいので、扉を叩く。少しして扉が開いた。
「はい、なんでしょう?」
そこそこ歳かさな感じの女性が出てきた。
「あ、あの、今日面接を申し込んだ前原です」
ちょっと緊張しているあたしだ。
「ああ、聞いてますよ。中へどうぞ」
女性の案内で中へ入る。中は普通のオフィス、というよりは普通の部屋。普通に人が住んでるような感じの部屋だ。中央に大きめの机を用意して、そこで仕事をしてるっぽい。
「ソファーに座ってお待ちください」
「はい」
女性に言われて部屋の隅にあるソファーに座る。対面にもソファーがある。ということは面接はここで行われるのかな?
しばらくすると奥の扉から男性が部屋に入ってきた。おっさんやマスターよりも少し年上に見える。その人はあたしの方に向かってきた。このひとが面接官ということだろうか。
「お待たせしました。前原さんですよね?」
話しかけられたのであたしは立ち上がって答えた。
「はい、そうです。よろしくお願いします」
「はい、よろしく。じゃあ座ってください」
お互いにソファに座る。
「先生から話は聞いてますが、一応履歴書を見せてください」
言われるままに履歴書を渡す。どうでもいいけど、ここでもおっさんは先生なのか。
「うん、うん」
うなずきながら履歴書を見ていく。
「うん、聞いていた通りだね」
面接官はそう言うと学歴のところを指す。
「最終学歴、高校中退。ははは、結構やんちゃだった?」
「え!? いやあ、自分ではやんちゃとかっていうつもりじゃないんですけど」
やっぱり高校中退は気にされるところなのだろうか。
「ふふふ、まあ若いころはいろいろあるからね」
そう言うと面接官は履歴書を机の上に置いた。
「さて、先生の紹介だから大丈夫だと思ってるんだけど。一応これから働くにあたってのことを色々と聞きますね」
「あ、はい」
ん? この言い方って採用はほぼ決定みたいなことなのか?
「うちは系列のお店が何軒かあるんだけど、どういうところで働きたいとか、どういうことをしたいとかありますか?」
「えーと」
言葉に詰まる。あたしは全くこのグループについて知らないから。知ってることといえば前に連れて行ってもらったバーだけだ。
少し考えて、素直に答えた。
「すいません、あまりこちらのグループのお店に詳しくないんで。それに飲食業も何をするのかまではよく知らなくて」
あたしの言葉を面接官はうなずきながら聞く。
「ただ、バーには前に一回連れて行ってもらったんですが、すごくいいところでした」
なんかただの感想だなこりゃ。
「なるほど。じゃあ具体的に何をしたいかっていうのはまだわからないとして、どんな職場がいいとかありますか?」
少し考えて答える。
「お客さんと話をするのは好きなので、そういう明るい職場ならいいかなと」
あたしの正直な気持ちだ。バイト中にお客さんと話すのは楽しい。学校や実家みたいな息苦しさがなくて、素直に話せるから。
「うんうん、なるほど」
面接官はそれだけうなずくと、最後にと聞いてきた。
「やる気はありますか?」
「あ、はい!」
もちろんこれだけが取り柄だ。何をするかはどこに行ってもわからない。だけど、仕事をするっていうやる気はある。生活のためでもあるし、得に趣味がないあたしとしては仕事をしていたいわけでもある。
「うん、わかりました」
面接官はそれだけ言うと少し考えた様子で顎を触る。
「じゃあ、いつから働けるかな?」
「え? あ、はい、えーと」
急に話を振られてびっくりだ。つまり採用は決まったということらしい。
「明日からでも働けます」
「うん。じゃあ明日から。詳細はまた連絡するから、携帯の連絡先教えてください。あ、あとこれうちの連絡先ね」
そう言って名刺を渡された。名刺にはグループの名前と連絡先、そして肩書に代表取締役社長とある。ん? 社長!?
「え、あ、あの、社長さんだったんですか?」
「あれ、言ってなかったっけ? 社長です。これからよろしく」
「よろしくお願いします!」
社長が自分で面接してたのか! びっくりした……。
「まあ、うちの会社は小さいから。顔あわせる機会も多いし、かしこまらなくてもいいよ」
そんな感じでその日の面接は終わった。なんだかあきれるほどあっけなく終わった。今まで苦労して就活してきたのに、採用されるときはサクッと決まるみたいな。なんだか変な気分だった。
歌音の世界 Anchor @monta1999
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