第8話 金総林(キムソウレイ)が描いた脚本(シナリオ)


─────東京にあるマンションの一室



揚羽蝶のボスである金 総林【キムソウレイ】は、ここに仮のアジトを構えており、明明【ミンメイ】に加え、新たに幹部として任命された朱雀【スザク】と共に、今後の動向について話し合っていた。



「ボス。しかし群馬の連中はあっという間でしたよね。周明が日本の極道と組むとは思ってもみませんでしたし、ちょっと厄介な事になりました」



明明の言葉を受けて、総林は得意気に胸を張って答えた。



「慌てるな、こんなのは予想の範疇だ。だいたい関東北辰会だけでも三千からの極道が居るんだよ? 確かにあんな反撃を受けたのは手痛い限りだが、我が揚羽蝶は本国にまだ沢山の駒を残している」



「でも、我々の得意とする『隠密行動』は、全て周明によって暴かれてしまったんですよ? 今のままではいくら兵隊をつぎ込んでも……」



椅子に座ったまま背中を丸め、弱気な発言をする明明に歩み寄った総林は、彼を宥めるように優しい口調で囁いた。



「僕にはアイデアが有ると言っただろ? 案ずるな、勝負はこれからだ。先ずは本国から二百名ばかりを選りすぐって呼び寄せてくれないか?」



「ハッ。ボスの仰せのままに」



これまでの様子を見ていた明明は、やはり素人には荷が重過ぎたのではないかと総林を疑い始めていた。



しかし、彼の言うアイデアはまだ実践されていなかったのだ。この時明明は『毒喰らわば皿まで』と、総林の手腕がもたらす組織のいく末を、同じ船に乗って見届ける決心をした。



≪そうとも、それが喩え泥の船だったとしてもだ≫



「明明、増援部隊が到着したら忙しくなるよ? 覚悟しといた方がいい」



「承知致しました」



深く頭を下げた明明の心は、憑き物が落ちたかのように晴れていた。もう何も考えまい。格闘家として、その熱い命を燃やし尽くせる、人生のベストバウトが出来ればいい。彼は周明との闘いに思いを馳せていた。



「じゃあ朱雀もいいね、また始めるよ」



「ボスのお心のままに」



総林の命令により、再び揚羽蝶は動き出した。






─────ある日の夕方



関東北辰会茨城支部日野組の事務所に一本の電話が掛かってきた。



「おやじ。芍薬の連【レン】って奴から電話なんですが、おやじに繋いでくれと……」



「芍薬だぁ? マフィア野郎か。そんなもん切っちまえ! 話なんかねえ」



あの緊急会議でも周明と一悶着あった日野組長だったが、まわりの組織が芍薬に対して信頼を寄せる中で、議場で恥をかかされた格好になった彼は、まだ一人周明達の事を毛嫌いしていた。



「自分もそうしようと思ったんですが、大切な用だとか言ってて……なんだか様子も変なんです」



若い衆はそう言っておずおずと受話器を差し出す。



「ええい、貸せ!」



日野は若い衆から腹立ち紛れに受話器をもぎ取ると、鼻息も荒々しく受話器に向けて怒鳴った。



「おう、日野だ! マフィア野郎が何の用だ!」



『初めまして。私は芍薬の連と申します。不躾とは存じますが、時間がございませんので手短にお話し致します』



連は流暢に敬語を使いこなしている。あからさまな敵意を向ける日野に対しても、その語調を乱す事は無い。



だがこの時日野は、受話器の向こうから聞こえる異様な物音に気付いた。それは悲鳴と銃声、鬼気迫る怒鳴り声。そんな中に在っても何故か、連の声は落ち着いていた。



「おい! れ、連とか言ったな。お前は何をしている、後ろの様子は一体なんなんだ?」



声がうわずっている日野に対して、連はあくまでも冷静さを失わずに答える。



『日野さん。どうやら今夜の揚羽蝶の標的は貴方の組、日野組のようです。我々は揚羽蝶メンバーの足取りを追って、その洗い出しをおこなっていたんですが、逆襲に遭いまして……』



話の途中にも、電話の向こうがただならない状況になっているのが伝わってきた。



「ウチの組が標的に?」



日野の顔からみるみる血の気が引いて行く。いつかは自分の組が狙われる事があるとの自覚は有ったが、茨城の外れにある日野組は、順番的にずっと後だとタカを括っていたのだ。



『日野組周辺に居る揚羽蝶メンバーの情報をメールしました。奴らは我々が足止め致します。出来るだけ時間を稼ぎますから、その間に臨戦態勢を整え、迎え撃って下さい。先手必勝ですよ、日野さん』



「おやっさん、これが届きました! 芍薬の連ってヤツからです」



組員が到着したばかりのメールを慌ててプリントアウトして持ってきた。



いつも事有る毎に横柄な態度で接してきた芍薬のメンバーが、他の組と別け隔てなく日野組の急を報せてきてくれた。しかもその結果、彼らは揚羽蝶から襲われる羽目になっている。現状から察するに、命さえ危ぶまれる状況だというのにだ。



日野は身体が震える程の罪悪感に襲われていた。



「連……済まない。つまらんプライドに囚われてあんたらを毛嫌いしてた俺が間違ってたよ。すぐ助けに行くから居場所を教えるんだ!」



日野に答える連の言葉は、心なしか少し寂し気に聞こえた。



『有り難う御座います……。場所は大原井埠頭の外れなんですが……恐らく来て頂いても間に合わないでしょう。相手が多過ぎます』



連の声が落ち着いていたのは、彼がとうに死ぬ覚悟を決めていたからだったのだ。日野は、命を賭してまで極道達との約束を果たそうとしている、連達芍薬のメンバーを何とか救いたいと思った。



「あんたらの情報は日野組の危機を救う貴重な切り札だ。それをもたらしてくれた、言わば命の恩人をみすみす死なせてなるものか! すぐそっちに行くから、なんとか持ちこたえるんだ!」



『お気持ち、有り難うございます、日野さん。では一つだけお願いしてもよろしいでしょうか……』



「なんだ? なんでも聞いてやる!」



日野はそう言い、連の言葉を一字一句聞き逃すまいと耳を澄ました。



『ウチの若頭に……許周明に……私達は貴方の部下で幸せでした、と。それだけお伝え願えますでしょうか』



「何を弱気になってるんだ、死ぬな! 何とかして生き延びるんだ! おい連! おい!」



必死の呼び掛けも虚しく、連との通話はプツリと切れた。電話を持ったまま組員を見回した日野は、大声で檄を飛ばす。



「お前ら出入りの準備だ! 俺と若頭を含めた十五人で大原井埠頭へ向かう。残りはメールの情報を元に揚羽蝶共を消しに掛かれ!」



「はい、解りました!」



「いいか? 芍薬のメンバーを、一人でも多く救うんだ!」



「おうっ!」



トップ自らが率いる久々の出入りに、日野組内は異様な緊張と興奮に包まれている。激しい怒号が飛び交い、組員達は各々に与えられた役割を嬉々としてこなしていた。





─────大原井埠頭第十三番倉庫



静寂に包まれた深夜の倉庫、その入り口から七人の揚羽蝶メンバーが満身創痍になりながら姿を現した。まだ満月にはいく日かある。いびつな月が、彼らの血に濡れた顔を蒼く照らし出している。その内のひとりが台湾語で溢した。



「畜生、痛ぇよお。やっぱりあいつらとんでもねえ。俺達のグループは何人死んだんだ?」



「ええっと……イタタ、ちょっと待って下さい。イー、リャン、サンと……十五人です」



「全く、これじゃあ勘定が合わない。あいつらたったの五人だったろ? どっちが襲撃を仕掛けたのか解りゃしねえ」



「まあ、連は周明の懐刀ですから仕方ないですよ。きっとボスも許してくれますって!」



「腕が動かねえ! 畜生!」



「俺も足がイカれちまった。誰か肩を貸してくれぇ」



その男達は、口々にぼやきながらフラフラと歩き出した。



するとその目の前に、恰幅の良い年配の男が立ち塞がる。



「オ前、誰ダ?」



先頭の揚羽蝶メンバーが、怪訝そうな顔をしながら片言の日本語で質問した。



「おい、お前達に俺がこの世で一番嫌いな物を教えてやろう。それはな、蝶だ。それも特に、蛾でも無いのに深夜の街を飛び回る揚羽蝶。不快な鱗粉を撒き散らしやがるその虫を見ると……殺したくなるんだよ。プチっとな」



「クソッ! オ前極道カッ!」



彼らは咄嗟に胸ポケットへ手を忍ばせた。



パンッ! パパン! パンッ!



次の瞬間、無数の銃弾が撃ち込まれ、七人の揚羽蝶メンバーは武器を取り出す隙も与えられずに、血ヘドを吐いて倒れ込んだ。それを横目に日野は倉庫へ駆け込み、他の組員達も拳銃を構えて後を追う。



「連! おい、連! どこだ?」



倉庫の中を見回すと、そこには既にこと切れているであろう男達が、敵も味方もなく無残な姿を晒していた。



「クソッ! どれが連だか解らん!」



すると、死体を確認していた日野組の組員が甲高い声で日野を呼んだ。



「おやじ! 一人息が有るヤツが居ます」



日野が慌てて駆け寄ると、その男はうっすらと目を開けて、呻くように漏らした。



「あ……う……日野組長です……か?」



「しっかりしろ! お前が連なのか?」



床から抱き上げたその体からは、おびただしい血が溢れ出し、一目でもう助からないと解った。



「はい……でも本当に……来てくれ……下さったんだ。まだ一度だってお会いしたことも無い……のに……義理堅くてらっしゃる……んですね」



日野の頬に涙が伝い、連の胸へ一滴、二滴と静かに落ちていく。



「ああ、最近の若い極道はどうだか知らないが……俺みたいな古い極道は、こういう義理は欠かせねえんだよ。しかし済まなかった……もう少し早く来てれば……」



連はフッと笑みを見せ、蚊の鳴くような声で答えた。



「いえ……お気持ちだけで結構です。周明がいつも言ってたんですよ。本物の極道は……誰よりも優しくて……そして……そんな本物ほど、誰よりも恐ろしいって。……若頭の言っていた事は本当だった……ゴフッ、ゲホッ」



日野は涙を拭いながら苦笑いしている。



「ハハ……もう時代遅れの恐竜みたいなもんだがな」



連は力無く笑った。その唇は青ざめ、小刻みに震えている。



「日野さん。お願いしますね。うちの周明も……日本の極道に負けないくらい……優しくて……そして……温かい……。貴方のお陰で幸せでしたっ……て……」



「おい連、しっかりするんだ!」



連の体から力が抜けて、その体重が日野の手にずっしりとのし掛かる。日野は連を力一杯抱き締めると、自らへ言い聞かせるかのように呟いた。



「連……連よ……周明の事は……俺に任せろ。必ず良くしてやるからな……」



日野は涙を拭うと、静かに連を床へ横たえた。



「寝心地が悪くて済まんが、勘弁してくれ。あんたが命懸けでくれた情報、きっちり使わせて貰うぜ」



連を看取った日野は、同行してきた十四名の組員を呼び付け、残った揚羽蝶メンバーの掃討に回るよう指示した。そして携帯を取り出すと、既に先行して攻撃の任に就いている組員達へ事細かく作戦を伝える。



「お前ら、ぬかるなよ! ひとり日本語の達者なメンバーが居る。加藤正樹という日本名で潜伏している、張 世忠【チャンセイチュウ】だ。そいつには色々吐かせたい事があるから生かしておけ。他の虫共は一匹残らず息の根を止めるんだ」



『解りました』



そして日野組組員総勢三十三名は、一丸となって揚羽蝶掃討に動き出した。





─────すっかり夜の帳が降りて、人々は寝床に就こうとしている、そんな頃。



茨城県日達市の路地裏を、揚羽蝶最後の生き残り、張 世忠【チャンセイチュウ】が、懸命に日野組の組員達から逃げていた。



「待てこら張! 逃げ切れると思うなや!」



張は街の郊外を抜け、繁華街に差し掛かろうとしていた。



「クソッ! このままだと人波に紛れ込んじまうぞ、サブ!」



「ミチ、他の奴らに連絡して先回りするように言え! 俺はこのまま追って、絶対あいつを捕まえてやる!」



「おう! 任せたぞ!」



日野組の組員、サブこと西田三郎は、持ち前の俊足で懸命に張を追った。繁華街の大通りへと入ってしまう前に、なんとしても賊を確保したかったのだ。



しかし張の足も中々の物で、その距離は遅々として縮まらない。深夜の路地裏に二人の足音と荒い息遣いだけが響いていた。



「くそっ、間に合わないか……」



そしてとうとう大通りの賑やかなネオンが見えてきた。サブが諦めかけた時、しかし張は急に立ち止まって、胸ポケットをまさぐり出した。



「野郎、何するつもりだ!」



咄嗟に拳銃を握り締め、サブもすぐに応戦の構えを見せる。



パンッ! パン! パンッ!



そして深夜の繁華街に、乾いた銃声が鳴り響いた。



「キャァァァァアッ!」



しかし張が放った銃弾は、サブには向けられず、たまたまそこを通り掛かった三人の男女の肩や太ももを無差別に貫いていた。



「貴様! 気でも狂ったか!」



サブの罵声に耳を貸す様子も無い。張はそれどころか笑みさえ溢して見せた。



「張! このクソがぁっ!」



サブが躊躇している間に、張は再び撃鉄を起こした。



パンパンッ!



「うわぁああっ!」



「いいかチンピラ。お前らはいずれ、揚羽蝶を敵に回した事を後悔する。絶対にな」



更に二人の通行人を撃ち抜いた張は、その噂に違わぬ流暢な日本語で吐き捨てると、銃口を自らのこめかみに当てた。



「お、おいっ!!」



パンッ!



張の頭は熟れたトマトのように弾け飛び、その崩れ落ちる様は、糸が切れた操り人形のようだった。



「そ、そんな……」



「馬鹿野郎、さっさとずらかれ!」



その遺体を目の前にして呆然と佇むサブを、応援を引き連れ駆け付けたミチが怒鳴り付けた。



誰かが通報したのだろう、暫くすると救急車とパトカーのサイレンが聞こえてくる。



「おおいっ! 早く来い!」



サブは両腕を抱えられ、引き摺られるようにして現場を離れた。



この事件をきっかけに、関東北辰会だけでなく、全国の暴力団組織が最も恐れていた事態が訪れる。それは一般市民らに依る、暴力団追放運動の活発化だった。



これまで繰り広げられてきた揚羽蝶と北辰会の攻防は、決定的な物証こそ出ていなかったが、メディアは状況証拠を元に暴力団組織と外国人マフィアの抗争として連日の報道を行っていた。



そして今回はとうとう一般人まで巻き込まれ、他人事では済まされなくなった世論がその不満を爆発させたのだ。この声を受け、警察も重い腰を上げざるを得なかった。



北辰会のみならず、全国の指定暴力団の主要な組事務所には、執拗な家宅捜索【ガサ入れ】が行われ、幹部及び重要人物達は常に警察の監視下へ置かれた。従って組織はシノギを行う事が殆んど出来なくなり、その懐事情はみるみる逼迫していった。



そして明日、この一件について北辰会幹部が召集され、緊急会議が行われる。その日を前にして茨城県警に二人の男の姿が有った。



「周明さん、済まん。もう少し俺達が早く駆け付けていれば……」



大原井埠頭で行われた殺人の重要参考人として事情聴取を終えた許周明と日野恵三は、その足で芍薬メンバーの身元引き受け人となり、遺体安置所に通されていた。



「いいのよ……日野さん」



そう言って周明は、連の顔を覆っている白い布を静かに摘まみ上げた。



「ああ……連……」



すっかり土気色した連の顔を覗き込み、周明は言葉を失う。



「俺はな、周明さん。悔やんでも悔やみきれない思いで一杯なんだ。あんたらマフィアの事を……いや、芍薬という仲間の事を、なんでもっと早く理解出来なかったのかっ……てな……」



周明は何度となく連の額を撫でていたが、日野に向き直ると微笑んだ。



「いいえ。逆に私は、貴方にお礼を言いたい気持ちです。会ったことも無い私の部下の為に、命懸けで揚羽蝶と戦って下さった。そのお気持ちだけで私の胸は一杯です。それにこの子達も、とうに覚悟は出来ていた筈。今回の一件で、我々芍薬が貴方達極道からの信頼を得られたんですから……責任を果たして本望だったと思います」



屍となった部下を見遣る周明の眼差しは、まるで我が子の臨終に立ち会う母親のように、慈愛で満ち溢れている。



「周……明さん……」



「すいません日野さん、申し訳ないのですが……。一人にして頂いてもよろしいですか」



「ああ、気が利かなくて済まん。……だが連は立派だったよ。周明さんからも誉めてやってくれ」



そう言うと日野は静かに部屋を出ていった。ドアが閉まる音を合図に、周明の目からは止めどなく涙が溢れ出る。



普通、台湾マフィアの社会は、メンバーとグループの間に『契り』という契約が結ばれる。これはメンバーがグループに忠誠を誓うというよりも、グループがメンバーを縛り付ける為の鉄の掟で、それを守ってさえいれば『命』と『報酬』が約束されるというドライな物である事が多い。



しかし芍薬はその関係に加え、周明とメンバー間に、まるで母親と子供のような温かい繋がりを持っていた。周明は部下を大切にするし、そんな周明だからこそ、部下達も命を捧げる。



「連……帳……みんな……本当にごめんね……」



連の胸に顔を埋めた周明はひとり、オンオンと声を上げて慟哭し続けた。




─────北辰会緊急幹部会議当日



『……らによる暴力団追放運動が各地の主要駅で展開されています。騒乱の元となった茨城県の繁華街での事件ですが、東京地検特捜部は、暴力団と海外マフィア間の抗争と結論付け、地方県警との連携を図り、暴力団事務所の強制捜査や主要人物への監視強化を行っています。



しかしマフィアについてはその団体名を『揚羽蝶』という以外は、全容を殆んど掴めておらず、捜査は難航の一途を辿っています。



次のニュースです。



新築区下部喜町で起こったボヤ騒ぎは、不審火の可能性も含め……』



揚羽蝶のボスである金総林【キムソウレイ】とその幹部、呉明明【ゴミンメイ】は、連日流れているそのニュースを東京のとある隠れアジトで眺めている。同時通訳を最後まで聞いた総林は、思わず吹き出した。



「プハッ、アハハ。見ろよ明明。僕が描いた計画通りになったぞ。日本の極道達は最早、警察の締め付けで全く身動きが取れない状況だ」



総林と運命を共にする覚悟を決めた明明だったが、その真意を未だ計り切れずにいる彼は、この時とばかりに質問を切り出した。



「ボス。極道達が不利な状況になったのは理解出来ますが、この後どうなさるおつもりですか? 更に兵隊を投入して、一方的に叩くおつもりでしょうか」



総林は悪戯っぽく笑い、机に置かれたフルーツの盛り合わせからカットパインをフォークで突き刺し、頬張った。



「いや、違う。彼らと交渉するんだよ」



「交渉……ですか?」



「明明、口が開いてるぞ? 賢いお前の事だ、とうに察しは付いてると思っていたんだがな」



明明は慌てて口を閉じた。今まで散々強硬路線を貫いてきた総林の口から交渉という言葉が出るなどとは、よもや思うだにしなかったのだ。



「申し訳ありません、ボス。私にはサッパリ……」



「ああ。まずは、北辰会のトップと交渉して安全な縄張り【シマ】を確保したいんだ。……そうだな、シャブの取引をするなら、今は都心じゃない方がいい。必要ならいつでも東京に行けて、なおかつ繁華街に監視カメラが少ない場所で、効率良くシノギを回して組織体力を上げる。そんなシマを確保したいんだ」



「なるほどボス。その交渉を有利にする為に、我々の力を見せ付けた訳ですね。本国の組織を潰さない限り、我々揚羽蝶を根絶やしにすることは出来ないということも……」



「そうだ。そして張が一般人を絶妙なタイミングで弾いてくれた。これで動きが取れなくなった極道達は、我々に白旗を上げるしかない。そして交渉のテーブルに着かなければ、奴らに明日は無い」



「最早交渉と言うより命令ですね」



「言ってしまえばそうだが、奴らのプライドも蔑ろにしたらいけないんだ。反乱分子は時として大きな力を得る。だから形式だけでも極道共を納得させる形を取るのさ。それが僕のアイデアだ、そうして……」



総林はブドウを一粒千切ると口に放り込み、ジャクジャクと咀嚼して飲み込んだ。



「そして奴らを皮まで喰い尽くすんですね」



「ああ、そうだ。これまで我々が行って来たのは極道の品種改良だよ。種を無くし、皮まで食べられるようにするには、百人からの兵隊が必要だったという訳さ」



そう言うと総林はフッと笑みを見せた。



「まあ惜しむらくは、被害が最小限に抑えられなかったことだが、兵隊なら幾らでも呼び寄せられるし、これからの利益を考えれば少しも痛くない。そうだろ?」



「ははぁっ」



こうべを深く垂れて傅【カシズ】く明明は、背筋が寒くなる思いがした。新しくボスの座に着いたこの男は……金総林は、人の命の重さなどまるで感じていない。百人の同胞の命など、このフルーツと同じ位にしか思っていないのだ。



「さあ、解ったら次の準備だ。北辰会の会長と連絡がつくかい?」



明明は慌ててタブレットを取り出すと、手早く目的の画面に切り替える。



「ええ……これに依ると会長の高倉は……赤坂のホテルで北辰会の幹部を集めて緊急会議をやっているようですね」



揚羽蝶メンバーが逐一更新している情報網には、北辰会の幹部や重要人物のデータがこと細かくアップされている。



「フフ。またまた絶妙なタイミングじゃないか。ここを逃す手は無い、明明! 電話を繋いでくれ」



「はい、只今……」



明明はタブレットにリンクさせてあるスマートホンを操作する。



「会長さんと幹部の皆さんにご挨拶だ。フフフ……」



不適に笑う総林を見て、明明はまたゾワゾワと総毛立つ感覚を抑え切れずにいた。




「徹底抗戦だ! 奴らに舐められっ放しのままで居られるか! そうだろ」



関東北辰会茨城支部長の日野恵三は、声高に言うと一同を見渡した。都内某所のホテル宴会場を借り切り、関東北辰会の幹部達が集まっている。



「日野さんよ。気持ちは解るが、北辰会の現状を見なよ。いや俺達だけじゃねえ、今や全国の極道は完全にサツから目ぇ付けられてんだ。戦争なんか出来る訳ねえよ」



北辰会神奈川支部長の川原敏道【カワハラトシミチ】が、けだるそうに吐き捨てた。



「じゃあ川原の。お前さんはただ指を咥えて見てろってのか? それでも極道だと胸を張れんのか! 奴らのアジトを見付け出して、皆殺しにするのが普通じゃねえのか? そうだろ!」



日野は大原井埠頭の件で、完全に冷静さを欠いていた。口角泡飛ばしながら一同をけし掛けている。



「じゃあ言わせて貰うが日野さんよ、そのアジトをどうやって探すんだい?」



「芍薬のメンバーに頼む。決まってんだろ!」



川原はヤレヤレと肩を竦め、日野を見もせずにまた言った。



「アイツらは、どこに潜伏してるか解らない揚羽蝶を探し出す為、関東全域にメンバーを分散させてるんだぜ? 幾ら腕の立つ奴でも多勢に無勢だ。案の定、茨城じゃあやられちまったじゃねえか!」



「ぐっ……それは……」



日野は言葉に詰まってしまう。大原井埠頭で死んだ連も、かなりの腕を持っていて尚、その通りだったのだから。



「な? そんな作戦は長続きしねえって。それより奴らと和解して、一日でも早くシノギを復活させる方が得策だ。なあ、みんな」



嘲笑めいた口調で振り返る川原の提案に、幹部達の八割方は深く頷いていた。



市民団体と警察が協力体制を取り、全国的に展開されている『暴力団追放キャンペーン』この予期せぬ非常事態にどこの組も収入源を断たれてしまい、爪に火を灯しながら漸く日々を過ごしているという状況だ。彼らの多くは極道としての体裁よりも、自組の運営を軌道に乗せたいと言うのが本音だった。



「けっ! 話にもならねえ、この腰抜け共がっ!」



日野はふてくされて乱暴に着席する。すると、このやりとりを静観していた会長の高倉が、二人を宥めるように言った。



「まあまあ、そう熱くなるなよ二人共。どっちの意見も正しい。舐められちまったら極道としてやっていけないし、今は戦争出来る状況じゃない。だがな、これだけ優秀な幹部達が集まってるんだ。なんとかみんなで考えて、この危機を乗り切る知恵を出し合おうじゃないか。その為の幹部会だろ」



「は、はい」



「申し訳ありません」



高倉の言葉に、漸く二人は冷静さを取り戻した。はらはらしながら見守っていた他の幹部達は、二人に気付かれないよう胸を撫で下ろしている。



するとその時、宴会場の電話がけたたましく鳴り、一同の間に緊張が走った。



「何だ、会議中だと言っておけ!」



「は、はい……もしもし……」



応対に当たった若い組員は、青くなったり赤くなったりしながら、声を潜めて話し続けている。業を煮やした高倉が一喝した。



「喧しいぞ、早く切れ!」



「そ、そ、それが会長。どうやら揚羽蝶の金【キム】って奴かららしいんですが……」



これを聞いた幹部達は一斉に立ち上がった。



「な、なんだと?」「揚羽蝶だぁ?」「何のつもりだ、糞が!」



すると前回の会議で司会を務めた頭脳派幹部、田中組組長田中鉄次が電話を代わった。



「もしもし……田中と申します……」



暫く電話口でやり取りしていた田中は、高倉に向き直ると落ち着いた面持ちで言った。



「確かに揚羽蝶のボス、金総林【キムソウレイ】のようです。同時通訳の者から話が有ります。スピーカーホンに致しますのでお聞き下さい。こちらからの音声はこのマイクで……」



「さすが鉄、手際がいい」



田中はまるでそう段取りされていたかのように、宴会場の機材を操作する。高倉を筆頭に宴会場の幹部一同は、固唾を飲んでその光景を見守っていた。すると落ち着き払った、まるでニュースでも読んでいるような現地語の後に、通訳が話し出した。



『……ボスのお言葉をお伝えする、通訳の王と言います。では、参ります……初めまして。揚羽蝶の頭を務めています金総林と申します』



高倉がすっくと席を立ち、マイクの前に立つ。



「ここに直接連絡してくるなんざ、随分と手回しの良いこったな。俺が会長の高倉だ、喧嘩相手の揚羽蝶がなんの用だ!」



ゴソゴソと現地語が聞こえていたが、また改まって通訳が答える。



『北辰会会長様直々のご返答を有り難うございます。本日は貴方がたへ、ある交渉を致したくお電話させて頂きました』



会場がざわついた。散々同胞を殺した揚羽蝶が、今更何の交渉がしたいと言うのか。幹部達の心中は、察して余りある。



「いけしゃあしゃあと抜かしやがって! 何が望みなんだ!」



高倉も怒りを堪えるのに精一杯な様子だ。電話の向こうからは、総林の甲高い笑い声が聞こえてくる。



『率直に申し上げますと、我々の活動エリアが望みです。勿論タダとは申しません。そちらの言い値をお出ししましょう。そんな物はすぐに回収出来ますから』



「ぐっ……それを呑めば……この争いは終わりになるのか?」



総林からの納得行かない条件の提示に、高倉はハラワタたが煮えくり返る思いだったが、何とか冷静さを失わずに質問する。



『いいえ。それで終わりではありません』



「ふざけるな!」「何を要求するつもりだ」「俺達を舐めるのもいい加減にしろ!」



その答えに会場は怒号の渦と化した。



「ええい、喧しい! 黙りやがれ、てめえらっ!」



高倉の剰りに猛り立った剣幕に、一同は息を飲んで押し黙った。



「……シマだけでは飽きたらず、更に何を寄越せと言いやがるんだ? 事と次第に依っちゃなぁ……」



高倉の声はうわずり、その顔は般若のように怒りで満ちている。王は慌てて高倉の言葉を遮った。



『すいません、まだ先が有ります。ボスはこう仰ってます。……私達は北辰会の組員を大勢殺してしまった。その事については深く責任を感じています。ですから、活動エリアの件に関しても、きちんと貴方がたの言う「手打ち」を行いたいのです』



「手打ちだと?」「散々殺して何言ってやがる!」「戯れ言抜かすのも休み休みにしやがれ!」



宴会場はまた、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。



ダンッ!



机に両手を思い切り叩き付けた高倉は、一同がおとなしくなったのを見計らって、ドスの利いた声で質問した。



「もし俺が……断る……と言ったら?」



それを聞いた総林の、耳障りな笑い声が会場に響く。



『いいですか、高倉さん。まだお気付きではありませんか? 一般人に紛れて身を隠す我々を、一網打尽にする事は不可能なのです。周明が手助けして上手く行ったのは最初だけ。数十人規模の兵隊を関東中、いえ全国にだって派遣する事が出来る我々を、貴方がたが防ぎ切れる訳は無いのです。我々の要求を拒否すれば、またどこかの組が群馬と同じく、数時間で殲滅される。そして拒否をし続ければ続けるだけ、北辰会の組が減るという事です。つまり貴方がたに拒否する事は出来ない』



群馬での一件を持ち出され、幹部達は反論する事さえ出来ずに居た。群馬の山田組、加藤組、そして茨城の日野組が生き残れたのは、揚羽蝶の虚を突く事が出来たからに過ぎないのだ。



「ぐ、むむ……我々北辰会に、イニシアチブは無いという事だな」



『その通りです。しかし我々は今のところ、日本の極道社会全体から敵視される訳にはいかない。それで貴方がたと手打ちして、形式的には他の極道から文句が出ないように、格好を付けたいのです』



「敵対したくないのに、何故我々北辰会の清原組と高橋組を皆殺しにしたんだ! 周明さん達が居なければ、日野組も危ない所だった……周明さんや芍薬と同じく極道と共存したいなら、一体何故……」



『高倉さん。その周明は、我々揚羽蝶に刃【ヤイバ】を向ける裏切り者。そんな人間と付き合いを持っている貴方がただからこそ、最初のターゲットになってしまったのです。我々揚羽蝶が目論む「日本制圧」の足掛かりとしてね!』



パチンと何かが弾けた。怒り爆発とはこの事だろう。最早会場の空気を表現する言葉が見付からない程の騒乱だった。或る者は咆哮しながら天を仰ぎ、また或る者は机を蹴り飛ばした。



「ふざけるな!」「何様のつもりだ!」「出来る訳ねぇだろ、糞が!」「戦争だ! 皆殺しだ!」



そんな罵詈雑言を遮って通訳の王は語調を荒げた。



『だから先程「今のところ」と言ったのです。共存なんてとんでもない! 沈み行く、古びた戦艦と、誰が運命を共にするというのですか!』



高倉はぐうの音も出せなかった。揚羽蝶の『日本制圧計画』を、彼は周明から伝え聞いた事が有った。しかしその途方もないスケールの大きさに現実性の欠片も感じられなかった高倉は、頭の隅に追いやって、言わば『見て見ぬふり』『知らぬ存ぜぬ』を決め込んでいた。



だが今は、幹部の手前、黙り込んでしまう訳にはいかない。闘う前にして、言葉でやり込められてしまう訳にはいかないのだ。



高倉は何とか糸口を見付け出し、やっとの事で反論した。



「に、日本の極道は十万人から居るんだぞ。周明さんから聞いたが、三千程の揚羽蝶に日本の制圧なんて出来る訳がない」



「そうだそうだ!」「この身の程知らずが!」「返り討ちに遭うのが関の山だ!」



その言葉を聞いても、総林はまた勘に障る声で笑っている。



『全盛期の貴方がたならそうですね。我々が十万の極道を相手に出来る筈はありません。ですが今、貴方がたの国には「暴対法」が有る。この法律で活動が制限されている貴方がたは、今回のような事態に陥ったら、最早何も出来ないでしょう。沈み行くと言ったのはそういう事。貴方がたに未来は無い。……そうでしょう?』



「ぐ……む……」



高倉は今度こそ黙り込んでしまった。総林の意見には彼自身頷ける所が多かったからだ。



古来より、日本には『必要悪』としてヤクザ社会が有った。



ある時はテリトリーを犯す外敵を排除する威力として、ある時は普通の遊興では飽きたらなくなった者の捌け口として、そしてまたある時は貸した金品を返さない者への取り立て代行として……その他、表社会の取り決めだけでは処理出来ない諸々の問題を、ヤクザ社会は全て請け負ってきた。



そしてその役割はそれだけに留まらない。社会に順応出来ない所謂『落ちこぼれ』や『乱暴者』の受け皿としても、重要なポジションを担ってきた。そこでは、真っ当な教育で如何ともし難かった『はみ出し者』達がリ・エデュケーションされ、親や家(組)を大切にし、兄弟と協力する『最後のチャンス』を与えられていたのだ。



だがしかし、その無くてはならない物を、表社会の不備を補完する必要不可欠なファクターを、かの『暴対法』は存在すら認めないという。そんな社会に、そういう日本に嫌気が差していたのは、高倉も然りだったからだ。



長い沈黙の後、また総林は現地語で語り出す。通訳の王がその言葉途中で同時通訳を始めた。



『ね、高倉さん。我々マフィアは暴対法なんか気にする必要も無いんです。貴方がたのように古い慣習に囚われていて、その実態はまるで伴っていない、そんなヤクザの成れの果てとは勝負にもなりません。貴方がた極道の組織は、この国の時代に則していないのですよ。……ね、だからこれからは「マフィアの時代」なんです』



もう誰も、何も言えなかった。それぞれがそれぞれ、極道としての生きにくさを感じている今。総林の言葉を全否定するのは、天に向かってする程ではなくとも、風上に向かって唾する位ではあったからだ。



王は(総林は)更に続けた。



『現在、日本で働いている外国人労働者達が居ます。彼らは社会的に弱い立場だ。不況のあおりを受けて、真っ先に切り捨てられるのは彼らですが、実はそんな彼らこそ我々揚羽蝶の支持者であり、理解者であり、更にはスポンサーでもあるのです。将来的に我々は、そんな彼らを吸収して、組織の人数も財力も、貴方たち極道を遥かに上回る事となる。はっきり言います。十年……いや五年も有れば充分だ。



極道という沈没する巨大な戦艦に成り代わり、新しい時代、日本の裏社会の覇者に我々が君臨する。それが私の描いたこの計画の青写真です』



王の(総林の)話が終わっても、宴会場は水を打ったように静まり返っている。皆が一様に強張った面持ちで黙りこくる中、会長の高倉だけはうっすらと片頬に笑みを宿していた。



「俺達が悩んでいる事を、随分ズバズバと言い当ててくれるじゃないか」



総林が話した内容は確かに、表面上は極道社会を蔑んだ内容ではあったが、その社会に在って高倉も、暴対法が及ぼす将来への不安を人一倍感じていた一人だった。



そんな気持ちはしかし、極道社会の、それも上層部に君臨している高倉には、その地位故に漏らしてはいけない、そして覚られてはいけない弱い部分に他ならなかった。自分だけは確固たる信念を持って関東北辰会を、ひいては日本の極道社会を牽引していくのが務め。不安を跳ね除け、極め道を邁進する姿を後進達に示さなければいけなかったのだ。



それを第三者目線で断言された高倉は、総林に対する怒りよりも寧ろ、清々しささえ感じていた。



『いえ、長々と済みません。ですが、組織のトップにいる高倉さんなら解って頂けると思っていました』



だが高倉は一個人である前に、関東北辰会の会長なのだ。総林の言う事をそのまま鵜呑みにする姿を、集まった幹部達に見せる訳にはいかない。



「しかしな。俺達だってお前らに制圧されるのを指を咥えて見ているつもりはない。腐っても、成れの果てでも、俺達は極道。裏街道を極めし者だ。新参者のお前らをのさばらせたら、それは極道としての名折れでしかない」



『ええ。ですから、そのプライドを傷付けない為のご提案でもあるのです。手打ちなのですから、我々も当然リスクを負います。それも貴方がたを無条件に納得させる内容でなければならない』



「日本制圧と天秤に掛けられる条件だと? そんな物、有る訳がないだろ。金か? 人か? 無条件に我々が納得出来るとなると、お前らが行った今までの所業を考えて……どちらにしても莫大な物になるんだぞ?」



また高らかに笑って総林は話し出す。



『我々とて今まで被【コウム】ってきたダメージは計り知れない。それは金銭的にも人的にもです。「打出の小槌」が有るでなし、それは無理と言うもの。もう結論から言いましょう。お互いの組織を代表する者同士を「素手喧嘩【ステゴロ】」で勝負させるのです』



「素手喧嘩【ステゴロ】だと?」



会場がさざ波のようにざわめいた。



『ええ。この方法なら人も金も掛かりません。全面抗争でお互い甚大な被害が出る事も無いのです。代表者に全てを託して、揉め事の決着をつける方式は、日本の流儀に違【タガ】わないと認識していますが?』



「そうだな、なるほど。『素手喧嘩』に依る『手打ち試合』という訳か……だがな、お前の言う条件というのがまだだ!」



『そうでしたね。条件というのは、我々揚羽蝶の完全撤退です。貴方がたが勝てば、我々は本国へ戻りますし……我々が勝てば、日本制圧の拠点となる縄張り【シマ】を頂きます』



「つまりその『手打ち試合』に勝てばもう、お前ら揚羽蝶は我々に手を出さないという事か!」



『そういう事になります。貴方がたが極道社会を守りたいのなら、手打ち試合に勝利するしかない。そしてお解りの通り、貴方がたに選択権は無い。貴方がたは勝負に勝って、我々を追い出すしかないのです。因みにプロレスラーでもプロボクサーでも、臨時で雇う事は認めます。我々は、それに対応出来る強力な人材を揃えていますから』



一同は顔を見合せ頷き合っていた。日本の裏社会を揚羽蝶に支配される『暗澹たる未来』しか見せられて来なかったこれまでの話とはまるで趣が違う。その手打ち試合に勝つ事が出来れば、暴対法の存在は拭い去れないが少なくとも、異国からやって来た支配者に隷属しなければならない未来は無くなるのだ。



「解った。……だがこっちも強力な人材がわんさか居るのを忘れるな。後で吠え顔かくなよ?」



『交渉成立ですね。ルールその他詳細は、折を見てまたご連絡致します。ではごきげんよう』



電話が切られた宴会場には、安堵とも希望とも取れる溜め息が漏れている。揚羽蝶から提示された条件に、暗闇の緞帳から漏れる一筋の光明を見た極道達だった。



その後揚羽蝶からの通達が有り、ルールが伝えられた。代表は双方から三名ずつ選出し、一対一の無制限一本勝負で勝利者数が多かった方の勝ちとなる。急所攻撃も認められ、片方が死亡・気絶・降参・戦意喪失した時にもう片方が勝利者となる。



それを受け、再び開かれた幹部会は、何日にも渡って議論が続けられていた。



「これは極道全体の未来が掛かった勝負だ。代表者は超党派の会合を開いて選出されるべきだ」



「いや、直接交渉の窓口となった我々北辰会が落とし前を付けるのが筋だ」



侃々諤々【カンカンガクガク】と意見が交わされたが、代表者を選出した後、事の経緯と手打ち試合の詳細を発表し、全国の極道達にはサポーターとして参加を促す運びとなった。



そして代表三人の内一人は早速決まる事になる。芍薬の若頭、許周明が名乗りを上げたのだ。



彼の格闘技の腕前は北辰会内は元より、全国的に有名で、今回の揚羽蝶に対する作戦に於いての実績も充分だった。加えて揚羽蝶内部の事情を知る人物でもあり、殊更周明本人から『日本の極道達の為に役立ちたい』との強い申し出があった為、満場一致での決定となった。




残るはあと二人。




幹部会では、全国の客分達や兄弟筋を含めた有力候補達の名前が沢山上がったが、その中でも頻りに二人の名前が登場していた。



そう、仏のタカシこと権田隆史と、鼻歌の修司こと北原修司である。



彼らは客分という身分から、本来なら身を犠牲にして組に尽くす義理は無い筈だったが、そこを推してまで身体を張って抗争を食い止めた、有名な二人だった。



更にこの噂は北辰会内だけではなく全国の極道達の耳にも届いていて、最早二人は、ヤクザ社会全体から英雄視されていたのだ。



「やはり北辰会の関係者がいいでしょう」



「プロ格闘家の方が経験豊かなのでは」



「いや、奴らは命のやり取りを実際に行っている訳じゃない。その意味では極道二人の経験が遥かに有益になってくる」



「誰もが納得する人物こそ代表にするべきだ」



「そう。彼ら二人の実績と知名度は群を抜いています。全国的に名の知れた人物がいい」



「信頼出来る人物が一番!」



「そうなると……」



「やっぱり……」



「あいつらしか居ない!」



結局、最終的には例の二人が相応しいと言う事で、修司とタカシの代表選出が満場一致で採決された。



そしてこの決定は瞬く間に全国の極道達の耳に届き、彼らは口を揃えて言った。




─────そうだ! あいつらしか居ない!─────



それから数日の後、北辰会と揚羽蝶との間で、手打ち試合の打ち合わせが行われ、子細が決定すると間もなく「堅気衆への口外無用」とのただし書き付きで、全国津々浦々の事務所まで数枚のファックスが送られた。その内容はこうだ。





─────揚羽蝶問題解決に向けての手打ち試合について。




拝啓



諸先輩方におかれましては日々益々ご清祥の事とお慶び申し上げます。



さて、予てより我々を悩ませていた台湾マフィア『揚羽蝶』の問題ですが、我々関東北辰会との度重なる折衝の末、各代表三名ずつに依る『手打ち試合』で雌雄を決する事とあいなりました。



○月×日、二十二時より催されるこの試合で我々が勝利を納めれば『揚羽蝶は今後一切日本に於ける活動を行わず、本国へ撤退する』との確約を、揚羽蝶の主宰である金総林氏より得る事が出来ました。



残念ながら万一、敗北を期した場合、我々の縄張りの一部を有償にて譲渡する運びとなっております。



諸般ご多忙の折、甚だご迷惑とは存じますが、どうか温かいご声援、ご鞭撻を給わりますようお願い申し上げます。



末筆ではございますが、諸先輩方益々のご発展とご健勝を、衷心よりお祈り致しまして、結びの言葉に代えさせて頂きます。



敬具



関東北辰会会長 高倉影敏



追伸



尚、開催場所は公正を期す為秘匿致しますが、ワンセグ裏チャンネル『AUZ―12562274―BIB』で手打ち試合の模様がご覧になれます。



是非皆様挙ってご視聴下さいますよう、お誘い申し上げます。






◎参戦者




○揚羽蝶代表



呉明明【ゴミンメイ】(通称赤いフクロウ)



拳法家





羽朱雀【ハンスザク】(通称毒爪)



拳法家





陳青龍【チンセイリュウ】(通称青い蠍)



拳法・総合格闘技家






○北辰会代表




許周明【キョシュウメイ】(通称モノクロの周明)



『芍薬』若頭、拳法家





権田隆史【ゴンダタカシ】(通称仏のタカシ)



『石田組』客分、ボクサー





北原修司【キタハラシュウジ】(通称鼻歌の修司)



『的場組』客分、空手家





◎試合形式





○時間無制限一本勝負。武器を使う以外は、目潰し、金的蹴りなど、全ての攻撃を有効とする。



○相手に攻撃の意志が無くなった時や、降伏の合図タップするをした時は、これを以て決着とする。



○北辰会、揚羽蝶共に、選手の他に幹部を交えた二十名を見届け人として開催場所へ同行する。



○この勝負での結果について、双方は速やかに承諾し、事前の取り決めを遂行するべし。



以上─────



文中に有った裏チャンネルは、この「極道全体の未来を賭けた世紀の一戦を、是非見届けたい」という全国の極道達の声を受けて導入された。



或る者は組の事務所で、また或る者は車の液晶で、そしてまた或る者は携帯電話で試合を観戦出来るようにしたのだ。



会場となる廃ホテル『つきのわ』には合計二十台のテレビカメラが設置され、ビル内部や、試合の模様などを事細かく見られるようにした。



これは衆人監視の元で、極道、揚羽蝶共に不正の無いよう配慮された物でもある。



全国の極道達は、この世紀の一戦を、今か今かと待ち侘びていた。







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