第2話 許周明(キョ・シュウメイ)という男


明くる日の午後。


的場組の事務所に在った修司は、居心地悪そうにそわそわと落ち着かない。それを見兼ねてヒデが声を掛けた。


「兄貴、昨日の今日だ。まだムショ疲れが抜けてないだろ? 暫くはゆっくりしててもいいんだぜ?」


虚を突かれた形となった修司は、言い訳めいた答えしか返せない。


「いや、何だか……こう……暇を弄んでるのは俺の性分に合わなくて、な……」


修司が居た頃の事務所は、言ってももっと広々として、そして如何にも【極道然】とした、重厚できらびやかな佇まいだった。


ゆったりとしたソファーに身を沈めて、何をするでもなく悦に入る事が出来たのだ。


しかし、改めて周りを見回してみると、山と積まれたノートや書類。ぽつぽつと行事が書かれた月間行動予定表。誰かが食い散らかした菓子折りに、有ろうことかポットが乗った茶箪笥までが置かれてある。


いくらこのご時世とはいえ、今の組事務所たるや、家政婦斡旋の会社か、はたまた便利屋の事務所と見まごうばかり。


ただ雑然としているだけのこの場所は、久し振りにシャバへ帰ってきた修司を急き立てこそすれ、ちっとも寛がせてはくれない。


本来なら解散している筈だった的場組を、どうにか維持してくれているヒデに申し訳ないとは思いつつ、やり切れない思いとどうにもならないもどかしさで、修司はその身を引き裂かれんばかりだった。



「なあヒデ……まだ俺にも出来そうなシノギは有るのか?」



尻の座りが悪くて仕方ない修司は、何かで身体を動かしたかった。そうすれば余計な事を考えずに済む。



ヒデは暫く押し黙っていたが、「兄貴、落ち着いて聞いてくれよ?」と前置きして説明を始めた。



「今は昔と違って、武闘派の兄貴が活躍出来る仕事が激減してるんだ。借金の取り立ても無いに等しいし、企業の争いの仲裁や総会荒らしも滅多に無い。ノミ屋や盆も無くなって久しい。今は馬券が携帯で買える時代だからな」



「携帯で……じゃあ一体、何のシノギで食ってるんだ?」



ヒデはバツが悪いのか、修司と目を合わせないようにしながら答える。



「え~と、風俗や水商売、不動産関係を少々。あと……これは兄貴が聞いたら怒るかも知れないなぁ……」



「あ、それなら源さんに聞いたぞ。なんだか詐欺まがいの仕事が流行ってるとか」



「そう。……詐欺まがいじゃなくてれっきとした詐欺だけどね」



ヒデは溜め息をついた。



「まず、パソコンサイトを使った詐欺。エロサイトや女性紹介サイトを利用して、ダイヤルQ2を繋げさせたり、不正課金をして儲けるタイプ。専門知識が必要だから、コンピューター系に詳しい奴らをあてがってやりくりしている」



「それならまだ昔のシノギに近いじゃないか。引っかかるのはどうせエロオヤジばかりだろ?」



だがヒデはまた、溜め息と共に首を振った。



「そうとばかりは言えないんだよ。兄貴、オレオレ詐欺って知ってる?」



修司は耳慣れない単語に戸惑って「なんだ? それ」と聞き返す。



「じいちゃんばあちゃんの家に電話を掛けて、子供や孫のフリをして金を振り込ませるんだ。相手が電話に出たら『オレ、オレ。実は困った事が起きてさぁ……』とか言って金を無心する。だからオレオレ」



「ヒデ、ちょっと待った!」



修司が両手を振りかざしてヒデの話を遮った。



「馬鹿言うなよ。そんなの上手くいく訳無いだろ? そもそも声が違うだろうし」



これを聞いてヒデは力なく笑った。



「それがそうでもないんだよ。人は慌てると、正常な判断が出来なくなる。それに乗じてまんまと騙すことが出来るんだ。純粋な人程信じやすくて、すぐに何百万も振り込んでくる」



「年寄りから金をふんだくるのか、酷い話だな」



「だから悩んでいるんだよ。こんなのヤクザのする仕事じゃないだろ?」



「確かに。……なあヒデ。それって……やめられないのか?」



極道が詐欺で生計を立てるなど、昔ながらの義理人情を重んじる修司には辛い事だった。たがヒデは間髪入れずに即答した。



「悪いけど今は無理だね。他にいいシノギが見つかれば別だけど。兄弟達を食わせられなくなっちまう」



それもそうだ。いつまでも昔のままでは居られないのは解っている。だが、しかし……それでも、なんとか! そんな心の葛藤が表情に表れている修司に対して、ヒデは腫れ物にでも触るようにやんわりと諭した。



「それでもね、兄貴。まだウチは、シャブだけには手を着けてない。これだけは胸を張っていられる。辛いとは思うけど、そのうちには何とかするから、今は目をつぶってくれないかな」



ヒデは両手を合わせて頭を下げた。



「おいおい、よしてくれ! 今はきれい事だけじゃやっていけないのは解ってる。当然、全てはヒデに任せるよ」



修司は、そこまで自分に気を遣ってくれるヒデに申し訳なく思った。



「すまねえな……兄貴。ああそうだ! 肝心な事を忘れてた。兄貴にピッタリのシノギが有ったよ。四丁目の隅田ビルの守【モリ】を頼めるかい?」



「勿論。俺でも役に立てるんなら、何だっていいぜ。他の組がちょっかいでも出してくるのか?」



修司が顔を輝かせながら身を乗り出す。



「いやぁ……そんなに甘いもんじゃないんだよ」



反対に、ヒデの表情はすっかり曇っていた。



「何か問題でも有るのか?」



そう言って修司は、浮かない顔のヒデに詰め寄った


「中国系マフィアだよ。俺達極道が暴対法でがんじがらめなのをいいことに、そりゃもうやりたい放題なんだ」



「例えばどんな風に?」



「奴らはチャカじゃなくて拳法を使う。まだウチの組に被害は無いけど、奴らとの小競り合いになって、青竜刀でバラバラにされた奴が何人も居る」



「うえっ。グロいな」



そう言いながら修司は、煙草に火を着けて頷いた。



「そうか、なるほど。それじゃビビっちまって若い者の手には負えないって訳か」



ポンポンと箱を叩いて、ヒデも煙草を取り出した。



「そうなんだよ。で、どうする? 危険な仕事だし、違うのが良ければ考えるよ。そうだ、明美姉さんにも心配掛けちまう」



修司は煙を吹き出しながら笑った。



「明美のことを気遣って貰うのは有り難いが、ヒデ。こんなの俺しか出来ないだろうよ。ははは」



修司につられてヒデも笑い出す。



「ははっ、やっぱり兄貴はそうでなくっちゃ! 石田組のタカシさんも、近くで守をしてるよ。確か兄貴の外兄弟だったよね」



「そうか、あいつもか! 俺達は、こういう腕っぷしを使う仕事の方が性に合ってるからな。じゃあ早速、今晩から行ってくるよ」



修司がそそくさとドアを出ようとすると、ヒデが奥の部屋から呼び止めた。



「兄貴待ってくれ。忘れ物だよ忘れ物」



「何も忘れちゃいないぜ?」



「何が起るか解らねえんだ。チャカは必需品だろ? ほら」



そう言って油紙に包まれた拳銃を差し出した。



「ヒデは心配性だなあ。そんなもん要るかよ! じゃあな」


その包みを手のひらで押し返し、修司は事務所を後にした。



────六丁目北斗ビル前




【仏のタカシ】こと権田隆史は、北斗ビル護衛の為、人混みの中で退屈そうに佇んでいた。



「ふあぁ。眠てぇ……」



これを見付けた修司は、背後からそっと近づき、耳元で囁いた。



「おい、油断していると……俺のぶっとい357マグナムでぶち抜いちゃうぞ!」



これに対してタカシは、肩越しに顔を向け、片頬で笑い飛ばす。



「へっ、抜かせ! 俺の44マグナムで返り討ちにしてやらぁ!」



そしてくるっと半回転して修司に向き直ると、大きく股を開き、ズボンのチャックを上げ下げしながらジリジリと間を詰める。



「やるか、やるのか? おおっ!?」



「出すぞオラッ。受けてみるか、ああっ?!」



下品な会話を続ける二人を、白い目で見ながら立ち去っていく通行人達を気にもせず、修司とタカシは睨み合う。



「タカシィィ! 先にムショ出ちまいやがって! 元気にしてたか?」



「当然だ。俺は模範囚だったからな……それにしても久し振りだなあ、修司ぃぃ!」



二人は感極まって抱き合った。



極道の契りには、親との契り、兄弟との契りの他に、組は違っても相手の男気に惚れて契る【外兄弟】というものが有る。



修司とタカシは刑務所に入る前、よくやり合う間柄だったが、お互い「喧嘩に道具は使わない」という美学を持っていた。そして何度か拳を合わせるうち、いつともなく意気投合して、外兄弟の盃を交わす迄になっていた。



十年前のこの街は組同士のいさかいが絶えず、喧嘩やカチ込みなどが日常茶飯事に行われていた。その頃、別々の抗争で刑務所に入った二人は偶然にも同じ施設に収監され、そこで更に絆を強固にしたのだ。



「お前も早く出られて良かったな」



「ああ、素手で闘ったのが良かったみたいだ。タカシもそうだろ?」



「俺は模範囚だからだ、ってんだろ!」



「人一倍喧嘩っ早い野郎が、何言ってやがる!」



修司とタカシは、ショーウインドウの前の段差に腰掛けて、熱い缶コーヒーを飲みながらじゃれ合っている。



「でも参ったぜ。出所早々就活しなきゃならない羽目になるとこだったんだ。組事務所がゲーセンになってやがってよ」



タカシは残りのコーヒーを一気飲みして苦笑する。



「お前は帰る所が有るからいい方だ。俺なんか本当に組が無かったんだぞ! 石田さん……ああ、今世話になってるとこの親分さんだが……」



「ああ、石田さんなら知ってるぜ? つい昨日、お前のことを話したばかりだ」



「そうなのか? ここ二、三日事務所に顔を出してなかったからなぁ……。それで、石田さんに客分として迎えて貰わなかったら今頃は橋の下で寝泊まりしてた所さ」



修司はひとつ身震いしたが、決して寒さの所為ではない。己れも一歩間違えばそんな運命だったかと思うと自然、体がブルッと震えたのだ。



「タカシも俺も、潰しが効かない商売だから、職を失ったらホームレス真っ逆さまだもんな」



タカシはコーヒーの空き缶を灰皿にしながら、煙草を吹かして言う。



「そう。今はそんな【元極道】が一杯居るよ」



「嫌な世の中だな」



「ああ……」



タカシに連られてタバコを吸おうとした修司は、箱が空になっている事に気付いて、財布を探し始めた。



「煙草を切らしたんだな? 修司はセブンスターだったか? 今日はパチンコで大勝ちしたから、カートンで買ってやるよ」



「いや、いいっていいって。気ぃ使うな」



「出所祝いだ。受け取らねえとは言わせねえぞ?」



「……へい。兄貴がそう仰るなら、有り難く頂戴いたしやす」



「はははっ、素直で宜しい」



そんなやり取りをしながら角の煙草屋に行くと、齢ヨワイ七十の看板娘は電話中だった。余程大事な用件らしく、頭を下げ下げ、ジェスチャーで二人を制した。



「なんだよ婆ちゃん……早くしてくれよな」



苛つくタカシを今度は修司が押し留める。



「ちょっと待て……」



「息子が言ってる事は本当なんですか? ええ。……はい二百万ですね? 明日の朝一番で銀行に行きますから……はい」



これを聞くなり修司は受話器を取り上げ、通話口を手で塞いだ。



「ちょっと! 何するんですか貴方!」



いきなりのことに、煙草屋の看板娘は声を荒げている。



「ごめんよ、おばちゃん。でも息子さんの名前を教えてくれるかい?」



ウィンクしながら聞いてくる修司の行動に、彼女は戸惑う素振りを見せたが、「息子は……直人ですけど」と答えた。すると修司は、受話器に向かってドスの効いた声で言う。



「もしもし。俺が息子の直人だが、なんか用か? ああん?!」



プツン……プーッ・プーッ・プーッ……



「ほら……切れた。最近はオレオレ詐欺ってのが流行ってるらしいから、気を付けた方がいい。息子さんに電話してみなよ。今のは赤の他人だって解るから」



受話器を返された看板娘は、漸くそれが詐欺だと気付くと深々と頭を下げて礼を言う。更に「気持ちだから」と、ライターやタオルを袋に入れ、とうとう煙草代までタダにしてくれた。



店を後にして、二人は暫く無言で歩いていたが、タカシがおもむろに口を開いた。



「修司……お前さぁ……」



「なんだよ」



「お前、ばっかじゃねえのぉ? 的場組のシノギかも知れねえんだぞ?」



「あんなの、極道のシノギとは言えねえよ。馬鹿で結構」



タカシは呆れたように肩を竦めた。



「お前も変わってないな。だから時代遅れのヤクザって言われるんだ」



「仕方ねぇだろ……。今更この生き方は変えられねえ。これが俺の極道[キワメミチ]だからな」



道行く人々を眺めながら、タカシが笑いながら呟いた。



「ははは……つくづく極道ってのは不便な生き物だな……ああ、ところで、お前の担当は隅田ビルか? 的場だからそうだよな」



「おお、タカシは何か知ってるか?」



「ここん所あの界隈で、順繰りにちょっかい掛けてきてる。的場の守りが手薄になってるのはヤツらも感付いている筈だ。気を付けろ、多分近い内、そっちへもご挨拶に行くと思うぜ」



修司はスッと立ち上がり、軽くストレッチを始めた。



「近い内? 上等だよ、今日来たって秒殺で返り討ちにしてやる」



刑務所に居る間も欠かすことのなかったストレッチとサーキットトレーニングで、修司の柔軟性と瞬発力は現役の頃と比べても全く遜色無かった。



「俺は蹴散らしたけど修司。ヤツらも馬鹿じゃない。どんどん新手を送り込んできている」



「タカシが実積を上げてるなら、俺も恥かく訳にはいかないじゃないか」



「だがな、最初こそ片言の日本語しか使えないチンピラばかりだったが、今は違う。かなり日本語教育を施された、恐らく向こうでもエリートの部類に入る強者達が続々現れてるんだ」



そんなタカシの忠告が耳に入っているのか、修司は無言で空手の形を繰り返している。その度に着崩したスーツがパンパンと音を立てた。



「そんなの、在日かも知れないだろ? 要はぶっ潰すだけだ」



ひとつひとつの独立した型だった修司の動きは、スピードを増しながら連続技になり、最後には目にも留まらぬ速さで次々と繰り出された。



「修司……」



「はぁっ、はぁっ、……ん?」



呼吸を整えている修司に、タカシはこれ迄と違った真剣な表情を向けると、その目をじっと見据えてひと言。



「……死ぬな」



「当たり前だ」



漢[オトコ]達の間に多くの言葉は要らない。ただそれだけで充分だった。




─────修司が守を任された隅田ビル。




ここは的場組の古くからの縄張りで、キャバクラやパチンコ屋、風俗店などがひしめき合う、この歓楽街のメッカ的存在だ。



「表は綺麗に見えるけど、こっちは随分と汚ねえなあ」



裏口にまわった修司は、そう呟いて、手に持っていた煙草を壁で揉み消した。



そこには、油まみれになった一斗缶が山積みにされている。折れたモップや、壊れたポリッシャーがうち捨てられている。竣工当時は美しかったであろう、レンガを模したタイルも、所々ひび割れ、剥がれ、黒ずんで、この建物が歩んできた歴史を物語っている。



「まるでこのビルの有り様そのものだな」



表から見た華やかなイメージの裏で、巨大な利益を生むこのビルは、他の組織からの格好の標的ともなっていた。昔からその利権を巡る争いは後を絶たない。



しかしヤクザがここを統治していた頃はその度、組同士の協定が交わされ、辛うじて均衡を保ってはいた。



だが、こと暴対法が施行されてからは、日本中のヤクザがそれまでのように睨みを利かせられなくなって、全国的に外国人マフィアの進出を許してしまった。



それはこの界隈も例に漏れない。始めの内は様々な人種、国籍のマフィア達が混在していたが、最終的に台湾系マフィアが他人種を排斥して、この町に根を下ろした。



周囲の組が規模の縮小や解散を迫られる中、逆に台湾マフィアは着実に勢力を伸ばしていく。噂に聞く彼らの残忍な手口も、この町のヤクザ達を尻込みさせるのに充分だった。



そんな中、修司が隅田ビルの守をかって出た事は、的場組に取って大きなプラスとなる筈で、組の行く末は修司の双肩に掛かっていると言っても過言ではないのだ。



修司はジメジメした薄暗い裏口を離れ、深呼吸をする為に表側へまわろうとしている。丁度その時、マナーモードにしていた胸の携帯が震えた。



「もしもし……」



修司が電話に出ると、電話口の向こうから緊張した空気が伝わってくる。



『修司さんすみません。五階の【アバンセ】で、客を装った嫌がらせが始まったようです。……お願い出来ますか?』



電話番をしている若い組員からの依頼を、二つ返事で了承する。



「ああ解った。早速おいでなすったな。今行く」



パタンと携帯を閉じて、修司はその店に向かう。



そして、エレベーターを降りると、すぐに争うような物音が聞こえてきた。



『お客様、困ります……』



『こっちは客だぞ、なんだその態度は!』



ドア越しにもハッキリと中の会話が聞き取れた。修司はジャケットを羽織り直し、店に入っていく。



「何やら喧しいな。騒いでるのはどいつだ?」



修司は店内を見回して、この争乱を首謀する人物の目星を付けた。



「お前だな」



「なんだ貴様、何者だ」



男は修司を睨み付けている。



「俺か? 俺はこの店の客だよ。だがお前が居ると静かに飲めない。表に出ろ!」



「なんだと? 死にたいのか、貴様」



男はギラギラとした視線で修司を見返して、顎で修司も外に出るようにと促す。



「上等だ。国に帰りたくなっても泣くなよ?」



ガッシャァァン!



派手な音を立て、その男はゴミ袋の山に頭から倒れ込んだ。素早く体勢を立て直して修司に向き直ると、低い声で呟いた。



「この野郎、調子に乗りやがって……素人じゃねえな?」



修司は笑いながら答える。



「なんだ、日本語巧いな。お前もエリートの口か?」



質問には答えず、男は修司を睨み続けている。



「ははっ、まあいい。俺は北原ってもんだ。ここはあいにく的場組のシマでね、お前らに好き勝手されると困るんだ」



「こっちは困らせてんだよ!」



男は胸からナイフを取り出して、襲い掛かってくる。修司はその切っ先をかわして、回り込みざまに首根っこを押さえ、その腹に膝蹴りを何度も食らわせた。



「ぐっ、ぅげ、かはっ!」



そして呼吸が出来ずに悶絶している男の髪を乱暴に引っ張ると、顔を上げさせて尋ねた。



「お前はどこの組織だ。誰に頼まれた」



「こっ……これから死ぬ男に教えても、しょうがないよな、フフフ」



男は不敵な笑みを浮かべて顔を背けた。その背後から迫る異様な雰囲気に気が付いた修司は、素早く横っ飛びに体をかわした。



ガキンッ!



アスファルトに火花が散って、修司は後ろを振り返る。そこには【青龍刀】を振り下ろしている別の男が居た。刃渡り80cmは有ろうか、その幅広の刀はそのままに、男はニヤリと歯を見せた。



「なんだそりゃ。その刀で中華料理でも作ろうってのか?」



その男は踞ウズクマっている仲間へ、もう一つの青龍刀を無造作に投げる。



「ハイヤッ!」



これに答え、気合いを込めて立ち上がりざま、男は刀を受け取った。



「ハァッ!」「ハィィィイ……」



二人は修司を挟んでそれぞれの型を取った。上段に刀を掲げ、片足で鶴のように延び上がる一人。



もう一人は刀を軽々と操り、体の周りにまとわり付くように回転させている。



「うっわ……血が逆流するぜ」



この危機的状況に、修司は恐れるどころか喜びすら感じていた。



「アィヤァァァ!」



奇声を上げて一人が切り掛かってくる。



修司はこれを紙一重で交わしたが、男の体を沿うように回り込んだ刃はすかさず二撃目となって襲い掛かってくる。



大振りで重い青竜刀を機敏に操る為の動作だが、その重さを支える為に大きく足が開かれている。



それを見逃さなかった修司は二撃目も掻い潜り、下段蹴りで軸足の膝を挫いたかと思うと、すかさず上段回しで頭を打ち抜いた。



クワンッ! カンカラン……



男の手から力無く青龍刀が落ちる。彼はそのまま、膝から崩れるようにして道に転がった。



その一瞬の出来事に、もう一人は固まって動けないでいる。



「ほら、次はお前だよ」



修司がニヤリと微笑み手招きする。その迫力に男が後ずさりをした。修司は足元に有った石ころを拾って男との距離を詰めていく。



「どうした。怖じ気付いたか?」



「ハイヤァァァ!!」



追い詰められた男は、狂ったように刀を振り回し、修司に切り掛かる。修司はその瞬間、持っていた石を思い切り男の顔目掛けて投げ付けた。



「ぐわっ!」



顔に石が直撃して、男はフラフラとバランスを崩している。



「おらぁっ!」



その隙に修司は青龍刀を蹴り上げ、そして髪を鷲掴みにしたままビルの壁に叩き付けた。壁にもたれながらズルズルと踞った男は、そのまま動かなくなった。



「ふん……デカい刀を振り回すからだ。ガードがガラ空きなんだよ!」



修司が吐き捨てるように言うと、耳慣れない物音が聞こえてきた。



パチ、パチ、パチ……



「なんだ?」



修司が振り向くと、大勢の男達がビルの入り口を塞いでいる。リーダー格と思われる男が拍手をしながら進み出て、喋り始めた。



「フフフ……やっぱりさすがね、北原修司。いや、鼻歌の修司だったかしら?」



表通りのネオンが眩しく差し込んでくるここからでは、逆光でその表情が良く見えない。



「へっ、オカマちゃんがなんか用かよ」



修司は鼻で笑いながらその顔に目を凝らした。



「あら失礼ね。私はこの辺りを取り仕切る、台湾マフィア【芍薬シャクヤク】の幹部、許周明キョ・シュウメイよ。貴方は十年前と全く変わってないわね」



「会ったこと……有ったか?」



「あら、覚えてないの?……十年前、上田組の抗争で暴れてたでしょ。沢山殺したわよね。七人? 八人?」



これを聞いて修司の目付きが変わった。



「あれは組の為に体を張ったんだ。これっぽっちも後ろめたいとは思ってないぜ、極道だからな」



「あははは。貴方はやっぱり昔ながらの極道ね。でもそんな窮屈な生き方はやめて、いっそのことうちに来ない?」



「マフィアに鞍替えしろってか」



「うちは利益第一主義よ。極道なんて疲れるだけ、時代遅れだと思わない? これからは、建前だけじゃ生きていけないでしょ?」



修司は笑って言った。



「ハハッ、確かに時代遅れかもな。親の為、兄弟の為、看板の為。……そんなことに命を張る奴は、いずれいなくなる」



「それじゃあ、私達は解り合えるんじゃない?」



「いや。俺は極道しか出来ない、それが俺の生き方だからな」



周明はヤレヤレと肩を竦めて言った。



「そうなの。貴方もあのタカシって極道と同じね。いずれは殺し合わなきゃいけなくなるわ」



「なんなら……今ここでやってもいいんだぜ?」



不敵に微笑む修司の挑発に対して、周明は冷静だった。



「修司さん。貴方は大義が無ければ動かない。そうでしょ? 私もこんなビルの為に、大切な兵隊達を減らしてまでは戦わない。私達リッチなのよ。シャブでいっぱい儲けてるから」



「そうか。この街のシャブはお前達が……」



周明は笑って言う。



「そ。だからお互いの利権を邪魔しなければ争うこともない。お利口さんでしょ? 今日は修司さんに挨拶に来ただけ。貴方が昔と変わって無くて安心したわ」



「挨拶にしちゃあ随分乱暴だったな」



「貴方には、あれ位の挨拶が丁度いいでしょ? 戦っている時の貴方の顔……。昔見た鬼神の顔が垣間見えたわよ。……ゾクゾクしちゃった」



修司は唾を吐き、忌々しげに言った。



「ふん、ペテン師め。お前からも死体の匂いがぷんぷんするぜ」



その時、丁度月明かりがこの狭いビルの間ハザマに差し込んで、修司に向かって微笑んでいる周明を照らし出した。



「フフフ、私達のボスはとても頭の良い人。もし的場組と争う事になったら、貴方と権田さんくらい、歯ごたえのある人が居なくちゃ面白く無いわ。今日は貴方に会えて良かった。フフッ」



その物腰と言葉遣いは柔らかかったが、修司を見据える眼光はただならぬ殺気を帯びている。



「お前がボスなんじゃないのか?」



「ええ。私のボスは貴方と同じ日本人よ。もしかしたら知っている人かもね。じゃ」



周明はそう言うと、くるりと踵を返し、仲間を引き連れて歩き出した。



「許周明だったな。覚えておくぜ」



「また会いましょ、修司さん」



片手を上げてそう答えると、周明達はネオン街へと消えていった。





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