9 部長
『魔法準備室』。表札を確かめて、優子は鍵を回した。
ドアを開け、黒いカーテンで日光を遮断した暗い部屋に入る。女子魔道部にあてがわれた部室は魔法準備室だった。普通の教室の半分ほどの大きさの部屋だが、薬品棚や本棚、積み上げられた段ボールなどで生活スペースは半減していた。
カーテンを開けて太陽光を入れると、浮かんだ埃が姿を現した。
優子の後に続いて女子魔道部の各々が雪崩れ込むと部屋は一層狭く感じられる。
「部員五人だからってここは狭すぎだろ」
「でも秘密基地っぽくていいじゃん。カスタマイズすればオサレな放課後が過ごせるよ」
千夏は大きいソファにふんぞり返りたいと愚痴をこぼす。明楽の方はどこでも生きていけそうだ。
「練習は屋上でやるわけだし、ここはミーティングができるくらいのスペースがあれば充分だよ」
校庭も体育館も武道場も他の部活が使っているため新興の女子魔道部は使えない。なんとか使用許可が出たのが屋上だった。屋上の広さが魔道を行うのに申し分ないことは昨日千夏と戦った時に把握した。
隣の魔法室からもらってきた机と椅子を部室の僅かなスペースに押し込み、ついでにアリスの持ってきたお茶セットを乗せれば、放課後の溜まり場の完成。
今日は部活動初日ということで、初心者の椿姫に幻装を教えることにした。同じく初心者の千夏と明楽だが、二人は幻装も習得しているため初歩的なことでもう教えることはなかった。
狭い部室を抜け、解放感桁違いの屋上に移動する。
「それでは優子部長、ご指導のほどよろしくお願いします」
アリスがわざとらしく頭を下げ、優子を煽る。
「そもそもなんで私が部長なのさ」
「委員長のついでだし、いいでしょ」
しれっと言うアリス。ついでの荷が重い。このお嬢様が部活動設立申請の書類に優子を部長として記したのだ。言い出しっぺはアリスなのに、面倒だからと押し付けてきた。
優子は誰かの上に立てるような人間ではない。部長ならそれこそアリスのようなカリスマのある人がやればいいのだ。
しかし、今更部長は変えられないので、責任を持ってやるしかない。
「おほん。じゃあ、拙いかと思いますが、やらせてもらいます。まずは椿姫がどのくらい魔道を知っているか把握しておきたいんだけど」
「ルールや幻装については一通り勉強してきました。でも、いざ実践してみると幻装はまったく出来なくて」
「属性と特性、幻装のイメージとか聞いてもいいかな。把握しておきたい」
「はい。属性は水と光。特性は調和です。幻装は……実は灰空さんと穂叢さんの戦いに憧れていて、剣とかいいなって」
優子も杏奈に憧れて真似っこの幻装を使っていたが、それは本物の自分ではなかった。しかし、椿姫の思想に口出しはしない。幻装は自分で見つけて、決めるものだから。
「なるほど。光属性と剣の幻装ならわたしも感覚を教えてあげられるよ。使いたい魔法のジャンルとかに希望はある?」
魔法にも色々ある。黒魔術、ルーン、陰陽道その他諸々。ちなみに千夏は陰陽道を、明楽はルーンにプラスして忍術を特訓している。この二人は部に入る前から個人的に魔道の練習をしているので、放っておいても勝手に育つ。今も二人して元気に模擬戦を始めている。
「そ、そうですね。カバラとか、いいなって思ってます」
カバラは西洋の信仰を基盤とした魔法体系だ。天使や悪魔と対応した能力を使える魔法である。
優子、杏奈、アリスもこれを使っている。優子は天使ガブリエルと悪魔サタンに対応した光と闇の二属性を用いている。
優子が知っているカバラ系統の魔法ならある程度教えてあげられるだろう。
「わかった。でもカバラ一旦置いておいて、まずは幻装を創り出す練習をしてみよう。魔道は幻装ができないと始まらないからね。
幻装の錬成のイメージは個々で違う。自分だけのやり方を見つける必要がある。アドバイスできることは、集中することと、無理に気張らないことかな。自分の手に理想の剣が握られている場面を思い浮かべてやるといいかも。誰かと比べるものではなく自分と向き合うものだから、焦る必要はない。自分のペースでやってみて」
「は、はい!」
椿姫はブレスレット型の魔装に魔力を込めて幻装の錬成を開始する。光の粒が周囲から集まり、剣の形へと変形していく。しかし、すぐに原型を保てず霧散してしまう。あきらめず、何度も椿姫は挑戦する。優子は見守ってやることしかできない。
幻装は自分を象る魔法だから自分と向き合う必要がある。早くできるようになる人もいれば時間がかかる人もいる。余人のアドバイスが有効な時もあれば邪魔な時もある、デリケートで面倒臭いシロモノだ。
優子なんか小学生の頃に魔道を始めたのに本当の幻装ができるようになったのはここ最近のことだ。
「優子、案外教えられてるじゃない」
「幻装のことでは他の人より悩んだからね。でも、椿姫ができるようにならないと教えられたとは言い切れない」
「まじめね。幻装に限っては個人によって千差万別だから、結局最後は本人次第。優子ができるのはここまでよ」
たしかに、優子にこれ以上は口出しできない。椿姫は優子と同じで人見知りで気が弱そうだから放っておけないのだが、時には放任することも成長には必要なのかもしれない。
「けど、誰よりも幻装に悩んだ優子だから、椿姫ちゃんに伝えられたことがあるはず。優子は部長やれるわよ。あなたは弱いからこそ誰かのことを理解してあげられるんだと思う」
アリスが珍しく優子を労った。褒めているのか、弱いと貶しているのか微妙な評価であるが。
「わたし、優柔不断だよ。今も自分が委員長や部長でいいのかこうしてウジウジしてるし。リーダーには向かない」
「それは臆病なだけよ。そして臆病なことが悪いわけでもない。自分の選択で他者を悪い方に巻き込んでしまうんじゃないかって怯えて、昔のトラウマを引きずってるだけ。あなたは心の中では答えを出せてるし、誰かを
優子の思うリーダーのイメージは「ついてこい!」って強勢な縦列な感じで、優子自身とは真逆だ。優子は引っ張れるほど強くないから「一緒にやろう」って仲間と横列で繋がる感じ。それってリーダーとは呼べないんじゃないだろうか。なんていうか、威厳がない。後輩に舐められてタメ口で話しかけられた中学時代を思い出す。
「優子に必要なのは責任を取る覚悟ね。うんざりだと思うけどチームの失敗の責任はあなたが負うのよ。リーダーが決定を下す以上、失敗したらあなたのせい。責任の覚悟を張り続けられる者が集団の上に立つものだと思う。カリスマで引っ張る者も、優しさで共に歩む者も、形は違えど統率者は皆責任を負う覚悟を持つべき。優子はそれにうってつけでしょ。中学の頃これ以上ないってくらい責任負っちゃってるから、もうどうなろうが変わらない。リーダーはドM向けってことね」
アリスの言い分はわかった。優子がリーダーに向いているのかは今後の結果に託してみるしか判断はできないが、決定を下してその責任を取るのがリーダーだというのならやってやる。痛い思いをするのならそれは優子でいい。でもドMってのは気に食わない。優子は自分が正常だと思うし、アリスが抜きん出てドSなせいで周囲がそう見えてしまうだけだ。
「諸君、練習を頑張っているようで何よりだ!」
屋上に現れたのは傘野馬先生。今日もあのイケメンで数人の女子生徒を保健室送りにした。
「朗報だ、聴きたまえ。五月に練習試合が決まったぞ! 相手は『降神高校』だ!」
めちゃくちゃ嬉しそうに告げる傘野馬。部活の顧問なんてやらずにキャバクラに行きたいはずの彼にしてはおかしい。
「い、いきなり強敵すぎます! 降神って、全国大会常連の強豪校じゃないですか!」
降神学園の名を聞き、椿姫が声を上げた。優子はその学校についてはテレビで聞いたことがあるくらいでよく知らない。
「なんだよ、椿姫おまえ詳しいな」
「魔道のことは勉強しましたから。……まだ幻装もできませんけど、何か役に立てるようにと」
「ええー、強豪となんて、まともに試合できるのかな。わたしたちまだ一回も試合やったことないんだよ」
椿姫と明楽の指摘は正しい。御沼高校女子魔道部は今日から活動を始めたばかりで初心者もいる。部員はチーム戦をするのにギリギリの五人だし、連携をとったこともない。五月までに全国クラスと失礼のないような戦いができるまでになるのは不可能だ。たとえ魔法がある世界でも、競技という規定に縛られている限り。
「君たち全国狙ってるんじゃないの? なら、相手は強いに越したことない」
全国という言葉を聞き、部員たちはキョトンとする。優子は杏奈と戦いたいだとか、みんなと魔道をやりたいだとか、そういった漠然とした目標のために部の設立をした。
「凄まじいやる気を感じていたから、てっきり本気で全国を目指すのかと思ってたけど、まだ部の方針は決まってなかったのか。
どうする。君たちで決めたまえ。全国を目指すか、楽しく魔道をやれればそれでいいのか。それによってボクも指導の仕方を変えなくちゃいけない」
部活をする上で部としての目標を決めなくちゃならない。本気で魔道にこの三年間を捧げて全国を目指すのか、それとも楽しくやれればそれでいいのか。選択しなくてはならない。
部員五人は沈黙する。みんなも魔道がやりたいという漠然とした意識でここにいる。それは楽しくやれればいいという意見の表れなのかもしれない。もともと魔道部のない学校に来た時点で魔道で頂点を取るという意識では他校の魔道部に劣っている。でも、魔道をやる以上勝ちたいのは間違いない。
部員たちの思考は堂々巡りを続ける。みんな他者を顧みられる人たちだからこそ、自分だけの意思では方針を決められない。
その決定を下すのは発言に責任を持ち、背負える部長であるべきだが、中学の頃杏奈と優子はその方向性の違いで距離ができてしまったこと記憶が優子を悩ませる。
魔道を好きだから、そしてその好きな魔道で勝ちたいからやっている。熟考の末、本気と楽しくやることを区別するのはおかしいと優子は結論づけた。二つは両立できる。させてみせる。
「わたしは全国を目指したいです。魔道を本気でやりたいです。だって、勝てたらきっと今まで以上に楽しい時思うから。だから、本気でやります。でも、楽しくやります」
「あたしは優子の意見に一票」
「わたしもそれがいい!」
沈黙が解け、部員たちは全員優子の意見に賛成してくれた。考えていることは同じだ。みんな魔道が好きで、やるからには勝ちたい。だからといって、楽しさを捨てるつもりなんて毛頭ない。
「君たちらしい選択だ。でも、その両立は何よりも難しいことだよ。中途半端になりかねない、諸刃の剣だ。それでもやる覚悟が君たちにはあるかい?」
「あります!」
部員たちは覚悟を返事に込めて傘野馬に伝える。この仲間たちとなら、その理想も実現できる気がした。
「いいだろう。本気で楽しくって方針はボクも好きだ。
よし、目標が決まったことだし、早速特訓だ。この名将傘野馬が君たちを全国に連れて行ってやろうじゃないか」
得意げに笑う傘野馬。名将と言うけど椿姫も傘野馬が魔道監督名鑑にいないと訝しんでいた。一体何者なのだ、この男。
「優子、おまえ部長らしいこと言うじゃねぇか。見直したぜ」
千夏が優子の背中を叩いて褒めてくれる。
「一生ついて行くっす優子部長!」
「わ、わたしも一生ついて行きます!」
「大袈裟だって。わたしの意見に賛成してくれたみんなのおかげっていうか、別にわたしは凄くないって」
でも、みんなの思っていることが同じだったことは嬉しいし、それを代弁できたのなら優子は部長としての役割が少しだとしてもできているということだろう。
「言ったでしょ。優子は答えを出せるのよ。後は背負うだけ。でも、一人じゃないってことは覚えておいてね」
「うん。仲間って、案外いいものだってわかったよ。心強い」
これからの道のりは険しい。楽しさを忘れずに高みを目指す。強豪校の人が聞いたら笑って切り捨てられるかもしれない理想。魔法を使っても成就しない
まずは練習試合に向けて特訓だ。気合を入れるためにアドリブで運動部の掛け声的なのをやってみる。
「魔道部ファイトー!」
「オーッ!」
燃えろ魔道部! 雲湖淵虚無蔵 @jsnpiy
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