§ Year 11

Summer Term 「不実」

 Y1111年生夏季サマータームは、いよいよGCSE――中等教育修了試験の本番である。進学を希望する者はもちろん、就職予定の生徒も、イギリスでは履歴書に試験結果を書く必要があるため、それなりに良い成績を取ろうと努力する。

 ルカもラストスパートのこの時期、授業にも自室でする試験勉強にも、今まで以上に真剣に取り組んでいた。テディも――ルカのペースに巻きこまれて、というようなかたちではあるが、きちんと約一ヶ月後の試験に向けて努力を続けていた。

 合間に煙草休憩を挟んだり、甘いものとコーヒーで気分転換をしたりして、ルカはテディがまた機嫌を悪くして投げださないようにと気を遣った。が、意外なことにテディは毎日、文句も云わずデスクに向かっていた。

 それだけでなく、テディは驚くほどの集中力を発揮することがあった。ルカはそんなテディを見て、やっと自分との未来を真剣に、前向きに考えてくれるようになったのだと、安堵していた。

 このところ朝、テディはルカよりも早くベッドから出ていて、以前よりも活気に溢れているように見えた。背筋をぴんと伸ばし、しっかりと前を見ている印象だ。二年前、編入してきたばかりの頃の、おとなしそうに俯いていた無口な少年の面影はもうなかった。

 テディがそうして問題を起こさず、落ち着いた状態でいてくれるとルカも精神的にリラックスできる。勉強を済ませたらお互いにねぎらい合い、将来の夢を語らい、ベッドに入る前には忘れずにおやすみのキスをする。

 アッパースクールでもっとも重要なこの時期、こんなふうにふたりの関係が安定しているなんて、まるで今から積みあげていく未来の土台ができたかのようだと、ルカは思っていた。

 ――その矢先だった。





 ある日の午後、テディは突然ふらりと教室からいなくなり、そのまま戻ってこなかった。

 テディが授業を抜けだすのはずいぶん久しぶりのことだったので、ルカは初め、どうしたのかと心配していた。しかし、まあ最近は頑張っていたから偶にはこういう日もあるか、と思い直した。ひょっとしたら煙草を買いに出たか、それとも部屋で寝ているのかもと考え、気にすることはないだろうと判断したのだ。

 だから、その日の授業を終えて部屋に戻ったとき――そこにテディの姿がないことに、ルカは忍び寄る厭な予感を振りきるように、おかしいなと首を傾げた。

 先に食堂に行ったのだろうか? 否、授業の終わる時刻はわかっているのに、自分を待たずにひとりで食堂に向かうことは考え難かった。となると、やはり外に出かけたのだろうか。しかし、煙草を買いに出た程度ならとっくに戻っているはずだ。それとも、街まで出かけてしまったのだろうか? もしもそうなら――

「……まったくテディの奴。俺も誘ってくれればいいのに」

 やれやれと息をついて、ルカはテディを捜しに行くことにした。


 ルカはまず念の為に食堂を覗いた。ビュッフェボードからいちばん遠い、奥のほうにあるいつものテーブルにオニールとエッジワースの姿が見えたが、やはりそこにテディの姿はなかった。かわりにルカが来たことに気づいたジェシが、満面の笑みで手を振った。ルカは軽く手をあげて返し、静かに食堂を出た。

 夕食を食いっぱぐれてしまうなと思いながら、ルカはシックスフォーム校舎の後ろ側を歩き、すっかり馴染みになった楡の木に辿り着いた。前に何度か行ったカフェにいないか確かめて、いなかったらついでに商店に寄って炭酸飲料でも買って戻ろう、などと考えながら、木に足をかける。

 ――そして外に出て約四十分後。テディはどこにもおらず、ルカは7UPを四本と眠気覚まし用のガムが入った袋をぶら下げ、ロープを伝って塀を登り構内に戻った。

 どこかで入れ違ったかな、もう部屋にいるかもしれないな――と、この時点でもルカはそれほど心配はしていなかった。いや、そう自分に言い聞かせていたと云うべきかもしれない。このところのテディの状態にルカはそれだけ安心し、自分たちの関係が強固なものになったと信じきっていたのだ。

 よりにもよってこの時期にまた勉強を投げだしたり、ペースを乱すことをするなんて、まさかいくらテディでも――

「……うん、まさかな」

 いちばん考えたくない可能性がちらりと頭を過ぎり、ルカはそれを振りきるようにウィロウズハウスへと向かった。後ろを――オークス寮のほうを振り返れば、テディを信じていないことになる。きっと、もう部屋にいるだろう。いるはずだ――ルカは、それがもはや自分の切望でしかないことに気づかないふりをしたまま、部屋へと急いだ。





 ――テディが戻ってこないまま時計の針は進み、今は十時二十分を指していた。

 間もなくハーグリーヴスが消灯見廻りにやってくるというのに、いったいどういうつもりなのだろう――ルカは試験勉強などまるで手につかないまま、もてあそんでいたペンを片付けた。

 とりあえず、テディがここにいないことがハーグリーヴスにばれないよう、ごまかさなければいけない。ルカはテディのベッドのブランケットをちゃんと眠っているように見せるため、中心を盛りあげてみた。が、ただふわりと持ちあげただけではうまくいかない。なにか服でも詰めてみるかと、ルカはワードローブに近づいた。

 そのとき――ドアの向こうから足音と、くすくすと笑う声が聞こえた。ルカはワードローブを開けかけていた手を止め、ドアを細く開けてそっと廊下を覗き見た。

 思ったとおり、声はテディのものだった。テディはなにがおかしいのか、くすくすと笑いながらあの金髪の男――ジェレミーに支えられ、ここへ向かって歩いていた。ノブを握っていた手がだらりと下がり、ドアがぎぃ、と微かな音をたてた。ジェレミーがこちらに気づき、表情を失ったまま立ち尽くしているルカと一瞬、目を合わせた。

「ほら、しっかり歩け。恋人が心配して待ってるぞ」

「ん……ルカ……? さあ、恋人……なのかな……? いらないんじゃない、ふふ……」

 テディは酔っているようだった。まともに歩けもしない状態のテディをジェレミーが肩に掴まらせ、ベルトを持ちあげるようにして支えてここまで連れてきたらしい。やっと部屋まで辿り着き、ジェレミーは「ちょっと邪魔するよ。ベッドまで運ぶ」と云ってルカの前を通り過ぎた。ルカは黙ったまま、それをじっと目で追っていた。

 ルカは礼儀知らずではない。ただの遊び仲間なら、何事もなかったならば面倒をかけて悪い、くらいは云ったはずだ。しかし、この男は単なるテディの友人ではない。閨を共にした相手なのだ。ひょっとしたら、今日だって――そんな考えに囚われ、ルカはなにも云う言葉をみつけられず、ただそこに立っていた。

 ジェレミーは、ベッドに坐らせるなり横になってしまったテディに苦笑してしゃがみこみ、靴だけ脱がせてぽんと脚を叩いた。

「ほら、もう点呼まで時間がないから俺は戻るぞ。おまえも、着替えなくていいからそのまま布団かぶっとけ」

 俺にこんなことまでさせるのはおまえくらいだぞ、とこぼしながらジェレミーは部屋を出ようとして――そこに立っていたルカを見て、立ち止まった。

「そんな顔するなよ。テディはずっと部屋で飲んでただけさ。おまえが心配してるようなことは、今日はなかったよ」

 それだけ云って、ジェレミーは帰っていった。が――ルカは、最後まで一言も発せないままだった。

 ルカは思った。たとえそれが本当だったとしても、テディがまたあの部屋に行っていたという事実だけで充分だ。既に寝息をたてているテディを一瞥し、ルカは部屋の明かりを消すと、自分のベッドに潜った。

 こんなことなら外から戻ったとき、オークス寮のあの部屋へ乗りこんでいればよかった。――否。それをすれば、きっとその場で喧嘩になっていただろう。前にあの部屋へ行って、決定的な場面を見たそのあと――テディは、もう絶対に二度としないと誓った。自分にも引け目があったことで、ルカは泣いて赦しを乞うテディを受け容れ、信じることにした。

 次はないと云ってから実際、テディはもうずっとあの連中のところへは行っていなかった。授業にも一緒に出ていたし、夜もひとりで抜けだしたりはしていなかったので、それは確かだ。だからルカはオークス寮へテディを捜しに行かなかったのだ。そこにいるはずがない、と自分が信じているなら捜す必要がないからだ。それなのに――

 こんこん、とノックの音がしたが、ルカは返事をしなかった。足音が近づき、また遠ざかって再びドアの音がするまで、ルカはじっとブランケットに包まって唇を噛みしめていた。

 声をだしたら、堪らえているなにかが溢れだして、止まらなくなりそうだった。

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