月光、宙水、海水浴

デッドコピーたこはち

病室にて

 私が陽の光を感じ、目を開けると白い天井が視界に入った。

「ああ、やっと目が覚めた」

 聞き慣れた声が耳元から響いてきた。声の主は私が横になっているベットの横に据えられた椅子に足を組んで座っていた。彼女は人形のように白いその肌と、肩ほどで切り揃えられた烏羽色の髪とを、月光に浴びせて瑞々しく輝せていた。

 窓から差し込む月の光から察するに、どうやら私が陽の光だと思ったのは勘違いだったらしい。もう真夜中だ。


 私は周囲を見回して、天井にも壁にも窓にも見覚えがない事を確認し、ここが自らの寝床ではないことを察した。

「ここは?」

「病室」

「何で……私が病室なんかに?」

 やっと気付いたが、頭が割れたように痛い。ぶつけたのだろうか?頭におそるおそる手をやった。

「あきれた。貴女やっぱり何も覚えてないのね。昨日、たんぽぽ酒をあんなに飲んで大騒ぎしてたのに。私が止めたのも忘れちゃった?」

 彼女は眉を寄せ、張りのある唇を尖らせた。いつもの怒った時のクセだ。こういう時は素直に謝るに限る。

「ごめん。覚えてない。ううっ、頭が痛いのは二日酔いか。」

「あれだけ飲めば、脳圧が上がり過ぎて頭蓋骨が割れちゃうのも当然ね」

 やはり、割れてたのか。意を決して頭へ手で触れると包帯がぐるぐる巻きになっているのが分かった。しかし、まずいことになった。今日は彼女と宙水浴の約束だったのに。彼女の機嫌を戻すには今週いっぱいまではかかるだろう。

「……ごめんね」

 チラリと彼女の顔色を伺うとまだ唇を尖らせたままだった。


 彼女が見舞いの果物籠からリンゴを一つ取った。

「少し安静にしてなさいってお医者様が」

 彼女はナイフを繊細に操り、りんごをウサギにしていった。

「やっぱり、器用だね」

 再び命を吹き込まれた元リンゴのウサギは元気よく飛び跳ね、彼女の手のひらから窓の外へと飛び出した。

「ここ二階みたいだけど大丈夫かな」

 数拍置いて「ちゃぽん」という音が、下から聞こえた。

「おや?」

「貴女が寝てる間に雨が降ったの。辺り一面海になってる」

 彼女はリンゴのウサギにならなかった部分をかじりながらいった。

「そうか。なら泳ごう」

「貴女、人の話聞いてた?」

 彼女はあきれた顔をしていった。

「大丈夫。もう頭蓋骨はくっついたみたいだから。君だって泳ぐの楽しみにしてたんだろう?」

「でもお医者様に見つかったら……」

「その時は私が怒られるだけさ」

 彼女の手を取った。

「行こう」


 私は長い髪を邪魔にならないようにまとめ、彼女が持ってきていた水着を着た。彼女もなんだかんだ言いつつ宙水浴を諦めきれなかったのだろう。裸という手もあったが、やはり海に入るなら水着に限る。

 彼女は水着が慣れないようで、肩紐をいじりながらなにやらモジモジとしている。

「似合ってるよ」

「からかわないでよ」

 彼女はうつむき、頬を赤らめた。

 実際、月光に照らされる彼女の真白い肌と黒い水着のコントラストは見入ってしまうほどに美しい。


 もう一度彼女の手を取り、月光の差し込む病室の張り出し窓の棚に彼女と連れ立った。

「さて、泳ごう。」

 窓を開け放ち、下を覗くと病院の中庭で棘魚類が悠々と泳いでいるのが見えた。水の深さは十分のようだ。

「飛び込むの?」

 彼女は不安そうにいった。

「もちろん!」

 言い終わるのと同時に私は彼女をかき抱き、中庭へと落下した。


 頭に海水が沁みる。まだ完全には傷が塞がっていなかったらしい。

「勝手に飛び込まないで!」

 彼女が立ち泳ぎしながら怒鳴った。

 私は彼女が海水をこちらへ飛ばしてくるのにも構わず、彼女を抱き寄せ額へとキスをした。

「私のお人形さんファントチーニ

「やめてよ。もう」

 彼女がまた頬を赤く染める。

「さあ、泳ごう。医者に見つかって私が怒られるまで」

「一緒に怒られてなんてあげないんだからね」

「薄情だなあ」

 口ではつれないことを言っても、彼女が一緒に怒られてくれることを私は知っている。


 悠々と泳ぐイスクナカントゥスやアカントーデスを怒らせないようにしながら、私と彼女は時に平泳ぎ、時にクロールで中庭の海を泳いだ。しばらくすると、海水が月光で温まってきていることに気づいた。

「ねえ、見て」

 彼女が水面を離れて空中へと飛び立つ水滴を指差した。月面で跳ね返って何倍もの強さになった太陽の光によって温められた海水が空気より軽くなり、海水が宙水となって空へ帰ろうとしているのだ。

「きれい」

 確かに月光を受けて宝石のように輝く水滴が天に昇って行く姿は、息をのむほどに美しかった。

「本当なら今頃あそこだったのにね」

 彼女は天空の宙水湖を見上げながらいった。

「海水浴も悪くなかったでしょ」

「でも……」

「また今度行けばいいよ……私の頭が治ったらだけど」

「貴女のどうしようもない頭なんて一生治らないでしょ」

「ひどいなあ!そういう意味じゃなくて」

 そうやって彼女と話しているうちに、海水はどんどん宙水へと変わり、棘魚類と共に宙水湖へ帰って行った。


 いつしか中庭の海は完全に干上がってしまった。空へ帰らなかった元リンゴのウサギが中庭を飛び跳ねていた。

「ああ、楽しかった!またいっしょに泳ごう。今度は宙水浴だよ!」

「貴女の頭が治って、大切な約束を破らないようになったらね」

「手厳しいなあ」

 そうして痛む頭を掻いていると、頭上からなにやら怒鳴る声がした。

「あっ、見つかった!」

 怒鳴り声の主は医者だった。どうやら病室から怪我人が消えたので騒ぎになっていたようだ。

「やっぱり、これは怒られなくっちゃいけないなあ」

「自業自得でしょ」

 彼女はふんと鼻を鳴らし、腕を組んでいった

「お願い。いっしょに怒られてくれない?」

 私は手を合わせ、頭を下げた。そして、彼女の顔をちらりと上目遣いで覗いてみた。

「しょうがない」

 彼女は腕を組んだまま、少し笑っていった。

 よかった。結構機嫌を直してくれていたらしい。

「じゃあ、行こうか」

 私たちは医者に怒られるために中庭から病室へと戻っていった

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月光、宙水、海水浴 デッドコピーたこはち @mizutako8

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