外伝

第9話

「司令」

「――うおッ!? 脅かすなよアリエラ! ビビるじゃねーか!」


 基地裏にあるため池で、フナ釣りをしているシュールストロム少将へ、背後から作業服姿のムラクモ准将が急に話しかけ、少将は椅子代わりのビールケースから転げ落ちた。


「その様なつもりはありませんが」


 わざとらしく、心外だ、という顔をしてとぼけつつ、ムラクモは起き上がった少将の隣にある、肘掛け付きキャンプチェアに深く腰掛けた。


「なんだよ、ちゃんと書類片しただろうが」

「サボっている罪悪感があるのなら、いつもちゃんとやっていただけますかね」

「んがくく……」


 火の着いていないくわえ煙草たばこを上下させて、少将はジト目で見上げてくるムラクモから目線を逸らして呻く。


 ジリジリと暑い日差しが降り注ぐが、少将がポケットマネーで買った、高性能なパラソルの影でそれは防がれている。


「あー! 2人がかりとかずるいぞ司令ー!」

「ちげーよ! てかお前らはそうじゃねーか!」

「そのくらいハンデでしょ」

理屈垂れやがって……」


 ブー垂れに来たエミリアへ、隣にいるセフィロを顎で指しながら少将は言い返した。


 同じパラソルが少し離れた所で差してあって、そこで2人は同じくフナ釣りをしている。だが椅子は、2つともムラクモのそれと同じものだった。


 ちなみに、椅子も少将のポケットマネーで購入している。


「でも、エミリアさんの方が釣れてますし、これで平等ですねー」

「るせー!」


 セフィロからゆるふわな感じで毒を吐かれ、少将は赤面して声を張った。


「エミリアさん、そちらは何匹なんです?」

「んー、4匹だっけ? セフィロ」

「はい」

「なるほど」


 ムラクモはそれを訊いて、少将の足元にあるバケツをのぞき込むと、ものの見事にボウズだった。


 少将は2人を追っ払ってから、仕掛けを上げてエサの確認をした。


「また缶詰でも賭けてらっしゃるんですか?」


 ものの見事に取られていて憮然ぶぜんとしている少将に、やれやれ、という表情でムラクモは訊く。


「おう」

「なるほど。ビーフシチュー1ついただけるなら、お手伝いしますよ」

「おう……」


 では契約成立ということで、と言ったムラクモは、ポケットに入れてあった小型釣り具セットを取り出し、中に入っているやや大きめのペン型釣り竿を伸ばした。


 慣れた手つきで長いウキの仕掛けを準備すると、ムラクモはえさのミミズを付けた。


「……なんです?」


 それを横目で見ていた少将に、彼女は仕掛けを垂らしてから目線を合わせて訊いた。


「いや、作業服ソレ着てんの珍しいな、と思っただけだ」

「私服にペンキが付きましてね」

「他の着れば良いじゃねえか」

「乾いてたのこれしかなかったんですよ」

「ほー。オメーにしちゃやけにドジだな」


 槍でも降るんじゃねえか、と普段の仕返しとばかりにニヤッと笑ってあおるが、


「そうですね。まさか冷蔵庫の上にペンキ缶がある、とは思わなかったもので。あと乾燥をかけたはずの服が濡れているとも」


 ムラクモはいつものクールな表情で、バッサリとカウンターをらわせる。


 彼女からにじみ出る怒りのオーラに、少将はビクッと震えてたじろいだ。


「……いやースマン。うっかり適当なとこにやってそのまま忘れててな」

「なるほど。洗濯機は?」

「それは洗ってないかと思って、気を利かせたつもりだったんだよ」

「なるほど。次からペンキはちゃんとしまって、洗濯機は私に訊いてからにして下さいね」

「はい……」


 52歳の少将よりも24も年下のムラクモだが、その雰囲気にはズボラな息子をしかる母親の風格があった。


「んにゃ? 司令室の冷蔵庫2ドアじゃないっけ」


 竿を置いてセフィロと共にこっそりやって来ていたエミリアは、ニヤニヤしながら口を挟んだ。


「えっ、じゃあつまり……」

「まてこら。セフィロお前、とんでもねえ勘違いしてるだろ」


 エミリアの隣で日傘をもっているセフィロが、生唾を飲込んでいるのを見て、オメーの考えてる様なこたねーよ、と少将は呆れ気味に訂正を入れた。


「さて、どうでしょうか」

「やめろ引っかき回すな!」

「おや?」

「……わーったよ。箱入りのホワイトチョコやっから勘弁してくれ」


 悪い顔で思わせぶりな事を言って、ムラクモは少将から大好物をまんまと手に入れた。


「何のことはありません。共用のキッチンの冷蔵庫ですよ」

「なるほど……」

「なーんだ。つまんなー」

「ほれ、そういうこった。デバ亀共は散った散った」


 副官の助け船に乗っかった少将は、シッシッ、と手を振って、がっかり顔の仲良し2人組を再度追い払った。


「ふう、やれやれ――」

「見せもんじゃねーんだぞ、ですか?」

「……。そうだよ」


 クールな表情を多少緩めたムラクモに先周りされ、ぱちぱち、と少将はまばたきをした。


少将が指に挟んでいた煙草をくわえ直すと、池の中央付近で、フナがエサを食べに水面に上がり、少し波立った。


「ここ敷地外ですし、お煙草吸われても良いんですよ」

「馬鹿言うな。オメーとあいつらがいるのに吸えるか」

「あの2人は遠いですし、私は構いませんが」

「オメーに早死にされたら困るんだっつのっ」


 照れ隠しに少将は、早口気味にそう言って帽子を目深に被った。


「ご自分はよろしいのですね」

「おう。どうせ老い先短えからな」

「私を置いて行くつもりなんです? あと、喫煙所今日から封鎖されましたよ」

「いっぺんにぶっこんで来んなよ……。えー、マジか……」

「ちなみに中央からの指示です」

「ケッ、世知辛れえ」

「まあ、ここの隅に移築するので少し我慢してください」

「……あんがとよ。土地所有者様」


 そんな気安い会話をして、煙草型禁煙グッズをくわえたところで、少将は魚信を感じて仕掛けを上げたが、またしてもエサを取られていた。


 ちなみに、池のある基地の北側のはずれに位置するこの土地は、元々ムラクモの伯母の持ち物で、やや歪な50メートル四方を2メートル程の金属製フェンスで囲われていた。


 外から中をうかがい知ることは出来ないが、基地との境界に隠し扉が存在している。


 落ち込む間もなく、淡々と少将は流れるようにエサを針にかけ、流れる様に水面へ投入した。


 そんなに手際が良くても、一向に釣れる気配もない彼の一方、ムラクモはもう3匹釣り上げていた。


「なんで同じ場所で釣っててお前ばっかり……」

「さあ?」

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