第2話

 ややあって。


 気を取り直して、作業を再開したセフィロは、コンソールの前で微動だにしなくなっていた。


 かなり集中している彼女を邪魔しないように、エミリアはリフトの足場柵に身体を預けて、相変わらず楽しそうな様子で腕を組んで見学する。


 コンソールの冷却ファンの駆動音と、セフィロがモニターをタッチする音だけが、少し冷えたモジュール内にかすかに響いていた。


 最後にもう1回数字を全部チェックしてから、セフィロは画面右下の終了アイコンをタッチして、コンソールの電源を落とした。


 それから、ふう、と1つ息を吐いて、


「さてと、次は……」

「や、お疲れさま」

「ひゃああああ!?」


 くるりと振り返ると、まだエミリアが居ると思わなかったセフィロは、また先程の様に腰を抜かして引っくり返った。


「わお、びっくりした。大丈夫?」


 少し目を見開いてそう言ったエミリアは、すかさずセフィロの元にやって来て、彼女へ手を貸した。


「はい……。すいま――、ひええ……」


 相変わらずか弱そうにプルプルしているセフィロは、また何となくエミリアに頭を撫でられて、背筋を伸ばしきって混乱した様子を見せた。


「なっ、何ですか……?」


 エミリアが撫でるのを止めると、セフィロはポカーンとした様子でエミリアへ訊ねる。


「やー、可愛いなあって思ってね」


 他意は無いよ、と答えた彼女は、


「ごめん。嫌だった?」


 と、申し訳なさげにそう続けた。


「嫌なんてことはない……、です……。はい……」


 セフィロは首をふるふると横に振ってそれを否定すると、それならよかった、とふわりと笑ってエミリアは言う。


「それで、もう整備は終わったのかい?」

「あっはい。後はテスト飛行するだけですね」


 エミリアの自身にはまぶしすぎる笑みに、セフィロは若干トギマギしながら眼鏡の位置を直しつつ答える。


「お、ならちょうど良い。君、『ファイター』乗ったことある?」

「まあ、はい……。いつも後ろに乗ってチェックしてます」


 ボトルの横に置いてある、工具箱を乗せた小さな台車のハンドルを握りながら、そう答えたセフィロは、エミリアの、ちょうど良い、という言葉に少し引っかかった。


「んじゃ、私がテストパイロットやるから、後ろに乗って」

「へっ!? いや、予定だと明日やることになってまして……。それに、私飛ばす権限ないですし……」


 唐突にそんな事を言われて仰天したセフィロは、わたわたした様子でそう説明する。


「ああ。それなら大丈夫」


 エミリアは彼女のその様子を、可愛いなあ、と思いながら爽やか笑顔でそう言って、パイロットスーツのベルトについたポケットから、支給品の通信機器を取り出した。

 そのディスプレイを何度か突き、どこかへ通信をつなぐ。


「あー、指令? 今からテスト飛行するから、第7艦隊の司令によろしく言っといて」


 通話の相手はエミリアの上司である、第5艦隊指令官の中年男性少将だった。


『お前さあ……、また気軽に言ってくれ――』

「オーケー。じゃ、よろしく」

『おい! ちょっとま――』


 かったるそうな口振りの彼は、明らかに嫌がっていたが、エミリアは完全にそれをスルーしつつ、フランクにそう一方的に要求してさっさと通信を切った。


 そんな様子を横で聴いていたセフィロは、大いに困惑した顔をしていた。


「よし! 大丈夫!」

「いや、ダメそうだったじゃないですかっ!?」

「あの言い方なら何とかしてくれるパターンだから」

「ええ……」


 いくら何でもむちゃくちゃ過ぎるんじゃ、といった表情を見せるセフィロの通信機器に通信が入った。

 それは彼女の直属の上司である女性中尉からで、エミリアと共に飛ぶように、という内容の指示だった。

 中尉の口振りからは、釈然としていない様子がしっかり伝わってきていた。


「ね? 言ったでしょ?」

「は、はい……」


 心底楽しそうなエミリアのそんなやりたい放題具合に、セフィロは目を丸くするしか無かった。



                    *



 飛ぶに当たって、第7艦隊所属の整備兵達は急遽きゅうきょ動員をかけられた。

 自国の大エースの飛行を見られるとあって、とっくに自由時間になっていた彼らだったが、嫌がるどころか進んで集まってきた。


「いやあ、第7艦隊はみんな良い人達だ」

「私もそう思います……」


 相変わらず愉快そうな顔で、魔力マナ式エンジンを起動するエミリアの言葉に、後部座席で数値をチェックしつつ、


「こんな私でも、皆さん優しくしてくれますし……」


 セフィロはヘルメットのバイザーの下で、表情をどこまでも申し訳なさげにしてそう言った。


 『リフター』を起動して人の高さ程に浮くと、機体下の接地脚を引き込み、小型先導機『タグボート』に誘導されてモジュールのはりの下をくぐり、格納庫中央部の誘導路を西方向へ進む。


 そのまま進んで、西出口から野外に出た機体は、航空甲板を陸揚げした様な、離発着場の南側の外縁部にある滑走路の奥の脇で止まる。


 夜の藍色がほとんどを支配する高い空は、8割ほどが雲に覆われていた。


 『ファイター』はあまり離着陸に距離を必要としないため、滑走路の長さは100メートル程だ。


 先に滑走路内にいた哨戒しょうかい機が飛び立って、ある程度基地から離れたところで、管制官から滑走路内でスタンバイする様に指示がきた。


 定位置についたところで、ちょうど日没時刻になり、滑走路のラインがマナを電源としたランプによって点々と発光し始めた。


 同時に、ランプの上に、同じくマナで出来たオレンジ色で、上に、ステイ、の文字がある、羽根の様な形の立体映像が浮き上がった。


「そういえば君、名前は?」

「あっ、セフィロ・マドゥロです」

「オーケー。セフィロ。心の準備は良いかい?」

「はっ、はいっ」


 エミリアは自転車にでも乗る様な、気楽な調子でいる一方、セフィロは相変わらずガチガチだった。


 その色が、管制官から離陸するように指示が出ると、オールグリーン、の文字と共に、明るい緑色に変化した。


 機体左右についたサブ『ブースター』の噴射方向を下に向け、機首をやや持ち上げた状態で浮き上がりつつ、メイン『ブースター』を噴かしてぐんぐんと加速する。


 完全に離陸したところで、普通は直径を広げながら何度か旋回し、上昇しきってから進路をとるが、


「ちょっ、まっ、ええっ!?」

「ヒャッホー!」

「ひえぇぇぇぇーッ!!」


 エミリアは鼻歌交じりに操縦桿そうじゆうかんを思い切り引き、ほとんど垂直に上昇し始めた。


「いやー、セフィロの腕はすごいね! こんなに思った通り動かせるのは初めてだよ!」


 試験のために既定の高度まで上昇したところで、緩やかに上昇と下降を繰り返し、非常に満足そうな様子でエミリアは言う。


「な、なんか不備があったらどうするんですかぁ……」


 セフィロは涙目になりながら、ヘナヘナとした言い方で抗議する。


「君が整備してるんだ。そんなことは無いし、あっても私が何とかするさ」

「ええ……」


 言い方は無責任そのものだったが、褒められた事はうれしいには嬉しいので、セフィロは半分呆れて半分恥ずかしがっていた。

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