お隣さんはシッポつき

馬場卓也

お隣さんはシッポつき

――春――

 

「よし……」

 進藤カイトは満足げに周囲を見渡した。

 視界に入るのは、新しいベッドに、中古で購入した必要最低限の家電とカラーボックスの本棚。

 家賃が安いので選んだ、古いアパートの一室。四畳半にキッチン、トイレ、風呂。一人暮らしするには十分すぎるスペースだ。


 新しい生活が始まる……。


 カイトは明日から、このアパートから一駅先にある大学へ通うことになっていた。憧れの東京での一人暮らし、新たな出会い、未知の期待感でカイトの胸は自然と踊っていた。

「そうだ……」

 と、カイトは親から預かった菓子折りをもって玄関を出た。これからなにかとお世話になるかもしれない、両隣の住人にはきちんと挨拶するように、と言われていたのだ。


「どうもご丁寧に、ありがとうねー。お隣さんはね、夜にならないと帰らないわよ」

 右隣の西田さんは、よく喋りよく笑う、ふくよかな30代後半の女性だった。なんでも女手一つで、4歳になる一人息子を育てており、スーパーのレジ打ちと駅前のスナック勤務で何とか家計をやりくりしているらしい、とカイトが聞かなくても、本人から話してくれた。今日はたまたまパートが非番だったらしい。


 その夜、夕食を済ませたカイトの耳にガチャリ、と鍵を回す音が聞こえた。

 お隣さんが帰ってきたらしい。でも、すぐにお伺いするのもどうかと思い、しばらく待ってからカイトは、隣の部屋のチャイムを鳴らした。

 

 ガチャ、とドアノブが回り、隣の住人が顔を見せる。

「あ」

 思わずカイトは声を出した。


 目の前にいるのは……カイトより頭一つほど背が高く、黒いゴツゴツした皮膚に、ギロリと睨むような目つき、わずかに開いた口からは無数の牙が覗いている……どう見ても人ではないものが立っていた。動物でもなく、直立した爬虫類、恐竜に近い姿をしているが、それはいつか見たあのキャラクターにそっくり、いやそのものだった。

「ゴジラ?」    

 カイトが思わず声に出すと、お隣さんはコクン、と頷いた。

「あの、今日越してきた進藤です……・よかったら、これ」

 カイトは菓子折りを差し出すと、ゴジラはまるでグローブのような、大きく分厚い手でそれを受け取り、そして再び頭を下げた。

「そ、それじゃあ……」 

 カイトも頭を下げると、そそくさと自室に戻った。

「え? え? え? ゴジラ? マジ?」

 見間違いではないし、あんな人間がいるわけない。しかし、どう見たってあれはゴジラそのものだ。


 何度かテレビや映画館で見たあの怪獣が隣に住んでいる? そんなこと、ありえない。あれは架空の生き物なのだ、しかし、それがなぜアパート暮らし? 

「そうか!」

 パン、とカイトは手を叩いた。あれは着ぐるみだ。


 隣に住んでいるのは着ぐるみ専門の役者さんだ。たぶん仕事熱心な方で、家に着ぐるみを持ち込んで動きの研究をしているんだろう、そう思うと納得できた。しかし、あの手の動きは自然だったな、あれほどまでになるのによほど練習が必要だったんじゃないか、もっとお近づきになれたら映画の裏側の話も聞けるかもしれない。そんなことを思いながら、カイトは入浴の準備を始めた。


「あれ、本物……じゃない、本人よ」

 翌朝。そんなカイトの思いは、通学時、たまたま立ち寄ったコンビニで出くわした西田さんの言葉によって打ち砕かれてしまった。

「ほ、ほほ、本物って?」

「本物は本物よ、あの人、私が越して来る前からずっといるわよ。だって、今どきのゴジラってCGじゃないの? ほらほら、そんなことより、初日から遅刻するでしょ、早くいってらっしゃい! あ、それとゴジラ『さん』よ!」

 本物のゴジラ? 聞きたいことは山ほど出てきたが、まるで母親のような口調で、西田さんに送り出された。


 入学初日の夜。今日が西田さんに教えてもらったゴミの日だったことを思いだし、カイトは引っ越しのごみをまとめ、アパートの外にある、指定のゴミ捨て場に持っていった。

 背後に気配を感じる。振り返ると、ゴジラがゴミ袋を片手に立っていた。

「う、うわぁあ!」

 街灯に照らされたその姿はどう見てもゴジラだ。棍棒のような太い腕、カイトの胴体ぐらいありそうな太い脚、ボウリングのピンのようなシルエットの、ややなで肩の体型。少し盛り上がった頭頂部にはいくつかのギザギザした突起の列ができており、昨日と同じようににらむような目つきでじっとカイトを見つめてる。

「ご、ごめんなさい、大きな声出して……ええと、こんばんわ」

 カイトが頭を下げると、ゴジラも会釈した。

 ゴミ捨て場を離れる際、カイトはちらり、と振り返った。背中には、押しつぶしたサンゴのような形の灰色っぽい背ビレが三列並んでいて、長く太い尻尾に続いている。ゴジラはその尻尾を小さく振りながら、崩れたゴミ袋を積み直しているようにも見えた。

「まじめだな、ゴジラって……」

 カイトは、その様子を見ながら呟いた。


 この世に本物の怪獣がいて、それがアパートに暮らしている! にわかに信じがたい事実を何とか受け止めながら、カイトは学生生活をそれなりに満喫していた。

 ゴジラとは、夜たまに会って挨拶する程度で、徐々にその違和感も薄くなっていった。


「だって、きちんと働いて家賃納めてるもの、別にいいんじゃないの? その辺のボンクラよりもずっとましよ」

 時々、余ったおかずを持って来てくれる西田さんの的を得た言葉に、カイトは強くうなずくしかなかった。確かにその通りだ。特にこれといったトラブルもなく、真面目に働き、静かに暮らしている。別に問題はない。ただ、それがゴジラだということを除けば、の話だった。それにしてもよくゴジラを雇う会社もあったもんだ、とも思った。


 その日、学部内で行われた飲み会が大いに盛り上がり、カイトは時間ギリギリで終電に飛び乗った。

「あ……」

 駆け込んだ目の前にゴジラが立っている。車内はわずかに空いてはいたが、その体では座席に座ることもできず、ゴジラは自分の尻尾を折りたたみ、それを椅子代わりに座っていた。いかつい風貌でちょこんと腰かけたその姿が、何となくおかしかった。膝にはコンビニの袋を乗せており、時間帯的にも仕事終わりだろうか、とカイトは声を掛けた。

「こんばんわ、仕事終わりですか?」

 ゴジラがウン、と頷く。

「大変ですね、こんな夜遅くまで」

 今度は首を横に振った。

「どこで降りられるんですか……あ、一緒ですね」

 他の乗客は熱心にスマホをのぞき込んだり、仕事疲れか酔いからか、眠りこけたりしており、誰もゴジラが電車に乗っていることを奇異に思っていない。


 最寄り駅で降りて、アパートまでの道々、仕事や学校のこと等、とりとめのない話をしたが、もちろん喋っているのはカイトだけで、ゴジラは無言だった。


 ある日、西田さんの提案で、カイトの歓迎会を兼ねたすき焼きパーティーをすることになった。

「ゴメンね、今頃。なかなかスケジュールが合わなくってね」

 たぶん、ゴジラと西田さんの予定が合わなかったのだろう。

 パーティーは西田さんの部屋で行うことになった。当日、西田さんがキッチンで準備をしている間、カイトは西田さんの息子、トウマとお絵描きやおもちゃで遊んだりして時間をつぶしていた。


 ピンポーンとチャイムが鳴る。

「あ、ゴジラさん!」

 トウマが玄関まで飛ぶように駆け、ゴジラを迎えた。

 ゴジラはトウマの頭を優しくなでると片手でひょいと持ち上げ、あやすように揺すった。すると、トウマは怖がることもなくキャッキャキャッキャと歓声を上げ、喜んでいる。その光景もなんだか自然に見えるようになっていた。怪獣が子供を抱き上げて、危なくはないのか? という気持ちもおこらなかった。それほどゴジラが自然に周囲に溶け込んでいた。ゴジラはトウマを下ろすと、片手に持っていたスーパーの袋を手渡し、キッチンの方へ首を振った。これを西田さんに届けろ、という事らしい。


 ゴジラは人語は解すが喋ることはできないらしい。そういえば、映画で見るあの独特の鳴き声も聞いた事がなかった。それほどおとなしいのだ。

「うわ、お肉こんなに! いいの? え、国産じゃない?」

 西田さんの驚いた声が聞こえた。それを聞いてゴジラは『どうぞ遠慮なく』とばかりに軽く手を振った。


ゴジラは、器用に尻尾を丸めて体をかがめるように折り畳み式のローテーブルの前に座った。

「やっぱり、もう少し高いテーブルの方がいいかな? あんた座高あるから不便でしょ?」 

 カセットコンロを持った西田さんが申し訳なさそうにいうと、ゴジラはこれも軽く手を振ってみせる。

 ようやく食べる段になると、ゴジラは極太マジックペンのような太い指で器用に箸を使い、肉や野菜を次々と口に運んでいった。

「野菜も食べるんですね……」

 思わず口にしたカイトの言葉に、ゴジラはもぐもぐと口を動かしながら頷いた。


「卵足りてる? 最近はどうなの、夜の仕事辛くない? 学校はどう? お友達出来た? そっちのお肉できてるよ、こらトウマ、ネギも食べなさい!」

 せわしなく鍋と周りに目を配り、自分が食べる間もないぐらいに、西田さんはまるで母親のように他の3人に声を掛ける。カイトは顔を綻ばせ、ゴジラは無言で、時折ジェスチャーを挟みながら食べた。

 

 どこにでもある夕食の風景だった。そこにいるのがゴジラである以外は。



――夏――



 「ゴジラ? マジで? ウソでしょ? いやいやいや……ありえへんて」

 ようやく大学にも慣れてきて、親しい人間も増えてきたある時。カイトと同じ学部の大友シゲルに、何気なく隣人の話をすると、大いに驚かれてしまった。でもそれが普通のリアクションなんだろうな、とカイトは思った。

「お前はそれ、普通やと思ってるの?」

「最初はびっくりしたけど、慣れた。というか、周りも別に驚かないし、普通の感じ。例えば外国の人が隣に住んでる……・いやそれよりももっと普通かも」

「ありえへんて、ゴジラやろ? コスプレやなしに?」

 関西出身のシゲルは、『ゴジラ』の『ラ』のアクセントを下げて発音する。

「うん。どうも本物みたい」

「警察は、自衛隊は? ようそんなもんほっとけるなあ! お前犬とか猫と違うんやぞ、ゴジラやぞ」

 驚きながらも、シゲルの顔はなんだか嬉しそうに見えた。

「でもなあ、これと言って暴れたりしないからなあ」


 翌日、シゲルは大量のDVDを持ってきた。

「これ見とけ。全部ゴジラの映画や」

「どうも……で、見てどうするの?」

「本物のゴジラっちゅうもんを知っといた方がええやろ? いつ何があっても対処できるように」

「いやでも……」 

 隣のおとなしい住人こそが本物のゴジラなんだけどなあ、と思いながらもカイトはDVDを借りて、暇を見つけては一本ずつ見ることにした。


 映画のゴジラは、たまに人間の味方もするけれど、ほとんどの場合は破壊と戦闘に明け暮れる怪獣だった。隣の住人のことを思うと、世間が『本物』だと思っている映画のゴジラの方が嘘っぽく見えてきた。

「いや、映画はもとよりウソの世界なんだけどさ」

 テレビ画面に写る、新宿の街を焼き尽くし吠えるゴジラの姿を見ながら、カイトは一人、突っ込んだ。


 その頃、カイトはコンビニで深夜バイトを始めるようになった。友人が増えるとでかけることも多くなるし、何かと出費も多いからだ。でもバイトを入れると、遊びに行く時間が無くなってしまう、ということにも気づいた。


「いらっしゃ……」

 自動ドアを開け、姿を見せたのはゴジラだった。

「あ、どうも」

 この頃になると、ゴジラに対する違和感は全くなくなり、カイトも気軽に声を掛けるようになっていた。

 ゴジラはカップ酒2本と、ビーフジャーキーをレジに持ってきた。

「へえ、ジャーキー好きなんですか?」

 ゴジラがコクン、と頷いた。

 「これからお仕事ですか?」

 今度は首を横に振った。

「あれ? 夜の仕事って聞いてたから。仕事変わったとか、ですか?」

 再び、ゴジラは頷いた。

「そうでしたか。まあ、何にせよ、大変ですよね。どこも時給安いし」

 ゴジラは、賛同するように、2、3度頭を上下に振った。

 まるで無表情だが、なんとなくカイトにはゴジラが苦笑いしているように見えた。

 

 バババ!

 

 弾ける音と共に、外の駐車場で高校生ぐらいの男女数人が笑い、大声を上げながら花火をしているのが見えた。

「面倒くさい……最近この辺でたむろしてるんですよ、あいつら。注意して逆ギレしてこられても困るしな……花火なら公園でやれっての、もう」

 しぶしぶとカイトがカウンターを出ようとすると、ゴジラが太い腕でそれを制した。

「え?」

 ゴジラは、『任せろ』とばかりに胸を軽く叩くと、外へ出た。

「ちょ……危ないですよ」


 声を掛けて、カイトはアッとなった。今、自分はゴジラの方を心配していた。よく考えたら、いやよく考えなくてもゴジラは怪獣だった。荒れる高校生相手でも平気なはずだ。ナチュラルに接しすぎていて、その辺の感覚が麻痺していたのだ。

「おいおい……」

 怪獣を怒らせたらどうなるか、あの太い手足や尻尾で攻撃されたら、警察沙汰どころではなくなり、それこそ自衛隊の世話になるかもしれない。今度は高校生の方を心配しながら、カイトは外に出た。

 

 突然、コンビニからゴジラが現れたことで、高校生たちは一瞬驚きもしたが、悪態をつきつつ花火をやめなかった。

「っせぇんだよ、迷惑かけてねえだろうが!」

 リーダー格らしき、金髪の男がゴジラに向かって吠えた。

 ゴジラはしばらくその様子を見ていると、低く唸り、その分厚い手で火のついた花火と、ついでに金髪が着ていた柄物のシャツの胸ポケットにあるタバコを取り出し、握りつぶした。

「ぁにすんだてめぇ! おい、やっちゃってよ」

 金髪に声を掛けられ、格闘技でもかじってるのか、やたらと体格のいい一人が、ゴジラの分厚い胸板に拳を叩きこんだ。

「うらぁ!」

「あ……」

 カイトは思わず声を出した。が、ゴジラはびくともしない。首を横に振り、『片付けろ』と言わんばかりに手を振った。逆に殴ったほうが手を痛そうに押さえている。

「……クソが」

 金髪がぼそり、と呟くと、ゴジラはその分厚い手でその頭をごしごしとこすりだす。

「わぁーった、わかったから! 髪抜けるし、セット乱れるし!」 

 高校生たちが渋々と花火やごみの片づけを始めると、ゴジラはカイトに気付き、戻るように促す。カイトがレジに戻ると、ゴジラはアイスコーナーから、あずきバー10本入りを持ってきた。

「これも買うんですか?」

 コクン、と頷くとゴジラはそれを持って再び外に出て、高校生たちに渡した。

「あ、どうも、すんませんした、ありがとうございます」

 金髪が驚いた顔で頭を下げると、ゴジラは、今度は優しくその頭を撫で、身振りで帰るように、と指示を出す。高校生たちは、軽く頭を下げながら駐車場を出ていった。それをゴジラはじっと見届けている。

「ありがとうございます。……親切なんですね」

 戻ってきたゴジラにカイトがそう言うと、謙遜するように手を振って、レジに置きっぱなしにしていたコンビニ袋を持って出ていった。


 近所のお節介な大人が不良を諫めた。ただこの町内ではそれがゴジラだったというだけの話だった。


 しばらくしてカイトは、ゴジラが夜の仕事から日中の建設工事に転職した、という話を西田さんから聞いた。何でもそっちの方が時給がいい、という事らしい。フィクションの世界なら破壊することが生きがいのような怪獣が、現実では物を作る現場で働いている、というのがなんだかおかしかった。



――秋――

   

「なあ、会わせてくれへんか?」

 教室でシゲルにいきなり声を掛けられ、カイトは困惑した。

「何に?」

「前に言ってたゴジラやんか。俺、こないだたまたま通りかかった工事現場で見たんや、オリンピックの会場作ってた。尻尾で鉄骨運んだり、まじめに働いてたぞ」

「だからあの人はマジメなんだって」

 ゴジラに対して『あの人』というのも変な気がしたが、カイトはあまり気にしていなかった。

「嘘やん、着ぐるみちゃうんか思ったけど、本物やんか。なあ、会わせてくれよ」

「だから前から言ってたじゃないか、本物だって」

「それは単なるコスプレとか『ゴジラみたいな顔の人』ぐらいにしか思ってへんかったんや。すまん、会わせてくれ。俺、今度のレポートのテーマ、あれで書こうと思ってるんや。ひょっとしたら生きてるゴジラの論文書けるかもしれへんしな」

 ゴジラを『あれ』扱いするシゲルに少し腹が立ったが、とにかく聞いておく、とだけ返事しておいた。

 

「と、いう事なんですけど、いいですか?」

 その夜、カイトは隣の部屋に行き、ゴジラに昼間のことを話してみた。

 ゴジラはしばらく考えるように首をひねっていたが、部屋に戻ってカレンダーを取り出して、自分の都合のいい日を教えてくれた。

「いいんですか? すみません、友達喜ぶと思います!」

 カイトが頭を下げると、ゴジラは『いいって』とばかりに手のひらを見せて振った。


「は、はじめまして、フフフ、ファンです!」

 数日後。アパートの部屋の前で、驚いた顔をしつつも、シゲルは嬉しそうな顔でゴジラに挨拶していた。

「ソフトも全部、フィギュアも可能な限りは! 今日はお話とか、お写真もよろしいでしょうか!」 

 興奮気味のシゲルを、ゴジラは部屋に招き入れた。

 でも……シゲルの好きなのは映画のゴジラの方であって、目の前にいるゴジラではないんじゃないかな、とカイトは思った。あれでレポート書けるのかな、とカイトは自室に戻り、テレビを見ながら時間をつぶした。やがて、隣室のドアの開く音がした。


 カイトが玄関を開けると、ゴジラとシゲルが出かけるところだった。

「もう終わったのか?」

「いや、これから近所の公園で撮影。それとまだ聞きたいこともあるし」

 相変わらずシゲルの顔は緩み切っていた。まるでご贔屓のアイドルを独占したような、喜びに満ち溢れた顔だった。


 それから、シゲルの姿を見たものは誰もいなかった。退学したとも、休学中だという話も出たが、誰も真相を知らなかった。



――冬――


「ねえ、お部屋行ってもいい? 男子の部屋行くの初めてかも」

 赤い顔をして、染谷タマキはカイトに言った。駅前の居酒屋で、ゼミ仲間での飲み会が終わり、終電があるかどうかぎりぎりの時間だった。

「ん、いいけど、汚いよ、俺んところ」

「いいよぉ、眠い……」

 タマキとは秋ごろからよく話すようになった。ずば抜けた美人、というわけではないが、気さくな性格が幸いして、他の男子学生からも注目される存在だった。今日の飲み会でも、何人かの男子がやんわりとしたアプローチを試みてはいたが、それをタマキがするりするりとかわしているのをカイトは見ていた。


 アパートに着くと隣の部屋のドアが開き、ゴジラがぬっと顔を見せた。

「エ……」

 タマキが驚いた顔になる。誰でも最初はそういうリアクションするよな、とカイトはそれを見て思った。

「こんばんわ……こっちは同じ学校の染谷さん。こっちはお隣のゴジラさん」

「ど、どうも……」

 ゴジラは軽く会釈をして、ゴミ袋を持って出ていった。

「あ、今日ゴミの日だった……」

 部屋に入ると、カイトはタマキにくつろいで、と言ってから自身もゴミ袋を持って出た。ちょうど、ゴジラが戻ってきたところで、黙ってじっとカイトを見ていた。

「真夜中にすみません。彼女、電車なくなって、酔っぱらっちゃって」

 ゴジラは黙って部屋に入った。


「いるんだね、怪獣って……」

 コタツに入りながら、タマキはカイトの出したコーヒーをくい、と一口飲んだ。

「それだけ? もっと驚かないの?」

「だって……おとなしそうだし、小さいし」

「なるほどね……その発想はなかった」

「怪獣って普通、大きくて怖いイメージじゃない。そうじゃないなら、大丈夫。あのゴジラさん、おめめがクリクリしてかわいかったし」

 そう言ってタマキはゴロン、と横になった。

「確かに。俺もすんなりゴジラさん受け止めているのは、怪獣だけど怪獣らしからぬからなのかな? じゃあ怪獣らしさって……やっぱり大きさ? 他には……」

 と、タマキを見るとすうすうと寝息を立てていた。


 その年のクリスマスは、特に予定らしい予定もなかったので、西田さんに誘われるまま、勤め先のスナックでささやかに行われるパーティに行くことになった。

「他にも誰か誘ったら?」

 と西田さんが言うので、その翌日、教室でカイトはタマキに声を掛けた。

「いいよ。私も予定ないし」

 ダメ元だったが、すんなりとタマキはそれにオーケーしたので、カイトは拍子抜けしてしまった。


 パーティ当日。臨時休業の札をかけた店内には、常連客やトウマ、それにゴジラも来ていた。カウンター席は難しいらしく、ゴジラは奥のテーブル席の、その隣に尻尾を折り曲げて座り、好物のビーフジャーキーをかじりながらビールを飲んでいた。

「あ、ゴジラさんだ、先日はどうもー」

 愛想よくタマキが、ビールを注ぐ。

「あれ、新しく入った子?」

「違いますよぉ、こちらの彼女さんだから手を出しちゃだめよ……でも、うちで働く?」

 西田さんより少し年上のママが、笑ってカイトを指しながら常連客を諫める。

「いや、彼女じゃないですよ、なあ?」

 カイトは慌てながら、タマキを見た。

「どうかなー、どうだったかなー。彼女かも、ひょっとしたら彼氏だったりして」

 とぼけるような口調で、タマキはゴジラに次のビールを注いでいた。

 ゴジラも機嫌よさそうにビールを飲んでいる。それを見て、怪獣でも酔っぱらうのだろうか、とカイトは少し思った。


 それから、年が明けた頃ぐらいからタマキとカイトの仲は急速に接近した。デートを重ね、お互いの下宿を行き来しあうようになっていた。


「いらっしゃいませ……」

 カイトのバイト先のコンビニに、ゴジラが姿を見せたのは2月の半ばだった。

「今日もカップ酒とジャーキーですか?」

 夏の一件からゴジラはよくカイトの勤め先に来るようになり、カップ酒とビーフジャーキーを買って帰るのが決まりのようになっていた。

 ゴジラはいつものようにレジに商品を持ってきた。しかし、いつもとは違うものが買い物カゴに入っている。一枚の板チョコだった。

「あれ、珍しい……そうか、今日はバレンタインデーですね。ゴジラさんも誰かに渡すんですか?」

 照れるようにゴジラはうつむく。会計を済ませると、ゴジラは袋からその板チョコを取り出し、カイトに手渡した。

「え、俺ですか? いいんですか?」

 ゴジラは『いいからいいから』とばかりに手を前に出すようなしぐさを見せる。

「ありがとうございます。来月、お返ししますから!」

 カイトが頭を下げると、猫が喉を鳴らすように、ゴジラは小さな唸り声を上げた。


 それから数日後。西田さんに夕食に呼ばれた際、その話をすると

「へえ、向こうからチョコくれるなんて珍しいね。進藤君気に入られたのよ」

「そうなんですか? ゴジラさん無表情なので、よくわからないですけど」

「ちゃんとお返ししてあげないとね」

「それはもちろん……」

「もてるねー、彼女からももらったんでしょ?」

 バイトがあったので、タマキにはその数日前に『前乗り』と称してチョコをもらっていたのだ。もちろん、西田さんからもらっていた。

「大変ですよ、ホワイトデーが」

「もう、女3人に囲まれちゃって! ハーレムじゃん」

「いやぁ……あ、あれ? 女3人って」

「何言ってんのよ、ゴジラさん、女よ?」

「え、まさか……」

「だってチョコくれたってことはメス……女よ、たぶん」

「あれは季節ものだから……ほら、節分の時も鬼の面被ってきてくれたし、そういうイベントが好きなんですよ、あの人」

「ごっつい顔してるから、お面被らなくてもよかったのにね。そうか、そうなのかな……」


 その翌月。カイトはホワイトデーのお返しを買って、まずは西田さんへ渡し、続いてゴジラの部屋を訪ねた。タマキにはちょっと値の張るプレゼントを用意し、あとでデートのついでに渡そうと思っていた。


 チャイムを鳴らすと、ゴジラが顔を出した。

「今、大丈夫ですか? ほら、先月のお返しを……」

 ゴジラは何かを思い出したように大きく上を向き、そしてカイトを自室に招き入れた。


 ゴジラの部屋は家具も何もなく、わずかにキッチンに小さな冷蔵庫が置いてあるだけだった。ゴジラは押入れからちゃぶ台を出すと、キッチンに向かいお茶の準備を始めた。

「あ、お構いなく」

 ゴジラがあの手で器用にお茶を注ぎ、カイトの前に置いた。

「ベタなものですみません、大したものじゃないですが……」

 カイトのお返しの入った包みを両手で受け取ると、ゴジラはそれをいとしそうに胸に抱き、体を軽くねじる。まるで嬉しくてたまらないといった感じに見えた。

「そんな、本当に大したことないんで……」

 すると、ゴジラはカイトの両手をしっかりと握り、じっとその顔を見つめだした。

 しんと静まり返った中、まるで時が止まったかのように、ゴジラは微動だにしない。

「え……」

 ゴジラはただじっとカイトを見つめていた。

「あの、俺、そろそろ……」

 いつもと違うゴジラの態度に、カイトはいささか戸惑いを覚えていた。これはどうしたことだろう? そんなにお返しが嬉しかったのか。手を握って見つめるなんて……。そこで、西田さんの言葉が蘇った。

「ゴジラさん、女よ?」

 まさか、とカイトはそれを心の中で打ち消した。

「あの、そろそろいいですか? 俺、約束があるんで」

 カイトはそう言いながら、抵抗するように少し手を振る。ふっとゴジラの手の力が緩み、カイトは自由になれた。

「また今度。今日は彼女と会う約束があって。ほら、あの染谷さん」

 ゴジラの体がブルっと震える。

「風邪……ですか?」

 ゴジラは頭をうなだれ、じっとしたまま動かなくなった。

「え、ちょっと、大丈夫ですか、病院呼びましょうか?」

 そこで再び西田さんの言葉が蘇った。

 もし、ゴジラがメスで自分に好意を寄せているのなら……彼女がいることにショックを受けているのか? カイトはごつごつとした岩のような背中をそっとさすったが、何の反応もない。


 グルル……。

 

 ゴジラが低く唸り、背中が急に熱を帯びだしてきた。その熱さに、カイトが手を放す。

「熱い……やっぱり風邪でも引いたんじゃ……」

 顔を上げたゴジラは、睨むようにカイトを見た。もしさっきの仮説が正しいなら……自分は今ゴジラをフッたことになるのか? フラれたゴジラはこれからどうするんだ? 


 グルル……。


 再びゴジラが唸ると、室内がパッと明るくなった。電灯がついたのか、違う、ゴジラの背ビレが青白く発光していたのだ。

「え、何それ……」

 

 グル、グルル……アェ……。


 背びれはやがてぱちぱちと点滅をはじめ、室内をさらに明るく照らしていた。

 

 アエェエーン、オォオン! 


 その声に、カイトの鼓膜がびりびりと震える。初めて見たゴジラの咆哮は、悲しみと怒りが入り混じったように聞こえた。


 シゲルから借りた映画の中でも、ゴジラは怒りに任せ吼えていた、そして背ビレを光らせ……。


 ひときわ眩しく背ビレが光った次の瞬間、ゴジラはかっと口を開いた。

 口腔が青白く光り、強烈な光の束が、カイトに降り注いだ。

「やっぱりメスだったんだ……」

 そうか、いつも普通に接していたから忘れていたけど、彼は、いや彼女はやっぱりゴジラなんだ。普段出すことは全くなかった、その独特な咆哮と熱線で、あらためて気づかされた。シゲルも何か不用意なことをして彼女の怒りを買ったんだろうな、とカイトは自身の体が蒸発していくのを感じながら、そう思った。どれだけ小さくても、オスだろうがメスだろうが、


ゴジラは、やっぱりゴジラなんだ。 

 


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