とある天下り社員の実態調査記録

結城 慎

とある天下り社員の実態調査記録

「またテレビ見てやがる!」


 思わず口から言葉が漏れてしまった。

 私の視線の先には談話室の窓ガラス。そこに映っているのはいつもの見慣れたうらぶれた背中。肩口からはテレビが点いているのが見える。


「ユキ、あの人アレなんだからほっときなよ」


 友人兼同僚のサヤカが私に言う「アレ」とは天下りの人間を指す。

 私の勤めているこの会社は、事務用品を扱っているだけのどこにでもあるような小さな会社だが、何故か数年に一度の割合で出世レースに敗れた中央省庁の役人が天下ってくる。いったいどういった繋がりがあるのかは誰も経営陣に問いただそうともしないが、ホントに定期的にヤツらは下って来る。社員は他の会社よりもやや高い自分の給料と、天下りの人間がぐうたらしているのを見る自分の精神衛生とを天秤にかけ、傾いた心の天秤に「社会に出ればこんなこともある」と自分を納得させ、天下りという庶民からすれば「悪」と断ずべき現実から目をそらしているのだ。私もそうだった。いや、今でもそうだ。だが、しかし、アイツだけは許せない。他の天下りの人間は少なくとも体面上は仕事をしているフリをしていたり、目につかない場所でサボっていたりで、気を遣っているというか後ろめたさを感じているというか、そんな雰囲気はある。

 しかしアイツは、佐倉さくら 健太郎けんたろうは違う。

 年齢三十六歳。長身の優男で、冴えない風貌のうらぶれた負け犬。

 アイツは毎日出勤してくると給湯室で自分でコーヒーを淹れると、そのまま談話室に直行しテレビを見て、その後ふらっとどことも知れず出かける。いつもだいたい3時頃に帰ってきては給湯室においてあるお菓子をくすねてまた談話室に籠り、定時に退社する。

 ナンダキサマッ!

 会社を何だと思ってやがる。何よりアイツは昨日あたしのチーズケーキを…… っと、私怨は良くない。とにかく、天下りは悪だ! 一生懸命働く庶民の敵だ! 私がその実態を暴いて社会的制裁を加えてやる。


 そんなこんなで私の戦いが始まった。



【調査1日目】

 有休を使った。

 流石零細に近い中小企業。社内規定では有給取得は一か月前申請だけれども、実際は言えばポンポンと出してくれる微温湯ぬるまゆ

 というわけで、今日一日は佐倉を尾行してやる。

 感謝しろ、この私の貴重な有休を一日使用するのだから。

 午前十時ごろ、奴は会社から出てきた。後ろめたさなど微塵も感じていない実に堂々とした様子だ。欠伸すらしていやがる。うぬぬぬ。足取りはふらっと駅の方角へ。何も気にせず歩いているようだけれど、近くでしきりに電話にお辞儀をしているサラリーマンの姿に何か思ったりしないのだろうか。

 駅が目的地だったわけではないようで、その前を通り過ぎてそのままふらふらと歩いていく。どこへ行くんだコイツ。やがて比較的というかかなり緑の多い小ぶりな公園に差し掛かると、ふらっとその中へ。


(ヤバい、見失う!)


 慌てて公園に入ると、入口近くのベンチに陣取った佐倉とバッタリ。しかもこいつ、どんな神経しているのか、有給で休みの私と出会ったのに、自分から奇遇だとか話しかけてきやがった。私が皮肉たっぷりに有給だからふらふらっと散歩しているというと、何故か嬉しそうに自分も散歩している、本当に奇遇だと宣う始末。少しは慌てるなり言い訳するなりしろよ、業務時間内だろお前! しかし、そのまま佐倉と公園で談笑するのもなんか非常に居心地の悪い感じがしたので、私はあきらめて退散しその日の尾行は終了。つまり有休が一日無駄になった。おのれ佐倉め!



【調査2日目】

 滅多にないが、私にも外回りの仕事くらいある。事務員じゃないんだぞ。

 ということで、今日は外回りに行ってくるとの名目で佐倉よりも先に会社を出て奴を待ち伏せすることにした。

 午前九時四十五分頃、佐倉は会社から出てきた。昨日と同じようになんとも思っていないような態度で。今日も公園に行くのかと思えば、駅前の喫茶店にふらふらと入っていった。

 ドラマや漫画ならばここで私も喫茶店に入って並びあう席にでも座り様子を伺うような事もしようが、あいにく私は一般人。そんな度胸もスキルもない。そもそも、喫茶店の入口ってだいたいお客が入ってきたらベルやらなんやらで音が鳴るようになってるし、普通他の客が入ってきたらチラリとでも見たりしないか? ドラマの探偵とかはどうやってその視線を潜り抜けてんの。佐倉のやつなんて私の顔を見たら、また昨日のようににこやかな顔で話しかけてくるに違いない。

 そんなこんなで潜入調査は断念。しばらく外からガラス張りの喫茶店の中の様子を伺っていたが、佐倉が若いバイトの女だろうかを口説いているだけっぽいので調査終了し仕事に戻る。外回りの仕事を終えて帰社した私は部長に「どこでサボってたんだ、遅い!」と怒られた。全部アイツのせいだ。おのれ佐倉め!



【調査3日目】

 今日は花の金曜日。昭和ではそんなことを言っていたらしいが、何が『花』か。明日も仕事だ! とクダをまく社畜の隣で明日は休みだし何しようかと、友人兼同僚のサヤカとビールを片手に休日の予定の話に花を咲かす私。場所は居酒屋。いいんだよ、男のいない女の週末の夜なんてこんなもんだ。


 しこたま飲んれ食べてぽっこりおなかのあたしとサキは二軒目のバーへ。

 落ち着いらバーの中れ、なんれかカウンターで佐倉が酒を飲んれら。

 なんらアイツはこんらとこれ!

 隣のアメリカンら外国人ろ意気投合しれるけろ、欧米かっ!


「ユキ、古いよそれ。きゃははは!」


 サヤカ、うるさい!

 しかしナイスミドルだ。今度紹介してもらおう。

 そんなことより今日はあんな奴のことなんてどうでもいいんだ。酒だ、お酒もってこーい!



【調査4日目】

 目覚めれば自分の部屋じゃなかった。

 隣に寝てるのは男…… だったら少しは色気もあるもんだけど、サヤカだ。このばいんばいんめ。ちょっと揉んでやれ。

 身体を起こすと少し頭が重い。二日酔い、というほどでもないけどちょっと羽目外しすぎたかな、昨日は。立ち上がり、寝てるサキをベットに置いたままシャワーを借りる勝手知ったる他人の家。さっぱりと目を覚まし、パンツ一丁エプロンを着けてキッチンへ。卵を割って朝食の準備を。匂いにつられて目を覚ましたサキと一緒に軽い朝食を摂ると、その後二人で部屋でごろごろ。なんて無為な休日。

 明日彼氏とデートだからと、夕方に部屋から追い出された私は、夕暮れの街を抜けながら我が家を目指す。み~んみ~ん、とセミが煩い。

 しばらく歩いていたら視界の端に佐倉の姿が映った。何故に佐倉。私のストーカーかアイツ。よく見れば電話しながら街はずれの方向に向かって歩いて行っているようだ。ちょっと後をつけてみようか。


 電話が終わった佐倉は、胸ポケットに電話を仕舞うとズボンのポケットに両手を突っ込み、特に急ぐでもない様子でいつものようにブラブラと歩いていく。

 住宅街を抜け、大きな公園を横切り、工業地帯へ。見知ったぐうたら社員の佐倉でなければ間違いなくヤバいにおいがプンプンしそうな感じである。さらに歩くこと10分程度、土曜の夕方のために人も車も通らない工業地帯の中ほどにある貯水池の隣接した公園へ到着した佐倉は、そこで一人の男と相対していた。


(誰だろう)


 夕闇が男の顔を隠している。

 かなり体格のいい男だ。

 こんな時間にこんな場所での逢引きというシチュエーションに興味を惹かれ、その男の顔を確認しようと、公園の木立を利用して私は二人との距離を詰める。


「そうか、キミだったのか」


 二人の声が聞こえる距離まで近づき確認したその男の顔に私は見覚えがあった。金曜の夜、バーで佐倉と話していたアメリカンな外国人。あの時は実に楽しそうな雰囲気で佐倉と飲んでいた様子だが、今、この場所ではそんな楽しそうな様子は一切なかった。


「あの時既に……」

「あぁ、そうだ」

「…… そうか。ちなみに…… 」


 二人の会話は私には理解できなかった。外国人の方も流暢な日本語を話し、言葉としては理解できる。しかし、二人の話す内容があまりにも抽象的、などというような表現ですら収まらないほど漠然としたもので、私には何のことやらさっぱり分からないものだった。

 暫くそんな訳の分からない会話をしている二人だったが、やがて会話になにか一つの終わりがあったのだろう、二人の間に僅かの沈黙が訪れる。アメリカンな外国人は、夜の帳が降りようとしていた公園を、何かが見えるはずもないのに見渡した。


「周りには――」

「あぁ手配している。先方にも連絡済みだ」

「了解だ、ミスター佐倉」


 簡潔な佐倉の言葉に男は少し肩を落とした様子で大きく息を吐き、外国人らしい大きなリアクションで肩を竦めながら両手を上げた。

 そして佐倉はそんな男に対して懐から何かを取り出し、腕を水平にそれを男に向け――


「―― ッ!?」


 思わず驚きの声を上げそうになった私は、咄嗟に両手で口を塞いだ。

 佐倉が手に持っていたのは、夕闇に紛れ込みそうな真っ黒な塊。海外ドラマなどで刑事やスパイが手に持つ、銃と呼ばれる武器。


「…… あ、ははは」


 小さく私の口から笑い声がこぼれる。

 理解できなかった。

 何? なんで佐倉が外国人に銃突きつけてんの? ラマ? 映画の撮影? あの佐倉が?!

 絶対に違う。だけど、私はそう断言したくなかった。それを認めてしまえば、目の前の非現実的な光景が現実だと認めてしまう。私の信じている日常が脆くも崩れ去ってしまう。

 しかし、現実は録画したドラマなどとは違う。巻き戻しもなければ、一時停止もない。私が現実から目を反らしている間にも、目の前の二人の時間は、時計の針と同じように進んでいっている。


「それで、何か言い残すことは?」


 何も感情の籠らない声でまるで映画の悪役のようなセリフを吐く佐倉。対する男は、まるでブレることもなく突きつけられる銃口が目に入らないかのように相貌を崩すと、冗談めかしたように口を開く。


「なら、ウチの長官に情報を――」

「ふっ、冗談を」


 笑い声。この場で初めて聞く佐倉の小さな笑い声。それは私の目の前に展開してい状況が酷く質の悪い冗談のように映るものだったが、しかし、佐倉と笑みを作っていた外国人の男は、両手を上げたまま二、三秒笑った後、頭を振って真剣な表情になる。


「だよな。なら他には特にない」


 それは、私の目にしたことのない人間の表情。

 漫画やドラマでは簡単に一言で語られる「覚悟」という意思の籠った表情なのではないのだろうか?


「家族には?」

「あればこんな仕事はしていないさ」


 佐倉の言葉―― 「家族」というキーワードに少し優しい表情を浮かべた男の言葉に佐倉も「そうだな」と短く応える。そして、男は何かを思い出したかのよう微笑み、佐倉に最後の言葉を告げる。


「あの夜の酒は…… 実に良い酒だった」

「…… ああ、そうだな」


 佐倉も相貌を崩し、そして夕闇に一発の銃声が――


 男は倒れ、そして私は―― 目の前で繰り広げられた事象を理解しきれない私は、隠れていた木立に寄り掛かるようにしてへたり込んでしまう。


(な、何よコレ…… 何で人が…… 佐倉が…… 殺した?)


 理解できない現実に、混乱で視点が定まらない。思考が纏まらない。

 そんな私の傍に、誰かが立ったような気配がした。

 見上げればそこには、いつもの佐倉の顔があった。


「やぁ近藤さん」


 いつも見ている、あの日公園で見た、いつもの佐倉の顔そのままでソイツは……


「見てしまったキミには死んでもらうしかないね」


 そして私は――






「っちょっとなんで!!?」


 とあるビルの一室で私は大声で叫んでいた。


 見つめるテレビ画面の中では、薄いピンクのスーツを綺麗に着こなした若い女性のキャスターが、真剣な表情でニュース原稿を読んでいる。


『―― この事故で一名の女性が死亡。警察は逃げたトラックの行方を追っています』


 そして、どこかの不幸な交通事故を知らせるニュースのスーパーに表示される名前は紛れもない私の名前。ご丁寧に名前の横には、入社式の時の私の顔写真が表示されているので間違いなく私だ。でも、私は現にこうして生きている。

 ならばと、私は近くで相変わらずコーヒーを啜っているアイツに食って掛かる。


「なんでよ佐倉、なんで私が死んだ事になってるのよ!!」

「だから言ったでしょ近藤さん、死んでもらう・・・・・・って」


 あの後、私は佐倉といつの間に周囲に詰めていた大勢の人間に拉致られ、パトカーに乗せられてこのビルに連れてこられた。そして一連の出来事に説明を受けた話を要約すると、佐倉は国内に入っている他国のスパイを見つけたり、そのスパイに偽情報を流したり、重要情報を漏洩しそうなスパイを処分したりすることが仕事なのだそうだ。ナンダそのドラマ設定。とにかく、そんな重要情報を私に話していいのかと問い詰めた私に佐倉が見せたのがあのニュース。私の交通事故のニュースだ。


「これでキミは晴れて戸籍のない人間だ。一緒にお国のために頑張ろうね?」


 厭らしいという表現が相応しいのだろうか、嫌悪を感じさせる笑みを向ける佐倉の頬を反射的に平手で張っていた私は、この時自分の身に何が起き、これから何をしなければいけないのかを全然わかっていなかった。


 そしてこれが、その後続く私の長く、そして短い人生の始まり。佐倉健太郎のパートナーとして、国内に暗躍するスパイとの戦いに身を投じた私の第二の人生の始まりであるが、その話はまた別の機会に…… 。


「あぁそうそう、元近藤さんの新たな門出に一つ諺を送るよ。『好奇心は猫を殺す』今更だけど覚えておいてね」

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