第21章  鍋釜や農具が置かれ、子犬や子猫が遊び

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 竹を並べて作られた長い廊下のあちこちに、洗い物が干され、鍋釜や農具が置かれ、子犬や子猫が遊び、輪になって話をしたり飲み食いしたりしている人たちがいる。ヌグリグデの雰囲気は確かに大きな家族そのものだった。

 村人はみんなキジャンと同じく肌の色が濃く、ウェーブのかかった髪をしていて、王都コタラジャの人々とは異なっている。おそらく数百年前にウトモ王が上陸する以前からのこの島の住民なのだろう。

 大祭司カイヌウェランのいる「聖なる丘ブキッ・スチ」に行くには体を清めなければならないとかで、キジャンは僕らを村の沐浴場もくようじょうに連れて行った。そういえばアディの村を出てから一度もまともに水浴マンディびをしていない。王女もアディも砂ぼこりで汚れた顔をしている。

 長い家にほど近い、木々の間にある沐浴場は、石造りのプールのようなもので、壁に並んだ女神像の手から清らかな水が流れ落ち続けている。早朝からすでに、巻衣サルンだけ腰に巻いた数十人の男女が楽しげに喋りながら水浴をしていた。男も女も肌をさらすことを特に気にしていないようだけど、水場は一応、低い石の塀で男女に分かれていた。

「お姉さん、あっち」とキジャンは塀の向こうを指さした。「あなた、女」

 キジャンは、輪を作ってにぎやかにお喋りしている半裸のおかみさんたちに声をかけ、王女の世話を頼んだ。おかみさんたちは寄ってたかって王女の腕を取り、肩や背中をぺたぺたと触り、感嘆したように口々に何か言った。たぶん肌が白いことをほめているのだろう。楽しげなおかみさんたちにもみくちゃにされて「おやめなさい」「無礼でしょう」などと言いながら、王女は連れて行かれた。

 キジャンと僕とアディは巻衣を着たままで、洗濯を兼ねた水浴びをした。

 水は冷た過ぎず、水滴は朝日に輝き、久しぶりに全身を清めるのは爽快だった。水から上がるとキジャンは長い髪をほどいて水気を切り、それから巻衣を脱いでしまって両手で絞った。僕はそれで、この美しい子どもが男の子であることを知った。


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「聖なる丘」は、沐浴場からさらに森を数分歩いたところにあった。打って変わって人気ひとけが無く、せわしなく鳴き続ける鳥の声しか聞こえない。

 小高いところに石造の神殿があり、その下には沐浴場があった。

「ここ、聖なる丘ブキッ・スチ。あれ、花園の神殿チャンディ・タマンサリ。それ、聖なる泉マタ・アイル・スチ

 キジャンは次々と指をさしながら、何でもない当たり前の物みたいに言った。

 しかし「花園の神殿」の名を聞いた瞬間、王女の顔に緊張が走った。無理もない。彼女は他でもないその神殿を訪れるために、ダラムに来ることを望んでいたのだ。

「花園の神殿」は、荒野で僕らが一夜を過ごした神殿とそっくりだったが、正面にぴったりとくっつくように竹造りの小さな家が立っていた。家の戸口からは竹の梯子はしごが斜めに降りて「聖なる泉」の前まで続いている。泉は村の沐浴場に似ていたがもっと狭く、青々と深く、朝の光は底まで届いていなかった。

 僕と王女とアディは、キジャンに導かれるままに梯子の下に来た。三人とも湿った髪のままで、僕とアディは腰に、王女は胸から下に巻衣サルン一枚だけを着て、短剣クリスを帯びていた。

 キジャンは飛ぶように梯子を駆け上がって、家の中に向かってダラムの言語で何か叫んだ。中から答えがあったらしく、キジャンは僕らを振り返り、手招きをした。

「カイヌウェラン様、話するよ」

 そう言うとキジャンは梯子からひょいと飛び降り、中に入るよう僕らをうながした。

 枝折戸しおりどのような竹編みの扉の中は薄暗く、あのお香の匂いが充満していた。いい香りなのだが、ここまで強烈だと体の中にまで匂いが染み込みそうで気持ちが悪い。

 一見普通の家のようだった。素焼きの壺や竹の籠などがそこらに置いてある。部屋の中央に囲炉裏があり、何もかも黒くすすけていた。

 しかし奥の壁だけは、竹ではなく全面が石造りで、彫刻を施された石の段の上に、神への供物なのか、果物や花などがきれいに積み上げられた籠が並んでいた。中央にある階段の上には、草花模様が彫られた木の扉がある。どう見ても、これは神殿の外壁だ。神殿の一部がそのまま家の中に取り込まれているのだ。

 囲炉裏の向こうには、小柄だけれどたっぷりと太った老女が座っていた。赤と黒の絣織イカットの巻衣を腰に巻いて、例のごとく上半身は裸だったが、じゃらじゃらと何十本も身につけた真鍮しんちゅうやガラス玉の首飾りがほとんどベストを着ているみたいに見えた。真っ白な髪は頭の上に高く結われ、色とりどりの花が山盛りに飾り付けられて、それもまた供物のようだった。

「あなたが大祭司カイヌウェラン?」と王女が尋ねた。

「カイヌウェランはカイヌウェランさ。大祭司なんて、ルアルの者が勝手に呼んどるだけだ」老女は、少し訛りはあったが流暢りゅうちょうに言った。「そろそろ来ると思っとったよ。あの子の妹だろう? 二人かがりで輿こしに担がれてきたあの坊っちゃんの」

「アングレック・イスカンダル・シャー王の妹、ラトゥ・ムダ・プトリ・グデ・ムラティ王女です」

「お嬢ちゃんは自分で歩いてきたんだね。足をお見せ。かわいそうに、痛むだろう」

 カイヌウェランはよっこらせという風情で重たそうに膝歩きをして、部屋の隅の小さな壺を取り、火傷をした王女の足に油のようなものを塗った。王女は一瞬だけ痛みに顔をしかめた。

「あんたはいい子だ。若くて、素直で、元気で、きれいで」カイヌウェランは笑った。「だから若い男前ふたりに守ってもらえる。うらやましいねえ」

「彼らはわたしの友人と、忠実な家来です」王女は眉をひそめた。「よく仕えてくれています。おかしな言い方をしないで」

「あたしが言ったのも冗談だが、お嬢ちゃんの言っとることもちょっと違うようだよ。今のあんたにゃ分からんかね。まあお座りよ」

 僕らは王女を真ん中に三人並んで囲炉裏の前に座った。

 カイヌウェランは壷を置いて巻衣でごしごしと手を拭き、足腰が痛いのか、小さくうめきながらもとの位置に座った。

「お嬢ちゃんと、外国人の兄さん。は会いたい人がいるんだね」とカイヌウェランは言った。「それでここへ来たんだろう?」

 僕と王女は思わず顔を見合わせたが、カイヌウェランは何もかも分かっているという風にうなずいた。

「会えない者と会う方法ウパヤは二つあるよ。『旅のウパヤ』と『連れ帰りのウパヤ』だ」

「カイヌウェラン、わたしは連れ帰りたいの。父上と、母上を。この国を救うために。そして彼は」と言って、王女は僕の肘に軽く触れた。「ミナミは、妹さんのいる自分の島に帰らなければならないの」

「まあお聞き。話には順番がある。何でもの思い通りになるとは言っておらんよ」

 王女が小さくうなずくと、カイヌウェランは話をつづけた。

「お嬢ちゃんは聞いたことがあるだろう、人間には九十九個の魂があるという話を」

「ええ。バティンには九十九の魂、ラヒルには一つのバダン。だから人間マヌシアには百の命があるって」

 人間には九十九の魂があり、それぞれが体の各部位や機能に宿っているのだとカイヌウェランは言う。例えば右手には右手の魂、左肩には左肩の魂、心臓には心臓の、性器には性器の魂がある。そして視覚の魂、味覚の魂、感情を高める魂、感情を抑える魂なども。

バダンというのは、魂によって、両親の体や草木や獣の肉を材料バハンにして作られるものだ。物に過ぎんからいずれ滅する。だが魂は生まれもせず、滅びもせん。たとえばあんたの――」と言ってカイヌウェランは、囲炉裏の炭を掻いていた竹の棒で僕を指した。「――その体にある九十九の魂は、かつて大勢の、たぶん九十九人の、別々な人間の体に宿っておったのだ。あんたが死ねば体は朽ち、子らや草木や獣のやしないとなる。しかし魂は散り散りに別れ、それぞれにまた別の魂とともに集まり、新たな材料を得て、新たな体を作る」

「生まれ変わりですか」と僕は尋ねた。

「そうとも言える。しかし一人が一人に生まれ変わるのではない。九十九人が一人に生まれ変わり、一人が九十九人に生まれ変わるんだよ。世界アラムに散らばった九十九の魂が、同じ組み合わせで再び集まって体を作ることは、まずあり得ん。普通はな」

「普通は?」と王女が聞き返した。

「まあお聞き。順に話さないと忘れちまう。まず『旅のウパヤ』について話させとくれ。これは要するに、現実まことを現実のままに夢に見る方法だ」

 カイヌウェランによると、そもそもミンピというのは、人が眠っている間に、いくつかの魂が体を抜け出し、様々な場所や時間や人を求めて「旅」をすることなのだという。夢の中ではしばしば聴覚が無かったり、色覚が無かったり、意識や五体が不完全だったりするが、それは、それらを司る魂が「旅」に出ずに体の中に留まっているせいだ。

は『夢香ドゥパ ミンピ』という物を知っておるだろう? あれは魂が体から剥がれやすくするための薬さ。そしてこの」と言って、カイヌウェランは大儀そうに石の壁を振り返った。「花園の神殿チャンディ タマンサリの石室で夢香を焚いて眠れば、九十九の魂のうち、心臓の魂以外の九十八が全て体を離れ、本心の赴くまま、時も場所も越えてどこへでも行くことができる」

「それが『旅のウパヤ』なのですね」と王女が言った。「わたしは亡き父母に会えますか」

「会えるさ。心から願えば、生きていようが死んでいようが」

「では、『連れ帰りのウパヤ』とは? 誰かをこちらに連れてくることができるのですか」

 僕が尋ねると、カイヌウェランは大口を開けて笑った。

「あんたにそれを聞かれるとはね」そして戸口の方を指さした。「『連れ帰りのウパヤ』はもう少し難儀だ。この神殿の前に池があったろう。『聖なる泉』だ。泉には底が無く、地下から大海に通じておる。その水面を夢香の煙で覆い、身を浮かべるのだよ。うまく行けば、求める相手と会うだけではなく、こちら側の世界に連れ帰ることもできる」

「人間を、ですか?」

「そうだよ。たとえばこのお嬢ちゃんの兄上が、あんたを連れ帰ってきたようにね」

「どういうこと?」王女が驚きに目を見張って僕を振り返った。「ミナミ、本当なの?」

「彼自身は知らんことさ。お嬢ちゃん、王は自分に代わってあんたの身を守ってもらうために、このミナミを遠い時代の遠い国から連れて来たんだ」

「どうしてミナミだったの?」王女は泣きそうな顔になった。「ミナミには大切な妹さんがいるのに。わたしのためにこの国に連れて来られてしまったというの?」

「理由は二つある。一つは、彼が若くして死んだからさ」

 僕は驚かなかったけど、王女がはっと息をむのが聞こえた。

「連れ帰ることができるのは、人生を終え、九十九の魂がばらばらになった人間だけだ。九十九の魂と、百番目の魂である体のさえそのまま引っこ抜いて来ればいい。大海の底で再び人間の形になり、幾日か後には島の浜辺に現れよう。これは生まれ変わりと言ってもいい」

 僕の左手に、いたわり励まそうとするかのように、王女がそっと右手を重ねた。驚いていないつもりだったのに、急に目頭に涙がにじんだ。

「やはり、元の世界で僕は死んだのですね」

「ああ。もし年を取るまで生きたのなら、あんたは爺さんの姿でここにいるはずだ」

 ならば茉莉をその方法でここに連れて来るわけにはいかない。おそらく夫も子も孫もいる年老いた茉莉をこんな異国に呼び出しても、ただ苦しめるだけだ。

「そしてもう一つ。王がこのミナミを手繰り寄せたのは、二人の間に特別なタリアンがあるからだよ」

 縁。僕は王が言ったことを思い出す。僕は王女の、もう一人の兄だと。

「お嬢ちゃん、何十年か後にあんたが死んでからの話だ。今その可愛らしい体に宿っておる九十九の魂の、全部とは言わん、半分以上が、百年後に遠い国でもう一度集まって、ひとりの女の子として生まれるんだ。これも生まれ変わりと言っていい。珍しいことだが、あんたにはアレクサンドロスイスカンダルの白い血の霊力サクティがあるからね」

「それが、僕の妹の茉莉なのですか」

「そうだよ。は、言ってみれば半分兄妹なんだ」

 もちろん王女は茉莉とは別の人間だ。しかし僕の左手に重ねられた小さな手の感触を、僕は幼い日の茉莉と重ね合わせずにはいられなかった。王女の右手の魂を、茉莉は受け継いでいるのだろうか?

「最後にお嬢ちゃん、これだけは言っておかなけりゃならん。気の毒だが、あんたの父母を連れ帰ることはできないよ」

 茉莉の手が、さっと冷たくなった。

「なぜです?」

「あんたの兄上にも確かめたが、ご両親の亡骸なきがらは、灰にせずに王都の墓廟マカムに置かれておるのだろう?」

「王族は火葬ガベンにしません。それがしきたりアダットです」

「では今この島に二人の魂を持ってきたらどうなると思う? 墓廟の棺にある亡骸に帰ろうとするだろう。言いたくはないが、一年以上経った亡骸だ。どんなことが起こるか分かるね?」

 王女はすすり泣き始めた。

「……はい」

「さて」とカイヌウェランは言った。「では『旅のウパヤ』を試してみるかね?」

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