ベッドで機関銃

夢月七海

ベッドで機関銃


 写真に写っているのは、ベリーショートのピンク色した髪の女だ。緑の瞳でカメラを睨み、その目尻の周りにはその耳に負けないほどのピアスがつけられている。

 その上彼女は、こちらに向かって舌を出して、中指を立てていた。ベタ過ぎて、二十年前の映画にも出てこないような不良娘の風貌だ。


 女の通称は「マーシー」。歳は二十を過ぎているらしいが、アメリカで三番目の規模を誇るラスタバン・ファミリーの専属殺し屋の一強を担っている。

 俺が所属するダビー・ファミリーのボスからの命令は、彼女の暗殺だった。


 近年、ラスタバン・ファミリーがこちらの縄張りに侵入、無許可で薬の売買をしていることが問題視されていた。

 度々話し合いによる解決をボスは求めてきたが、まったく改善されず、こちらから仕掛けることになった。穏便なボスが強硬手段に出るのは珍しく、よっぽど腹に据えかねていたのだろう。


 しかし、真正面からラスタバン・ファミリーと対峙するには、こちらの分が悪すぎる。

 そこで、卑怯だということは重々承知だが、裏から戦力を削ぐという作戦をとることになった。その最初のターゲットが、マーシーだったというわけだ。


 マーシーは、細身な体に似合わず、大型の銃器を用いるのを好む殺し屋だった。

 殺り方は大味だが、本人の警戒心はかなり強く、建物内にいるときは窓辺には寄り付かず、ホテルをとる時は窓にバリケードを作るなど、狙撃対策は十分すぎるほど行っている。


 現在、マーシーは仕事のために、ラスタバン・ファミリーのシマから離れている。そこから戻る国道沿いにある安モーテルに、俺は待機していた。

 マーシーがバイクで移動を始めたという情報が入った時間から計算するに、今夜はこのモーテルに泊まる可能性が高い。元々ここはダビー・ファミリーが大昔に買い取った場所であり、怪しまれないだろう。


 もちろん、マーシーがここに泊まるかどうかは賭けになってくるのだが……カウンターの奥の部屋で机に座りながら、俺は気を揉んでいた。

 と、音もなくスマホがメッセージを表示する。人払いのために立たせていた、受付の新入りからだった。


『赤毛の旦那、マーシーが来ました。部屋は、二〇二号室です』

『分かった。お前は帰ってもいいぞ』


 部下にはそれだけ告げて、やり取りを切り上げる。帰り支度を整えれば、玄関のドアに「Closed」の札を下げて、出ていくだろう。

 俺は、ヘッドホンを耳につけて、それが繋がった装置を操作する。マーシーが入った二〇二号室の盗聴器が拾った音が聞こえてきた。


 中の様子を探るために監視カメラを仕掛けるのが確実なやり方なのだが、カメラの視線に敏感な同業者は多い。

 加えて、俺は耳に自信があり、わずかな音からでも相手が何がしているのかが手に取るようにわかる。現在、マーシーは服を脱いで、シャワー室に行ったようだった。


 それから四十分後、ベッドの上の毛布が捲れる音がした。布が擦れる音も続いたが、それはすぐに止んだ。

 意外と早い就寝だったなと、十時四十三分を指した時計を見上げて思う。だが、こちらには好都合だ。


 それから十五分が経ち、そろそろ頃合いだろうと、俺は部屋を出た。

 持っているのは、スペアキーの鍵束とシグザエルだけだ。


 このモーテルは上から見ると「d」の形をしていて、丸の部分は吹き抜けになっている。北方向に長く伸びている東側の廊下の先は階段で、その下がカウンターだった。

 二〇二号室は、この階段を上がって、二つ目の部屋だった。コンクリート製の廊下を足音を鳴らさないように渡り、マーシーの部屋のドアの前に立つ。


 このモーテルのすべてのドアには、大人の顔の位置あたりに窓があり、その内側にはカーテンが備え付けられていた。二〇二号室のドアのカーテンは閉められているが、中の灯りはなく、真っ暗だ。

 鍵を差し込み、ゆっくりと回す。ドアを開ける際に物音を立てないようにする技術は、これまでの仕事で身に着けている。


 ドアを開けた先に窓が見え、そのすぐ隣がベッドだった。そちらに向けて、スライドをした銃を構える。

 しかし、俺の前に現れたのは、マットの方をこちらに向けて立ちふさがるベッドだった。


 一瞬、ありえない光景に思考が停止してしまう。マーシーはどこへ行った?

 ……そんな状態でも、ありがたいことに俺の耳は、真後ろで物音がするのを捉えていた。


 銃を構えたまま、後ろを振り返る。

 銃口の先、吹き抜けを挟んだ二〇二号室の真向かいの部屋の出入り口に立つのは、上下下着姿の――良く言えばスレンダー、正直に言えば幼児体形――のマーシーだった。なぜだが耳にインカムをつけ、両手で構えている獲物は、一発でヘラジカの首ももぎ取れそうなショットガンだ。


「盗み聞きなんて、感心しねぇーなー、赤毛サンよぉー!」


 マーシーが凶悪な笑みを浮かべながら、そう叫ぶ。引き金にかかった指が動く前に、俺は階段方向へと走りだした。

 あいつ、盗聴器に気付いていたのか……その上で、フェイクの音声を流して、惑わしてきたらしい。部屋内で待ち構えたり隠れたりしなかったのは、俺の予想を最も意外な形で裏切り、混乱させるつもりだったようだ。


 マーシーも走り出しながら、引き金を引く。

 俺が腰を曲げたので、先ほど頭のあった位置の壁に、穴が開いた。


 マーシーが弾を装填する間に、俺も彼女の胸をめがけて一発撃つ。

 その弾丸を、マーシーはショットガンの銃身で弾いた。


 ――驚いて目をひん剥いている場合じゃない。マーシーは二発目を構えている。

 足からスライディングをするように、壁の向こうへ滑り込んだ。轟音と共に、三秒前に俺の胸があった位置に穴が開いた。


 階段までの数歩の間に、思考を全力で回転させる。ここから逆転の手立てはないか。一度階段から降りて、マーシーを待ち構えるしかなさそうだ。

 そう決断して、三段降りた後に、背後から「なんだ?」というマーシーの声が聞こえた。


「……ボス? どうしたんだ、こんな時に?」


 どうやら、マーシーのインカムにラスタバンのボスから電話がかかってきたらしい。マーシーはこちらへ来る様子もないので、これは好機だと引き返してみる。

 丁度、マーシーの姿が二〇一号室のドアの窓に映っていた。壁の向こうでそれを観察すると、吹き抜けとの渡しになる廊下の真ん中で立ち止まり、ボスと話しているようだった。


 だが、マーシーのショットガンの銃口は前に向けられて、右手の指も引き金にかかっている。

 決して油断はしていないようだなと、俺もこの場を動かずに機を窺う。


 ふと、視線を遠くへ向けると、マーシーが珍しく、吹き抜けを挟んだ向こう側に窓がある位置で立っていることに気が付いた。

 あの窓の向こうから狙撃するべきだったなと、苦々しく思う。スマホを持っていない今は、部下と連絡を取る方法もなく、マーシーもすぐに移動するはずなのだが。


「……ああ、あのクソ野郎のことね」


 マーシーは面倒くさそうに電話口の、仮にもボスの言葉に返していた。

 内容はもちろん予測するしかないが、またしてもマーシーがファミリー内で問題を起こしたらしい。そういう噂は、よくこちらにも入ってくる。


「え? 殺した理由?」


 何やら、物騒なワードも聞こえてきた。

 まだ明らかになっていないだけで、ラスタバンは内部抗争中なのか?


「あたしの一存だよ。利益とかそういうのは関係ないね。ただの好き嫌い」


 いや、ただの勘違いか。内部抗争だったら、こちらの大チャンスだったというのに。


「だってさ、ガキがヤクやってるって、嫌いなんだよ。生意気で」


 マーシーが口答えをすると、電話口で怒鳴られたのか、非常に嫌そうな顔をした。

 なんとなくだが、話が見えてきた。うちの情報屋によると、ラスタバン・ファミリーのドラッグの売買ルートのうち一つが潰されていたらしい。主に未成年をターゲットにしたそこの売人を殺ったのは、マーシーだったようだ。


「ボス? もしかして、かなーり怒ってる?」


 マーシーが意地悪くにやにやしながら尋ねる。

 ラスタバンのボスの怒りもごもっともだ。歯止めの利かないガキ相手の商売は、他と比べてかなり儲かっていたのだろう。


 『もういい、もう、お前は十分だ』

 ――その時俺は、ラスタバンのボスの諦めきったような声の幻聴が聞こえた気がした。


「は? ボス?」


 一瞬だけ、マーシーの意識がインカムへ移った。

 俺はこの壁の向こうから飛び出し、こちらを見て目を丸くするマーシーへ、アメフト選手のようにタックルをかましていた。


 マーシーと共に、床へ倒れこむ。

 一拍置いて、ガラスが割れる音がした。確認はしていないが、吹き抜けの向こうの窓から、ライフルの弾が飛んできたようだ。


「おい! ボス! どういうことだよこれ!」


 マーシーが、インカムに向かって怒鳴る。

 俺が顔を上げると、目前にはショットガンの銃口が、そしてその向こうに怒りに燃えるマーシーの瞳があった。


「……なんで助けた」

「お前が誰かに殺されたら、俺に報酬が入らないんでね」


 おどけた調子で行ってみたが逆効果で、マーシーは無言で額に銃口を押し当ててきた。

 俺は観念して、正直な胸の内を明かす。とはいえ、自分自身何故こうしたのか、困惑している部分はあったが。


「裏切られて死ぬとか、一番みじめだろ」

「へっ、たいそうな信条だな」

「お前はこのままでいいのか?」


 今度は、俺がマーシーを睨む番だった。

 マーシーは、眉間の皺を一層深くする。


「ラスタバンのボスの残忍さは有名だろ。このまま逃がすと思うか?」

「……すぐに、ここへ何人か送ってくるだろうな」


 マーシーは観念したようにため息をついた。

 その目線が、俺の持つシグザエルに向けられたことに気付き、一度腰のフォルダーに戻した。


「あんたがあたしを狙ってきたのは、ラスタバンとドンパチやる予定だからか?」

「ああ」

「なら、ここで戦力を削ぎたいっていうのが、本音か」

「そうだな」

「よし。利害は一致した」


 マーシーがやっとショットガンの銃口を俺からずらしたので、俺は立ち上がる。

 マーシーも立ち上がり、今夜最初に対峙した時のような、不敵な笑みを浮かべた。


「ちょっと、手伝ってくんない?」






   ▲






 モーテルの看板に取り付けた監視カメラは、駐車場に滑り込んできた白い高級車の姿を捉えていた。

 そこからドカドカと、それぞれ銃を持った五人の男が下りてきた。鍵の掛けられたドアを破壊して、モーテル内に入ってきたのを、俺はスマホで眺めていた。


 同じ映像をマーシーも眺めているはずで、五人がモーテルの一階にいる時点で、二〇二号室の何かをバタンと倒した。

 隣からの大きな物音に、俺は顔を顰める。今更だが、余計なものを壊さないでほしい。


 男たちは、すぐさま物音の正体を見極めようと、階段をうるさく登ってきた。

 俺がカーテンの隙間から覗いていることに気付かずに、前方三人と後方二人の隊列を組みながら、二〇一号室を通り過ぎた。彼らの視線は、不自然な隙間の開いた二〇二号室のドアに注がれている。


 バタン! と扉が開け放たれると同時に、何かが廊下へ倒れこんできた。

 さすがはラスタバンの構成員。それが何か分かる前に、前列の三人が引き金を引いた。


 そのおかげで、縦になった状態から半回転してきたベッドが、穴が空けられたまま廊下で横倒しにされた。

 自分たちが撃ったのがただのベッドだと気づき、男たちは背中からでも戸惑いを滲ませている。


 そのため、二〇一号室の開いたドアを盾にして、しゃがんだ俺の存在など、全く意識にはない。

 俺は、後列の右側の男の胸を撃った。彼らが銃声を聞いて、振り返ったがもう遅い。


 二〇二号室からマーシーがベッドの上に躍り出て、仁王立ちのまま抱えたサブマシンガンの引き金を引いた。

 「パラタタタタタタ」という軽い音が鳴り響き、男たちは上半身から血を噴き出して、その体は踊っているようだった。


 ……明らかに五人とも絶命しているのに、マーシーは手を止めない。顔は上に向けて、恍惚としている。

 このオーバーキルに、俺はドン引きしていた。てか、持っていたのはショットガンだけじゃなかったのか。


 男たちが廊下の上に倒れこみ、ピクリとも動かなくなったころ、マーシーは満足したのか飽きたのか、マシンガンを撃つのを止めた。

 さて、ここからどうするのか。俺が緊張感をもって注視する中で、マーシーは拍子抜けするほどあっさりと、マシンガンを部屋の方へ投げ捨てて、ドカリとベッドの縁に座った。


「なあ、タバコ持ってる?」


 俺はホルダーに銃をしまってから立ち上がった。対峙しているのに敵意の無い相手を撃つほど、俺も落ちぶれてはいない。

 シャツの胸ポケットから煙草とライターを取り出して、血の海を渡り、死体の山を跨ぎながら、マーシーへとそれを投げ渡した。


 煙草を一本咥えて、火を点けるマーシーの隣に、俺も腰掛ける。

 よく死体を見ながら吸う気になれるなと、うまそうに眼を細めるマーシーに呆れた視線を送っていたが、俺も返してもらった箱から一本取りだした。


「男と二人きりでベッドの上にいるのに、寝ていないのは初めてだ」

「その『寝る』っていうのはダブルミーニングか?」


 俺の皮肉に、マーシーは小さな笑い声を漏らした。

 そのまましばらくは、二人して煙草を吸いながら黙り込んでいた。煙草が半分くらいになったタイミングで、「なあ」とマーシーが話しかけてきた。


「あんたんところの組織って、正直どうなの?」

「まあ、小さくって報酬はさほどだが、裏切る、裏切らないの話は聞かないな」

「なるほどね」


 マーシーはそれ以上言及しなかったが、ダビー・ファミリーに入ってくる心積もりだろう。

 そうなれば、俺が教育係兼監視役になるのか。そんな考えがよぎり、煙交じりの溜息をつく。


 マーシーはそんな俺に構わず、「そういえば」とこちらを真っ直ぐに見つめてきた。


「ずっと気になってんだけど、あんたって、なんで『赤毛』って呼ばれてんの?」

「……俺が、何でもこなせるから、殺り方に個性がないってことで、身体的特徴からそう呼ばれるようになった」

「そんな理由かよ! アホらし!」


 ゲラゲラと腹を抱えるマーシーは、そのままベッドの上にあおむけに倒れても、笑い続けている。

 ああ、あの時見捨てればよかったなと、俺は早くも後悔していた。










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