エピローグ


     × × ×     


 勉強部屋に鍵をかける。

 世界が内と外に隔てられる。


 わたしが差し出したワイングラスを受け取り、彼女は空間の中心に丸椅子を据えた。

 その痩せた肢体が存在感を放つ。蝋燭の灯に照らされた白ワインが、彼女の滑らかな肌を寂しげに彩った。


 わたしはベッドに横たわり、相棒に訊ねる。


「本当に行くの?」

「前から言ってる」

「新大陸に魔法学校を作りたいんでしょ。その挑戦は応援したいし、お金だって出してもいいよ。でもさ。別に今すぐじゃなくても」

「もう時間がない」


 わたしは答えに詰まる。

 それは晩年を迎えた自分マリーに対する当てつけか、と怒ってみせたところで互いに本心ではないし、何も噛み合わない。


 わかっている。

 わかっているけれど、お願いせずにいられない。


「最期まで一緒にいてよ」

「無理」

「ヨハンなら説得できたからさ。きっちり念書も書かせたし」

「ヨハンがエマを手放すわけない。何度言わせるの」


 彼女の語気から苛立ちを感じ取る。

 確信めいた物言いには何かしらの裏付けがあるのだろう。

 例えば、ふとした時に彼の心を読んだとか。

 あれだけ言い含めたのに、ヨハンは自分との約束を反故にするつもりなのか。

 くそう。


「マリーはワガママなお姫様。大切な友達の門出を祝えない。それともヨハンみたく便利な道具を手放したくないの?」

「イジワルな言い方だな! 単純に寂しいだけだよ! わかってるくせに!」

「やっぱりワガママ」


 彼女が白ワインを口に含む。

 もし木目の床から透明な紐が這いでて、彼女の脚を拘束できるなら、わたしは迷わずそうする。

 けれども、わたしには特別な力なんて使えない。

 だからといって衛兵を呼び、わたしの魔法使いを取り押さえるように命じれば、わたしたちは決定的に──ああ。


「どうしよう。どうしたらエマが傍にいてくれるのか、答えが出ないや」

「寂しいのはエマも同じ」

「なのに行っちゃうんでしょ」

「エマは結局奴隷だから」

「君をそんなふうには」

「あなたが手放なくしてくれないと、一生自由になれない」


 ワイングラスが空になる。

 彼女は両手の手首を合わせ、小さく手を握ってみせた。まるで手錠をかけられているかのように。

 そしてわたしの指先には、きっと透明な鍵があるのだろう。


「わかった」


 わたしは布団から起き上がり、彼女の手首に触れる。肌の表面が互いの温度を伝え合う。

 ほんのわずかだけど、気持ちも通じ合ったように感じられる。

 声には出さずとも、多分互いにわかっている。


 お疲れ様。

 ありがとう。


 いつか、また会おうね。

 行ってらっしゃい。


 別れの抱擁をひとしきり済ませ、勉強部屋を出ていく彼女の背中を見送る。

 もう二度と見られないはずの華奢な背筋をぼんやり見つめていたら、突然見慣れた顔が視界に入ってきた。


 赤茶毛の美しき乙女が、扉の前で仁王立ちしていた。


「ヒューゲルの魔法使い。唐突に祝宴を抜けたかと思えば、まさか脱走の算段を立てていたとは。許しがたいことだ」

「どいてモーリッツ。邪魔しないで」

「なにゆえそれがしに相談しなかった」


 モーリッツ氏の困ったような笑みに、すでに放たれていたエマの平手打ちがふわふわしたものに変わる。

 ぺちん。白い肌が瑞々しい音を立てるや否や、赤茶毛の乙女は頬に貼りついた手を指先で撫で始めた。

 エマの背中が小さく跳ねる。


「な……なんで手伝ってくれるの。ヨハンにバレたら大変」

「言わせてくれるな。某に任せたまえ。ヒューゲル家の宰相として、お前を公然とバルト海の港まで連れ出してやる。そこでお前は行方をくらませたらいい。大君陛下には気絶術を使われた、と言い訳しておこうか。相当怒られるだろうが、方便は得意中の得意だ。さながら神話のヘルメスのごとく」

「例えるの辞めたんじゃなかったの。衒学趣味ひけらかしが恥ずかしくなったとか言ってた」

「ああ、そうだった……全部お前のせいだぞ、魔法使いめ!」


 力強く握手を交わす二人。

 わたしに向けてさりげなくウインクしてくれたあたりに、モーリッツ氏の温かみが感じられる。

 少し理解が追いついていないけれど。

 彼が手伝ってくれるなら、もしかして──。


 赤茶毛の乙女が「少し待て」と言い残し、早足で大広間のほうに戻っていく。

 わたしとエマは……何というか、気まずいような面映ゆいような、絶妙な心境で見つめ合う羽目になった。


 やがて勉強部屋にモーリッツ氏と、おなじみの大商人がやってくる。

 シャルロッテ・スネル。彼女の胸元では六歳児のアルフレッド君が寝息を立てていた。母親のほうも眠そうに目をこすっている。


「もー。何なのドーラちゃん、急に呼び出して……この子、眠っちゃうと石になるから、抱っこがしんどいのよ。もうベッドに入らせてほしいわ……って! これはこれは大君御台所のマリー様!」

「その気持ち、よくわかるわ。やたらと重たくなるわよね」

「ははあ、寝巻姿でも美しゅうございますれば、まさしく眼福の至りで! 不肖シャロ、商談にも気合が入るというもの! さて、何用でございますか!」

「低地の大商人、お前に船を用意してもらいたい」


 わたしの足元で跪くシャルロッテに、モーリッツ氏が話しかける。

 シャルロッテの反応はよろしくない。たぶん彼女としては船主との取次などは美味しい役目ではないのだろう。


「何をどこに運ぶのか、教えていただけるかしら」

「新大陸に魔法使いを一人だ」

「それは……キーファー家の追っ手を撒いてほしいなら、船を選ぶことになるわ。うちのホルガーに腕利きの船長を探してもらわないと……むむむむ……」


 低地の大商人が悩ましげに唸り始める。

 ここはわたしから背中を押してあげたほうが良さそうだな。


「手間をかけます。どこぞのワガママな魔法使いが、新大陸の故郷に魔法学校を作りたいと言い出しまして」

「詳しく教えていただけますか!?」


 あっ。スイッチ入れちゃった。

 シャルロッテは胸元から手帳を取り出し、目をキラキラさせながら、わたしたちの説明を待っている。

 こちらが言葉に詰まっていると、彼女は独自に計画を立て始める始末。


「新大陸では村の長老が能力を見出し、選ばれた子供に魔力の扱いを学ばせると言われていますが! その手法を手に入れることができたならば、わ、わたくしたちは魔法使いを生み出し・管理し・利用し・売り出し、ば、莫大な利益が!」

「バカなの」

「お願い、お願いよ、お願いですから! エマさん、いやエマ様! 何卒わたくしめに魔法学校の運営をお任せくださいませ! その暁には、あなた様に七つの海を献上差し上げますれば、これは本気で実現性が!」

「侵略者の奥州ヨーロッパ人に一枚噛ませるわけないでしょ」

「そんなあ!」


 エマの宣言にシャルロッテが愕然としている。

 しかしタダでは転ばないのが彼女であり、手元の手帳には『新大陸の穀物流通を独占する』と新たな目標が刻まれていた。

 なるほど。魔力の源であるカロリー=穀物の権益を握ることで魔法学校を間接的に支配しようとしているのか。相変わらず商売における発想が邪悪すぎる。


 エマ先生がシャルロッテの支配から逃れられたらいいけど。

 残念ながら、そこまで見届けられそうにない。


 そのかわり……エマにはわたしの「さよなら」を見届けてもらえそうだ。

 彼女は居並ぶ面子に向け、高らかに宣言する。


「エマの学校は新大陸の力になる。もう同胞を奴隷になんてさせない。

 大西洋の歪んだバランスを整える。

 二度と見下されない。

 エマが作る『イノー=ジュンイチ記念魔法学校』は、きっと歴史に名を刻む。後世に語られる学校になる。教科書にも載るんだから!」


 自信にあふれた彼女の姿が、わたしの心に焼きつけられた。




(二十五年契約公女・十五年戦争編 完)










 終わりました。完結です。

 当初は三万字の予定が二倍以上になってしまいました。

 そのぶん気合の入った内容にはなりました。


 本編同様、お付き合いいただいた読者の皆様に感謝申し上げます。


 2023年4月1日 生気ちまた

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二十五年契約公女 生気ちまた @naisyodazo

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