懺悔とありがとうと、キスとサヨナラ
陽子のものと思しき不思議な声は、依然として頭の中に響いてくる。怖くはないけど、よく分からない不安があった。そう言えば来る前に陽子は、大事な話があると言っていたけど、それはいったい……
――ここは海の中でも、想いが集まる特別な場所だから。だから海斗も、私を感じることができるの。そして……ごめんなさい。私、謝らなくちゃいけないことがあるの……。
次の瞬間、頭の中に映像が浮かんできた。
現れたのは、楽しく海で遊んでいる男の子と女の子。あれは……昔の俺と姉貴だ。
――毎年夏になると、いつもこの海に来る、仲良しの姉弟がいたの。毎日楽しそうに遊んでいるのを見て、遠くから見ていた私は、一緒に遊びたいっていつも思ってた。だけど、人間とは話しちゃいけない、それが掟だったから……。
人間とは話せない? 陽子が何を言いたいのかは分からない。そして、映像はさらに続く。
――三年前のあの日、私はこの場所で、あの姉弟が溺れているのを感じたの。掟はあったけど、いてもたってもいられなくなって、二人の所に駆け付けたんだけど。男の子の方は意識が無くなっていて。そして女の子……茜は私を見てこう言ってきたの。弟を……海斗を助けてって。
茜……一度も話したことのない姉貴の名前を、陽子が知っている。
三年前の記憶が思い出される。俺は姉貴と一緒に溺れて、意識が飛んで、気が付けば浜に打ち上げられていたんだけど……。そうだ、あの時俺は助けられたんだ。
――私の力じゃ、二人いっぺんに運ぶことはできなかった。海斗を浜に運んだ後、すぐに茜の所に戻ったんだけど、その時はもう……。ごめんなさい。私がもっと急いでいれば茜は助かったのに、海斗も傷つかずにすんだのに……本当にごめんなさい……。
頭の中に流れていた映像が徐々に薄れていく。
目に映るのは、さっきまでと変わらない、元いた入江。
そしていつからそこにいたのだろう。目の前には、今にも泣きそうな顔をしている陽子がいた。
――ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……。
信じられない気持ちで一杯だった。
頭の中に響いてくるのは、懺悔の声。陽子はずっと、あの日の事を後悔していたんだ。姉貴を助けられなかったことを。私のせいで死んでしまったんだって、自分を責めながら。
陽子、だから俺に、声をかけて来たのか? あの事故の事がトラウマになっている俺を見て、罪滅ぼしをしたいとでも思ったのか?
――ごめんなさい、ごめんなさい、ごめ……!
繰り返し謝ってくる陽子を、有無を言わさずに抱きしめる。何がごめんなさいだよ。勝手に謝ってるんじゃねーよ!
「なに自分のせいみたいに言ってるんだよ。違うだろ、陽子は姉貴を助けられなかったんじゃなくて、俺を助けてくれたんだろうが」
――海斗……。
「陽子、どうして俺に泳ぎを教えるなんて言ったんだ? よく分かんねーけど、俺と話していいのか? 掟があるんだろ」
――泳ぎを教えたのは、海斗にもう一度笑ってほしかったから。この町に戻ってきた海斗の様子を海から見ていたんだけど、酷く傷ついているみたいに思えて。前はあんなに楽しそうに泳いでいたのに、もう見ていられなくて。だけどまた泳げるようになったら、また笑ってくれるような気がして……。
陽子の言っていることは正しい。俺はあの事故の事を引きずっていて。だけど陽子と一緒に泳いでいるうちに、過去を振り切ることができた。
「ありがとな、陽子。けど、もう大丈夫だから陽子のおかげで、また泳げるようになったんだ」
――でも私、茜を助けることはできなかった。
「けど、姉貴の最後の頼みを聞いて、俺を助けたんだろ。姉貴だって、ありがとうって言ってるよ」
――海斗……。
抱きしめていた陽子を放すと、今度は頬に手を触れて。目を瞑ってそっとキスをした。柔らかな感触があって、目を開くと赤い顔をした陽子がいる。
「……嫌だったか?」
慌てたように、フルフルと首を横に振る陽子。だけどふと切ない顔になって、じっと俺を見る。
――ありがとう海斗、大好きだよ。でも……もうお別れ。
「ああ。俺も明日にはもう、帰らなきゃいけねーしな……」
――ううん、そうじゃないの。もう二度と、海斗と会うことはできないの。だって私は……。
次の瞬間、陽子は唐突に俺に背を向けて、海の中へと潜っていった。
「陽子!」
慌てて俺も海へと潜る。なんで……どこに行こうとしてるんだよ、陽子。
だけど海に入った俺は、それを見て思わず水を飲み込んだ。水中を泳ぐ陽子の足は、人間のものではなくて。綺麗な鱗の生えた……魚のものだった。
陽子! 陽子!
泳いで追いかけたかった。だけど水を飲んだ苦しさには耐えられなくて、俺は慌てて海上を目指すしかなくて。それでも陽子からは目を逸らせずにいると、こっちをふり返って、小さく手をふってくる。それは手話に詳しくない人でも分かるような、簡単なサイン。その意味は……。
――さ・よ・な・ら……
陽子が手をふると同時に、頭の中に悲しげな声が響く。
まるで泣くのをこらえているような淋しそうな笑みを浮かべる、人魚へと姿を変えた陽子。それが、彼女の姿を見た最後。
陽子は俺に背を向けると、海の奥へと泳いで行く。
慌てて手を伸ばしたけど、それはただ水をかき分けるばかりで、陽子に触れることは叶わなかった……。
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