【番外編】カラスが鳴いたら、おうちへ帰ろう 弐

「カラスのお兄さんがアタシたちを呼ぶなんて、珍しいね」


 夕暮れを背にして大小の影が二つ、並んでいる。

 赤と茶色の影はやがて刹那達のいる場所へと近づき、刹那の連れた二人組にも挨拶をする。


「えっと、こんばんは?」


 一人……令一は戸惑いながらも挨拶をするが、紅子は素早く刹那の連れた二人組を見やると訳知りげに頷いた。


「……なるほど。刹那さん、まだ〝目的〟は見つかってないのかな」

「ああ、俺の兄弟が探してくれてるんだけどな。どうも難航してるらしい」

「え、どういうことだ?」

「おにーさんは女の人の相手でもしてれば? それで鼻の下でも伸ばしてればいいよ」

「ちょっと、紅子さん! なんてこと言うんだよ! 誤解だ! 誤解だから引かないでください! 俺はそんなことしないし、紅子さん一筋……いや、なんでもないぞ。今のは聞かなかったことに!」


 紅子は令一の言う通りに聞かなかったフリをすると、刹那に視線で訴える。もっと相応しい人選があったのではないかと。


「絵描きの子には、多分アル殿が連絡してくれるだろうさ」

「行き当たりばったりなの? まったく、カラスのお兄さんも大概お人好しだねぇ。あー、カラスが好い? いや、違うか」

「形容に迷うんなら人間基準でもいいぜ? 俺としちゃあ〝爪を立てないカラス〟って言われるほうが嬉しいが」

「怪異によってそのへんの例え話って違うもんだねぇ」


 一人と一羽で会話していると、いよいよ日が沈み始める。

 令一はやっと誤解を解けたようで、男の子にリンを使って腹話術もどきを披露している。


「ありゃ、おにーさん。女の人はいいの?」

「しまいには怒るぞ紅子さん!」

「……」


 紅子からの「どうにかしてくれ」という視線が、刹那に突き刺さる。

 刹那は静かに首を振った。諦めろ、と。


 カア


 一羽のカラスが刹那の元へやってくる。


「お、見つけたか」

「時間を稼げたようでなにより」

「え? どういうことだよ」


 一人だけなにも分かっていないらしい令一を置いて、刹那と紅子だけで話が進んでいく。


「さて坊主、祭りだ。祭りの会場は少し遠いらしくてな。こっちにおいで」

「ま、待ってください。やっぱりお祭りなんて……そんな、危ないわ」

「へーきだよへーき。これだけ大人がいるんだから、問題はねぇさ。ちゃんと見てりゃいいんだろ?」

「お姉さん、アタシも見てるからさ。大丈夫だよ」


 僅かに抵抗の意思を見せる女性を刹那が説得するように言い含め、同性のよしみで紅子も女性へ声をかける。


「そ、そうかしら」


 どうやら、紅子の声かけが功を制したようで、女性はおどおどと心配そうにしながらもついていく様子を見せた。

 どうやらこの女性は〝お祭り〟を危ないものだと思っているようだが、刹那は「ま、最近は祭りでの事故もあるっていうしな」と一羽納得している。

 綿菓子を持ったまま走るなど以ての外だ。


「さ、アタシと手を繋ごうか」

「うん!」


 紅子と男の子が手を繋ぎ、刹那は女性の隣を歩く。

 令一はがくりと項垂れながら、手を繋いだ紅子に合わせて子供を挟むように歩くことにしたようだった。空気を読んだというより、ヘタレただけともとれるその行動だが、紅子は今回ばかりは満足そうに目を細めた。

 刹那、女性。そして紅子、子供、令一の組み合わせである。


 カア、カア、カア


 カラスが先導するようにくるくると回る。

 刹那と女性が先を行き、子供を挟んだ紅子と令一がその後ろを歩く。


 やがて、あぜ道に差し掛かったあたりで子供がなにかに気がついたように紅子の手を引く。


「いや、あっち、いや」

「目的地はあっちなんだよ」

「おい、この子どうしたんだよ」

「気にせず行くよ、令一さん」

「はい」

「ついでに、キミもこの子と手を繋いでね。令一さん」

「分かった」

「いや!」

「嫌がられても手を繋いでね、令一さん」

「ぐうっ、滅多に呼んでくれないのにこういうときばっかり名前で呼ばないでくれよ……やるけど!」


 扱いやすいことこの上ない令一に指示を出しながら紅子は溜め息を吐く。

 この期に及んでお兄さんはまだ気づかないのか、と呆れながら。


「せっちゃん!」

「お待ちしていました」


 遠くに大きく手を振る赤髪の人影と、スケッチブックを持ってこちらを見やる女性の姿があった。

 羽飾りのついたカチューシャを揺らし、最後の仕上げに入ったのかしゃがみこむ女性……秘色ひそくいろは。彼女は挨拶もそこそこに背を向けてまたスケッチブックに描き込み始める。


「え……」


 大きくなった子供の抵抗に四苦八苦しながら令一が声を漏らす。

 秘色いろはがこの場にいる意味。そして、アルフォードがこの場にいる意味を知って。


「いやー! やだー!」


 いよいよもって子供が逃れようとする力が増していく。

 ぐずりだし、子供らしくジタバタと足を踏みならしながら。


「あ、れ……?」


 刹那に連れられて女性がその場所に連れて行かれる。

 あぜ道の、その奥には……血痕が広がっていた。


 カラスが導くその場所に、あるもの。


 それは、子供の遺体――






「わ、たし……?」


 ――ではなく、女性と全く同じ姿をした人間の遺体だった。


「はなせー! はーなーせー!」

「ど、どうなって」

「おにいさん、絶対離さないでよ? もしかしたらアタシも狙われちゃうかもしれないからね」


 令一が両手で子供を押さえつけにかかったのは、その言葉がかかってから秒の世界だった。


「せ、刹那さん! 紅子さん! これ、いってぇ! 噛むな! 噛むな! 危ないって! 狂犬じゃねぇんだから! くそっ、これ、どういうことなんだ!?」


 手に噛みつかれた令一は歯を食いしばりながら耐えている。しかし、その噛みつかれた場所に穴が開くほどの力で噛みつく子供の勢いは止まらない。

 その視線は既に人のそれではなく、白目が反転して黒く染まり上がり、黄色い眼が怪しく光っている。


 そんな子供を、もはや気合いと根性だけで押さえつける令一は傷だらけだ。


 しかし、いくらアルフォード達が近くにいるとはいえ、紅子に「狙われてしまうかも」などと言われていては、令一にこの子供を離して他に任せるなんていう選択肢はなかった。


 未だ混乱の極みにある令一の元へ、アルフォードが近づいていく。


「せっちゃん、お疲れ様! 災難だったね? あ、せっちゃんにとっては人助けだから災難ではないのかな。でも、お疲れ様。令一ちゃんもね!わざわざ押さえてくれてありがとう!あとでちゃんと治療するからね」

「困ってなくても、連れてかれそうな魂を見たら気になっちまうからな。報酬は情報で頼むぜ、アル殿」

「ブレないなぁ。分かった。もっと広範囲で探してみるよ……わあ、令一ちゃんは凄いなあ。そいつの力は強いだろうに」


 そこで、やっと子供がアルフォードを見据えた。


「げっ」


 子供らしからぬほどに表情を歪めて。


「ジャック・オー・ランタン。悪魔との契約で地獄に落ちないことが確約されたものの、悪行が過ぎて天国に行くこともできず、地上を彷徨い続ける灯火。道案内と称して善良な人を道に迷わせる妖精、だね」

「……」


「考えたね。人の命が潰える時、あの世への道が開かれる。善人が死ねば天国への道がほんの僅かに見える。そのときに、お前は本来逝くべき人間を押し退けて無理矢理その道に入ろうと思ったんだね」


 淡々とアルフォードが告げる罪状。

 その背後では、いろはに遺体を弔うように描かれて逝くべき場所へ導かれる女性の姿があった。

 令一の手を穴だらけにしながら噛みつき、女性のいる場所へ向かおうとするその姿は醜悪そのものである。


「で、でもジャックランタンって言ってもカボチャ頭なんじゃないのか?」


 令一が涙目で痛みに悶えながら、言葉を絞り出す。


 紅子はとっくに手を離していた。

 幽霊である紅子が最初に手を繋いだのも、女性ではなく子供を相手して、令一に女性の相手をさせようとしたのも、全て自身を囮に使ってのことだった。


 勿論、刹那はその意図をきちんと理解していた。

 知らぬは令一ばかりなり、ということだ。


「今はカボチャのランタンが主流だけど、昔はカブでランタンを作ってたんだよ。知らない?」


 アルフォードが優しく問いかけるが、令一はあいにくそんな知識を持ち合わせていない。

 もはや子供と呼べないその存在は、暴れるだけ暴れてもやはり……〝白いフード〟でてるてる坊主のように見えた。


「カブ……なるほどな。というか紅子さん! また無茶してるんじゃないか!」

「気づかないおにーさんが悪い。せっかくアタシがこいつから遠ざけようとしてあげたのに、気づかないんだもん。このニブチン」

「それは……悪かったけどさ……」

「刹那さんは気づいてたのにねぇ」

「おっと、こっちに飛び火するのはよしてくれないか?」


 苦笑いしながら刹那は行方を見守る。

 女性は紫苑の花となって散り、空へ吸い込まれるようにして消えていった。無事に成仏できたようである。


「お逝きなさい……終わりました」

「いろはちゃんもありがとね! いやあ、突然呼び出してごめんね!」

「いえ、仕事ですし」


 いろはは淡白に答えてスケッチブックを仕舞う。


「じゃ、あとはオレが処理するよ。お疲れ様。解散! あ、せっちゃんは報告書と新聞持って後で店のほうに来てね!」

「承知した、アル殿」

「さ、行こうかお兄さん。傷の手当て、してあげる」

「いいのか? ……ありがとう、紅子さん」

「いいよいいよ、アタシだって先に逃げたし」

「あ、それなら店においでよ。店の治療薬勝手に使っていいからさ。その傷はちゃんと処理しないとあとで大変だよ」

「助かるよ、アルフォードさん。じゃあ、お兄さん、一緒に行こうか」

「ああ、ありがとう」


 ズルズルとジャックランタンを引きずっていくアルフォードと、距離を開けて彼に着いていく二人を見送りながら。刹那は飛び立つ。数時間は遅れてしまった新聞を届けに。ついでに報告書を店で書こうと思いながら。


「よお、兄弟。今日はありがとな!」


 カア、カア


 迷子は帰るべきところへ。逝くべき場所へ。

 そう、カラスが鳴いたならば……それは〝帰宅〟の時間なのだから。

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