ゆっくりのおまじない
電話が、鳴った。
「はい、もしもし……」
沈黙。男は訝しげに首を傾げて電話を切ろうとして……その小さな声に手を止めた。
「もしもし、あたしメリーさん。今
電話が切られ、再びその場所に沈黙が落ちる。
男は非常に煩わしそうに電話を置くと、そばにあった小瓶を盛大に倒して慌ただしくそれを片付け始めた。誰もいない教室内。その教卓から落ちたにも関わらず、僅かにしか零れ落ちなかった中身を回収して小瓶に戻す。
そうこうしているうちに、再び電話が鳴った。
「なんだよ、おれは眠いんだ……早く終わらせなきゃいけねーのに……」
「もしもし、あたしメリーさん。今角のタバコ屋さんのところにいるの。絶対に待っていてね」
ガチャン。電話が切れる。
教室内の机を借りて顔を伏せた男は、眠たげに瞼を落とし……そして目を瞑り……再び、着信音で目を覚ました。
「いい加減にしろよ!」
「もしもし、あたしメリーさん。今
五分と経たずに迫ってくる何者か。
それに対して苛立つ男は己のスマホを叩きつける気力も出ずにダラリと腕を垂れ下がる。もう眠気は限界に達していた。
今にも目を瞑りそうになる男のスマホが震える。
男は着信に反応することができずに視線を落とすことしかできない。
怠くて、眠くて、そして気力もなく、彼は机から起き上がることもできずに微睡みの中にいた。
すると勝手に電話が繋がり、突然大音量の別の男性の声らしき絶叫が響き渡る。
これには微睡んでいた男もハッと目を覚ましてしまい、起き上がって「うるせー!」と文句を言った。
不思議と、現実でも絶叫があったように彼の頭はワンワンと頭痛を訴える。
「もしもし、あたしメリーさん。今職員室の前にいるの。もうすぐよ、待っていてね」
そして一方的に繋がった電話は、また一方的に切れた。
「なんなんだよ」
数分の間が空き、すっかりと目を覚ましていた男は再び眠気に襲われていた。
誰もいない教室内、静かな教室内。そんな静けさを壊すように着信音が鳴る。
「なんで、電話とかしてくるんだよ。お願いだからもうやめてくれ」
「もしもし、あたしメリーさん。今あなたの後ろにいるの」
声は、電話口と背後から同時に聞こえていた。
「なっ」
男が振り返る。
そこには、小学生くらいの女の子がにっこりと微笑んで浮かんでいた。
四月でまだ早いと思われる麦わら帽子を被り、淡い青色のワンピースを着た少女が、微笑んで彼の懐へ、そっと入り込む。
「待っていてくれて、ありがとう先生。あたし、先生を呪いに来たの」
「なんだよ……なんでお前までおれのことをそんな風に言うんだ……! おれはなにも悪くない、悪くないだろう!? どうして責められなくちゃいけないんだ! どうしておれが教員をやめなくちゃいけないんだ……! お前までおれを恨むのか……!?」
男は少女を引き離そうとするが、少女は離れない。
少女――メリーさんは儚く微笑んで、彼に擦り寄るとその額に小さな小さな唇を押し付けて囁いた。
「せんせーは、ゆっくりゆっくり死ぬ呪いにかかりました。ゆっくり、ゆっくり、いつ来るかも分からない死に怯えて、まだまだ生き続けるよーに!」
男は目を見開き、少女を見つめる。
「お前……」
「先生、眠っちゃいそうだったの。だからあたしが起こしてあげたの。寝坊助さんな先生はもっともっと苦しむべきなの。だからまだまだこっちに来ちゃダメなの」
男が驚愕に後退る。
腕が机に当たり、また小瓶が床に落ちた。
今度は小瓶ごと割れて中身が散らばる。
――そう、残り少なくなった睡眠薬が。
「先生、笑って? あたしにしてくれたみたいに」
「……こうか?」
「へったくそー」
「ごめん、ごめん……ごめんな」
「いーの、あたしメリーさん。先生が大好きなメリーさん。懲りずに変なことし始めたら、きっとまた起こしに行ってあげる」
男はすっかりと目が覚めていた。
そんな彼の前で、徐々に少女の姿が薄れていく。
最後に手を振って、「バイバイ」と声をかけて。
彼はそんな少女に手を伸ばそうとするが、すり抜けてしまい虚しく差し伸べられた手は空を切った。
「おれは、おれは……っ」
学校で自殺を図ろうとしていた教師は一人教室に佇み、涙を流す。
登ってきた朝日が、窓から差し込んで彼を照らしていた――。
◆
「これでよかったのかな? メリー」
「うん、満足」
「……」
「お兄さんなに泣いてるの?」
俺達は経過を見守ったあと、高校の裏手側に回って話していた。
俺自身といえば、さっき見た光景のせいで涙が次から次へと溢れ出てきてしまい、紅子さんに呆れた目を向けられている。
「だ、だってさ。健気なんだなって、思ったら……」
「まあ、今回はちょっと特殊な依頼だったかもねぇ。〝やりたいことを見守っていてほしい。もしかしたらお手伝いをしてもらうかもしれない〟だなんて」
そう、今回の依頼は目の前の青いワンピースを着た少女こと、メリーさんからの仕事の依頼だったんだ。
内容はさっきの通り。
『自殺を図ろうとしている恩師を助けたい』
と、いうことだった。
方法は彼女、メリーさんの分け身である
睡眠薬を大量に飲んで死のうとしている恩師を、そうして目を覚まさせながら時間を稼ぎ、最終的には死ぬ気をなくすために呪いという名前のお願いをするというものである。
最後のほうで電話に出なくなった彼に焦り、芽衣ちゃんにスピーカーに向かって全力で叫べなんて言われたときはどうしようかと思ったが、上手く彼が目を覚ましてくれたようでなによりだ。
「じゃあ、アタシ達はもう行くよ」
「今日はありがとなの」
「いやいや、こちらも勉強になったよ」
会話を切り上げると、メリーさんはそのまますうっと透けて消え、いなくなってしまう。救った彼の様子を見に行ったのかもしれない。
「紅子さん、なに見てるんだ?」
「ん? ああ、いや……ちょっとね」
高校を目の前にして、紅子さんはどことなく懐かしそうに目を細めて眺めていたと思うと、首を振って手を自身の首に触れさせる。
包帯越しにあるであろう、その傷跡。
無意識なのだろう、その行動に俺は目を惹かれていた。
「どうしたの? お兄さん。早く帰るよ?」
「……あ、そうだ。忘れてた。ちょっと待ってくれ紅子さん」
俺はそう言って鞄から駅前で事前に買っていた小さな花束を高校の前にそっと置いた。
「なにやってるの?」
「なにって、ここで亡くなった人がいるんだろ? あの芽衣ちゃんは違うけどさ、そう聞いたからにはこれをしとかないとって思って」
俺は依頼を受ける際に、アルフォードさんからこの高校で亡くなった人がいると聞かされていたんだ。花を手向けろなんてことは別に言われていないが、なんとなくやっておくべきだと思ったのだ。
「誰が亡くなったのかは調べたの?」
「いや、調べてないよ。なんとなくそうしたほうがいいと思ったから花束を買ってきただけだ。なんというか……勘? みたいな」
「変なおにーさんだねぇ」
紅子さんはどことなく嬉しそうに微笑んで、俺に並んだと思うと、一緒に手を合わせた。俺ももちろん、手を合わせて目を瞑る。
ここで死んだ人が、安らかに眠れますように。
もしくは、死後どうか幸せになれますように。
それは細やかな願い。
目を瞑って祈っていた俺には、紅子さんのどこか切ないような、儚いような、そんな風に紅い瞳を細める彼女を見ることなど、とうとうなかった。
それは早朝――四月二日の出来事であった。
◇
四月二日は紅子さんの命日でもある。
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