其の八「黒い翼の囁き」

 この間、あの子が大きくて怖い動物に連れ去られそうになった。

 アリシアが言うには、あれは 『車』 という生き物らしい。

 ボクはあの子が心配で心配でしょうがなかった。

 病院とかいう怖い場所にあの子も行かなくちゃならなかった。いつもボクを病院に連れて行くあの子が病院に。病院に行くのは嫌だし、ちょっとはボクの気持ちも分かってくれないかなと思ったけど、木を登ってあの子のいる場所を眺めてみたら、随分といい扱いを受けてた。

 アリシアはボクを見つけて、窓を開けてくれた。

 入るのはダメだと言われたけど、間近にあの子を見られて嬉しかった。

 でも、アリシアは怖い顔をして言った。


「これ、ジェシュと同じ……」


 ボクとなにが同じなんだろう? 

 病院に行ったこと? 少なくとも、ボクは滅多に怪我なんてしないし、あんな大怪我したこともない。

 迷子になったときも、途中で居眠りしてたらあの子が大泣きしながらボクを鷲掴んだっけ。あれは痛かったな。

 でもあの子のほうが年上だから、我慢。ボクは弟なんだってさ。

 正直あの子といるより家でゴロゴロしてるほうが好きだし、外で歩くのも一回しかしたことないけど好きだ。


 ああ、でも、あの子が病院に住むならボクは誰からご飯を貰えるんだろう? 

 アリシア? それともママさん? パパさん? 

 うーん、でも…… やっぱりご飯係はあの子がいいなあ。


 家が寂しい。

 家は好きだけど、ボクが好きだったのは、きっとこの家じゃない。

 ボクが好きだったのは、多分あの子のいる家なんだろう。

 早く治さなくちゃ。


 ボクは日が沈んでまた登って…… 10回目の日、また病院の木に登ってあの子を眺めてた。

 日に日に暗い顔をして、自分の怪我した場所を見ながら怯えているみたいだ。


 なんとかしてあげたいな。

 早く帰って来てほしいな。


 そうやって一日中…… たまにスズメを追いかけながら病院のいつもの木の上にいたら、カラスが隣に来た。

 カラスは嫌な奴だ。嫌味を言ってきたり、人間の悪口を言う。

 でも今日やって来たそいつは、なんか他とは違った。

 変な笑い方だし、なんか気持ち悪い。

 でもそいつが話したことには興味があった。


「あなたは化け猫になっていますよ、子猫さん」

「子猫じゃない。ボクはもう二歳だ。立派な大人だよ」

「くふふ、なら私はおじいちゃんでしょうか。けれど、あなたは若くにしてすでに化けられるようになっています。突然のことで驚くと思いますけど、ほら、尻尾をご覧なさい」


 ボクの尻尾は一本だけ。そんなの当たり前だろう? 

 なのに、そいつが言うように見たら、隣にもう一本…… うねうねと似たような尻尾が生えているのが見えた。

 それを見てボクは 「うわっ、ばっちぃ」 と前足で二本目の尻尾を叩く。

 カラスは 「ばっちぃ…… そうですか、汚いですか、傷つきますね」 と変なことを言っていた。なんでお前が落ち込むんだよ。


「…… ごほん、ところであなたのご主人様のことですが」


 その話題は聞き捨てならなかった。

 あの子が、なに? 


「時期に、死ぬでしょう」

「えっ…… ?」


 ボクが理解してないと思ったんだろう。

 カラスは溜め息を吐いて 「いなくなるということですよ」 と訂正した。


「それを止めることはできません。一度、入れ替えてしまいましたからね」

「なに言ってんの?」


 変なことを言うのはよしてほしくて、ボクはカラスを引っかこうとした。

 でも一段高い枝に飛び移られて逃しちゃった。


「そういう、運命ですからね。ただ、あの少女を生かし続ける方法がないわけではありません。ずっと一緒にいたいでしょう? あの子でなければ、満たされないでしょう?」

「…… ずっと一緒」


 ずっと一緒にいられたらな。

 あの子のいない家は、ボクの家じゃない。

 アリシアは優しいけど、ボクのためじゃなくてあの子のためにボクをお世話してくれている。

 なんだかそれは寂しくて、嫌だった。


「それ、本当?」

「ええ、本当です」

「教えてくれるの?」

「ええ、もちろん。私は親切なカラスですからね」


 カラスは言った。


「夢の中に閉じ込めてしまえばいいんです。そうして、あなたも夢の中に飛び込んで行けば、ずっと一緒ですよ」


 そう言われた途端に、頭の中がぐちゃぐちゃになって、まるで…… そう、まるで作り変えられるように整理され、思考がクリアになり、ボクは二度目の生まれ変わりを経験したようだった。


 二つ目の魂は人語を理解させ、三つ目の魂は夢に入る術を教えてくれた。ボクの中で暴れる赤い赤い触腕がそれすらも食い荒らし、四つ目の魂で制御の方法を学習する。

 五つ目の魂になると、ボクはあの子と同じような人間の姿をになれると確信し、気づいたときには侵食が停止していた。


「お前は、誰なの?」

「親切なカラスですよ。ただの、ね」


 あの子を死なせないためには、現実の体をこの大学病院に固定しなければならない。理解した。

 そして、夢の世界へあの子を連れて行って、永遠に二人で過ごすのだ。

 そうだな、あの子が好きだった絵本があった。あれだ。あれにしよう。


 死ぬよりも、ボクとずっと一緒のほうが幸せでしょ? 

 ねえ、そうだよね…… レイシー。



 猫がその場で眠る。深く、深く。

 それを見届けたカラスは口から赤い触手を吐き出し、木から真っ逆さまに落ちる。

 後には、カラスの死体だけが残っていた。


 

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