其の七「砂鉄の国の女王」

 目の前で腰に手を置きこちらをピンと伸ばした指で指し示してくる女の子は、一見してコスプレじみた格好をしている。

 赤と黒と白のトランプのような豪奢なドレスと、ハートが乗っかった王冠。ティアラじゃないのは女王だからなのか。

 レイシーと名乗った彼女は恐らく〝 ハートの女王 〟のはずだ。


「……」


 誰もなにも言わない。

 女王…… と言っても身長は紅子さんよりも低くて140㎝くらいか。中学生くらいの年頃だろう。

 彼女は精一杯胸を張って格好良くポーズを決めてるが、背が低いのと、先程べしゃっと地面に落ちていたのが相まってカリスマ性など微塵も感じられない。

 ただただ可愛いだけだ。


「…… なにか言わんか。女王だぞ? お前達とは格が違うのじゃ」

「……」


 ペティさんが猫の飾りがついた魔女帽子を深く被り、咳払いをする。

 明らかに笑いを堪えている様子に女王の指先がプルプルと震え始めた。


「あー、えっと、御機嫌よう? 女王サマ」


 苦い顔をしながら紅子さんが言うと、女王はすぐさま顔をそちらに向けた。ものすごく素早かった。


「めちゃくちゃ御機嫌斜めじゃ!」

「そ、そうかぁ……」


 紅子さんもまさかこんなにも素直に返されるとは思ってなかったんだろう。たじたじだ。

 ペティさんは笑えが堪え切れなくなって身体が震えてきている。勘弁してあげてくれ。女王はもう涙目だ。


「うう、なんじゃお前ら! 私様は赤の女王ぞ!? 敬え! 敬えよ! さもないとチェシャに泣きつくぞ!?」


 いや、そこは言いつけるんじゃないのかよ。


「チェシャ。チェシャ猫か? 女王は親しいのか?」

「なに言うておる。チェシャ以外の住人は皆私様に無関心じゃ。私様にはあやつがいれば…… いや、別に一人でも寂しくはないぞ? あやつが心配性なだけじゃ」


 ぶつぶつと話し始めた彼女を放っておき、俺達は文車妖妃ふぐるまようひ字乗あざのりさんに視線を向ける。

 彼女はなにかの本に没頭していたかと思うとそれを閉じ、顔をあげた。

 閉じる前に見たところ、分厚い辞書の中がくり抜かれていて、少女漫画が入っていた。

 図書館司書がそれでいいのか、とかいろいろ言いたいことはあるがとりあえず見なかったことにしておくかな。


「それで、レイシーちゃん。君の国で一体何が起きているのかね? こちら側はもちろん君の国ではないのだから、君の法律は通用しない。そのことだけは覚えておいてくれたまえ」

「私様が他国の女王とて、必要な礼儀くらいあろうが! 首をちょん切られたいのか!」


 女王は興奮したようにまくし立て、椅子に座って踏ん反り返る字乗さんに詰め寄る。

 字乗さんのその姿も彼女をイラつかせることになっているのだと思う。それがわざとなのかは分からないが、字乗さんは女王に対してかなり挑発的な態度を取っているように見えるな。


「wait、wait、wait…… 落ち着きたまえよ、お嬢さん?」


 そんなこと言っても怒らせるだけだろうに。


「私達は君の国がめちゃくちゃになっている…… その原因を特定し、解決してやりたいと考えているのだよ。だからだね、手っ取り早く君から内情を聞かせてほしいのさ。勿論、言わないことがあったっていい。それは君のプライベートだ。それに、隠されたってそれを暴く術はこちらにはないんだ。遠慮は必要ない」


 回りくどい。普通になにがあったんだ? でいいじゃないか。


「は? え、は?」


 ほら、女王も混乱してる。


「…… ふむ、なにも一日における化粧室の利用回数なんてことを聞いているわけではないぞ。あの物騒な小娘に追われている理由を簡潔かつ明快に答えてくれればいいんだ」

「じょ、女王は麗しくて美しくてすごいからトイレになんて行かんのじゃ!」


 で、内容で拾うのはそこだけなんだな。

 ペティさんはそんな二人の会話を聞きながらお腹を押さえてテーブルを控えめに叩いている。この噛み合わない会話のどこが面白いのかちょっと理解できそうもない。


「あー、女王サマ? なんで追われていたのかは分かるかな? アタシ達はそれを解決したいんだ。キミが唯一の手がかりなんだよ。ね?」

「わ、私様が唯一……」


 女王はちょっと照れたように視線を逸らして、それからまたない胸を張った。あ、いや、ごめん。だってほら、中学生くらいだしな……


「よかろう! よかろう! で、なにが聞きたい? えーと、そこの赤マントちゃん!」

「あー、アタシのことだね。自己紹介してなかったもんねぇ。女王サマ相手じゃ失礼だったね。アタシは紅子。ベニコだ」

「ベニコ…… ベニちゃん! よろしくね! …… なのじゃ!」


 取って付けたように付け加えた言葉で、今のは女王の素の部分だったのだと推測できた。

 どうやら紅子さんは僅かな敬意と分かりやすい説明をすることで彼女と親しくなることができたみたいだ。


「俺は令一。レイイチだ。俺も君の国を平和にする手助けがしたいんだ。よろしく」

「む…… よろしく、レーイチ」


 一応、自己紹介をすれば受け入れてくれるみたいだな。


「…… 俺様はペチュニア。ペティってな」

「お前の名前はイカれ帽子で十分じゃ!」


 ウインクしたペティさんに噛みつくように女王が叫んだ。

 ペティさんは 「…… もしかして怒ってるか?」 と今更なことを言う。

 さっきからかなりお怒りだと思うが。


「良かったねぇ、ペティ。キミも童話のお仲間に入れてもらってるよ」

「俺様はマッドハッターじゃねぇよ。あそこまでイカれてねーの!」

「少しばかりは心当たりがあるようだ」

「よもぎ! 余計なこと言うんじゃねぇ!」

「こうして見るとキミもお師匠に似てるんじゃないかな? 良かったね。憧れだろう?」

「誰があんなヘタレ狼!」


 ヘタレ狼…… ? 

 ケルベロスをヘタレ…… ? 

 疑問しかないんだが、弟子のペティさんが言うってことはなにかあるのか。

 前に会ったときは、確かに俺様だし迷彩Tシャツにコートとかいう変な格好はしてるし、怖い雰囲気なのに甘いものが好きらしいし…… ギャップはいろいろあったけど、ヘタレと言われるような場面はなかったんじゃないか? 


「話が脱線していないかい? ああ、私のことは知らなくても良い。勝手に司書でもなんでも呼べばいいからね。ほら、早く君の悲劇を聞かせておくれ」

「言い方が気に食わんが…… まあいい。まず前提ではあるが、私様の国は元々の童話とは違うらしい。らしいというのは、チェシャに聞いたからだがな。それで…… 私様は、私は、最初はアリスだったのだ」


 そこから女王レイシーが語ったのは、衝撃的な童話世界のルールだった。

 彼女曰く、いや、彼女にとってはチェシャ猫曰く、この童話の中ではアリスとなった人間が物語の最後までなぞり、辿り着くことで物語が終着を迎えて〝女王〟が交代する。

 アリスの物語は明確な終わりがあるわけではなく、最後にはアリスが現実で目を覚ますことになるわけだが…… この目覚めるアリスと、夢の中で冒険していたアリスはイコールで結ばれないということを彼女は説明した。

 アリスが冒険し、物語を裁判まで進めるとそこでアリスが女王になり、元女王は現実世界で目を覚ます。

 そういうルールの基に成り立った世界。それがこの本だと彼女は教えられたそうだ。


「だ、だから、最初はアリスがやって来たと聞いて嬉しかったんじゃ」


 豪奢なドレスの袖をぎゅっと握りしめ、女王は悔しそうな表情をした。


「レイシー」

「…… なんじゃ、マッドハッター」

「とうとうマッドハッター呼びに…… まあいいや。なあ、レイシー。お前ってアリスだった頃の記憶とかないのか?」


 ああ、そういえばペティさんが言うように、彼女はずっと 「チェシャから聞いた」 と言っているが。


「ない」


 彼女の答えは単純だった。


「そうか、ならなぜ次代のアリスが暴れまわっているのかも分からないんだな?」

「分かるわけないじゃろ」

「あー…… 最後にもう一つ、外にいたときの自分を知らないのに、なぜ外へ出たいと思ってるんだ? あの世界はお前の支配下にある世界なんだろ?」

「…… そうじゃな、漠然と〝 帰らなければならない 〟という思いがあるのじゃ。それがなぜだかは分からないのじゃが、なにか大切なことがあったはずなのじゃ」


 ペティさんはその言葉に帽子の端を握って考え込んでいる。

 女王…… レイシーになにかありそうなのは確かだが、今は考えても分からないことばかりだ。

 俺だって、彼女のことはどうにかしてやりたいと思ってるけど…… 今は不思議な国で暴れている血塗れアリスをどうにかしなければならない。


「でも、どうすればいいんだ? 本の中の世界だろ」

「おやおや、ちっぽけな人間様はこれまでの体験を踏まえても想像がつかないらしい。ここはどこで、私は誰だい?」


 ここは図書館で、字乗さんは図書館の司書だが。


「私は本の専門家。ダンタリアン様から管理を任されたこの世界中の本が集まる場所の管理者だよ。本の世界へ入る方法なんて何通りも挙げることができるのさ」


 両手をあげて自慢気に言う彼女へ紅子さんがじとりとした目を向ける。


「ならさっさと教えてほしいねぇ。つまりはあれだ、本の中に入ってアリスを追い出すか倒すかすればいいんだろう?」

「お前って意外と脳筋だよなぁ」

「…… それが手っ取り早いということだよ」

「否定はしないんだな?」


 ペティさんのからかうような口調に反論せず紅子さんは肩をすくめる。自覚はあるらしい。結構思慮深い印象があると俺は思っているんだが。


「結構考えて動いてるほうだろ、いつも。今回はまず会ってみないことには分からないからな」

「キミね…… 変なフォローしなくていいから。ほら、さっさと教えて」

「ふむぅ、なら本の中を食い荒らす魚…… はダメだね。それとも一対の本立て…… も戻ってこられなくなったら大変だね」


 おいおい、大丈夫か? 


「ううむ、ま、普通に私が手を加えればいいだけだな。本に〝 奇妙な三人組が女王と出会う 〟といった一文を追加する。そうすれば本は内容に沿ろうとしてお前たちを引き込もうとするだろう。君達はそれに逆らわなければ良い」


「文を加えるだけなのか?」

「ああ、もちろん特別なペンを用意しているよ。安心したまえ、こういった類のオモチャは山程持っているのでね」


 それは安心だ。安心か? まあいい、相手は専門家なのだから大丈夫なんだろう。分からない俺がああだこうだ言うことはできない。


「それじゃあ、ほらそこに集まって。一気に行かないと物語の中ではぐれてしまうよ。中で冒険するのは面倒だろう」

「むむ、できればチェシャのいる場所に出たいぞ。あの子ならアリスには捕まっていないはずじゃ! なにより私様が会いたいし!」

「女王様はなんとも素直なことで」


 ペティさんがやれやれと首を振って言うが、彼女はそれを無視して字乗さんだけを見ている。相手にするのはやめたらしい。すごい嫌われようだ。


「善処しよう…… ま、チェシャ猫なら場所がズレてもすぐに君らを見つけるだろうさ」


 字乗さんが本にペンを走らせると、その場に光の帯のようなものが現れ、俺達へ向かって伸びてくる。どうやらこれに従って進むか待つかすればいいみたいだ。


「ああ、そうだ忘れていた。帰るにはあちらでも同じ本を見つける必要があるから、図書館かなにかを道すがら探すといい。帰るときは本の中にある挿し絵に触れるだけでいいから、覚えておくように」


 こともなげに言う字乗さんに 「言うのが遅いよ!」 とか、 「見つけられなかったら帰れないのかよ!」 とか、いろいろ言いたいことはあったが、時間はそう長くないようですぐさま視界が真っ白に染まり上がる。それに声が出せなくなるおまけつきだ。

 はぐれないようにと咄嗟に紅子さんの手を掴んだが、彼女が驚いて腕を揺らす感触が伝わってくるのみでその表情は拝めない。


 そして、視界が回復するとそこは森の中だった。

 周りにいるのは紅子さんだけで、女王とペティさんは見当たらない。案の定はぐれたのか? 


「いつまで手を取ってるつもりなのかな?」

「え、あ、ごめん!」


 心なしか呆れたようにジト目になって言う紅子さんに、慌てて謝罪してから手を離す。

 彼女はそっと掴んでいた場所に触れてそっぽを向くと、 「見事にはぐれたね」 と呟いた。


「ああ、どうしようか? あんまり動かない方がいいのか?」

「アタシに訊かれてもねぇ…… あの女王がアタシ達を探してくれるかにかかっているかもね」


 ああ、それなら問題ないだろう。

 なにせレイシーさんはペティさんのことを毛嫌いしているのだ。2人きりでいることになんて耐えられずに俺達のことを探し始めるに違いない。

 チェシャ猫が見つかったら…… 探してもらえないかもしれないが。


「現在地点はどこだろうね。森の中…… いや、あっちになにか見えるね」


 紅子さんが指差した方向へ目を向けると、大きな木々に阻まれて天辺しか見えないが、城と思われるものが見えた。

 赤と黒と白のコントラスト…… 女王の城だろうな。ひとまずあちらに向かえば間違いはないだろう。

 紅子さんと目を合わせてそちらに向かおうとしたとき…… 背後の木々が揺れたような気がした。


「見つけたー!」


 そして、そいつは俺の目の前に空中からくるくると回って着地した。

 恐らく木の上を走って、そしてこちらに向かって跳躍したんだろうと思う。

 だが、俺は思わずそいつに向けて所持していた刀を振りかざしていた。


「なんでお前がここにいるんだ!」


 首輪代わりのチョーカーが疼く。

 こいつは間違いなく俺のご主人様クソヤローだ…… と、思ったのだが、そいつはビックリしたように再び跳躍して俺の横に着地した。


「いきなりなにさ、もう! せっかくボクが探してあげたっていうのにー!」


 ボク? 

 奴とはまったく違う一人称に疑問を覚えてそいつをよく見ると、似ている部分は長い黒髪を三つ編みにして前に垂らしているという部分と、不気味な黄色い瞳だけだ。

 頭には黒っぽい猫耳らしきものがあるし、腰から下がった尻尾はイラついているように左右に振れている。

 チェシャ猫特有の不気味な笑みは浮かべておらず、代わりに笑みを象った模様のある長いストールで口元を隠している。

 ピンクと紫の縞模様とトランプ柄のケープに明るい服装。式神の型みたいな、人型をした鈴つきリボンが尻尾の先でリンと音を鳴らす。

 片腕だけ獣のような異形になっているそいつは、見た目こそニャルラトホテプ神内千夜にそっくりだが、雰囲気はガラリと違う無邪気なものだ。

 おかしい、確かに奴だと思ったんだが……


「悪い、大っ嫌いな知り合いに似ててな」

「あー、悪いと思ってないでしょ!? ボク怪我なんて嫌だからね! 女王様のためにせっかく探してあげたのにこんな対応されたらボク悲しいんだけどー!」

「ごめんね。キミがチェシャ猫かな? レイシーはアタシ達を探してくれていたんだね。良かったよ」

「むう、今回は許してあげるよ。でもレイシーに同じようなことしようとしたらボクがキミ達を殺しちゃうからね!」


 物騒なことを言うチェシャ猫に苦笑を返して 「本当にごめん、レイシー達はどこにいるんだ?」 と質問する。


「もう仕方ないんだから! ボクいいネコだからキミのことも許してあげるー。さあさあ、こっちだよ。ついてきてね! …… 次はないけど」


 シシッ、と不気味に笑うチェシャ猫の後ろ姿を見ながら移動する。

 今でも彼のことを〝 奴 〟だと感じる自分がいる。

 これは勘というより、本能だ。チョーカーを通じて俺を拘束しているクソ野郎と同じ気配を感じている。


 どういうことだ? 

 俺はどうするべきか悩みつつも、とにかく今は合流が先だと判断する。

 俺の感覚がおかしくなったのか…… ? 


 横目に普段通りにする紅子さんを見て、真っ先に自分自身を疑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る