其の六「押野至の日記」

「美味しい……」

「そうだろう、そうだろう」

「んん、悔しいけれど文句ひとつ出てこないよ。お兄さんって家庭的なんだね」


 その言葉はあんまり嬉しくないな。


「お兄さんのお嫁さんになる人は、世の中の主婦に共通してる半分くらいの悩みが解決しそうだね」

「つまり、どういうことだ?」

「これで通じないの? ええと……家事に理解のある男性は貴重だってことだよ。苦労を知ってるんだから、お嫁さんに押し付けたりしないでしょ?」

「ああ、なるほどそういうことか」


 というか。


「そんなこと言うってことは、紅子さんも花嫁とかには憧れたりするのか?」

「んー、よく分からないかな。ドレスも白無垢も着付けが大変そうとしか思えないからねぇ」

「まるで夢がないな」

「それに……」

「それに?」


 相槌を打ちながら皿を片付け始める。しっかりと最後まで綺麗に食べてくれたので作ったほうとしても嬉しい限りだ。こういうところは育ちの良さを感じるな。


「アタシ、幽霊だよ? 死んじゃってるのに夢もなにもないんじゃないかな。アタシは消滅する気なんてさらさらないから、置いていかれるって分かってるのに恋なんてするわけないって」

「……そう、か」


 思わず手が止まる。

 そうだよな、紅子さんって死んでるんだよな。夢での出来事とか、人魂だとか、そういう部分を何度も見ているのに、妙に人間臭くて忘れそうになってしまう。

 そうか、そうだよな。


「……紅子さん、甘いものは好きか?」

「好きか嫌いかって聞かれたら、嫌いじゃないよ」

「素直に好きって言えばいいのに……」


 シチューを食べ終わった後は、先日アルファードさんからもらったイチゴタルトをひときれ出して食洗器を起動する。ふたきれ食べたら流石に俺が両方食べたとは言い張れないし、紅子さんに出す一切れだけだ。

 食器は洗えば誤魔化すのが簡単だが減ったものは増やせないからな。


「おにーさんはいらないの?」

「ああ、俺はいいよ」

「ふうん、そう。なら遠慮なく貰っちゃうね」


 紅子さんが美味しく食べた後の食器を再び食洗器にかけて昼休憩を終了する。


 それから、彼女の案内に従って押野至の家へ着いた頃にはおやつ時になっていた。

 リンは、家で紅子さんに存在がバレた後散々遊ばれたので再び鞄の中で眠っている。時折起きているようで徐々におやつは減っていっているが、その中にある綺麗に包装されたクッキーには手を出さないように言ってある。押野家、青水家、共に調べる際必要になったら、お供えとして渡すのだ。


「紅子さん、人が中にいるかは分かる?」

「うーん、いないみたいだね。スニーキングミッションかな、おにーさん?」

「やるしかないのか? いや、でもその押野至って子が狙われてるのなら調べておくべきなのか…… ?」


 下手したら住居不法侵入だぞ? 

 どうしよう。


「まったくお兄さんは優柔不断だね。こんなところでもたもたしててもタイムリミットが迫るだけだよ? アタシは幽霊だからね。一応頑張ればなんとかなるし……これはちょっと苦手なんだけど。お兄さんはできないだろうし、壁をすり抜けて鍵を開けてくるよ」

「ごめん……」

「まったく、そんなんだから飼い主の食い物にされるんだよ? もっと自分の意見を前面に押し出すべきだよ、お兄さんは」


 呆れたように手をふらりと振って彼女が紅い蝶々と二つの橙色の人魂に変化した。それから壁の中にすうっと消えて行き、数分待つと玄関が内側から開いた。


「多分押野の部屋はこっちだと思うよ」


 紅子さんの先導でいくつかの部屋を通り過ぎる。辿り着いたのはいかにも男子高校生の部屋といった感じの場所だ。漫画がずらっと並んだ本棚に使われた形跡がない勉強机。しかしよく見ると一部の引き出しだけ埃が取れている状態だ。何度も開け閉めしている証拠だよな。

 他のところは、よく使うだろう勉強机以外のテーブルや椅子の付近がかろうじて掃除されているくらいか。自分で掃除をしているんだろう。手抜き感満載だ。

 俺が気になった勉強机の引き出しを開けると、おあつらえ向きに日記らしきものが入っている。こういう細かいことは部屋の状態からしてやらなそうな性格だと思うのだが、ありがちといえばありがちだよな。


 一応用意しておいた手袋をして日記を捲ると、思った通り内容は飛び飛びで短いものばかりだ。この様子だとスマホでスクショすることもなく、すぐに読み終わりそうだ。念のため最初から読んでみることにする。日付はおよそ二年程前からだ。



【押野至の日記】


 五年も会ってなかったのに相変わらず口下手な奴。

 喋るのが苦手だからって日記帳を渡されても困る。そもそも立派な不良になったオレに構ってくるのは一体どういうことだよ。

 吹奏楽バカなのも相変わらずだけど、喋るより日記帳。日記帳よりトランペットのほうが伝わりやすいとかホントにバカだな。

(二年程前の日付)



 そういや最近あいつがケガばっかりしてるな、ドジめ。

 オレが保健委員でよかったな。感謝しろよ。

 ああいや、そんなこと言ったら謝り倒されてうぜーからいいや。言わねー。

(半年前の日付)



 なんか女子がたむろって香織のこと呼んでたな。明日教えてやるか。

 最近なんか視線がうぜー。香織はケガばっかのくせにオレの治療は拒否るしなんなんだよ。イライラする。

(二週間前の日付)



 なんなんだよなんなんだよなんなんだよ

 知らなかったとか許されるわけないだろ

 なんで気付いてやれなかったんだ

 あいつはオレを憎んでるか? 当たり前だよな

 オレはなにもしてやれなかった


 ごめん


(一週間前の日付)



 あいつを見たなんてふざけた噂だ。胸糞悪ぃ。

 今日も線香をあげに行った。おばさんは噂にやられてるみたいだ。

 あいつを見たとかいう噂を流してんのは誰だよ、許さねぇ。

(二日前の日付)



 昨日、あいつを追い詰めた最後の女が死んだらしい。

 噂が本当なら次はオレの番か? 

 最後に会えるならいいや。

 別に噂なんて信じてないけど、会えたなら 「味方になれなくてごめん」 って謝って、それから今まで言えなかったことを言ってやるんだ。

(昨日の日付)



「…… 愛だねぇ」

「本人も恨まれてることは覚悟してるんだな」


 やっぱりスクショは撮っておこう。

 青水さんはまだ理性的だったし、もしかしたら説得が効くかもしれない。


「次は、青水さんの家だな」


 この感じなら彼女も日記を書いているだろう。

 問題は…… その中身だ。


 俺は紅子さんに押野家の施錠を頼んだ後、この後どう動くか少しだけ考えることにした……

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