其の五「図書館デート」

「お前はどうしたい? なんのためにそうしたい?」

「…… を、………… を、たえ………… く………… に、…… たい」

「くふふ、それは面白いね。おっと怒らないでよお嬢さん。お前の願いを叶えてあげようって言っているのだから」

「………… ? …… ?」

「これが君のタイムリミット。それまでになんとか果たすんだよ。代金は………… 『    』いいね?」

「…… ! …… !」

「さようなら、お嬢さん。精々私を暇にさせないでおくれ」


 零れ落ちた水滴が波紋を作り、そして消えていく。それを眺めて彼はつまらなそうに笑った。


 ◆


「…… 高架下」

「そうだよ。確か目撃証言は三日前だったかな? 死んだはずの青水香織がボーッと立っているのを見たんだって。それも生前のままの姿で、だよ」


 女子高生…… 青水香織は自殺だったと新聞の記事では読んだ。けれど生前のままの姿で現れている。つまり、幽霊か妖怪か、それとも別のなにかになったのか。駄目だ。候補が多すぎる。これじゃあ調査の役には立たない。

 死んでいることはアートさんからの話で確かだと分かる。あの人が嘘を吐くメリットは思い当たらない。あの人は地獄の番犬だから脱走したらしい死者も恐らくは地獄行きの人物だろう。

 俺が知る限り自殺は地獄行きのはずだ。筋は通る。


「あとはそうだね…… こっちはただの推測になるけれど…… お兄さん。キミの飼い主はここ一週間なにをしていたか分かるかな?」


 一週間程前に俺が紅子さんと出会って…… その後は幾日か家を空けている。今日も朝早くからどこかへと出かけているし、なにかをしようと動いている…… ? それがもし、この事件へと繋がるのなら…… またあいつが裏で糸を引いているのかよとしか言えないのだが。


「俺の知らないところで動いている可能性はあるな。まあいつものことだよ」


 脳吸い鳥のときのように、俺が知覚している状態で奴が動くことは珍しいのだ。大体は俺が知らない間に裏で糸を引いてマリオネットにされている。事件の関わりがないところで俺を傍観させておきながら、その事件の原因となるように仕向けられていたことさえあるのだ。

 具体的には、以前やっていた魔道書サンタクロースとか。バラされるまではそれが魔道書だとは知らなかったし、その後巻き込まれた事件でその本が原因になっていることを知った俺がどれだけ冷や汗をかいたか……

 事件解決に動いている人物には、幸い気づかれることなく毎回終わるけれど居合せると心臓に悪い。


「そういえば、図書館に行くとか言っていたな」

「そっか…… なら先にそっちを確認してみようか。情報の交換は図書館でもできるし、その用事とやらがこれからも続くかどうかは分からないよね? もしかしたらもう既に用事が終わってしまっている可能性もあるけれど」


 朝早くから出ていることを考えるにその可能性は高い。しかし確認せずに諦めるのもどうかと思う。


「駄目でもともとってやつだよな」

「そうだね、ならすぐにでも向かおうか」


 紅子さんと急ぎ足で図書館に向かう。その道中に例の高架下とやらがあったのでチラッと見たが特にその死者とやらは見つけることができなかった。

 血がこびれついていたであろう場所もあるが臭いは消えている。近くにゴミ捨て場もあるのだが、臭い管理がきっちりされているのか驚くほどの無臭であった。時間が経っているとはいえ、ここで自殺者が出たという痕跡は消えている。花束が置いてあるからそこが現場だったのだなと分かるくらいだ。

 警察の調査もここまで徹底的なのだろうか? 近隣住民にとっては良いことなんだろうが。

 手がかりがあの場所に残っていないのは明白だ。もうすぐ午前10時で丁度図書館が開く頃合いだ。平日とはいえ最近の事件があるから学級閉鎖に陥った生徒が利用するかもしれない。人が多くなる前に情報収集を済ませたいし、急ごう。


「あれ、まだ図書館は開いてないのに…… 奴はどうして朝早くからいなくなってたんだ…… ?」

「お兄さん気付いてなかったの? まあいいや。混沌そのものなんだから矛盾していても本人は大丈夫とかなんじゃないかな」


 矛盾そのものが矛盾に行動を阻まれるわけがないって? なんだよその無茶苦茶な理論。頭が痛いね。


「よし、利用時間開始してるな」

「うん。じゃ、探そうか」


 開いたばかりでガラガラの図書館内を二人で本を探す振りをして歩き回る。一週間分の新聞もあれば完璧なんだが、先に探し人だ。

 いつしか効率良く二手に分かれ、お互いに目的の人物が見つからなければ資料探しを優先させるように約束をした。


 俺がその人を見つけたのは、町内の歴史が置いてあるような奥まった場所だった。青みがかった黒髪の前髪を揃え、長く伸ばした人形のような大人しそうな女の子が困ったようにきょろきょろと辺りを見渡している。制服は紅子さんと同じ七彩高校のもので間違いない。彼女は暫くそわそわと見渡していたが、俺に気が付くと花が綻ぶようにふんわりと笑ってトテトテと近寄ってきた。


「えっと、じっと見てごめん。なにか用かな?」

「あなたが香水屋さんですか?」

「え…… ?」


 香水? あ、そういえば昨日奴に頼まれていた香水を渡すの忘れたな。


「君は?」

「えっと、えっと、あの、神内さんから香水屋を寄越すからここで待っているように言われて…… 図書館が開いたらすぐに渡しに行かせるから待っていてって…… あの、もしかして人違い…… でしょうか?」


 俺を見上げる彼女の黒い瞳が深い深い色に落ち込んでいく。

 最後の方は萎むように元気さが失われていき、自信がなさそうに目を伏せた。その後すぐに 「ご、ごめんなさいごめんなさい人違いですよねごめんなさい!」 と怯えたように謝る姿勢を見せる。

 神内。それは奴の、ニャルラトホテプの表向きの名前だ。嫌な予感が高まっていく。

 図書館が開いてすぐに来ると予測されていた? また知らぬうちに駒として動かされていることに僅かな苛立ちが湧くが、それは彼女には関係ない。つまり俺が購入してきた香水を売れということだろう。シナリオに逆らってもいいが、奴がどんな方法で修正を入れてくるか分かったもんじゃないので素直に与えられた役割を全うしよう。


「いや、ごめん。俺、誰に売るか知らされてなくって気付かなかったんだよ。君が買いたいのは 『無香水』 だよな? 」

「あっ…… はい! そうですそれです! は、早く…… あっと、ごめんなさい! お金、お金……」


 彼女が取り出したピカピカに磨かれたような硬貨を受け取ろうとすると、現在チョーカーとなっている首輪が思い切り締まった。

 俺が突然苦しみだしたことに彼女は目を丸くして自分がなにか粗相をしたのかと再び謝り始める。


「い、いや、大丈夫だから…… ちょっと待っててくれ」


 手をおろすとチョーカーが締め付けるのをやめた。

 その隙に鞄の中で寛いでいるリンからスマホを受け取って訳の分からないことをしやがったクソヤローに電話をかける。


「おそよう、もう10時だよ?」

「はい、おはようごさいます。香水を売る際の値段を訊いていなかったためにお電話いたしました……」

「うわっ、令一君のカッチカチな丁寧語気持ち悪いね」

「……おいくらで売ればいいのでしょうね?」


 怒鳴りつけたい自分を必死に抑え、奴の挑発と煽りは極力スルーに努める。

 それを聞いて奴はつまらなそうに溜息を吐き、 「タダでいいんだよ。その子からは事前に払ってもらってるからね……」 と適当そうに言ってから電話を切った。

 なるほど、以前会ったときにでも先払いしたということか。そのわりに彼女はお金を出して来たのだが。もしかして忘れているのか? 


「えっと、お金は払わなくていいそうだ」

「え…… ?」


 やっぱりこれは忘れているんだろうな。


「先払いされたと言っていたぞ」

「…… ? わたし、お金は払ってないです」

「あれ、そうなのか? …… まあ奴がいいって言ってるし、いいんだと思う。どうぞ」

「あ、ありがとうございます!」


 ペコペコと頭を下げる彼女に 「いいよいいよ」 といちいち注意するのも疲れてきた頃、彼女が 「あの、図々しいと思うんですけど…… お願いがあるんです」 と案外強く提案してくる。

 拒否する理由も特にないし、追っているターゲットである可能性が高いのでどんな頼み事をしてくるかを見届けることにした。行動理由も知りたいし、この子があんな殺害現場を作り出すというのもいささか信じがたい。


「聞くだけ聞くよ」

「あの…… 人を、人を探しているんです」


 この子も人探し、か。


「名前は?」

押野おしのいたるっていう男の子なのですが……」

「同じ学校の子だよね? なら学校で探すほうが早いんじゃないのか?」

「………… えっと、彼…… は、そう、あまり学校に来ないんです。だから幼馴染のわたしが学校に連れて行かないと」


 言い淀みながら彼女が口にした内容は、どもり以外は一見しておかしいところはなさそうだが、その彼女自身が平日にここにいるんだもんなあ。


「見つけたら君に教えたらいいの?」

「っはい!」


 嬉しそうに笑う彼女に悪意らしきものは感じられない。満面の笑みにしか見えない。仕方ない、さっきから本棚の隙間から覗き見て観察している紅子さんに期待しよう。どうも俺は人の悪意を読み取るのが苦手だ。青凪さんのときもそうだ。違和感があっても彼女を信じて最後の方まで結局気付けなかったからな。


「分かった。なら見つけたらここに来るよ」

「待っています」


 彼女と別れ、十分離れたところで隣の本棚の向こうから紅子さんがひょっこりと顔を出す。


「出会ったのがアタシじゃなくて良かったよ」

「それはなんでだ?」

「あの子…… 例の、一週間前に死んだはずの青水香織さんだったよ。お兄さんは気付けなかったと思うけど、あの子が喜んでいたのは多分悪い意味で」


 なんとなくそんな気はしてた。

 本来なら、見つけたとしてすぐに通報…… アートさんへの連絡を済ますべきなのだ。けれど俺は迷っていた。

 彼女は 『無香水』 でなにをしているんだ? 本当に彼女が殺人事件の犯人なのか? だとしたら目的は復讐だろう。紅子さんの渡してきた資料にも踊るいじめによる自殺の文字。いじめが原因ならば復讐したくなるのも分かる。だが、地獄から脱走するくらいの強い憎しみを彼女が持ち合わせているように見えないのだ。


 イメージの問題でしかないが、そんなに強い憎しみを持っていたら悪霊とか妖怪みたいになって町中をふらふら彷徨っていてもおかしくない。しかし彼女はそんなことをせず冷静に意識を保って知恵を巡らせている。その上で地獄の番犬という追っ手まで振り切って目的を着実に遂行しようとしている。

 なにが、引っかかっているんだろう? 


「紅子さん、押野至って知ってる?」

「さっきの様子を見る限り、青水さんが探していたのかな? 隣のクラスの子だね。最近は彼女の家に毎日通ってお供えと線香をあげて帰るらしいよ」

「紅子さん、なんか妙に詳しくないか?」

「七不思議ネットワークってやつさ。あと、ただ単純に噂好きな生徒が近くの席でね」

「そうか」


 七不思議ネットワークってなんだよ、とは突っ込まなかった。


「その押野って子の住所とか分からないか?」

「さすがにそれは…… いや、今から調べればいいかな?」


 紅子さんはそう言うとどこからか取り出したガラス片を放り投げる。するとガラス片は落ちてくる際に燃え上がり、赤い、紅い、蝶々のような姿になった。

 さっきのガラス片は彼女の首の傷跡に挟まっていたものと全く同じものだったように見えた。それが綺麗な蝶々に変化する様子は幻想的だが、なんだか物騒にも感じる。


「これでちょっと住所を訊いてくるよ。その間はデートにしようか、お兄さん」

「訊くって、誰に?」


 からかうのはやめてくれと言っているだろうが。


「七番目…… しらべさんに」


 ああ、さとり妖怪だもんな。学校中の個人情報やら秘密やらを網羅していてもおかしくないか。

 それを了承して、図書館の端の方へ移動する。目をしぱしぱと瞬かせる紅子さんを椅子に座らせ、適当な資料に目を通す。図書館の中で待っているほうが楽だろう。その間に調べものもできることだし。


「図書館デート、だねぇ」


 のんびりと言う彼女に内心いい加減にしてくれよと思いながら「そうかもしれないな」と返事をする。

 鞄の中のリンもお昼寝タイムに入っていることだし、もうすぐ昼だ。二人で昼ご飯を食べる場合俺が奢らなければいけないのだろうか。というか俺が紅子さんとランチして通報とかされないのか。大丈夫だと信じたい。そもそもこの子怪異だし。夢の中で出会ったときはセーラー服で、ここら辺では見たことがないから多分七彩高校の旧制服だったんだろうか。ってことは俺より年上なんじゃないかと思うんだが…… でも高校に通って二年とか言ってるもんなあ。


「復讐ねえ……」


 紅子さんが呟く。

 そういえば彼女は死因が 『赤いちゃんちゃんこ』 に類似していたから都市伝説として生まれ変わったのだったか。しかしなぜ彼女がこんな若さで死んだのかも分からないし、事故だったとしてもそれなりの未練を持っていそうだけれど、そんな話は全然聞かない。未練がないのか、それとも忘れているのか、もしくは未練があるのになにもしていないのか。まだ彼女のことをよく知らないから判断はつかない。

 紅子さんは、あの青水さんのことをどう思っているのだろうか。

 そうして過ごしている間に、窓から紅い蝶々が帰ってきて紅子さんの指に留まる。それから、蝶々は溶けるように彼女の体に入っていった。


「ん、住所が分かったよ、お兄さん。ついでに青水さんの住所も割れた」

「それは良かったよ…… ところで、紅子さん」

「んん? どうしたんだい? 気が変わってラブラブデートでもしたくなったのかな?」

「家で昼ご飯でも食べていかない?」


 その瞬間彼女は眠たげにしていた目をいっぱいに開いて椅子から転げ落ちた。

 今までの意趣返しのつもりだったのだが、少しやりすぎたみたいだ。なんか、ごめん。


「……」

「悪かったって。どうせ学校が終わる時間はまだだし、デザートもつけるからさ」

「そういう問題ではないと思うよ? お兄さん」


 はい、承知しております。知り合いじゃなければ普通に犯罪者扱いされていてもおかしくない。

 いつも際どいネタでからかってくるわりに自分が振られるのは苦手とか予想外だろう。


「まあまあ、店に行っても目立つだけだしさ」

「怒ってはいないよ。ただ…… ね」


 今はクソご主人も留守だから怯えなくても大丈夫だぞ。バレても折檻されるのは俺だけだし。


「分かったよ、行けばいいんでしょう」

「ちゃんと持て成すから安心してくれ」

「不味かったらどうしてやろうかなぁ」

「自信はあるぞ。食べて驚いてくれ」

「ふうん、それならお手並み拝見……かな」

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