其の三「優しいだけは罪」
「…… 時間制限かな?」
「さっきから、なんで分かるんだよ」
「まあまあ、それはそれとして、時間なら…… アタシの首の血が武器の山の下に届くまで。大体、一時間ほどだよ」
彼女が自身の首をつう、と辿ってある一点を指差す。
そこには、様々な武器を伝って下に流れていく赤い血があった。
わりとゆっくり進んでいるが、もう半分近くの部分まで血が侵食している。のんびりしていられないのが、よく分かった。
「部屋の確認だけ先にしてくか」
「独り言はぼっちの証だよ?」 なんてからかってくる彼女を無視してそう呟く。
ひとまず、西の部屋から調べてみよう。
【奴は生き血が欲しい】
やめておこう。
扉に刻みつけてあった言葉を視界に入れた瞬間、俺は回れ右をした。
そういえば北の扉にはなにか書いてあったのだろうか。
確認してみると、薄く木の扉に文字が書いてあった。
【持ち出し禁止】
持ち出したらどうせなにか起こるんだろ? 知ってる。つまり神様の部屋とやらに行くときは丸腰になるわけだな。
しっかりと答えを出してから行った方が良さそうだ。
で、次。東だ。
【斬りましょうか斬りましょうか?】
なぜこんなにも不穏な扉ばかりなんだ。怖いだろうが。
今は一人だから
仕方ない。全部怖いならば、とりあえずここを開けてみることにしよう。
「臆病なことだね……」
「うるさいぞ」
これは慎重と言うんだ。
ガチャリ、扉を開くとそこにあったのは割れた窓ガラスと、辺りに飛び散った、転々と続く赤い跡だ。
割れた窓に近づいてみると、昼夜が確認…… できることもなく、その後ろは壁になっていた。ご丁寧に赤い線がパズルのように走っていて、特徴的な線の形と、眼下に散らばっているガラス片が一致する場所がある。
「これ」
勘でしかないが、これはとても重要そうだ。
手でガラス片を拾って、ぴったりとその形に合うよう壁に触れさせる。すると、不思議なことにガラス片はパチリと音を鳴らしてその場に止まった。
手を離してみても落ちる様子はなく、どうやらパズルになっているらしい。
確か…… ヒントの部屋にあった紙にもパズルがあるとかなんとか書いてあった気がするし、きっとこれのことだろうな。
ヒントに書かれるくらいなのだから重要な部分だろう。そう考えてよく観察してみると、散らばったガラス片はありがちな粉々になった部分などなく、大きな欠片ばかりが落ちていることが分かる。パズルにしても、細かすぎるとそもそも見つけられない可能性だってあるからな。ありがたいことだ。
ツルツルしたガラスのパズルは、全部真っ白なミルクパズル並に難しい。しかし、一つ一つ素早く形に当てはめていけばなんとかなるものだ。パズルに自信のない俺でもわりと簡単に終えることができた。
…… しかし。
「一枚だけ、足りない?」
そう、最後の一枚がどこにも見当たらない。
血の枠を見る限りこぶしよりも大きなガラス片となるのだが、かなりの大きさのわりに見つけることができない。これくらい大きいのならば見つからないほうがおかしいぞ。
「なあ紅子さん。ガラス片ってどこにあるか知らないか?」
「うん? ああ…… その部屋にないのなら、別の部屋にあるんじゃないかなぁ?」
何を言われているのか分からない、といった様子で少しの間沈黙した彼女はひどく適当そうに言った。
答えにくそうにしていたのは気のせいじゃあないだろう。
メタ的に予想するのはあまりよくないのだろうが、彼女の反応からするとこのパズルと、見つからないガラス片は重要な物なんだろう。
「まあ、そういう推理方法もあるから別に構わないよ。褒められたことじゃあないけれど、ね?」
地味に責めてくる彼女の声を無視して部屋を見渡す。やはり、どこにもない。窓しかない上に散らばったガラス片を拾ったので、むしろ妙にすっきりしている気さえする。
探しているのは彼女を殺した凶器だ。
だが、凶器というのは包丁とか、そんなありきたりな刃物とは限らない。脱出ゲームの鍵となっているのだから、見つかりづらい物のはずだ。だから武器庫のようなあの部屋にその凶器があるとはとても思えない。
彼女は自身の死因をはっきりとは口にしなかった。 「間抜け」 という言葉さえ出てきた。ならば、彼女の死因は〝 事故死 〟なんじゃないのか?
ガラス窓にぶつかり、そしてその破片で首を切って死んでしまった。きっとそうなのだ。
なら、どこに凶器があるかなのだが……
「うん? ヒントは全部見たわけじゃないのかな?」
「分からないから確認しに行くんだよ」
「そうかそうか」
再びヒントの部屋でメモを探す。
しかし、あるのは既に見つけたヒントと、そして割れたガラス瓶に無事なガラス瓶だ。
割れたガラス瓶の破片に混じってやしないかと確認してみたが、こぶし大程の破片はない。組み合わせてそれくらいの大きさにしてみても形がどうにも合いそうにない。
「この瓶、なにに使うんだ?」
独り言を呟き、 「やーいぼっちー」 と聞こえてくる声を無視する。
この部屋にないとすると、残りは見守る神様の部屋とやらしかない。生き血を欲するなにかがいるということで絶対に行きたくないが、仕方ないか。
しかし、生き血? 生き血ね。
「紅子さんって、今生きてる?」
「なにかな、その質問……」
中央の部屋に戻って言うと、目を丸くして呆れたように彼女が笑った。
「哲学だね? どこから生きているのか、どこから死んでいるのか…… アタシが思うに、生きてるってマグロみたいなもんだと思うんだよね」
いちいち回りくどいが、さすがに慣れてきた。
「じゃあ紅子さんはマグロか?」
「乙女にそんな質問するとはいい度胸してるね。アタシはマグロだけど、マグロじゃない…… ああ、キミには通じないか」
「?」
なぜマグロかと訊かれて呆れるのかが分からない。
「童貞め……」
それが今、なんの関係があるというのか。傷つくからやめてくれ。
「さて、他に質問は?」
「…… 紅子さんの血って、なんで止まらないんだ?」
「そりゃあ、死の直前の光景を表しているわけだからね」
つまり、紅子さん自体は死んでいるけど、あの首回りだけは〝 死の直前 〟…… 生きている?
生き血と言われて真っ先に思い浮かぶのは、この場で生きている俺の血だが、俺がそのまま神様の部屋に行くと何かに食われるような気がしてならない。生きのいい餌ならば人間ごと食べないといけないのだろうが、今この場に生きているのは俺だけだ。
それに、脱出ゲームなのに確定で詰む場所があるのはおかしい。
しかし、あの傷から垂れる血を、手に入れた瓶に入れなくちゃいけないのかよ……
「よっ、と」
ひとまず彼女の近くまで行こうと武器の山を崩さぬよう、登っていく。
「おっと、いらっしゃい」
それをにこやかに黙認して、己の隣をポンポンと叩く紅子さん。
こういうところは怪異と思えないほど可愛らしいのだが。いや、俺は成人男性。この子は生前とはいえ高校生くらいの姿だ。普通にアウトだよなぁ、この思考。いや、可愛いと思うくらいはセーフなんだろうか? 青凪さんも飄々としていたけれど、可愛かったし。
「紅子さん、血をもらうよ」
「なんだか危ない台詞だね? ふふ、アタシはこの場においては、たとえ押し倒されても抵抗なんてしない。お兄さんにそんな度胸があれば、の話だけどね」
「そ、そんなことしないっての!」
からかわないでほしい。恥ずかしいから、切実に。
微笑んだまま目を瞑る彼女の首に瓶を押し当て、流れていく血を受け止める。傷の付近からカチリと音が鳴り、瓶が擦れ…… なんで、そんな音がするんだ?
今まで失礼だとか、俺が見たくないからだとかの理由で彼女の傷口はよく見ていなかったのだが、改めて観察すると赤色に染まった傷口になにかが挟まっているのが分かった。
生々しい肉の間にある、その〝透明な物体〟は、止血するのを阻害しているようで、そして、彼女の血を生かしているそのものだった。
「…… 凶器は紅子さんが隠したのか?」
そういえば訊いていなかったな、と確認も兼ねて質問する。
すると、目を瞑ったまま彼女は笑みを深くして、ガラス瓶を持っていない方の俺の手に左手を重ねてくる。
「ある意味正解で、不正解かな」
「確認だ。目を開けて、あっちを見てくれ」
うっすらと目を開け、西の方を向いてもらう。
「今、君の視界に凶器の在り処はある?」
「ないよ」
その後も全方位を確認して、確信する。
どの方向を見ても彼女の視界に入らない場所…… そんなの、彼女自身に他ならないじゃないか。
「もしかして、君の言う凶器って…… まだその傷口にある、それのこと?」
「…… だいせぇかぁい。でも、アタシの目の前に取り出して見せてくれないとゲームクリアにはならないよ?」
なんて意地悪なんだろう。
あの傷口に手を突っ込むしかないだなんて、そんなの、できるわけがないじゃないか。
「おやおや? なにを迷ってるのかな。アタシは押し倒されたって抵抗しない…… そう言ったはずだよ」
「触れて、痛くないのか?」
「痛い? そんなわけないじゃないか。アタシは死んでるんだから」
じくじくと、動くたびに血を溢れさせるその傷口。
手を伸ばそうとしても、途中でどうしても硬直してしまう。
俺には、俺は、そんななこと……
「はっきり言いなよ」
「でき、ない……」
俺が手を下ろして俯くと、彼女は不機嫌そうに舌を打つ。
「できないじゃあない。〝 やりたくない 〟んだろう?」
そうなのかも、しれない。
「アタシに痛くないか確認したのは、〝 痛いのは可哀想だからできない 〟って言い訳を言えるから。気遣うフリをするだけだなんて、呆れるよ」
「フリじゃない」
「嘘だね」
振り絞るように言っても、彼女はそれをいとも容易く両断した。
「キミの優しさは偽善でしかない。…… 〝 優しいだけ 〟は罪だよ。キミは逃げているだけ。アタシはね、嘘と偽善者が心底嫌いなんだよねぇ」
彼女はそうして視線を下に向け、にやりと笑う。
「いつか、その〝 逃げ 〟がお兄さん自身に牙を剥くだろう。〝優しさ〟なんて、ズル賢い連中に体良く利用されるだけだよ。よかったねぇ、今回の相手がアタシで」
言うが早いか、彼女は自らの首に手を突っ込み、その大きなガラス片を取り出す。
もしかしたら帰してくれるのか、そんな淡い思いは、それを投げ捨てた彼女によって砕かれる。
「時間がなくなっちゃったね」
その言葉を聴いて慌てて武器の下を見る。
彼女の血液は、いつの間にか山の下まで達していて、ピチャンと床を濡らしていた。
「ゲームオーバー…… だよ」
硬直し、動けない俺にゆっくりと抱きついてきて彼女はそう言った。
体が動かない。まずい。このままでは、死ぬんじゃないか?
だが、見た目よりも遥かに強い力で押さえつけられ、抜け出すことなんてできなかった。
キスができるほど顔を近づけて、動けない俺にのしかかってくる彼女は怪しく笑う。
「さようなら、邪神の愛し子。やっぱりアタシは、キミの弱さが好きになれそうにない……」
彼女の鋭い爪が頬を撫で、赤い血の線でバッテン印を作る。ピリリとした痛みが走るが、やはり逃げ出すことは叶わない。そして、ついには俺の首を捉え、一本の線を描くように真っ赤な爪を滑らしてくる。
今度は痛みがない。しかし、徐々に真っ白になっていく視界に彼女の姿が分からなくなっていく。
「そうそう、それと…… アタシの死因は事故じゃなくて―― だよ」
聞き取りずらくなる耳。
完全に彼女が見えなくなった。
意識も段々と薄れていく。
「事故死なんかじゃあ、怪異に選ばれるわけ、ないでしょ?」
俺は死んでしまうのだろうか。
でも、それはそれで、神内から解放されるということなのだから、いいのかもしれない。
そうして、静かに、俺は意識を手放した。
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