其の二「凶器を探してよ」

「……」

「……」


 暫し沈黙。

 積み上がった武器の山に座り込んで、足をぷらぷらつまらなそうに動かしている彼女は、その紅い瞳をこちらに向けた。

 赤い襟元のセーラー服だが、胸の部分まで真っ赤に染まっている。


「っ……」


 彼女の首元には横一文字に赤い線が走り、現在進行形で大量の血液が流れ出続けている。

 痛々しいそれに、思わず目をそらす。

 彼女が足を揺らすたびに、紫がかった黒髪のポニーテールも一緒に揺れている。頭の上で斜めに乗せられたベレー帽が、体が揺れるたびにずり落ちてしまいそうになっているが、不思議なことに落ちることはない。


 意を決して俺が再び目を合わせると、口元だけが三日月のように吊り上がった。


「う、こ、こんにちは?」


 言いようのない不安感に思わず声をかけると、彼女はくぐもったような笑い声を漏らしてからにこやかに返事をする。


「ふふ、こんなところじゃあ〝 おはよう 〟なのか、〝 こんばんは 〟なのか、それとも〝 こんにちは 〟なのかも分からないけれど、一般的な挨拶という意味ならば、〝 こんにちは 〟なんだろうね?」


 やっぱ面倒臭いなこの子! 


「まあどちらにせよ、おはようできるかはキミ次第だけど」

「それって、どういう意味だ?」


 不穏な言葉を告げる彼女に質問する。

 すると、俺が向けた睨むような視線を意に介さずに笑う。


「さっきの部屋で見ただろう? これは脱出ゲームだ。暇で暇で仕方ないアタシの相手をしてちょうだいな」


 小首を傾げたりなんかしているが、目が笑っていないから怖くて仕方ない。つまり、脱出できなければ、身に危険が迫るようなことが起こるのだろうか。


「ここはどこなんだ? 夢の中ってことで、合ってるのか?」

「そうだね、夢の中だ。そしてここはアタシの部屋。今の、だけれどね」

「今の?」

「ああそうさ、アタシの部屋は本来ならトイレなんだけど、今は暇潰しのためにここを借りてるんだよ……」


 誰に? 

 そんな質問は喉の奥で飲み込まれた。

 西側の部屋、〝 見守る神様の部屋 〟とやらにいる何者かしかいないだろう。


「で、だ。脱出ゲームの説明だけど」


 そう言って話を続けようとする彼女に、割り込んで 「待った!」 と言う。

 すると彼女はどこか不愉快そうに眉を顰めてから 「なにかな?」 と、淡白な声で続きを促してくる。

 いつもにやにやとしているニャルラトホテプくそご主人よりは感情表現が豊からしい。


「名前を訊いてないだろ? 俺は下土井令一。君は?」

「…… ああ、なんだそういうことか。トイレの紅子べにこさん、とでも呼んでくれればいいよ」


 花子さんじゃなくてか? 

 そんな疑問が透けて見えたのか、彼女はからからと肩を揺らして笑う。


「トイレの怪異が花子さんだけだなんて、そんなわけないだろう?」


 トイレ。トイレの怪異? 

 そういえば、青凪さんの書類にそんな怪異が書いてあった気がするな。

 ええと、七不思議の一番目 『赤いちゃんちゃんこ』 だったかな。都市伝説の一部でもあるらしいけど、青凪さんの学校では七不思議に数えられているらしい。

 確かに彼女のセーラー服は、真っ赤なカーディガンでも着たように流れ続ける血で汚れている。

 しかし、あの傷は大丈夫なのだろうか? ついたばかりのように血が流れているが、血は止まらないのかな。


「ふうん、その様子だとアタシを知ってるのか。なら失敗すればどうなるか、分かるよね?」

「さっき〝 その質問 〟には否定したけど?」


 赤いちゃんちゃんこという存在は、 「赤いちゃんちゃんこ着せましょうか?」 とトイレで質問してくる怪異だ。そして、その質問にYESと取れるような言葉を返すと首を切り裂かれて殺されてしまう。


 ―― そう、切り裂かれた血で、まるで赤いちゃんちゃんこを着せられたようになって。


 先程の紙に書いてあった【Do you want the red jacket? 】という言葉がまさにそれだ。否定を返しておいて良かった。本当に良かった。あれにYESと答えていたらきっと彼女のように、首を切り裂かれて殺されてしまうだろうし。


「あはは、よく分かってるじゃないか…… なら、本題だよ。アタシは探してるものがある」


 それから一拍置いてから、彼女は自身の治らぬ傷を指し示した。


「アタシを殺した凶器を探してよ」


 自然と、吸い込まれるように俺はその傷口に目を向ける。


「凶器?」

「そう、凶器。探してアタシに見せてくれれば無事に帰してあげる…… ああ、安心してよ。質問にはちゃんと答えてあげるから。アタシは嘘が嫌いだから、真面目にね」


 質問に答えてくれるというのは確かにありがたいが、どうにも胡散臭い。紙に書いてあったとおり、嘘は吐かないが本当のことも言わないのだろう。捻くれた正直者といったところだろうか。


「この夢の世界のどこかに、絶対にあるんだな?」

「…… ああ、あるよ」


 彼女はどこか冷めた目で言った。


「君は自分を殺した凶器を知ってる?」

「ああ、勿論知ってるよ。でも今、それはアタシの視界には入っていない」


 真っ直ぐと、武器の山の頂上から、俺を見つめてそう言った。

 質問できると分かって質問しすぎただろうか? なんだか訊いてばかりで不愉快にさせている気がする。

 しかし、そうしないと俺も分からないのだから、仕方ないだろう。


「死因は教えてもらえるか?」

「なんか…… ぐいぐいくるねぇ、お兄さん。そういう強引なの嫌いじゃないけど、もう少しアタシのこと配慮してくれてもいいんじゃないの?」

「ご、ごめん…… つい」


 雰囲気が青凪さんに似ているものだから、少し気安く接しすぎているかもしれない。助けられなかったから、やっぱり俺は後悔、してるんだろうな。


 この子…… 紅子さんに青凪さんを重ねて見てるんだろう。

 怪異というものは、さとり妖怪でなくとも大体聡いものだ。俺が別の人と重ねて見ているのを、察しているのかもしれない。


「これが致命傷なのは確かだよ。まったく、間抜けなものだよね」


 それきり、彼女は沈黙した。

 未だに足をぶらぶらとしているが、下に降りてくる気はないようだ。

 あまり背を向けるのはよろしくないだろうが仕方ない。これ以上は質問しても機嫌を悪くするだけだろうし、別の部屋も調べるしかないだろう。


 彼女が座っている武器の山の他には、特になにもない。

 四方には扉が四つ。俺が最初にいた部屋が後ろにあり、正面に木の扉。右に真っ白な扉。左に小窓付きの鉄製扉だ。


 まずは正面、木の扉から行ってみるか。

 紅子さんの視線を受けながら機関銃の山を迂回し、扉に手をかける。特に鍵はかかっておらず、普通に開くことができたのだが…… そのドアノブに触った瞬間に背筋を冷たいものが滑るように寒気が襲った。


 この感覚はなんだろう。なんだか、気持ち悪い。

 警戒をしながら意を決して扉を押し開け、軽く覗き込む。

 そこにあったのは部屋一面に真っ赤な血がついた、凄惨な光景だった。


「うわっ」


 思わず口を押さえ、目だけを動かしてその光景を観察する。

 どうやら部屋中に刃物やら拳銃やら…… 有り体に言って〝 凶器 〟となるものが溢れるように散らばっていた。そして、そのどれもがまるでカモフラージュするように血に塗れている。

 彼女を殺した凶器を探すのも、これでは時間がかかってしまいそうだ。彼女が座っている武器の山も大概数があるが、こっちにもあるとなると探すのは苦労しそうだ。


 扉は開けたままに後ろを振り返る。

 紅子さんも肩越しに振り返ってこちらを見ていた。にやにやと貼り付けたような笑みを浮かべ、部屋の中に驚いた俺を面白そうに観察しているのだ。


「なにかな? 質問は受け付けるよ」


 先程まで不機嫌になっていたのか嘘のようだ。


「ああ、でもキミが怖いからってお願いしてきても、アタシは同行できないよ? そういうルールだからね」


 でも、できれば扉は開けっ放しにしていてほしいなぁ? 

 その言葉を聴いて、彼女の 『アタシの視界には入っていない』 という話を思い出した。そうだ、ならこっちを向いている内に質問してみればいいのだ。


「今、君の視界に凶器はある?」

「ふうん、そうくるんだ。…… いっぱいあるねぇ」


 いっぱい? どういうことだろう。

 考えが纏まる前に彼女が 「でも……」 と続ける。


「アタシを殺した凶器は、視界に入っていないよ」


 本当に面倒な子だな。

 確かに紅子さんを殺した凶器とは言わなかったけれど、普通はなんのことを尋ねられているか分かるだろうに。


「ふふふ、騙された?」


 だけれど、その悪戯っ子のような表情に毒気を抜かれてしまう。

 女子高生くらいの歳だろうし、まだまだ幼気な部分があってもいいか。


「アタシはおにーさんより歳上かもしれないよ?」


 わざとかそうでないのか、舌足らずな感じで話した彼女に心を読まれた気がして目を逸らした。

 なんで人外はこうもこちらの心を見透かしてくるのだろうか。


「調べないの? まさかまさか怖いのかな? 大丈夫? 赤いちゃんちゃんこ着る?」

「だからいらないって……」


 〝 赤いちゃんちゃんこ 〟って基本的に解決不可能な話が多いらしいから嫌になる。でも、まさかこんな風に都市伝説と話をすることになろうとは。高校生だった頃には考えもしなかったな。


「あはは、アタシこれでも良心的な方なんだよ? いじめ殺されちゃった同族なんかは人間を憎んで凄いことになってる子もいるらしいし、アタシにこうやって理性があるのはほとんど憎しみがないからかもね」

「って、赤いちゃんちゃんこって一人じゃないのか?」

「噂話は語られるだけで力を持つ…… だから、それに相応しい死に方をした死者は、それになぞらえて此岸に戻ってくることがあるんだよ。怪異の分け身としてね」


 彼女が下を指差し、そして上を指差し、くすくすと笑う。

 なんだかんだで教えてくれる紅子さんは、確かに面倒見が良いようだ。


「無理矢理彼岸から此岸に〝 脱獄 〟するとこわ~い狼が追ってきて食べられちゃうけど、都市伝説だとか、七不思議だとか、概念的なものに選ばれれば話は違う。ある意味生まれ変わるようなものだからね。でも、その代わり噂と違いすぎたりすると消滅しちゃうんだ。どちらにせよ、死者の世界も生者の世界も難儀なものだよ」


 そんな彼女の言葉を背に北の部屋へと踏み込む。

 扉はお望み通り開けたままなので、ここまで彼女の声が届く。きっとこのまま会話しながら調べることも可能だろう。


「なあ、凶器って一つだけなのか?」

「うーんと…… 一つだね」

「判断し辛いものってことか」


 辺りを見回すと包丁、ナイフ、拳銃、機関銃、はたまた大砲やらチェーンソーやら…… ホームセンターで手に入るゾンビ対策グッズのごとく沢山の物が散らばっていて、そしてその上にはべったりと赤い液体が降り注いでいた。

 …… というか、なんで大砲みたいな大きな凶器があるんだ。カモフラージュにしても、もっといいラインナップがあったろうに。


 俺はその中の、一本のナイフを手に取る。

 よく見れば地面についていた裏の部分には血がついていないようだ。つまり、これであの子の首を切り裂いたわけではない。誰かを傷つけた凶器なら、刃全体に血がつくはずだ。これは、武器をばらまいて上から大量の血をぶちまけただけなんだろう。


 しかし、百以上ありそうなこれらを全部調べなければならないのか? そもそも、時間制限はあるのか? ないのなら地道に調べてもいいが、あるのなら全部調べている時間なんてないだろう。

 随分と彼女とお喋りしているし、俺が尻込みしていたせいで調査は全く進んでいないのだから。

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