弍の怪【夢に潜むは紅い衣の少女】

其の一「紅い上着はいかが?」

――凶器を探してよ。




 カチ、コチ、カチ、コチ……

 そんな音が静かに響いている。


「あ、あれ?」


 気がつくと俺は見知らぬ場所に立っていた。


 周囲を見渡してみても、本の収まったボロボロの本棚や、小さなタンスなどが横倒しになっている有様が分かるだけだ。

 薄暗いその部屋は、確かに知らない場所だった。

 また奴がなにかしたのだろうか? そう思い巡らせてみても心当たりはない。


 奴がなにかするときは基本的にだが、俺を使って事前に準備しているので突然なにかされるということはない…… はずだ。多分。こんなに自信がないあたり、奴の性格が分かるというものだろう。


 さて、では気がつく前のことを考えてみようか。

 俺はテレビのニュースを見ながら生姜焼きを作り、 『血痕だけが残る被害者なき殺人』 がわりと近所で起こっていることに物騒だなと思っていた。それから風呂の支度をして、青凪さんが所持していた書類を纏め、そして………… 寝た、のだ。


「ってことは、夢か?」


 そう思うしかないだろう。

 夢だと分かり、奴か、別の何かに誘拐されたのではないかという懸念は一応なくなった。まだ油断はできないが、周辺を調べることくらいには意識を向けられるようになったのだ。


 薄暗くて分かりづらいが、どうやら奥の方に扉のようなものが見える。しかし、まだ進もうとは思わない。こういう夢はあまり進まない方がいいと相場が決まっている。どんな恐ろしい目に遭うか分からないからだ。


 手近にあるものから本を抜き取り、開いて見る。

 所詮夢は夢。あまり細部は作り込まれていないだろう。白紙か、はたまた読めないかのどちらかだと思っていたが、開いただけで理解する。これは危険な方の夢なのだ。


 あまりに鮮明に映ったその文字は、きちんと意味の通った言葉になっていた。


【|Do you want the red jacket《あかい うわぎは いかが》? 】


 ページに浮かび上がるように薄い黒から濃い黒になっていく文字。そのままじっと見つめていただけで、その文字は次第にインクの黒から赤黒い別の色に変わっていく。


 まるで血のような、そんな文字。


 こういうのには否定を返した方が良いだろうか。赤い上着など嫌な予感しかしないからな。


「いらねーよ」


 俺が呟くと文字が薄まっていき、そして消えた端からまた文字が浮かび上がってくる。


【だっしゅつげぇむ、しましょう。アタシはこの扉の先に】


「いやだ」


 そう言っても文字は消えていかない。どころか、薄暗い先に見える鉄の扉からカチリ、と鍵が開くような音がするじゃないか。つまり、こちらに拒否権はないということか。

 しかし、どうにも進みたくない。


 これが夢だとして、ただの夢でないことは確かだ。奴の悪戯か、はたまた別の怪異の仕業か、どちらにせよ確認するには進むしかないのだが、まずは周囲の確認だ。

 脱出ゲームだというのなら一つ一つの部屋をきちんと隅々まで調べる方が良いだろう。


 目についた本からは、メモ用紙のようなものが飛び出しているようだ。


【北は武器の部屋。東はパズルの部屋。西は見守る神様の部屋。南はヒントの部屋。中央の彼女は、探し物をしている】


 そんな内容が紙一杯に大きく書かれている。


 この場所は一体どこなのだろうか。パズルのようなものはないし、武器なんてものは見る限りどこにもない。神様の部屋だったらまず俺が無事で済むわけがないし〝 彼女 〟とやらがいないのだから、中央でもない。なら、ヒントの部屋だろうか? 現にこうしてヒントらしきメモがあるし。

 本へとメモ用紙を戻すとき、ふと翻った紙の裏に何かが書かれていることに気がついた。


【彼女は嘘を決して吐かないが、本当のことを言うとも限らない】


 言葉を濁して、曖昧な答えしか返してこないということか。どうやら奴と似たような、面倒臭い部類の怪異らしい。


 この部屋に扉は一つだけ。あの向こうは確実に中央の部屋だ。行く前に、怪異に会う覚悟はしておいたほうがいいだろう。

 皆、絹狸のような陽気な人外ヒトだったらいいのに。


「次はっと、ええと、タンスの中は…… これだけかぁ」


 横倒しになったタンスをなんとか起こし、引き出しを一段ずつ開けていく。上二段はなにもなかったのだが、下から二段目に蓋付きのガラス瓶が入っていた。一番下に入っていた瓶は残念ながら割れてしまっている。


「…… 覚えとけばいいか?」


 こういう道具は持っていくのが普通だろうが、今は特に必要だと感じない。それに持ち出してなにかあっても、困る。

 脱出ゲームだというなら部屋は行き来できるだろうし、必要に駆られたとき、取りに来ればいいだろう。

 …… なんで俺、こんな現象に慣れちまってんだろうなぁ。間違いなく奴のせいだよなぁ…… 全く、悲しくなるぞ。


 ギイ、と軋む扉を開けて一歩踏み出す。


「まぶしっ……」


 そして開けた視界に映ったのは、夥しい数の武器が山積みになった場所に座る、赤いセーラー服姿の少女だった。

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