エピローグ「さとり妖怪のとりしらべ」
《神奈川県○○市山中の民宿にて臓器売買の痕跡が……》
ソファに深く沈み込んだまま俺はニュースを見ていた。
そのニュースであの事件は臓器売買ということになっていて、遺体が見つからないご主人を犯人として捜索しているという内容だった。
脳のない妻を縛って監禁していたことでさらに凶悪な犯罪として処理され、現在も行方を追っているらしい。
しかし俺は知っている。あの事件は迷宮入りで終わる。
なんせ犯人など既にいないのだから。
無気力のままに、なにもする気も起きず立てかけてある赤竜刀を見る。
あいつがしっかりと血拭きをしたためか刀身は銀色に戻っている。しかし、しばらくあれを使う気にはなれなかった。
俺は、人を殺した。
あれが自殺だったなどと言えるような心の強さは生憎持ち合わせてはいない。
俺が殺したのだ、彼女を。
今でも残ったあの感触が忘れられない。
包丁を握るたびに手が震える。
最近では失敗続きで屋敷から出してもらうことさえない。
なぜだかおしおきはされないが、それはきっと俺がツマラナイからだろう。女々しくも割り切ることができずにこうして俺は生かされている。
―― 彼女はそれを望んでいる。お前に望んでいるよ。
ねっとりとした、記憶にこびれつく言葉に吐き気を覚える。
「ねーぇー、最近のれーいちくん鬱陶しいんだけど」
こいつの我が儘にも反応する気は起きない。
「まったく、陰気すぎてつまんないな」
ソファに沈みこんだ俺の襟元を奴が掴む。
「っぐぇ」
猫のように襟を掴まれたまま持ち上げられる。当然のように首が絞まった。
「ちょっとはその陰鬱な気分直して来てよ」
そのまま屋敷の外にぽい、と捨てられる。
今まで閉じ込めていたのはあちらだというのにまったく理不尽だ。
そうして、一人で沈んだ気分のまま歩いていると、反対側の道から歩いてくる見覚えのある少女を見つけた。
既視感を覚え、一瞬考える。誰だろう?
「あら、下土井さんじゃないですか」
その声には聞き覚えがあった。
「…… 鈴里さん?」
ゴスロリ服でなく、高校の制服と思しき服装の彼女はどこか雰囲気が違ってすぐには分からなかったのだ。
そう、彼女は祭りで出会った、そして今回の旅行の切っ掛けとなったさとり妖怪の怪異。鈴里しらべさんだった。
俺から出てきたのは、そんな彼女に対する弱音と愚痴。そして、なぜ巻き込んだのかという、理不尽な怒りだ。
しかし彼女はそれを怒ることもなく静かに聞くと、俺の話が終わった頃を見計らって口を開いた。
「そう、彼女達は駄目だったんですね…… それで? あなたは満足なんですか。一方的に吐き散らしてまったく、わざわざ言わなくとも私には聞こえているのにおかしな人ですね」
不満そうに口を膨らます彼女に、思わずあの絶望的な状況を思い出してしまって俯く。
「ふふ、あなたを邪神が手元に置いている理由がやっと分かりましたよ」
どこか喜ばしげに笑う彼女が分からない。
人外と人間ではこんなにも違うものなのかと心の中で諦観ににも似た思いを抱いた。
そんな俺にお構いなく彼女は淡々と話し続けていく。
「正義感が強いのに無力で、迷ってばかりで、決断力もなくて、踏み出す勇気もなく、なのに残酷なまでに優しい…… 実に人間らしいと言えるでしょう」
まったく褒められている気がしないのだが。
「しかし単純な恐怖の感情よりもなお魅力的なものですから、私達のように悪意のある者にとってはいい餌食ですね」
そういえば彼女は絶望の感情が好物なのだったか。
目を細め、ぱちぱちと暫し瞬きをしてから彼女が目を開くと以前会ったときのような優しげな目をしていた。
心なしか雰囲気も変わっている気がする。
「さて下土井さん。同盟の者としての視点で忠告させてもらいますが…… 利用されたくないならば迷いを捨てなさい。全てを救えるなどと思い上がらないことです。生き残ることが全てだと思わないことです。生が失われることで救われる者も確かにいるのです」
それは今の俺には辛い警告で、なによりも傷に塩を塗りこむような酷い説教だった。
「ただの人間には限界があるのだと知りなさい。あなたが与えた優しさは覚悟した人間の矜持を踏みにじる残虐な行為だったと、思い知りなさい。さあ打ちのめされている暇があるなら、最善を考えられるように意識を変えるのですよ」
冷徹なまでに優しい忠告をして、彼女は足りない身長を一生懸命背伸びするように俺の頬を撫でた。頭には届かなかったらしい。
そして一歩下がって笑みを浮かべる。
「人間と共存する私として言えるのはこれだけです」
彼女もなにか、打ちのめされるようなことがあるのだろうか。そんな優しさに身を震わせて出てきそうになる涙をぐしぐしと拳で拭った。
「ではさようなら。下校時間がとっくに過ぎてるので早く帰らないといけません」
背を向けた彼女に終始無言だった反省も込めて 「ありがとう、鈴里さん」 と声をかける。
「ふふ、どういたしまして。ああ、最後に……」
少し離れた彼女がピタリと止まり怪異としての笑みを向ける。
それに気圧され、俺は背筋に寒気が走るのを感じた。
「あなたの絶望は、とっても美味しかったとだけ言っておきましょうか」
意地の悪い笑みを浮かべる彼女に俺は何も言えないし、動けない。
「ごちそうさまでした」
帽子を取って怪しげな顔をする彼女に、再び俺はショックで動けなくなってしまったのだった。
「怪異っていうか……妖怪って、みんな、こんななのかよ……」
この世界でやっていけるか今更不安になる、そんな夏の出来事。
どこかの田んぼで、カエルの声が暢気に響いていた。
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