016 文芸部には芥川の死体が寝そべっている。

 文豪新人賞の締め切りの日――、この日は部活が休止となってから、丁度二週間が経過する日であった。


 六時間目の授業が終わり、終礼の挨拶で担任が「さよ……」までを口にした時点で、太宰はクラスの教室を出て真っすぐ速足で部室へと向かった。


 予定では、今日から文芸部の活動は再開することになっている。休止期間はたった二週間であったが、部活だけが学校の楽しみである太宰にとっては、もう我慢の限界に近い期間であった。


 部室の扉を勢いよく開けてみたが、部室にはまだ誰も来ていない様子だった。


「さすがに、まだ誰も来てないか……。」


 少し残念そうな表情で、太宰は部室へと足を踏み入れた。その瞬間、足元に何かボールのような丸っこい異物を踏んだ時の”ぐにっ”とした感触があった。


「ぐにっ……?」


 おそるおそる足元を見てみると、床には手足を地面に放り出し、力なくうつ伏せに横たわっている芥川の姿があった。そして自分の足は、尊敬する先輩である芥川の頭を思い切り踏みしめていた。


「うぉぉぉぉぉっ……!??? な、なんで、芥川先輩が地面にっ……!?」


 太宰は誤って犬の糞を踏んでしまった時のように、ぎょっとした表情で慌てて芥川の頭から足を持ち上げた。その反動で芥川の横顔が見えた。口元から赤い血らしきものがつっと流れている。 


「先輩っ! 芥川先輩っ!!? うそっ……血……? もしかして死んでる!?」


 慌てふためく太宰のもとに、授業を終えた二年の中原と谷崎が部室へと現れた。


「ちゃおっす~、太宰ちゃん。久しぶりだね~」


「永遠の時を超え、漆黒の物語手ストーリーテラー……ここに再誕!」


 中原と谷崎の姿を見るや否や、太宰は目に涙を浮かべながら二人へと懇願した。


「大変ですっ! 谷崎先輩は今すぐ救急車をっ……! 中原先輩は大至急ダッシュでLEDを取ってきてくださいっ……!」


 慌てふためく太宰の様子に、二年生の二人はぽかんとした表情で顔を見合わせた。


「……何故、急ぎで発光ダイオードが必要なのだ?」と中原は首を傾げる。


「うーん? 多分、AEDと言い間違えたんじゃない~?」と谷崎は答えた。その二人の呑気な様子に、太宰は両目から大粒の涙を零しながら訴える。


「もうっ! 何を呑気なこと言ってるんですかっ! 早くしないとっ、芥川先輩がっ……死んじゃうっ!」


 太宰の悲痛な叫びが部室に木霊した時、「……う、う~ん。」とうめき声が太宰の耳に届いた。


 うめき声の声の主は芥川であった。芥川はおずおずと身体を起こすと、大きな欠伸をした。そして周囲を囲む三人の姿に気づくと、ぱちくりと数回瞬きした。


 ぽかんと口を開け、目に涙を浮かべ自分を見つめている太宰に、芥川は少し驚きながら尋ねる。


「えっ……何? どうしたの?」


 太宰はしばし戸惑いながら、状況を掴もうと懸命に努力した。しかし、いまいち状況が理解できず、やや震える声で「何……してたんですか……?」と芥川に尋ねた。


「うん? 午前中は郵便局行って、最後に書き上げた原稿を文豪新人賞に応募してたんだ。そのまま部室行って、みんなが来るまでそこのソファで寝てた。」


 そう言って芥川は、部室の備品である薄緑色の二人掛けソファを指さした。


「なんで床で……。それに……その口元の赤いのは……?」


「あぁ、床で寝てたのは、俺の寝相が悪いからだろうな。口の赤いのは……、腹減ってたから、郵便局からの帰りにコンビニでホットドッグ買ったんだよ。それでケチャップが口についてたみたいだ。」


 そう言って芥川は、口元に付着していたケチャップをハンカチで拭い取った。


「そうですか……よかった。」


 太宰はすっと力が抜けた様子で、芥川の隣にへたりと座り込んだ。そして安堵の笑みを浮かべ、顔に付着していた涙を拭った。


「……? なんで泣きながら笑ってんだ? 変な奴だな。」


「……っ!(怒)」


 芥川のその言葉を聞いて、ぷちんっと太宰の血管が切れた音がした。太宰は自らの手をじっと見つめた後、きゅっと優しく握ってみた。そして思い直したように、再度手のひらを開き、今度はギュッと硬く拳を握りなおした。


「……連絡入れても返事ないし、どっかでのたれ死んでないかって、こっちは本当に心配してたのにっ! なのにっ……何をあなたは紛らわしいことして、へらへらしてるんですかっ!」


 太宰が怒っている理由を知り、芥川はとっさに弁明をした。


「えっ……ご、ごめん! 執筆に集中してて、ここ数日スマホ全く見てなかった。」


 しかし、弁明は虚しく終わり、太宰はキッと芥川を睨みつけ渾身の右ストレートを放った。彼女の拳は見事芥川の頬を捉え、芥川の身体は後方へ派手に吹っ飛んだ。


 そのままゴチンと壁に頭を打ち付け、くるくると目をまわす芥川。彼の頭上には小さなひよこたちがぴよぴよと泣きながら回っていた。


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「この二週間、みなご苦労だった。」


 森部長は、部員全員の顔を見渡しながら労いの言葉をかけた。芥川の頬になぜか青い痣ができており、太宰の機嫌がひどく悪そうなことには触れなかった。


「しばらくの間、部の活動は休止だったが、それぞれ個人で文芸に向き合っていたことだと思う。各々の成果を確認したいと思う。」


 この二週間、部員たちは各々で文芸と正面から向き合っていた。リスタート後、最初の活動は、各々が新人賞に応募した作品等、この二週間における成果物の読み合いである。各自の執筆した作品の中から一つ、コピーを持参するように前もって森部長から言い渡されていた。


 最初に原稿を取り出したのは、二年の中原中二であった。


「この俺様は、去年から温めていた最終兵器――『とある俺の妹が劣等生な悪役令嬢』を完結し、ライトノベル新人賞に突きつけてやった。ふん、今頃は俺の作品に編集者たちは驚愕し、アニメ化待ったなしだと話題騒然になっているだろう!」


 原稿を机に置いた瞬間、みしっと机が軋む音がした。広辞苑なみの分厚さの紙の束が、机上に堂々と君臨している。


「有名作品や話題のテーマをとって付けたような題名だな。」と、芥川は呟いた。


「黙れい! 今回こそは大賞受賞を念頭に置き、売れる作品を意識したのだ。そしてストーリーも、わからずや編集者たちの理解できるレベルまで下げてやった。ラノベ新人賞、大賞は間違いなしだ。」


 中原の作品は原稿用紙500枚以上に渡っており、数日では読み終えられない文章量であった。あまりの文章量に、誰もあまり手をつけたがらない。


「もう~仕方ないから私が最初に読んであげよう~。」


 一先ずそれは谷崎が預かり、家に持ち帰って読むことになった。 


「仕方ないとは何だ。貴様はこの二週間何をしてたんだ?」と中原は問う。


「わたしは夏コミの脚本作りしてたよ~。」


 そう言って、谷崎は自身の成果である脚本を取り出した。


「毎年同人サークルで、漫画の脚本御願いされてるからね~。R18だし、かなりマニアックなプレイありのドギツイBLだから、みんなに読んでもらうのはちょっとな~。」


 さすがにR18指定の作品を、まだ初心な一年生である太宰もいる部内で回し読むわけにはいかないという部長判断が下された。


 続いて原稿を取り出したのは、川端副部長であった。しかし、原稿は随分と枚数が少なく見える。400字詰め原稿用紙にして、約5枚程度だろうか。


「随分と少ないようだが……。はっ、もしや川端副団長、貴殿は高等遊民気取りでサボタージュしていたのではあるまいなっ!?」


 中原の言葉に、いつも目を細めている川端副部長の瞳が開眼した。ぎょろっとした爬虫類的な瞳で中原を見据える。中原は蛇に睨まれたカエル状態で固まった。


「そんなことあるわけないでしょう。」と川端副部長は冷たく言い、なぜ執筆量が極めて少ないのか説明を入れた。


「私はこの二週間、ずっと俳句を作っていました。」


 開眼した瞳を閉じ、いつもの目を細めた表情で川端副部長は言う。


「川端副部長が俳句ですか~、これまたどうして~?」と、谷崎は少し意地悪気な表情で言った。


「……風景描写を極めるためにも、俳句はいい練習になるのかもしれないと思ったからです。」


「へぇ~、そうなんですね~。」とにやにやする谷崎。


 おそらく、以前に行った部内の句会で、太宰に一位の座を取られたことが悔しかったのだろう。部員全員が本当の理由はそっちだろうなと思っていたが、川端に睨まれたくはないので誰も口にはしなかった。


 川端の提出した原稿には、400字詰め原稿に俳句がびっしりと書き込まれており、つまり一枚あたりに約23句――これが五枚あるので二週間で約100句以上創作したことになる。


「これもすぐに目を通すには時間がかかりそうだな。では、俳句に不慣れな自身の勉強を兼ね、川端副部長の俳句はまずは私が目を通すとしよう。」


 そういって森部長は川端の原稿用紙をA4のクリアファイルへとしまった。


「では、続いて――太宰くんはこの二週間、どう過ごしていたのだろうか。」


 森部長に促された太宰は、その場ですっと起立し、この二週間の生活を語った。


「私はですね……、どっかの誰かがちゃんと生きてるか気掛かりで、あんまり執筆が進みませんでした。」


 太宰は頬をぷくっと膨らましながら、ちらっと芥川を白い眼で見た。「すまん……。」と芥川は肩を小さくすぼめる。


「あっ、でももちろん私も小説は書いてましたよ……。まだ未完のままですけど……それでもよければ……。」


 そう言って太宰は、まだ未完のままであるという小説原稿を取り出した。


「ほう、その真の名を何というのだ?」と中原が問う。


「……はい?」


「多分だけど~、題名は何かって言ってるんだと思うよ~」と谷崎が通訳してやると、太宰は少し恥ずかしそうにしながら、自作の題名を告げた。


「題名は……『グッドバイ』です……。」

    (※『グッドバイ』は太宰治の未完の名作である。最近映画化された。)


「あの、太宰の作品――俺が最初に読んでもいいですか?」


 タイミングを見計らっていたように、芥川は手をあげてそう申し出た。突然の申し出に、太宰は少し驚いたように芥川へと振り向く。


「太宰――、俺が最初に読ませてもらってもいいかな?」


 芥川は再度、太宰本人へと尋ねた。しかし、太宰はあきらかに不審がる表情を浮かべ、警戒して一歩後ろへと下がった。


「えぇ……なんでですか……。」と太宰は顔をしかめる。


「えっ? そんな嫌そうな顔すんなよ。俺が最初でもいいだろ。」


「……何ですか? 先輩、私のご機嫌とろうとしてるんですか? 作品を読んでちょっと褒めてやれば、ころっと機嫌直してすぐいけるだろうとか思ってるんですか? 残念ながら、私は処女作はじめてを簡単にあげちゃうほど、そんなちょろい女じゃないですからね。そんな浅はかな考えは捨てて、全国の女性に頭を垂れて謝ってください。芥川先輩にそんな軽い女だと見られてたなんて、あぁ~もうしにたーい。」


「いやいや、機嫌とろうとかそんなんじゃないってば。」


「ふーんだ。なんにもきこえませーん。」


 若干の、いや結構なヒステリーモードに入ってしまった太宰に、芥川は困惑の表情を浮かべた。どうにも変な誤解をされているようである。これは真摯な気持ちを言葉でちゃんと伝えなくてはいけないと思った。


「おい、ちょっとくらい話を聞けよ。」


 芥川は話を聞かずに逃げようとする太宰へ詰め寄り、じりじりと壁の角へと追いこんだ。


「な、なんですかっ……? わ、わたしの処女作はじめてを……、無理やり奪うつもりですかっ!?」


 怯えた表情の太宰は、自身の処女作が書かれた原稿用紙をひしっと抱きかかえた。何も知らない人が聞けば、とても勘違いされそうな台詞である。


「いいから話を聞けってば!」


 芥川は太宰が逃げないように壁に手を押し付け、巷でいうところの壁ドン体勢となった。太宰は身体をびくつかせ、目に少し涙を浮かべる。


「お前の作品って、まだリレー小説でみんなで書いたのしか読んだことなかっただろ? だから本当に、ただ純粋に太宰の作品を早く読んでみたいって思っただけだ。別に邪な気持ちは全くない。俺はただお前(の作風)をもっと知りたいんだ!」


 気持ちと身体が前のめりになった芥川は、両手ドンッ!の体勢となった。芥川の熱い気持ちが伝わったのか、太宰は頬を赤らめながら顔をあげた。


「そ……、そういうことなら……別に……いいですけど……/// 私のはじめて(処女作)……もらってください……///」


 そう言って太宰は、芥川の胸元に原稿用紙をぎゅっと押し付けるように渡した。


「うわ~、太宰ちゃんちょろ~い。」と谷崎は笑う。


「風紀が乱れてるわね。」と、川端副部長は呆れた風な顔を示した。


 ちょろい太宰の処女作はじめては、こうして芥川の手へと渡った。


 これで残っているのは、森部長と芥川の二人である。二人は同時に、自身の成果物となる原稿用紙を取り出した。


 芥川が取り出したのは、紙袋に入った100枚ほどの原稿用紙である。その中には短編が二本、中編作品が一本収められてる。


「この二週間、とにかく文豪新人賞に向けて書いてました。今年も色々と書いてみた中で、よくできたものを持ってきてます。」


「ふむ、今年も素晴しい作品が完成したようだな。一文一文に、書き手の魂とも言える強い想いが籠められた文章だ。」


 森部長は芥川の原稿にざっと目を通しながら、感心するように言った。一方で芥川もまた、森部長の作品である原稿用紙に目を通す。森部長の作品は、50枚ほどの中編であった。


「……森部長も、さすがですね。一行一句たりとも無駄がなく、極めて文が洗練されてる。これ……何回くらい推敲したんですか?」


 その問いに、森は原稿用紙から芥川へと視線をあげた。


「何回推敲したかはわからないな。この作品――『舞姫』は、三年間ほどかけて執筆したものだ。私もまた芥川と同じく文豪新人賞へと応募した。」 

                  (※『舞姫』――森鴎外の代表作)


「二人とも……同じ新人賞に応募……。」


 太宰は少し複雑そうな表情で、芥川と森の両先輩を見やった。しかし、太宰の不安な心情とは裏腹に、芥川と森の二人は、にやっと心底嬉しそうな笑みをこぼした。


 そして森と芥川の二人は、ついに笑いが耐えられなくなったように大声で笑い始めた。状況が飲み込めず、太宰は大笑いする二人をきょろきょろと何度も見比べた。


 一しきり笑い合った後、芥川と森は互いの眼をじっと見つめ合った。


「部長には悪いですけど……。今年こそは、俺の全力を刻み込んだ小説が大賞とりますから。」


 そう言って宣戦布告する芥川に対し、森部長も力強い眼差しで言葉を返す。


「君の全力に、私の全力をもって迎え討とう。その上で今年の大賞は私が頂く。」


 必死に小説と向かい合い、互いに認め合う二人の熱い青春模様を展開していたところだが、そんな空気に水を差すのはやはり中原と谷崎の二人であった。


「あぁ~いい! 互いを認めているからこそ、熱いパッションをぶつけ合う二人っ! いつしかそれは愛にも似た感情に変貌を遂げ、夜は愛の印を互いの身体に刻みあう~!」


 早口で妄想を語り出した谷崎。そして中原は「おい、龍介っ! 貴様の永遠の好敵手は、この漆黒の物語手たる俺様だぞっ!」と芥川へ詰め寄る。


 そんな二人に対して、「お前らうるせー!」と芥川も騒ぎ出した。


「はぁ……。台無しですね。」と川端は呆れ顔でため息をつき、森部長は「全くだな。」と困り顔で頭を掻く。。


 そんな文芸部員たちの様子を、太宰はとても大切な宝物たちを眺めるように、キラキラした瞳でじっと見つめていた。


「やっぱり……文芸部に入って……よかった。」と嬉しそうに太宰はつぶやいた。


 喧騒に満ちた文芸部室の窓には、散りそびれた桜の花びらが一枚、風に乗ってどこからか舞い込んできた。




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文芸部には青春ラブコメが埋まっている。 冨田秀一 @daikitimuku

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