最終話 自分は、何者にもなれなかった。



かつて自分は恐れていた。

いや、正確には自分を恐れていた。


風景の中にはたくさんの情報が溢れている

無意識に脳内でどの情報を受け取るかを

決めている。


例えば夕方頃、電車がよく見える河川敷にいたとして、ガタンゴトンとけたたましく音が鳴っている最中電車の中にいる人に注目する。

スーツを着た男性、帽子を被ったおばあちゃん、派手な服を着た若者など


特定の人を見つけるという条件下以外では

どういう人を見つけ、注目するかは

無意識なのである。


果たしてそれにはどういったプロセスが存在するのか。

自身の根強い経験によるものに左右されるのか、それとも本当に何にも考えてないのか


基本的には後者だと思う。

だが、自分の解釈でどうとでもなるということは確かである。


先程述べた電車の例でいえば


スーツの男性に対しては、

仕事帰りなのかな

顔はよく見えないけど外を眺めてたから、きっと疲れているんだろうな、お疲れ様です。


帽子をかぶったおばあちゃんに対しては、

今日日差し強かったもんね

どこかに向かっているのか、それとも帰っているのか、わからないけど、もし帰っているならきっと家には待っている人がいるんだろうな。


派手な服を着た若者に対しては、

個性が溢れているな

きっと洋服が好きなんだろうな

そしてたぶんファッションをよく褒められたりするのかな?自分の好きな物を褒められると、人は嬉しいからなあ。


など

憶測でしかないが、自らでその色を付けることは可能である。





では、"自分"はどうだ

自分の事は憶測では語れない


もし語るのであれば

自分の中に、"もう一人の自分"を作らなければならない。


例えば

付き合いたい人がいるとして、


会う約束をしたいが緊張してしまう、連絡をしたいが、本当に自分なんかがアタックしてもいいものか、いつ告白しようか、付き合ったら何したいか、など


それを考えている瞬間、間違いなくもう一人の自分を頭の中で作り上げているのだ。


何が言いたいかというと

人間にとって経験は財産であり

時間は有限であるということ。







------かつてそんな事を考えていました。





私は、自分は、何者にもなれない事に

幼い頃に気付いてしまいました。

でもそれは"私自身"が"私"に対しての話。


家族、友達、恋人からしたら

私は

"家族"であり"友達"であり"恋人"である。


自分の事を自分でいくら考えた所で

自分は自分でしかない。


誰かといれば、私は何者にもなれる。

でも私は人と接する事を極度に嫌がっていました。


理由は



嫌われる恐怖。




私は、人に嫌われたくなくてその人が好きな"私"を

必死に演じていました。

それは人と関わる重要性を知ってしまったが故に陥ってしまったいわゆる"負の連鎖"


そうして生きてきた事で

本当の自分とは何なのかを、見失ってしまいました。



未だにはっきりとした解決策はわからない

わからないけど、考えに考えた結果


やっぱり"嫌われる勇気"が必要なんだと

思いました。



この世界には大勢の人がいて

たくさんの個性が溢れている。

その中でその人達全員に好かれることは

ほぼ100%ありえません。


好かれたくて好かれる演技をして

自分を見失うくらいならば

いっそ"大勢の人に嫌われたって

自分は自分"を貫いた方がいいと思います。


大丈夫ですよ。

日本人の99%に嫌われても、残りの1%は

計算上120万人もいるんですから。



でも、こう考える事はとっても難しいし、とっても辛い事だと思います。

それが"自分"を生かす唯一の手段だと思います。



それと、もう1つ大事な事は

自分の感性をいかに受け入れて貰えるか。



私は雨が降っていると悲しくなります。

それは至極簡単な話です。

空が泣いていると思うからです。


地球は生きていて、私達と同じく呼吸をしている。

そこに私たち人間が共存している、風を装って、地球をいじめ続けている。

その結果降るのが雨、いわゆる空が泣いているという表現に至ります。



そう思うと、雨の日は辛くなってしまいます。



そんな事を誰かに話しても

偽善者ぶるなと言われたり、不思議ちゃんって思われたいの?とか、言われるだけ


でももし、それを理解してくれる人がいて

そうだね、確かに空は泣いてるねって言ってくれたら、どれだけ心が救われるか



そうです。共感です。




嫌われる勇気と共感があれば、きっと私達は幸せに辿り着くと思います。


だからどうか諦めないで欲しい。

自ら死を選んだり、やりたい事が無くて絶望したり、信頼してる友達に、裏切られたりしても

諦めないで欲しい。


"自分のせいで"

"どうせ私なんか"

という言葉は自分を貶める言葉です。


人間の本質は

自分らしく生きること。



その自分らしくを正し、真っ直ぐ進ませてくれるのは、身近にいる大切な人です。



僕は、私は、自分は

何者になれなかった。


それは自らで決めつけてはいけない

自分が何者かどうかは

自分以外の人が自分を見て決めること。



誰かにとって

僕も、私も

"僕"であり、"私"なのですから。



この話の主人公はあなたです。

友人を亡くした彼

音楽を続けている彼女

彼らがあなたにとって、何者であったか。



答えはとても簡単な事です。

とっても。








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僕は、何者にもなれなかった。 木漏れ火 @1207005

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