狸汁ぺろり

空き缶と煤

 どこだかは言えないが、とある田舎の公衆トイレでの事だ。

 個室の便器にかがんだちょうど目の高さに、輪切りになった空き缶が針金で吊り下げられている。缶の中には火の消えた煙草が一本転がっており、アルミの底は真っ黒に煤けていた。

 このご時世によくもまあ、こんな灰皿が残っていたものだ。どこもかしこも禁煙で、まして密室のトイレなどは消防の観点からも真っ先に喫煙が規制される場所だというのに、ほとんど奇跡ではないか。そのトイレは無人駅と隣接しており、一応はキレイに掃除されているから、トイレの中も定期的に掃除や点検がなされているはずである。

 それでいてこの灰皿が撤去されていないという事は、つまり、これを管理している者が見逃している。あるいは許しているという事だ。ここでなら。利用者の少ないここでなら、ちゃんと火の始末をするのなら、ちょっとはお目こぼしをしますよ、と。知る者だけが知っている、小さな小さな法の穴。いったい何人の中年が、この狭い穴にひっそりと身を縮めてきたのだろう。

 誰かが正義の光を振りかざせば、この缶はたちどころに消える。底にこびりついた煤は、存在を許され続けてきた年月の儚い影でもある。ノスタルジックな昭和・平成の香りというのは些か陳腐だが、これもまた時代に消えかけ、それに抗い咲く日陰の花の一つだろう。

 私は煙草を吸わない。

 しかし次にこのトイレを訪れた時、この缶が撤去されていたならば、私は一抹の寂しさを覚えるに違いない。それが怖くてもう長く、そこを訪れていない。

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狸汁ぺろり @tanukijiru

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