少女錯覚中
かどの かゆた
少女錯覚中
それは、一世一代の告白だった。
『俺、マロンさんが好きです、付き合ってください!』
スナック菓子を貪りながら、そのメッセージを見る。見つめる。じっと。穴が空くほどに。
「……あぁ、どうすっかなぁ」
告白されたのなんて、人生で初めてだ。しかも、俺に告白してきたのは中学生らしかった。四十代のおっさんに告白なんて、最近の若者は何を考えているのか。
とはいえ、悪いのは明らかに俺の方なのだが。
メッセージが来たのは、人気のオンラインゲーム上でのことだった。自分なりのキャラクターを作り、ネット上で人と通信して冒険をするゲーム。
そのゲーム上で、俺は少女の姿をしている。所謂ネカマと言うやつだ。ネット上でのみ、女の子のフリをする人種。だから俺に告白してきた中学生は、それに騙された被害者である。
『ごめんね。恋愛とかそういうの、私よく分からなくて……(> <)』
適当に打ち込んだメッセージを見て、自ら鼻で笑ってしまった。何がよく分からないだ。ただ知らないだけだろうに。
なにか返事が来る前に、ゲームからログアウトして、その勢いのまま、パソコンの電源を落とした。
真っ黒になった画面には、薄っすらと髭の生えた、死んだ目の男が映っている。眼の前の男が、俺から目を逸らす。自分と同じ動き。これが自分だと、自覚する。
「はぁ……」
本人の話を信じるならば、告白してきたのは男子中学生。父親のパソコンを借りてやっているとか話していた。
馬鹿だな、と思う。
顔も知らない奴に告白なんて、黒歴史も黒歴史。大人になった時、どれだけ恥ずかしいだろうか。
いや、まぁ、中学生だというのが嘘っぱちである可能性も十分にあるのだが。
きっと彼は、ゲームにのめり込みすぎてしまったのだろう。現実とゲームの境界が曖昧になったのだ。もしかしたら、余程現実に忘れたいことがあったのかもしれない。
「ほら、アンタたまの休みなんだからどっか出掛けたらどうだい? いつまでもそん
なピコピコやってないで」
そんなことを考えていたら、扉の向こうから大声がした。母親の声。ゲームやパソコンに明るくない母親は、俺が使っている機械を『ピコピコ』と総称する。
「……あー、じゃあ、ちょっと出るかな」
四十代にもなって、母親に言われるがまま、外出の支度をする。別に、行く宛はない。友達も、恋人もない。必至に働いていたら、俺は人との関わり方を忘れてしまったように思う。
現実を見たくないという意味では、俺に告白してきた中学生は似ているかもしれない。
でも、俺はきちんと気付いている。
当たり前だが、ゲームと現実は違うのだ。
マロン、というのが俺の作ったキャラクターの名前だった。俺の名字が栗田だから、マロン。
マロンは優しい女の子だった。誰に対しても礼儀正しく、失礼なやつにも怒らない。清楚で可憐で、人気者。ゲーム上でちやほやされるのが嬉しくて、俺はそんな女の子になったのだ。
「いってきまーす」
一歩家を出ると、外は肌がひりつくような寒さだった。暖房がきいた自室に居たから、より一層そう感じる。
ため息なのか、単なる呼吸なのか、勝手に口から白い煙が溢れた。青空の青が、目に痛い。
コンビニにでも行って、帰ろうか。
平坦なコンクリートの上、二足歩行。
なんてつまらないんだろうか。
ゲームの中なら、俺はもっと凄いのに。
草原、山、雲の上、海の中。どこだって行ける。走れる、飛べる、泳げる。隣には友達や仲間が居る。ちやほやしてくれる人も居る。
でも、やっぱり現実とは違う。違うと知っているから、俺は虚しくなるのだ。
「よっこいしょっと……」
信号を待っていたら、隣で声がした。横を見ると、腰がすっかりひん曲がった婆さんが、風呂敷に包まれた重そうな荷物を持っている。
絵に描いたような、というのは、こういう場合のためにある言葉だと思った。
婆さんは俺の方を見たり、何かを口にしたりはしなかったし、別にそんなつもりは無かったのだろうが、俺にはどうにもその婆さんが助けを求めているように感じられた。
自分の中のなけなしの良心が、この婆さんの姿をそういう風に理解せよと命令している。そんな感覚がしたのである。
「……」
手が動き出しそうになって、止まる。
瞬間、俺の頭にはゲームの画面が浮かんだ。
数ヶ月前、強い敵と戦うために、俺はレアアイテムを仲間の分集めたことがある。そのアイテムの収集は行程が面倒で、誰もやりたがらない作業だった。でも、俺は喜んでやった。そういうことを進んでやるのが、俺も思う『マロン』の姿だったからだ。
その時は、皆から「ありがとう」「マロンさんはやっぱり優しい」と口々に褒められて、嬉しかったっけ。褒められることなんて、普段無いから、胸が不思議と苦しくなって、顔が熱くなったのをよく覚えている。
その時と、今。
一体、何が違うのだろうか。
荷物を持ってやれば、俺は婆さんから感謝を受けるだろう。人通りの多い道路だから、見ている人からは褒められるかもしれないし、口には出さずとも感心な奴だと思われるんじゃないか。
ゲーム上で仲間を助けるのと、この婆さんを助けるのに、違いなど無かった。
だってマロンは俺だ。俺が操作したキャラクターだ。俺の中の一面だ。マロンに出来て俺に出来ないことなんて本当は無いはずなんだ。
「……あ」
なのに、何だって俺の身体は固まるのだろう。
考えているうちに、信号は青に変わった。婆さんは別段辛くも無さそうに、ただ、ゆっくりと歩を進めていった。俺は横断歩道を渡すこともせず、その光景をただ見つめる。
お節介だったかもしれない。
自分に言い訳をして、俺は踵を返し、家に戻ることにした。
結局俺は俺で、マロンはマロンだ。俺は人気者になれないし、告白もされない。誰を助ける勇気もない人間だ。
でも、マロンを操作してるのは俺だ。彼女の好かれる所以は、俺の脳が考え出した言葉と行動である。
ふと見たカーブミラーに自分の姿が映った。
汚らわしい姿。
そうだ。
現実とゲームの中。違うのは俺の見た目だ。
俺はたまたまこんな不細工に生まれただけで。もし見目麗しい少女の姿であったなら、俺は現実でも上手くいっているのではないだろうか。
俺の魂は、本当は、少女の形をしているのではないだろうか。
俺は少女ならば、上手くやれる。友達が居る。人気がある。優しくあれる。余裕が持てる。
俺の内面はおじさんよりも、少女のほうが向いているのだ。
蝶になる夢と、人間である今。どちらが夢でどちらが現実か分からないのであれば、二次元が現実で三次元が夢の可能性だっていくらでもある。
分からないなら、都合の良い方を現実だと思うのも、俺の勝手だろう。そうだ。俺が少女であるということが、現実。本当に、あるべき世界の形。こちら側が夢。退屈な夢。
家に帰り、「ただいま」とも言わずに自室へ向かう。
真っ黒な画面も、一度電源が付けば、自分は映らない。夢を見ることもない。
そうだよ。
俺は少女だった。
少女錯覚中 かどの かゆた @kudamonogayu01
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