逆玉

牛☆大権現

逆玉

昔から、よく人に絡まれた

弱く見えるんだろう、肩をぶつけてこられたことなど数えきれないし、ひどい時には理由もなく池に突き落とされたこともある。

だからこそ、俺は絡まれないために、強くなることを選んだ。

近所の合気道の道場に入門し、ウエイトトレーニングを行った。

けれども、俺は骨格が人より細いようで、いくら筋肉が増えようが、かえって以前より痩せて見えるようだった。

女になら羨ましがられるかもしれないが、俺はこの体質が憎かった……絡んでくる人間は増えてきて、以前より厄介な手合いに変わる。

自分の身を守るために、力を振るわざるを得なかった。

それを繰り返した結果、打ち所の悪かった相手が入院した

過剰防衛と判断された俺は、道場も破門となり、仕事も失った。


「合気道の最強の技は、自分を殺しに来た相手と友達になる事です」

と、合気道の偉い先生が昔言ったらしいが、そんなの嘘っぱちだ。

そもそも、その先生が書いた本を読む限り、そいつ自身やくざに喧嘩売ってみたりしてる。

相手が暴力で来るなら、こちらも暴力で対応するしかないのだ。

そうでなければ、今頃入院していたのは俺だった。

暴力に抗う選択をした事自体は間違いではなかった、と今でも思っている。

けれども、他に道があったのであれば、それを知りたいとも思う。

日々をバイトで食いつなぎ、毎日襲い掛かってくる腕自慢を返り討ちにする日々が、うんざりだった。

けれども。俺はこうして人生を無為に過ごしていくのだろう、とあの時までは思っていた。


バイトからの帰り道、悲鳴が聞こえた。

普段からよく暴力沙汰に巻き込まれる俺だったが、これはあまり経験したことがない事態だった。

いい加減、暴力を振るうのにも振るわれるのにもうんざりしていた俺だが、それでも放っておくのは目覚めが悪かった。

「いや!放してください!」

「騒ぐな!いいから車に乗れ!!」

走って駆け付けてみると、黒服の男が、身なりのいい服を着た女を車に連れ込もうとしているところだった。

「あ、そこの方助けてください!この人に襲われているんです!!」

女がこちらに気づいて、助けを呼ぶ。

それで男もこちらに気が付き、構えてしまう。

……叫ばれなきゃ不意を打てたが、これはまあ仕方がない。

問題なのは、明らかに男の構えが“心得のある”人間のそれだったことだ。

運が良かったのは、女が逃げて距離を取ってくれたことだ。

黒服が捕まえたままの状態では、巻き込んで怪我をさせたり、人質に利用されるリスクだってある。

その心配がなくなったのは、心理的に大きい。

俺は、わざと大きく右拳を振りかぶって、黒服に殴り掛かる。

格闘技のセオリーなら、絶対にやらないテレフォンパンチだ。

案の定、男は左手で外受けの形に防ぐ。

それを読んでいた俺は、受け止められた拳を開いて、男の奥襟を掴む。

そしてそのまま、自分から見て斜め前に引き落とす。

既に膝蹴りの体勢に入っていた黒服の男は、そのまま受け身も取れずに背中を強打する。

後頭部は守ったので、脳震盪こそないだろうが、投げの衝撃で肺から空気が吐き出されて、呼吸がままならなくなっているはずだ。

回復される前に、鳩尾に追撃の肘を落として、残った空気もすべて吐き出させる。

立ち上がり女の方向に向かおうとすると、ドアを開ける気配がした。

誘拐のセオリー通り、やはり運転手役もいたらしい。

俺は、女の手を取り、慣れ親しんだ夜の街を駆け出す。


「助けていただいて、ありがとうございました」

息を整えてから、女が礼を言う。

「別に礼なんていいよ、見返りが欲しくてやったんじゃない」

「いいえ、ぜひ後日お礼にうかがわせてください!」

「本当にいいって。それよりあんた、こんな時間に一人で何してたんだ?」

女は目線を逸らし、押し黙る。

「……別に言いたくないならいいよ。気になっただけだし」

「本当ですか!」

「ただ、いるなら早いとこ家人を呼び出すことをお勧めするぜ。俺と一緒にいれば、絡まれやすくなるからな」

「それはまだ、待ってください……」

「なんでだ、さっきの連中がまだそのあたりうろついてるかもしれないぞ」

女は、躊躇を見せたが、意を決したように告げる。

「……私には、やらなければいけないことが残っています。」

「それは、今夜この時間じゃなきゃダメなのかい?むざむざ羊が狼の縄張りに入るようなもんだぜ」

「今日でなければ、ダメなんです。」

「どんな事情であれ、帰るべきだと俺は思うんだがねえ……」

女の瞳には、強い意志があった。

流されるままに現状を生きている俺には、それがまぶしく映る。

「意思を曲げそうにない、か。仕方ない、俺にもついていかせてくれ」

「本当ですか!ありがとうございます!!」


目的の場所には、あっさりついた。

道中、何度か絡んできた半グレを投げてやったりしたが、俺にとってはそれも日常だった。

意外なことに、そこは病院だ。

外で待っているつもりだったが、女に来てほしい、と頼まれる。

かなり遅い時間、しかもおそらく女は親族では無かったはずなのに、すんなり入らせてもらえた。

看護師が言うには、当人の意志らしい。

「先生!」

女は、ベッドの端に取り付くように、個室で寝ている初老の患者のそばに向かう。

先生と呼ばれた患者は、枯れ木のような腕を弱弱しく持ち上げて、女の頭を撫でる。

「大変だったろうに、ようきてくれたねえ。」

耳を澄ませていないと聞き取れない、とてもか細い声だった。

女は、何も言うことができていない。

「お父様にクビにされた私のことを、まだ先生と呼んでくれるんやね」

「誰が何と言おうと、あなたは私の恩人です!誰にも否定されてなるもんですか!!」

声を張り上げるように、女が話す。

「私は、そんな大したもんじゃないよ。むしろ、半端に夢を見せて、いらぬ苦しみを与えただけなんじゃないかと、そう後悔している」

「そんなことはありません!あなたがお菓子をくれなければ、私は食が美味しいということを知りませんでした!あなたが絵本をくれなければ、美しいということの意味を知らないままでした!!それを知ることで得た苦しみも、私の大切な経験なんです!」

女のこぼれた涙が、“先生”の腕を伝っていく。

「心の温かい子に育ったんやねえ、私は嬉しいよ。最後に君の成長した姿を見れて」

「最後だなんて、言わないでください!生きて、あの人にあなたをクビにしたことが間違いだったって、証明してください!!」

「無茶を言うねえ、本当そういうところは、変わらないままだ」

立ち会っていた医者が、口を開く。

「老化と以前の破裂の影響で、脳の血管が弱くなっています。またいつ切れてもおかしくないし、手術に耐えられる年齢ではない。……こうやって、会話を交わせていることが奇跡です」

“先生”が、俺のほうを向く。

「君は、誰だい?申し訳ないが、思い出せないねえ。」

「……ええ、初めてお会いしますから。」

嘘だった。

俺にとっても、彼は“先生”だった。

でも、俺はこの人の期待を裏切ってしまった。

名乗る権利などないし、何よりこの二人の関係に割って入るのは無粋だ。

「大方、この子がわがままを言ってここまで来るのを、手伝ってくれたんやろ?ありがとう」

「いえ、俺が勝手にしたことですから」

「ええ子をみつけたみたいやねえ、これで私も安心して逝けるよ」

そういう間柄ではありません、と言おうとした時だった。

“先生”が急に苦しみだす。

その後のことは、泣く女をあやしながら、集中治療室の前に座っていたことだけは覚えている。

結局、それが彼の最後の言葉となった。


「あの人は、私の家庭教師でした」

ティッシュペーパーを何袋も使いつぶしてから、女は話し出した。

「父は私を家から出さず、何人もの家庭教師を雇い、幼いころから英才教育を施していたのですが、彼は礼儀・作法の担当でした」

「朝から晩まで、みっちりスケジュールが詰まっていて。子供らしいことを何一つできなかった私を見かねて、お菓子をくれたり、絵本を読み聞かせてくれたんです」

いかにもあの人らしい、と思った。

俺が覚えているのは、例え自分が不利になろうと、自分が信じる正しさを貫こうとする姿だった。

「けれど、それがあるときついに父の知るところとなり、癇癪を起した父に叩きのめされて、クビを宣告されたんです。……脳の血管が切れたのは、その時の打撲が元だ、と人伝手に聞きました」

「危篤の恩師に会いたいって、なんで言わなかったんだい?」

「……怖かったんです。口に出すと、運命が確定してしまいそうな気がして」

「言霊思想ってやつか。俺は信じちゃいねえが、そういう信仰は否定しないさ」

「聞いていただいて、ありがとうございました。おかげで、楽になりました。」

足音が遠くから聞こえてくる。

曲がり角から、黒服の男が現れたのを視認する前に、俺は女を庇う体勢に入っていた。

「お嬢さま!旦那様がお戻りになる前に帰ってこい!」

「……は?」

俺は、女の側に顔を向ける

「ええ、そこの男は我が家の古くからの執事の一人です。どうしてもここに来たくて、咄嗟に嘘をついてあなたに助けを求めました。ごめんなさい」

そこには、あんなに泣いていたか弱い女はいなかった。

受ける印象は、キビキビと話す貴人……女って、怖いなあ。

「なんかその、済まなかった」

俺が暴力を振るった事実はあるので、申し訳なくなって黒服に謝る。

「いえ、謝る必要はありません。客観的に見て、あの場面であれば私も同じことをしますので」

人間ができてるもんだ、こいつの爪の垢を俺に絡む連中に飲ませてやりたい。

「出迎えご苦労さまです。どちらにもご迷惑をおかけしました」

「これも仕事ですから。それに、お嬢様の初めての我が儘ですし」

「俺も、勝手にやったことだ。それじゃ、そこの使用人さんが困らないよう、早く帰ってやりな」

ひらひらと手を振って、立ち去ろうとする。

「ええ、それではまた後日お会いしましょう」

その声には、少しだけ感情がこもっていた気がした。


あれから、一か月経ったが、特に誰かが訪ねてくることもなかった。

俺は名乗ったわけでもないし、それで探すのも難しいだろう。

一瞬でも接点ができたことのほうが奇跡だと、割り切ろう。

カツアゲをしてきた半グレから、迷惑料代わりに千円だけ抜き取って、夜飯を買って余った金でついでに新聞を買ってみた。

特に変わったことなどないだろう、と思っていたが、大企業の社長の汚職が発覚して、それを暴いた娘が後を継いだらしい、という記事が目に付く。

しかも、今働いてる現場の親会社だった。

でも、自分たち最底辺肉体労働層に、そうそう影響はないだろう。

「ん?この顔どこかで……?」

何故か新社長の写真に引っ掛かりを覚えた俺は、クビを捻る。

トントン

古びたドアを叩く音が聞こえた。

おかしい、普段こういうときに来るのは、ドアを壊す勢いで叩いてくるような奴らなんだが……?

足音を立てないように接近し、ドアスコープを除く。

なんらかの罠なら、下手に窓から出ていくほうが危険だ。

表の状況によっては不意打ちでこっちから飛び出して、などと思考をまとめていたが、全部吹っ飛んだ。

「夜分遅くにごめんなさい、約束通りお礼に伺いました」

その声は、病院に連れて行ったあの女のものだった。

「……あんた、また一人で来たのか?」

ドア越しに、返事をする。

「いいえ、今日は使用人も護衛も連れてきています。」

「おやじさんが、よくこんな時間に出るのを赦してくれたな。」

「あら、ニュースはご存じありませんか?」

ニュース?

その言葉に、俺はまだ手に持っていた新聞に目を落とす。

「お、お前、あんただったのかよ!?」

「あんたとお前は、同じ意味の代名詞ではありませんの?」

動揺で、意味の通らない言葉を口にする。

「……新社長さんが、わざわざ俺のために足を運んでくれたってのか」

「私、恩は忘れませんので。でも、こんなに長くお待たせしてしまったのは、申し訳ないわ」

そして、その日、俺の運命は明確に変わった。

「私はあなたが欲しいの、だから使用人になってくださいません?」

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逆玉 牛☆大権現 @gyustar1997

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