14.胡蝶蒼樹《植物》

 胡蝶蒼樹こちょうそうじゅは、寒すぎず暑すぎない地域にのみ生息する、大型の樹木である。


 普段は枯れ木のようにしなびて侘しい見た目をしているが、春になると瑞々しい生命力を発揮し、エメラルドグリーンに輝く葉を着け、透き通ったターコイズブルーの花を咲かせる。夏になる事には全て落ちて、また枯れ木の姿に戻る。

 枝の生え方も変わっており、羽を広げた蝶のように両端を広げた姿をする。

 葉と花を満開にしたその姿が、巨大蒼い蝶のようなので、胡蝶蒼樹と名付けられた。


 胡蝶蒼樹の森は、春になると眩い蒼に包まれる。そのような場所はそうは無いが、人生を賭しても見る価値のある景色だ。

 その煌めきと光の蒼い森を見る為だけに、世界中を旅する者もいる。

 もちろん、そういった旅人は胡蝶蒼樹の森だけが目的ではないが、何せ、世界にはたくさんの素晴らしい景色があるのだから。


 とある常春の街に、一本の巨大な胡蝶蒼樹が中心地に植わっている。

 巨大な胡蝶蒼樹の中でもこの木はひときわ大きく、町の一部分を覆ってしまうほどだ。

 胡蝶蒼樹は、葉も花もお茶にして飲むとなかなかに美味しい。それぞれの色をそのまま残すため、特に目を楽しませる。

 この街では、旅人にこの胡蝶蒼樹のお茶が振る舞う慣習がある。

 旅の道行が幸多きものでありますように、と願いが込められている。


 元々、この胡蝶蒼樹のある街の周辺は作物もまともに育たないような、荒廃した寒い土地だった。それでもここに住む者たちは、この土地以外に行く場所がなく、例え辛く厳しい生活であっても、この地にしがみつくしかなかった。

 ある日旅人が、この土地を憐れみ小さな胡蝶蒼樹の切り株を植えた。

 貴重な水をこの木に与え続けていたが、寒い土地ゆえに春は来ず、なかなか葉や花は開かなかった。


 最初はこの奇特な旅人を疎ましく思っていた人々だが、ある日、この小さな木の周囲に知らない草花が生えているのに気が付いた。

 それは、春が訪れる場所でしか育たない草花だった。

 人々は感激し、みんなで胡蝶蒼樹の世話をした。

 寒々しい生活の中、この樹と周囲の草花の成長は、人々の心の糧となった。


 それから、胡蝶蒼樹は飛躍的に成長した。

 たったの十数年で立派な成木になる頃には、かつての旅人もその土地の人々と仲良く暮らすようになっていた。

 荒廃した土地には緑が増え、作物が育つようになった。辛い寒さもなりを潜め、暖かい日が多くなっていった。


 とうとう胡蝶蒼樹が葉と花をつけた日、人々は大歓声を上げた。

 春が来たのである。

 胡蝶蒼樹はそれからもぐんぐん成長を続け、今の大きさになってやっと成長が止まった。

 だが、葉と花を落とす事は無く、常に青々と輝いていた。


 この光景を見た旅人は、新たに旅に出ると人々に告げた。

 人々は引き留めたが、また新しい景色を見たいから、と笑顔で語る彼を止める事はできなかった。

 代わりに、彼が植えた胡蝶蒼樹で造ったお茶を振る舞い、旅の安全を祈った。

 これが、この街の慣習の由来となった話である。


 胡蝶蒼樹は春の訪れで葉と花をつける大樹だ。

 だが、この胡蝶蒼樹は、この地に春を連れてきた。

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