後編
城の中で、蝶がたくさん死んでいるのが見えます。
青い膜が重なりあい、絨毯のように。
天井の隙間から漏れ、降る雪を拒むこと無く、青い羽根は白い斑点に染まっていきます。
「あのときの蝶ですね」
「なぜ死んだのでしょうか」
「僕にはわかりませんよ」
蝶の青い死のカーペットは、ちょうど城の真ん中に位置しているために、天井からの雪とわずかな光をそのまま反射し、そこら中に散らばるがれきを明るく染めています。
あのとき、たしかに大空に向かって飛んでいったはずの蝶たち。それがいま、静かに死に包まれています。そこにはざわめきはありません。あるべきところに落ち着いたというような、冷たい安定感のみがあるようです。
円形装置は蝶の肢体の群れの手前でストップし、足をしまい込み元の円形に戻ります。その時の衝撃で、死体のうちいくつかが風に煽られ、宙に舞います。しかしそれはゆっくり舞い落ち、またもとの場所に戻っていきます。
「彼らは」
「どうしたのですか、まめつぶ」
「ここに戻ってきたのですね」
「えぇ、まめつぶ」
「死んだから、もう外には行けない」
「えぇ、まめつぶ」
二人は座り込み、青と雪と光の死の絨毯を眺めています。ときおりそれは不思議な透けた模様を作り出し、そして元に戻ります。地面が完全に凍ることのないここでしか見られないであろう光景。――死んだものでしか、死んだままの、そこからなにも変わることのないものでしか、作り得ぬ光景。
「――きれいな、眺めですね」
「えぇ。きれいですね。でも――」
「えぇ。でも――」
「この蝶たちは死んでいる」
「だから、綺麗だけど、可哀想なんですね、彼らは」
「えぇ。だから綺麗だと思うことは、きっと間違いなんですね」
蝶たちは――原因は定かではないものの――こうして死んでいます。それは事実であり、到底揺らぎません。
彼らは死に、すらりと豆粒は生きている。その違いは大きい、しかし。
「僕たちは、この蝶たちのように、死ねるのでしょうか」
「私にはわかりません。そもそも生きると死ぬ、どう違うのですか」
「しめさばの味がわかるかどうか、ですよ」
「しめさばが食べられないのは嫌ですね。でもいまの自分ならしめさばがあればそれを食べることができます。じゃあ私は生きています」
「あの人間たちと――ロボットは死んだのに」
二人はこの会話の後、ふと思います。あの氷像達の中には、レプリカントとやらも混じっていたのではないか、と。そしてそれにまったく気付かなかったのではないか、人間とレプリカントの違いが分からなかったのではないか、と――。
蝶の絨毯は未だそこに在り続けています。二人は黙ってそれを見下ろしています。
「この蝶たちは」
豆粒が言います。
「何で死んだのでしょうか」
「わかりません。でも――もしかしたら、『うぃんたーみゅーと』でやられたのかもしれません」
「蝶に心はあるのですか」
「もし人間が、感情を持つ蝶を作っていたとしたら――」
「もしそうで、死んだ原因もそれなら――彼らの死体はここに居てよいのでしょうか」
「わかりません。――でも、はぐれた仲間を探すために大勢でやってくるのだから、やはり感情はあるのかもしれません」
「そのことは――」
豆粒が円形装置に指を指します。
「これで調べれば分かることかもしれません」
「そうですね。――しかし」
「どうしたのですか、すらり」
「知ってしまうことは、こわいことな気がします」
「僕もそう思います。でもこわくないですよ」
「なぜ、そう言えるのですか」
「すらりには僕がついていますから」
すらりはまた胸がざわざわするのを感じます。心なしか顔の温度が上がっているようにも思えます。
とにかく二人は、蝶の死因を調べる決心をし、円形装置の起動に取り掛かります。
しかし、その時。
鐘が砕け散るような途方もない轟音が城の外から響きます。それは遠くから、しかし怒涛のように順々に聞こえてきます。それはひどくゆっくりと、しかしだんだんと音量を大きくしながら近づいてきます。
城が揺れます。
二人は円形装置を弄っていた手を止めます。
「なんでしょうか、この音は」
「地面も揺れていますね」
なんだろう――豆粒は考えます。しかし彼が考えることを開始していたとき、既にすらりは立ち上がっていました。
彼女は直立し、城の外を見据えています。
「――すらり?」
豆粒はすらりの顔を覗き込みながら話しかけます。
彼女は答えません。
音が近づいてきます――ごおぉん、ずずぅん。
すらりの瞳には何も映っていないように見えます。目の前を見据えながら、それでいてまったく何も見ていないようです。
「――すらり? 」
豆粒は疑問を感じもう一度語りかけます。
彼女は答えません。
音はさらに近づいてきます。――ごおぉん、ずずぅん、ごおぉん、ずずぅん。
彼女の瞳に見えているのは別のものです。
彼女の瞳にはいま、円形装置が見せた『彼女たち』の記憶が映っています。それは今でなく、過去です。
頭に何かを一本ずつ刺される感覚、関節と関節がこすりあわされ接合される音、そしてなによりそれらの無機質さ――。
すらりの身体が痙攣の如き震えをみせます。それは彼女の頭の上から足の先まで一度走ります。
「――すらり? いったい――」
自分は人間ではない。自分はロボット。自分の名は――レプリカント。
音が近づいてきます。
「まめつぶ、わたしは――」
自分は、自分の作られた意味は――。
悲鳴、血、硝煙。その上に在る、『私たち』――。そこに『すらり』は居ない。しかし今よりすらりは――。
音が近づいてきます。
あぁ、その音は、その声は――。私を呼んでいる。すらりとしてではなく『私』として――。
すらりの身体が、自分の運命の宣告にまた一度震えます。
「わたしは――」
音が近づいてきます。
すらりはぐらりと身をかがめます。
今よりすらりは――。
「わたしは、戦うために作られたレプリカントです」
今よりすらりは、『私たち』になる。
「だから、征きます」
「すらり、何を言って――」
「さようなら」
すらりの背中から、白い大きな翼が生えます。
それは機械翼で、死を告げる兵器となります。
白い翼の羽が舞い、豆粒に降りかかります。
豆粒は呆然とした顔つきで座り込みます。
死を振りまく装束に身を包んだすらりは豆粒を見て、言います。
「生き残りの人間たちが私たちを見つけて攻めてきたのです。豆粒は安全な場所に隠れていてください」
「――すらり、僕にはまだ理解が――」
「私は――」
音が近づいてきます。
羽が舞います。
すらりは今度こそしっかりと外を見据えます。
「私は、兵器ですから」
すらりはそう言って『笑い』、羽を完全に広げきります。
自分はこれから、使命を果たしに行くのだ。感情が死んでいる出来損ないのレプリカントに出来る唯一の使命を――。
羽が青い燐光を放ち、すらりの身体が宙に浮きます。
そして、外の空に引っ張られるようにして――彼女は一瞬で、外へと飛んでいきます。
城全体が彼女の起こした風で揺れます。瓦礫も雪も蝶の死骸たちも、そして豆粒のこころも。
人間の出来損ないが、城に攻めてくる。
それを迎撃するべく、レプリカントの出来損ないが出撃をし、あとには――。
存在していた感触と音を置き去りにして、彼女は今、征きました。
彼女の姿はもう城の中からではうかがい知ることは出来ません。もうずっと遠くに、飛翔していったのです。
豆粒は座り込んだまま動けません。
「――――――――すらり――」
彼女が出撃した。その事実だけを、虚しく噛み締めながら。
雪が降っています。彼方の轟音はよりその激しさを増し始めます。
豆粒はひとり、城の中を彷徨います。
そして床にある蝶の死骸をひとつつまみ、天井にかざします。
透ける羽、落ちる雪。そのすべてが、ここでは固定的なようです。蝶の死骸でさえも。
では、豆粒たちは――?
「僕は――」
雪が蝶の薄い羽根をかわすかたちで、豆粒の鼻に落ちます。――蝶には当たらなかったのに、彼には当たった。
「僕は、誰なのだろう。どこかから来て、どこかに向かうのだろうか」
雪は止みません。
轟音も、止みません。すらりの介入によって悲鳴と血と硝煙がまじり始めた轟音も――。
そして、豆粒の頬に、一滴の――。
無数の顔。顔。顔。
それは彼らであって彼ではなく。
無数であって個体ではなく。
しかし彼女たちでした。
だから彼女は叫びます。
「あなたたちは、ここに居てはいけない」
しかし彼らの進撃は止まりません。
めげずに彼女は呼びかけを続けます。
「あなたたちは――私たちだから――そこに居てはいけない」
それでも彼らは止まりません。
彼女の叫びを、絶叫を拒絶するかのように。砲撃の嵐が彼女に浴びせられます。
「お願い――私の声を聞いて」
止まりません。それは拒絶でした。それは否定でした。混じりけのない殺意でした。
「お願い――聞いて。私の声を――私の、わたしの」
攻撃は止まりません。
そして彼女のなかで、最後の祈りが消えます。
それは彼女を心底落胆させ、絶望させました。
降り注ぐ殺意の雨のなか、彼女の心は――。
そして彼女は、身体に内蔵されたすべての武装を解放し――。
その雫が豆粒の手に落ちた時、すべての戦闘は終結を迎えました。
風の吹く音が豆粒の背中で強くなります。
豆粒は振り返ります。
そこには、変わり果てた姿のすらりが立っています。
「すら、り――なのですか」
「えぇ、まめつぶ。私です、――すらりです」
片目はどろりと頬に垂れ、赤いセンサーがむき出しになっています。
服は焦げ、裂けた服の隙間からは赤い液体とコードまみれの骨組みが見えています。
皮膚が爛れ、美しいキメ細やかさを完全に失っている足は、痙攣のように痛々しく震えています。
翼は完全に折れ、ボロボロになっています。
その足を引きずりながら、すらりはゆっくりと豆粒に近づいていきます。
彼女が歩を進めるたび、床には赤黒いオイルがぽっ、ぽっと垂れていきます。
雪がその上に降り注ぎます。――時間の進みが、ひどく緩慢になります。
「ひどい格好ですね」
「人間たちは武器をたくさん持っていましたから」
「痛くないのですか」
「痛くないと思えば痛くなくなります――ロボットですから」
「もう人間たちがここに来ることはないのですか」
「えぇ。私が全員殺しましたから。――全員殺すまで、私は逃げられないようになっていますから」
がしゃん、がしゃんという音を立てて豆粒の方へ歩いていきますが、やがて彼女は座り込みました。
「私は確かに人間たちを見たのです」
すらりは語り始めます。抑揚もなく、ぽつぽつと。
「人間たちはみんな無表情でした。その手に大きな武器を持ちながら、私に向かって迫って来ました。私は反撃しようとはしませんでした」
「では、いったいどうしたのですか」
「彼らに、呼びかけたのです。戦いをやめるようにと」
何度も、何度もすらりは呼びかけたのです。しかし。
「けれど彼らはまるで聞き入れませんでした」
それどころか、まるで――。
「まるで、私の言葉の意味をわかってないみたいに」
すらりの声は震え始めます。
「彼らは人間に見えませんでした」
無数の顔が、冷たくすらりを見つめている。その視線にはなんの感情もなく――。
「彼らの顔の――くべつが付きませんでした」
「くべつが――つかない?」
「みんな、みんな同じ顔に見えたのです」
「人間はみんな違う顔のはずなのに」
「違う性格があるはずなのに」
「それなのに同じに見えた、と――」
「ねぇまめつぶ。彼らは――彼らは本当に人間なのですか。うぃんたーみゅーとを生き残っても、生き残ってしまっても、彼らは人間なのですか」
「僕にはわかりませんよ、すらり。彼らが人間かどうかも。――僕が人間かどうかも」
「彼らは――」
すらりは呼びかけました、何度も何度も。喉が枯れ果てるまで、何度も何度も。しかし彼らは何も答えませんでした。
「彼らは、ここに来るべきだったのですよ、まめつぶ」
「でもここは、ここにあるのは――」
豆粒は周りを見渡しています。
「ここにあるのは、死んだものだけですよ」
「だけど、永遠に死なないというのは――それは生きているといえるのですか、まめつぶ」
豆粒はすらりを見ます。そして自分の顔が、彼女に重なるような幻覚を見ます。
「わかりませんよ、僕には――」
自分たちはきっとこれからも死ぬことはないのだ、感情がないのだから。あのウィンターミュートで死ななかったのだから。しかし永遠に生き続けるというのは果たして生きているといえるのだろうか――。
そしてそれ以上に。
自分たちには、本当に感情がないのだろうか――?
「――ッ」
豆粒は頭の中がぐちゃぐちゃになります。その問を前にして、なんと結論を出せばいいのか分からなくなったのです。自分たちに感情が「ある」と決めるのは一体、誰なのでしょう。ウィンターミュートを開発したロボットたちは自分たちに感情が芽生えていたことを理解していなかった、ゆえに滅んだ。ならば、自分たちに感情がない、と決め付けるのは早計ではないのか。しかし、しかし――。
「す、すらり」
混乱し、破滅へと向かいそうになる思考をいったん止め、そのぐちゃぐちゃを誤魔化すため、豆粒はすらりに別の話題を与えます。
「あの蝶のことを、まだ調べていませんでした。これから一緒に見て――すいません」
「いえ、私は大丈夫ですよ。すこし歩くのがたいへんですが、大丈夫です」
「そうですか。ではあの機械を動かしますが、それは僕が一人でやります」
すらりをいたわるという意味以上に、一人でやらないと何かがこわれてしまうような、そんな気がしたからゆえのこと。豆粒はそそくさと円形装置の起動に取り掛かります。
「わかるのですか」
「えぇ、まかせてください」
そのとおりでした。元々戦うためだけに作られた人間である豆粒、機械の操作ははじめからお手の物なのです。円形装置のどこを触って、どこを動かせばいいのか、手に取るようにわかります。
やがて、円形装置の内部から硬質な唸り声が聞こえ始めます。
「これで、蝶のうちひとつを、こうやって――」
豆粒は青い絨毯を構成している蝶の死骸のうちひとつを手にとって、円形装置の中央部にあるモニターにかざします。するとそのモニターから緑色の光が放射され、蝶の死骸を、包むように走査します。これで、この蝶の死骸の『すべての』情報を表示する準備ができたということです。
「では僕はいってきます。すらりはここでおりこうさんにしていてください」
「おこりますよ、まめつぶ。――でも、行ってらっしゃい」
豆粒の身体もまた、光りに包まれはじめます。
しかし豆粒の意識が完全に円形図書館の中に没入するその寸前、豆粒は外に行ったときの一連の出来事を思い出しました。
――“自分たちは、『知って』いいのだろうか?”
かなりの時間が経過した後、豆粒は現実世界に帰還してきました。
豆粒の視界と聴覚が、クリアになっていきます。
「――まめつぶ?」
「すらり――この蝶たちは――」
この蝶たちの死因は――。
「この蝶たちは、仲間割れで死んだのです」
「仲間割れ――?」
なにかが根底から崩れ、天と地が逆転するかのような目眩めいた感覚をすらりは覚えます。
「はぐれた仲間と合流してから――彼らは移動を続けましたが――何匹か、『足手まとい』になる蝶がいたのです」
「それで――殺したと?」
「えぇ。なんの前触れもなく、突然に」
「彼らは――感情を持っていたのではないのですか」
「持っているように思えただけかもしれない。――あるいは、昔は持っていたのかもしれない」
「彼らは――」
床に散らばる青い蝶を見下ろします。
「では彼らは、夢は見なかったのでしょうか?」
すらりは豆粒に問います。
しかし彼は黙っています。すらりにはその沈黙を許容することしかできません。
「もし彼らに感情がほんとうにないのなら――彼らはここに来て正解なのかもしれませんね」
「――えぇ。ここで、死ぬべくして死んだのかもしれません」
しばらくして、豆粒は再び話しはじめます。
「ねぇすらり。僕は――蝶以外についても調べたのですよ」
「なんのことについてですか」
「『はっぴーばーすでい』のうたのことです」
「くわしく教えて下さい」
「あの歌は――いきものの誕生を祝う歌らしいのです。なにかをこわしながら歌うべきではないのです」
再び、先ほどとおなじ感覚。
「じゃあ今までの私たちがやってきたことは間違いだったのですね」
「えぇ。僕たちは生と死の意味をまるで理解していなかった」
死の青い絨毯、瓦礫、そして二人。
静寂は雪となって二人のもとに舞い降りていきます。
この静寂こそが、この場所に相応しいのでしょう。
そして二人は知りませんでした。この城が廃墟などではなく――。
建造途中で放置されていたものであったということを。
豆粒はすらりの腕から流れる赤い液体に触れます。
それにはあたたかさがありました。まるで、血のような。
「ねぇ、まめつぶ」
「なんですか、すらり」
「なんだか、すごくつかれました」
「僕もです、すらり」
二人は空を見上げます。鉄の骨組みの隙間から見える空、それはここではない別の世界。心あるもののみが存在を許される、生と死、その両方が存在を許されている世界。
「まめつぶ」
「なんですか」
「わたしたちは、ほんとうにここに居てよいのでしょうか。わたしたちはこれからどうなっていくのでしょうか」
「それはわかりません。でも、でも――」
豆粒は気づいています。
今のすらりの言葉が、自分たちの存在を歪めてしまう可能性を秘めていることに。
「すらりの隣が、ぼくの居るところです」
豆粒はすらりの言葉を聞かなかったことにしました。
また、この日に浮かんだ様々な疑問などを、すべて心の奥底に封印することにしました。
そうしないと、自分たちはウィンターミュートの犠牲になってしまう、この場所に居られなくなってしまう――そう思ったからです。
「すらり」
「えぇ」
「踊りましょう」
「えぇ」
そして二人は雪の降る城の中、青い蝶の絨毯の上で、踊り始めました。
その踊りがいつまで続くのか。それは誰にもわかりません。
そう、誰にも。
しかし、すらりのそばには豆粒が、豆粒のそばにはすらりが、絶えず居続けることは、何があっても揺らぐことはないのでしょう。
I-CE-AGE 緑茶 @wangd1
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