第28話 一緒に
それから、しばらく相談した末、白柳の中学校の卒業アルバムを捨ててしまうことにした。
ただ、なにか目に見える形で“終わり”を示したかったのだ。気持ちは、あとから着いてくればいいと思った。
図書室の鍵を職員室に返してから、学校を出た。
いつか彼女の言っていた通り白柳の家は遠くて、学校を出た頃はまだ眩しいほど明るかった夕日がほとんど沈んでしまった頃に、ようやく到着した。
白柳はあがるよう勧めてくれたが、時間もだいぶ遅くなっていたため、玄関で待っていることにした。小走りに二階へ上がっていった白柳は、すぐに立派な革表紙のアルバムを手に戻ってきた。
それからまた、二人でしばらく考えた。これをゴミ袋に入れてゴミ置き場に置いてくるだけでは、なんとなくすっきりしない。きっちりと“終わり”を見届けなければ、意味がない気がした。
悩みながら、とりあえず外へ出てみたところで、遠くからかすかに煙の匂いが漂ってきた。どこかで焚き火でもやっているらしい。
「燃やすか」
ふっと浮かんだ考えを口にしてみれば、白柳もすぐに同意した。
白柳はふたたび家の中へ入っていくと、今度はマッチを手に戻ってきた。それから、先日彼女と待ち合わせた、工場の横にある公園へ移動した。
「これ」と、公園に着いたところで白柳はアルバムに目を落として
「やっぱり、最後に開けて見たほうがいいんでしょうか」
「べつに、白柳が見たいなら見ればいいと思うけど」
そう答えれば、白柳はしばらく考えたあとで、結局見ないことにしたらしかった。
「やっぱり、いいです」
唐突に白柳がそんなことを言ったのはすでにアルバムに火をつけたあとだったので、今更そう言われても、と、ぱちぱちと音を立てて黒くなっていくアルバムを見ながら当惑してしまったが、続いたのはアルバムについての言葉ではなかった。
「私が死んでも、先輩は生きていてほしいです。いっぱい、いっぱい長生きしてほしいです」
白柳のほうを見れば、彼女は静かな表情で炎を見つめていた。その口元にはかすかに笑みがあった。橙色に照らされた彼女の横顔は、不思議なほど穏やかに見えた。
頷いてから、視線を戻した。表紙にあった三ツ木中学校の文字は、すでに見えなくなっている。
「でも、俺は」炎を見つめたまま、続けた。息を吸えば、煙の匂いがつんと鼻腔を刺す。
「出来れば、白柳と一緒に生きていたいよ」
はい、と返ってきた声も、ひどく穏やかだった。
アルバムはだんだんと形を失い、ぼろぼろと崩れていく。そうして、そこに残るのが黒い灰だけになるまで、二人でそれを眺めていた。
気づけば夕日は沈んでいて、公園は薄暗い。この場所だけが、柔らかな光に照らされていた。ふと空を仰げば、暗い空に真っ白な煙が昇っていくところだった。
その翌日の、昼休みのことだった。
四限目の授業が終わったばかりの、今し方先生が教室を出て行ったという頃に、白柳がやって来た。
白柳が二年二組の教室に来たこと自体初めてだったため、それだけで驚いたのだが、彼女が入り口で足を止めるのではなく教室の中にまで入ってきたので、さらに驚いた。
それは俺の他のクラスメイトたちも同じだったようで、先生が出て行くと同時に喧噪が起ころうとした教室は唐突に静まり、皆、無関心を装いきれていない様子で白柳を見ている。授業が終わるなり弁当を掴んで教室を出て行こうとしていた健太郎も、突然の訪問者に動きを止めていた。
呆気にとられているうちに、白柳はまっすぐに俺のほうへ歩いてきた。
目の前に立った彼女の表情は、緊張しているらしく硬いものだったが、怯えた様子はなかった。
「え……どうした?」
あからさまに困惑して尋ねる俺とは対照的に、白柳は腰を据えた様子だった。
すう、と一度息を吸う。それから、私、と口を開いた。その声が思いのほか大きかったため、また面食らう。
「先輩のこと、信じてます」
はっきりとした口調で、白柳は言った。
そこに、迷いはみじんも見えなかった。
教室中が、ことの成り行きを見守っているように静かなので、白柳の声はやたら大きく響いている気がした。それでも白柳は気にする様子もなく、言葉を紡いでいく。
「何があっても変わらないです。私は、先輩を好きでいます。ずっと」
まっすぐにこちらを見据える彼女の目はまったく揺るがない。
それは、初めて目にする白柳の姿だった。勇ましさすら感じて、俺は相変わらず呆けたように目の前の彼女を見つめているしかなかった。
「私は」もう一度ゆっくり息を吸う。そして、柔らかく微笑み、続けた。
「ずっと、先輩の味方です」
最後まで、白柳の視線は彷徨うことなく、声も震えなかった。
白柳はそこまで言い切ると、ふいに表情を崩した。はにかむように、笑う。途端に幼くなったその表情は、見慣れた白柳の顔だった。
おくれて、彼女の頬が赤くなる。「それだけ、言いに来ました」と早口に付け加えた声は、照れたような調子に変わっていた。
言い終わるなり、白柳はさっさと踵を返した。呆気にとられっぱなしだった俺は、何か言葉を返すことも、追うことも出来ないまま、夢を見ているような心地でその背中を見送った。
教室の入り口のところには、駿が立っていた。入るに入れずにいたらしい。
白柳は、駿に気づくと足を止めた。それから少し迷ったあとで小さくお辞儀をするのが見えた。駿が彼女になにか声を掛けると、白柳は照れたように笑ってから、もう一度お辞儀をし、それから早足に立ち去った。
白柳がいなくなると、駿はこちらを見た。なにか考えるように彼はしばらく俺の顔を眺めていたが、やがて急に踵を返し、一組の教室へ戻っていった。
未だ呆然としたままだったところに、
「びっくりしたー。柚ちゃん、けっこうやるねえ」
と、すぐ後ろから聞き慣れた高い声が聞こえてきた。
振り向くと、いつからいたのか、いつものようにコンビニのビニール袋を抱えたみなが立っていた。
予期せぬ出来事に戸惑うような空気が満ちていた教室は、思い出したように騒がしさを取り戻してきた。
弁当を掴んで立ち上がりかけたまま固まっていた健太郎も、ようやく我に返ったように中断していた動作を再開しかけたが、それはすぐにまた止まった。
駿が、また戻ってきた。今度は、なぜか桜さんを連れている。
連れているというより、引っ張ってきたらしい。右手でしっかり桜さんの左腕を掴んだまま、二組の教室に入ってきた。
「ちょっと、高須賀くん!」とあわてたように桜さんが声を上げるのは無視して、駿はほとんど彼女を引き摺るようにして、こちらへ歩いてくる。
ぎょっとして思わず立ち上がりかけたが、それより先に、前の席の健太郎が、がたんと音を立てて立ち上がった。俺以上にぎょっとした様子で、自分のほうへ歩いてくる二人を見ている。
駿は健太郎の前で足を止めた。
「刈谷、だっけ?」
駿が、そう健太郎に声を掛けると、桜さんはさらに焦ったように「高須賀くんってば!」と声を上げていたが、やはり駿は無視して
「ちょっと来いよ」
と、低く言った。
状況が呑み込めずぽかんとしている俺の横で、「駿、もうちょっとやり方考えればいいのに……」と、みながため息混じりに呟くのが聞こえた。
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