第47話 【書籍化】お葬式

 二十代前半の中川陽多なかがわようたさんに聞いた話だ。


「僕が小学二年生ときの話なんですけどね、親戚の葬式が二回続いたことがあったんです 」


 中川さんはそう言って一回目の葬式の話をはじめた。


「わりと大きな葬儀場を借りた葬式で、開始時刻は確か午前十一時にでした。でも、普通は少し早めに式場に入るじゃないですか。僕も早めに式場に入って待ってたんです」


 式場内のあちこちにすすり泣く声が響いていたという。故人は二十一歳青年で、死因はバイクの単独事故だった。幼い子供は葬式だろうがなんだろうが、得てしてどこでも無邪気に騒ぐものだ。しかし、故人を慕っていた中川さんは、親族席に座って涙を堪えていた。


「そしたら、いつのまにか大志たいし兄ちゃんが、僕の隣りに座っていたんですよね……」


 聞けば、大志さんは中川さんの従兄弟いとこにあたる人らしかった。年齢は中川さんより十五ほど年上とのことだ。徒歩でもできるところに住んでいたというのもあって、小さい頃の中川さんはよく大志さんに遊んでもらっていた。


「僕は妹しかいないんですけど、子供の頃は兄貴がほしかったんですよ。だから、大志兄ちゃんのことを、本当の兄ちゃんみたいに思ってました。もしかしたら、大志兄ちゃんのほうも、僕のことを歳の離れた弟みたいに思っていてくれたかもしれません。今となってはもうわからないことですけどね……」


 中川さんは少し寂しげな顔を見せたあと、「とにかく」と仕切り直すように話を続けた。


「その大志兄ちゃんが僕の隣りに座ってたんです……」


 親族席に座って涙を堪えていた中川さんは、大志さんに気づいて悲しみが吹き飛んだという。悲しよりも驚きがまさった。大志さんが隣りの席にいるなんてあり得ないことだった。


 中川さんのその驚きを察したかのように、大志さんがニッと笑って尋ねてきた。


「俺にまた会えると思ってなかっただろ?」


 中川さんは半ば呆然として頷いた。


「う、うん……」


 二度と会えないはずだった大志さんがここにいる。考えてみれば恐ろしいことだ。しかし、驚きは隠せなくても、怖さを感じることはなかった。また、式場内で多くの親類縁者や友人が式の開始を待っていたというのに、ひとりとして大志さんに気づいていないのが不思議だった。


「さてと」大志さんは立ちあがりながら言った。「外にいくぞ」

「え……」

「葬式なんて辛気臭い。どこでもいいから遊びにいこう」


 大志さんは中川さんの手を掴んで引っ張った。


「ほら、いくぞ」

「でも……」


 中川さんは一瞬躊躇した。遊びに出かけると葬式に参加できなくなる。だが、躊躇したのは一瞬だった。


「なにしてる。いくぞ」


 大志さんと遊びにいけるものなら遊びにいきたい。結局中川さんは大志さんに手を引っ張られるまま席を立ったそうだ。


「子供は頭が柔らかいというかバカというか……」


 中川さんは当時を振り返ってそう言った。


「誰も大志兄ちゃんに気づいていないなんて、もうその時点でおかしな状況なんですよ。でも、遊びにいこうとするんですもんね。大志兄ちゃんが帰ってきて嬉しいって、そんなことまで思いはじめてましたし」


 式場の外には瀟洒なエントランスホールがただっ広く設けられていた。ずんずん歩く大志さんに手を引かれながら、中川さんは半ば駆け足のように歩を進めた。ずっと奥に目をやれば、葬儀場の外に臨む自動ドアが見て取れる。大志さんの足はその出入口に向かっているらしい。


 大志さんはなおもずんずん進んだ。しかし、ふとその歩を緩めると、「そういや……」と話かけてきた。


「あれはどうなったんだ? 鉄棒のテスト。結果を聞いてなかったよな」


 二週間ほど前に学校で鉄棒のテストがあった。それについて尋ねているのだろう。


 当時の中川さんは逆あがりが苦手だった。いくら思い切り地を蹴りあげても、身体が回転せずに戻ってくるのだ。しかし、大志さんに特訓してもらったあとは、自分でも驚くほど簡単に逆あがりができるようになった。おかげで苦痛に思っていた鉄棒のテストも一発合格だった。


 中川さんがそれを伝えると、大志さんは歩みを止めた。そして、中川さんの頭をグシャグシャッと撫でた。


「一発合格か。やるな」


 大志さんの頭の撫で方はいつも乱暴で、髪と指が絡まって少し痛いときもある。しかし、中川さんはその撫で方が決して嫌いではなかった。どことなく安心するのだ。


「合格したお祝いにアイスでも買ってやるか」

「ほんと?」

「おう、ほんとだ。百円以上のやつでもいいぞ」


 大志さんは人差し指と親指で百円玉の形を作ったあと、また中川さんの手を引っ張りながらずんずん歩きだした。


 やがて自動ドアがすぐ近くまで迫ってきた。あのドアをくぐればもう葬儀場の外だ。そう改めて認識した中川さんは、再び躊躇ためらいを覚えはじめた。


「ねえ、大志兄ちゃん、ほんとに遊びにいくの? お葬式に出れなくなるけど……」

「だから、辛気臭い葬式になんて出なくっていいんだって。本人が言ってるんだから間違いないだろ」


 確かに本人が言っていることだった。この葬式は交通事故で亡くなった大志さんのために執り行われているものだ。なぜ死んだ大志さんがここにいるのかさっぱりわからないが、大志さん本人が葬式に出なくていいと断言している。きっと本当に出る必要がないのだろう。


 躊躇ためらいのなくなった中川さんは、歩を進めて自動ドアをくぐろうとした。そのとき、後ろから誰かに肩を掴まれ、強い力で乱暴に引っ張られた。思わず大志さんの手を離してしまった中川さんは、バランスを崩して尻餅をつくように転倒した。


 派手な転び方をしたわりには痛みはなかった。だが、腹は立つ。誰が肩を引っ張ったんだ? 中川さんは立ちあがりながら、睨むように背後を振り返った。ところが――


「え……」


 そこには誰もいなかった。肩を掴まれた感触がまだ残っているというのに、それらしき人物がどこにも見当たらなかったのだ。


「なんで……」


 わけがわからないまま前に向き直ると、大志さんが中川さんをじっと見おろしていた。しかし、さっきまでの大志さんとはまるで別人だ。能面を被っているかのように無表情で、目は作り物めいた光を放っている。生気がまったく宿っていのだ。さながら大志さんにそっくりな死体がそこに立っているかのようだった。


 大志さんは能面じみた顔のまま、中川さんに手を差し伸べてきた。


「さあ……いこう……」


 やけに平坦な声だった。中川さんは急に大志さんが恐ろしくなった。これはたぶん大志さんではない。直感がそう告げていた。


 差し伸べられた手から逃げるように、中川さんが思わず後退あとずさったときだった。自動ドアの外から強い風が吹きこんできた。


「――わッ!」


 反射的に顔を手で守り、両目をギュッと閉じた。強い風ではあったものの、そのひと吹きでおさまったそうだ。中川さんが恐るおそる目を開けてみると、今しがたまでそこにいた大志さんが、蒸発したかのように消えていたという。


「あれは大志兄ちゃんじゃなかったです。見た目は大志兄ちゃんにそっくりでも、そのほかが全部別人だったんです。気配とか表情とか、そういうのが全部……途中で入れ替わったのかもしれませんし、最初から違っていたのかもしれません。今となってはどっちなのかよくわかりませんが、少なくともあの瞬間の大志兄ちゃんは別のなにかでした。本物の大志兄ちゃんは――」


 中川さんは自分の肩を触った。


「たぶん、僕の肩を引っ張ってくれたのが本物の大志兄ちゃんです。式場に現れたのは偽物の大志兄ちゃんで、きっとヤバいものだったんだと思います。もし、あのままあれについていってたりしたら、最悪なことになっていたかもしれません。だから、大志兄ちゃんは――」


 中川さんの肩を掴んで引き戻した。中川さんが転んでしまうほどの強い力で。


「あの乱暴に引っ張る感じは間違いなく大志兄ちゃんです。頭をグシャグシャッと撫でるときの乱暴さにそっくりでしたからね。姿はまったく見えませんでしたが、大志兄ちゃんはあそこにいたんです。あそこにいて偽物から守ってくれたんだと思います。もし、あのとき大志兄ちゃんに肩を引っ張られていなかったら、僕は今頃……」


 ひどく神妙な顔をして、中川さんは口を閉じた。


 話は変わるが、大志さんの葬式には多くの親類縁者が参列していた。そのうちのひとりに小学一年生の幼い女の子もいたそうだ。なぜか女の子は式の直後に姿を消し、約十五分後にふらっと式場に戻ってきたらしい。短い時間だったために姿を消したこと自体は大騒ぎにならなかった。だが、戻ってくるや否や突然嘔吐して意識を失ったのだという。


 中川さんは冒頭でこんなことを口にしている。


「僕が小学二年生ときの話なんですけどね、親戚の葬式が二回続いたことがあったんです」


 一回目は大志さんの葬式だったが、二回目はその女の子の葬式だった。


 意識を失った女の子はすぐさま式場から病院に搬送された。しかし、結局は意識が戻らないままその日のうちに亡くなったという。死因は突然死という曖昧なもので、葬式は数日後に執り行われた。


「もしかしたら、大志兄ちゃんの葬式での出来事は、全部僕の妄想だったのかもしれません。子供の頃なんてわけのわからない妄想を抱くものですしね。現実と妄想をごっちゃにして記憶しているとか、そんなパターンも子供だと普通にありそうですし」


 しかし、もし妄想ではなかっとしたら――


「僕の前に現れた偽物の大志兄ちゃんが、女の子の死に関係しているように思えてならないんです」


 中川さんはまた自分の肩に触れた。


「僕は運よく本物の大志兄ちゃんに引き戻してもらいました。でも、もし引き戻してもらっていなかったら……そう考えるとゾッとするんです。二回目の葬式が女の子のものではなく、僕のものになっていたかもしれませんから……」


 しかし、中川さんは大志さんに救ってもらったことを素直には喜べないそうだ。自分は今も生きているが、女の子は死んでしまった。もしかしたら、女の子を自分の身代わりにしてしまったんじゃないか――


 そんな思いがずっと頭から離れなれないのだという。





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