第46話 ついてきて(後編)
しばらく足もとの仔猫たちを見おろしていた林さんは、ふとハテナ猫の考えがわかったような気がしたという。
さっきまで林さんを先導していたハテナ猫が、なぜかトイレの裏でひっそりと死んでいた。それにかんしては筋の通る説明ができない。しかし、公園まで林さんをつれてきた理由は、きっとこの仔猫たちに違いない。ここに仔猫がいると知らせるために林さんをつれてきた。
「あとは頼むみたいな感じで僕に知らせたんじゃないかなって。もちろん、僕の思いこみだとはわかっていますよ。そんな映画や小説みたいなことが、現実にあると思えませんしね。でも、なぜかそのときはそう思えてならなかったんですよね」
根拠は示せなくても、強くそう感じたのだという。
「ただ、どうして僕だったのかとは思いますけどね。僕よりハテナ猫を可愛がってた人がほかにいたはずなんです。餌をあげたりとかしてね。なぜ、そっちの人に仔猫を託さなかったんでしょうね」
それでもハテナ猫は林さんに仔猫の居所を知らせた。無理やり押しつけられた形であっても責任のようなものを感じる。なにより仔猫たちをこのまま放置しておくのはかわいそうだ。人が手を差し伸べてやられなければ、仔猫たちの命は消えていくに違いない。一匹はすでに死んでいる。
飼ってやりたいとは思う。しかし、猫に限らず動物を飼うのはそれなりに覚悟がいることだ。しかも、一匹だけならまだしも三匹もいる。おいそれと連れて帰るというわけにもいかない。
「どうしたら……」
そう口をついて出たときだった。背後で「あの……」と声がした。周囲に誰もいないと思いこんでいた林さんは、驚きのあまり肩をビクッと跳ねあげた。悲鳴もあげそうになったが、かろうじて飲み込んだ。
心臓が早鐘を打つのを感じながら後ろを振り返る。すぐそこに立っていたのは、二十代後半らしき子柄な女性だった。
さっきまで確かに誰もいなかった。いつの間にそこに……? 林さんが不信感を抱いていると、見知らぬその女性は林さんの足もと――死んだハテナ猫をじっと見つめながら呟いた。
「その猫……」
女性の強張った声を聞いたとき、林さんは、あ……、と思った。この状況だと不審なのは自分のほうだ。変な勘違いなどをされていないだろうか。
「僕がここにきたときにはもう死んでたんです。決して僕がなにかしたわけじゃないですから」
林さんはそう言ってから後悔した。言い訳をしているようで余計にあやしい。だが、女性は「ええ、わかっています」とごく普通に返してきた。警戒しているようすもうかがえない。変な勘違いというのは杞憂だったらしい。
ホッと安心した林さんは、別のことが気になりはじめた。
女性を改めて見やる。ここは人けのない夜の公園だ。若い女性にとっては物騒すぎる場所に違いない。林さんも人のことを言えないが、なぜこんなところにいるのだろうか。
林さんがそれとなく尋ねてみると、女性はハテナ猫を見つめたまま言った。
「その猫についてきたんです。そしたらここに……」
聞けば、女性はこの近くに住んでいるそうだ。今日は残業で帰りがずいぶんと遅くなったらしく、家の近くに着いたときには午後十時を過ぎていたという。玄関先で鍵をだしてドアを開けようとしたとき、尻尾の変形した猫がどからともなく現れた。ちょくちょく見かけるノラ猫だった。女性はその猫にこう言われたような気がしたという。
ついてきて――
気のせいだ。女性はそう思いながらも、歩きだした猫を無視できなかった。あとについていくと、やがてこの公園に着いた。
すべて今しがたのことだと女性は説明した。だが、林さんがここに着いたときにはもうハテナ猫は死んでいた。女性の話のとおりであるとすれば、目の前で死んでいたハテナ猫が、ここに女性を連れてきたということになる。あり得ない話だ。だからといって女性が嘘をついているとも思えない。
林さんは奇妙で仕方なかったが、女性はそうでもないようだった。「不思議ですね……」と呟いただけだった。どうやら、あり得るはずのない不可思議な出来事よりも、ハテナ猫の死のほうに衝撃を受けているらしい。悲しげな声をポツリとこぼした。
「かわいそう……」
その横顔を覗き見たとき、林さんはハッと気がついたという。女性は整った目鼻立ちと白い肌の持ち主だった。さっき参加した婚活パーティーにもこんな美人はいなかった。体温が上昇するのを感じる。猫の死体を目の前にして不謹慎だ。そう自責してみるものの、胸の高まりは鎮まらなかった。
ここまでの話を聞いた僕は、まさかの展開を予感した。
「もしかして、婚活パーティーで見つけた相手じゃなくて、その女の人とつき合うことになったとか?」
林さんはニッと笑った。
僕は林さんの白々しい笑顔を見て察した。
「つき合ってないんですね……」
「バレましたか……」林さんは苦笑しながら続けた。「連絡先すら交換してません。そもそも結婚してる子でしたしね」
女性が既婚者だと発覚したのは、仔猫の分担が決まったあとだったという。
「この子たち、飼ってあげたいけど――」
女性は沈んだ顔で一匹しか飼えないと言った。それからチラリと林さんを見た。言わんとしていることは明らかだった。そのときの林さんはまだ恋の予感がしており、女性に気に入られようと
「このまま放ってはおけませんよね。僕が二匹持って帰ります」
すると、女性は表情をパッと明るくした。
「本当ですか?」
そのあとだった。
「夫と猫を飼おうか相談してたんです。でも、住んでいるマンションの規約で、動物を飼えるのは一匹までなんです。ほんとによかった……」
女性は夫という言葉はさらりと口にした。林さんは平然を装って「そうなんですね」と応じたが、内心では肩をガックリと落としていたらしい。
「あんなに綺麗な子ですからね、結婚していたとしても不思議ではありません。むしろ結婚していないほうがおかしいです。仮に独身だったとしても、平凡な僕は、あの子とは不釣り合いですし」
林さんは自嘲するように笑って、スマホに保存してある画像をみせてくれた。キジトラ柄の仔猫が二匹、寄り添い合って丸い目をこちらに向けている。
「ハテナ猫の子供ですか?」
「そうです。カツオとイワシっていうんです。めちゃくちゃ可愛いでしょう?」
ハテナ猫の子供たちは魚の名前がつけられていた。ハテナ猫という名前を聞いたときにも思ったが、林さんのネーミングセンスはやはり微妙だ。だが、妙な名前をつけても、二匹を溺愛しているのは確からしい。
「飼ってみると思いのほか可愛いくてね、今はこいつら中心の生活を送っています。もう人間のメスになんて興味ないです。カツオとイワシが僕の恋人です」
そんなことがあってから約二ヶ月が過ぎた頃だった。林さんと再び話す機会があって、彼の顔が妙にニヤついているなと思っていたら、開口一番に発したのは彼女ができたという報告だった。
「それはおめでとうございます。お相手はやっぱりあれですか、婚活パーティーで見つけたんですか?」
「いえ、婚活パーティーで知り合った子じゃないです。あれです、ハテナ猫の子供を見つけたときに、急に現れた子がいたって、そんな話をしたのを覚えてます? 仔猫を一匹だけ持って帰った子の話です」
その話ならよく覚えている。色白の美人が突然現れたと話していた。だが、その話に出てきた女性は既婚者だったと発覚し、ガックリしたと林さんは言っていた。まさか、独身をこじらせて、とうとう禁断の不倫へと突っ走ったのだろうか。
しかし、それは的はずれの心配だった。
「その子のお姉さんとつき合ってるんです」
相手は女性の三つ年上のお姉さんだった。二週間ほど前からつき合っているという。また、お互いに適齢期ということで、結婚を前提にしたつき合いでもあるそうだ。ようやく林さんにも春が訪れたようだが――
「それはまた急展開な……」
女性にお姉さんがいたなんて初耳だ。しかも、結婚ありきでつき合っているとは。
林さんは、お姉さんもかない美女であることと、ふたりの
「ハテナ猫が恋のキューピットになってくれたんですかね」
我が子を溺愛しながら育てている林さんに、ハテナ猫がお礼としていい縁を持ってきた。林さんはそう思っているらしいが、僕もきっとそうだと思うのだった。
さらに林さんはこんな話もした。
「カツオとイワシを飼いはじめてから、やたらとハテナ猫の夢を見るんですよね」
何日も連続で見ることがざらにあるらしく、昨晩もやはりハテナ猫の夢を見たという。
「ハテナ猫が死んだ理由は今もよくわかりません。でも、死因がなんであったとしても、もっと生きていたかったでしょうね。もっと生きてカツオやイワシを自分の手で育てたかったはずです」
林さんの話によると、夢の中のハテナ猫は、いつも仔猫たちに乳を与えているそうだ。
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