第44話 S小学校

 三十代前半の永井章一ながいしょういちさんに聞いた話だ。


 明日から夏季休暇に入るというその日、永井さんは職場の同僚と軽く飲んでから帰路についたそうだ。自宅の最寄り駅に着いた頃には陽がすっかり落ちており、ちらりと確認した腕時計は午後九時過ぎを指していた。


「普段は駅の西口から出るんですけど、その日は東口から出て家に帰りました」


 飲みにいった日などにときどきそういうことをするらしい。いつもとは違う道で帰りたくなるのだという。


「西口のほうは住宅街ですから住宅ばっかりです。でも、東口のほうには会社や小学校跡あって、西口とはちょっとようすが違うんですよね」


 永井さんは築五年のマンションに夫婦ふたりで住んでいる。話に出てきた小学校跡というのは十年ほど前に廃校なったS小学校ことだ。古めかしい校舎が今も取り壊されずに残っている。


 廃校になった学校施設の約半数が、災害発生時の避難場所に指定されているそうだ。S小学校の校舎が取り壊されていないのも、おそらくそういった理由があってのことだろう。


「別にその小学校を目指していたわけではないんですが、歩いているうちにたまたまそこの正門の前を通りかかりました。そしたら、廃校なのに明るかったんです。学校の塀に沿って、のぼりもたくさん立っていました」


 のぼりには『○○町夏祭り』と印刷されていた。どうやら、S小学校で祭りが催されているらしい。近頃は廃校を活用する廃校ビジネスというものがある。その一貫で祭りなどのイベントを催すこともあるのだろう。


 永井さんは祭りにとりたて興味がなかったものの、気まぐれに学校の外から中を覗いてみたそうだ。


 すると、運動場の中心にやぐらが設置されていた。それを囲むようにして三十人ほどの踊りの輪ができている。どうやら盆踊り大会らしい。定番の屋台も見て取れた。金魚すくい、ベビーカステラ、やきそば――。


 それをぼんやり見ていると、落ち着いた声が話しかけてきた。


「どなたでも参加いただけますよ。よろしければ、どうぞ」


 愛想よく声をかけてきたのは、浴衣を着た四十がらみの女性だった。校門のすぐそばに立っていた。すらりとした細い体型が印象的な人で、優しげな目もとにどこか品がある。


 さっきまでそこには誰もいなかったはずだ。祭りを覗いている永井さんを見かけて、学校の中から出てきたのだろうか。


 などと考えている永井さんに、女性がまた同じことを言った。


「どなたでも参加いただけますよ。よろしければ、どうぞ」


 しかし、祭りに興味のない永井さんは、断りの会釈をしてその場を離れようとした。すると、女性は優しげな目をすうっと冷たくさせて、黙ったまま学校の中に戻っていった。


 感じ悪いな、と永井さんは思った。


 女性は永井さんを見かけて愛想よく声をかけてきた。ところが、断った途端に冷たい目をして去っていった。ほんとに嫌な感じだ。永井さんは女性に苛立ちを覚えながら、S小学校をあとにして自宅へと向かった。


 十分ほどして家に着いた永井さんは、リビングで麦茶を飲みながら、奥さんの真実香まみかさんに祭りの話をした。


「自分から声をかけてきたんだぞ。なのに、断った途端に嫌な感じになった。パッと見が上品そうな人だから、そんなこと全然しなさそうなんだけどな……」


 すると、真実香さんは眉根を寄せて言った。


「それほんとなの? ちょっとおかしくない?」

「ほんとだって。最初は愛想よく話しかけてきたんだよ。でも、断った途端に冷たい目をして学校の中に入っていったんだ」

「いや、そうじゃなくてね、お祭り自体がおかしいって言ってるの。祭りがあった小学校跡って、駅の近くにあるS小学校のことでしょ?」


 永井さんが「そうだけど」と応じると、真実香さんはますます眉根を寄せた。


「あそこは去年の夏の台風で、校舎の一部が壊れたのよ。ずっと立入禁止になってるはずだけど……」


 以前は確かにS小学校の跡地を利用して祭りなどのイベントが行われることがあった。しかし、台風以降は安全が確保できないとして、いっさいの使用を禁止しているという。つまり、真実香さんの主張によると、祭りの開催はあり得ないのだ。とはいえ――


「ついさっき祭りを見たんだって。運動場にやぐらがあって、屋台もあれこれ出てたぞ」


 しかし、Googleのストリートビューで確認すると、真実香さんの言うとおりだった。S小学校の校門には鎖がかけられ、看板で立入禁止と告知もされている。

 

 もしかしたら、ストリートビューで表示されているのは過去の状況かもしれない。現在は建物に補強などが施されて、立入禁止が解除されているのではないだろうか。きっとそうだ。ストリートビューに最新の街並みが反映させるまで、ある程度のタイムラグがあって当然なのだ。


 暇なときにでも直接見にいってみるか。


 たいして見にいく気もなくそう思った永井さんは、しかし翌日の正午過ぎに小学校の跡地にいた。真実香さんに頼まれて駅前のドラッグストアまで足を運んだのは、三日間限定で値下げされているトイレットペーパーを購入するためだった。そのついでにS小学校の現状を確かめようと思った。


 すると――


 ストリートビューに表示されているのは、やっぱり最新の街並みではなかった。少し前の街並みであり、小学校跡の現在の状況は――


 取り壊されていた。立入禁止どころか更地さらちになっていた。


 昨日ここで見たはずのS小学校がどこにもない。更地を目の前にした永井さんは狐や狸に化かされた気分だった。


 自宅に戻ってすぐにS小学校をネットで検索した。その検索結果によると、校舎がまだ残っていた約半年前に、ある男性が一階の教室で自殺を図ったそうだ。それが発覚したのは「なにか悪臭がする」と複数の近隣住民が苦情を寄せたからだった。見つかった男性の遺体は死後一ヶ月が経過しており、再び自殺者をださない防止策として校舎の解体が決定した。


「実際に解体作業が行われた時期まではわかりませんでした。でも、更地になっていましたから、取り壊されたのは事実です。とはいえ、僕はS小学校で行われている祭りを確かに見たんです。酔って幻でも見たんでしょうか。その日は仕事帰りに同僚と軽く飲みましたから……」


 永井さんは自分でそう言いながらも、まったく納得していない顔をしていた。


 ところで、ここまでの話は永井さんが数年前に体験したことだ。当時は更地だったS小学校の跡地も、現在は住宅地として活用されている。ささやかな噴水を設けた広場を中心に、新築の小洒落こじゃれた戸建住宅がいくつも建つ。


 しかし、そのうちの二軒がすでに空きになっており、事故物件として取り扱われているそうだ。うち一軒はある若い夫婦が無理心中を図った。もう一軒もなにか不幸があったようだが、詳細はわからないという。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る