第40話 反面教師

 二十代半ばの朝野梓あさのあずささんに聞いた話だ。


 店にやってきた朝野さんと世間話をしていると、ふいに彼女がこんな話をはじめた。


「私、二ヶ月ほど前に友達と神社にいってきたんです」


 僕は店の仕事をこなしつつ尋ねた。


「へえ、どこの神社ですか?」

「えっと、名前、なっていったかな……」


 神社名を思い出せないらしいが、縁切り神社として有名とのことだ。


「縁を切りたい人がいるとか?」

「はい。会社の先輩にすっごく格好いい人がいるんですけどね――」


 その人には二年前からつき合っている彼女がいるらしい。自分に振り向いてもらうためにまずは彼女と別れさせたい。だから――


「先輩と彼女が別れますようにって祈ってきました」

「それはまた……」僕は苦笑した。「あくどいことを祈りますね」


 すると、朝野さんはあっけらかんと笑った。


「やっぱり私ってあくどいです?」

「そりゃね、あくどいですよね。ていうか、腹黒ですね」

「腹黒、ひどっ!」


 言葉では抗議しながらも、朝野さんは楽しげ笑った。それからこんな話をした。


「でも、先輩とその彼女ね、本当に別れたんですよ。縁切り神社って凄いですね。これで先輩の彼女になれるかもしれません。お賽銭を奮発した甲斐かいがありました」


 お賽銭は千円だったらしい。


「朝野さんみたいな腹黒い人は、彼女になんかなれませんて……」


 半ば本気で皮肉を言うと、朝野さんはまた楽しげ笑った。


 それから三約ヶ月が過ぎたある日、朝野さんが僕の店にやってきた。彼女の来店ペースはだいたい一ヶ月に一回だ。三ヶ月もご無沙汰というのは彼女にしては珍しい。


 簡単な挨拶を済ませたあと、僕は店の仕事に取りかかった。すると、いつになく朝野さんが無口だった。どうしたのかと思っていると、彼女はボソボソと告げてきた。


「ここ最近、いやなことばかりで……」


 朝野さんはいつも明るくてポジティブだ。どんよりと暗い彼女を見るのははじめてかもしれない。聞けば、いろいろあったらしい。


 原因不明の蕁麻疹。転倒して手首を骨折。七万円も入った財布を紛失。身体的にも金銭的にも大打撃を受けた。さらには、仕事で大きなミスをして、結局は会社を解雇された。その仕事の担当者は例の先輩だった。縁切り神社で彼女と別れるようにと祈った例の先輩だ。


「お前のせいで今までの苦労が台無しだ。お前みたいな役立たずってほんとにいるんだな。クビになってほんとによかったよ。顔も見たくないと思っていたからな」


 出勤最後の日、朝野さんは先輩にそう言われたそうだ。


 いくら腹が立っていてもそれは言いすぎだろう。さすがに朝野さんが気の毒だと僕は思った。


 しかし、自業自得のような気がしなくもない。


 先輩と彼女が別れますように――


 これはふたりの不幸を願っている。誰かの不幸を祈ってしまうと、それはもはや願いではない。呪いだ。


 呪いが成就するとむくいを受ける。人を呪わば穴二つだ。朝野さんに降りかかった不幸の数々はそれが原因ではないだろうか。もっとも、呪いみたいな非科学的であやしげなものが、本当に存在しているかは微妙ところではあるのだが。


 しかし、安易に人の不幸を祈るのは危険かもしれない。願いと呪い。紙一重であることを忘れてはいけないように思う。


 申し訳ないが朝野さんを反面教師にさせてもらおう。そして、神社に参るさいは、予期せぬ報いを受けないよう充分に気をつけておこう。





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