第34話 一緒に

 四十代前半の西山奈美にしやまなみさんに聞いた話だ。


 当時の西山さんは小学五年生だった。二階の自室で眠っていたところ、首に冷たさを感じて、深夜にふっと目を覚ましたのだという。


 すると、ベッドのすぐ横に誰かが立っていた。西山さんの母である順子じゅんこさんだった。


 順子さんは黙ったまま西山さんを見おろしていた。しかし、電気を消した真っ暗な部屋だ。順子さんの顔も影に覆われており、その表情までは見て取れなかった。


「どうしたの、お母さん……?」


 西山さんは眠い目を擦りながら話しかけた。しかし、なぜか順子さんは応じない。西山さんをじっと見おろすばかりで、息もしていないかのように押し黙っている。生気も感じられなかった。


「お母さん……?」


 もう一度呼びかけてみても、順子さんはやはり無言だった。


 聞こえていないのだろうか。西山さんは三たび呼びかけつつ、ベッドの上で上半身を起こした。


「ねえ、お母さんってば……」


 すると、順子さんはすうと滑るように後ずさると、口を閉ざしたまま部屋から出ていってしまった。そのさいに、ちらりと見えた順子さんの手には、細長いなにかが握り締められていた。それが放つ銀色の光はずいぶん剣呑だった。


 そんなことがあった夜に、順子さんは浴室で自殺した。包丁で手首を切ったのだ。自殺した順子さんが見つかったのは翌朝になってからで、乾いた血が浴槽のあちこちにこびりついていた。


 あとになってわかったことだが、順子さんはギャンブルに依存しており、相当額の借金を抱えていた。遺書などは見つからなかったものの、借金を苦にした自殺だろうと思われた。


 それから三十年以上が経って現在に至る。借金は西山さんお父さんがすでに完済しているらしく、西山さんは母親が自殺したというショックからもう立ち直っている。だが、今になってこう思うのだという。


 あの日の夜、西山さんの部屋に順子さんがやってきた。もう確かめようのないことではあるが、自殺する直前だっと考えるのが自然だ。


「最後に娘の顔を見ておこうと思って、お前の部屋にいったんじゃないか」


 西山さんのお父さんはそう信じているらしい。西山さんもそれを面と向かっては否定しないが、内心では違うことを考えているのだという。


 深夜に部屋にやってきた順子さんは、無言で西山さんを見おろしていた。そのとき手にしていた剣呑に光る細長い物は、おそらく手首を切るために使った包丁だ。


 娘の顔を一目見るために部屋にやってきたのであれば、包丁を握り締めておく必要があっただろうか。包丁を使うつもりがあったからこそ、わざわざ手にしていたのではないだろうか。


 それに、あの夜に目が覚めたのは、首に冷たさを感じたからだ。あれは金属の冷たさだった。おそらくは包丁の――


 だから、西山さんは今になってこう思うのだった。


 結果的に思いとどまったみたいだけれど、もしかしたらあのとき私も一緒に……





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