第33話 箱

 四十代前半の江東綾子えとうあやこさんに聞いた話だ。


「私の実家には結構立派な神棚があるんですが、祀られているのは御札おふだとかではないんです。古くてボロボロの木の箱なんですよ」


 大きさは十センチメートル四方で、全体が焦げたように黒ずんでいるそうだ。中になにかが入っているのは確からしいが、すべての面が釘で打ちつけられているため、中身の詳細を知る者はひとりもいない。


「江戸時代だとかもっと前だとか言われているんですが、何代も前のご先祖さまから引き継いできたものみたいです。それと箱にはこんないわれがあって……」


 箱を大切に祀れば厄災やくさいを遠ざけてくれる。だが、粗末に扱えば厄災を招く。


「いつからそう言われるようになったのかはわからないそうです。そもそも、箱自体も謎だらけなものですし」


 どうやって手に入れたのか、いつからあるものなのか、誰が作ったものなのか。箱にかんする多くのことが判然としないのだという。


 それから江東さんは源一郎げんいちろうさんという人の話もしてくれた。


 源一郎さんは江東さんの高祖父こうそふにあたる人で、俗にいうひいひいおじいさんだ。当然ながら江東さんが生まれるずっと前に他界しているのだが、その人の話が玄孫やしゃごの江東さんにまで伝わっていた。


「あるとき有名な神社の御札おふだを手に入れたそうなんです。なかなか手に入らない貴重な御札だったみたいですね」


 当時の源一郎さんは三十代半ばだったらしいが、その御札を神棚に祀るために、例の箱を物置に仕舞いこんでしまった。すると、それからしばらくして源一郎さんは体調を崩した。原因不明の熱病を患って食事もできなくなり、医者に診せるもやまいは悪化する一方だったという。ガリガリに痩せ細り、一時いちじは生死の境もさまよった。しかし――


 あの箱が原因かもしれない。あの箱を粗末に扱ったから……


 そう思い至った源一郎さんの奥さんが、物置の中にあった箱を神棚に祀り直した。すると、病に伏せていた源一郎さんは徐々に元気を取り戻していったという。最後にはほぼもとどおりの快活さを取り戻した。


「体調が急に悪くなったのも良くなったのも、単なる偶然で箱とは無関係なのかもしれません。でも、そういうことがあると粗末に扱うのが怖くなりますから、箱はそれまで以上にしっかり祀られるようになったみたいです」


 江東さんはさらにこんな話もしてくれた。彼女が小学生だった頃のことらしい。


「当時飼っていた猫が、神棚に飛びあがって箱を落としたんです」


 お供えしてあったお神酒みきも落ちたらしく、酒器である瓶子へいしが割れて、箱がびっしょりと濡れてしまったそうだ。その現場をちょうど目撃した江東さんは、猫を叱ってから箱を拭いて神棚に戻した。割れた瓶子は江東さんの父親が新しいもの用意し、お神酒も供え直したという。


 それから一週間ほどが経ったある日のことだった。


「居間に白くて小さなものがひとつ落ちていたんです」


 江東さんはそれを母親に見せた。すると、猫の歯ではないかということになった。そこで飼っている猫の歯を確認してみると確かに四本抜けていたそうだ。猫は乳歯などが抜けたさいに習性で飲みこむ。一本はたまたま口外に落ちたものの、残りの三本はきっと飲みこんだのだろう。


 いずれにせよ、歯がいきなり四本も抜けるなんておかしい。それに、猫の体調が数日前から少し悪いのも気になっていた。獣医に診てもらおうという話になったのだが、診断結果は「硬いものでも噛んで歯が折れたのかもねえ」とまったく頼りにならないものだった。


 それからしばらくして、また居間に猫の歯がひとつ落ちていた。猫の口の中を確認してみると、今度は七本も抜けていた。最初の四本と合わせると十一本だ。普通ではない。再び猫をつれて獣医のところに走ったのだが、「硬いものでも噛んだのかもねえ」と前回と同じ診断だった。


 こうなってくると、気になるのは箱だ。故意ではなかったとしても、猫は神棚から箱を落としている。もしかして、猫の異変はあの箱を粗末に扱ったからでは……


 江東さんと彼女の両親は半信半疑ながらそう思いはじめた。そこで、みなで神棚に祀ってある箱に謝罪し、猫を許してやってほしいと願った。


 すると、不思議なことに猫の歯は抜けなり、悪かった体調も改善していったという。


「あれも単なる偶然だったのかもしれません。自然治癒したタイミングと、箱に願ったタイミングが、たまたま同じだっただけかも。でも……」


 ここで江東さんは再び源一郎さんのことに言及した。


「さっき、原因不明の熱病を患って食事もできなくなったとお伝えしましたよね。私はその意味をこんなふうに捉えていたんです」


 病気によって食事が困難になるほど体力が落ちた。


「けれど、本当はこういう意味だったのかもしれません。歯が抜けてものを噛めなくなった。だから結果的に食事ができなくなった……」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る