第29話 いたずらっ子

 二十代後半の和田理沙わだりささんに聞いた話だ。


「足を引っかけたりって、それは危ないですよね」


 僕が思わず口を挟むと、和田さんは困り顔で頷いた。


「そうなんですよね……」


 和田さんは幼稚園で保母の仕事に就いている。その園では子供たちがよく転ぶ。先輩保母は「子供なんてそんなものよ」と深刻に捉えておらず、今のところ大事おおごとに至ったこともない。しかし、理由を知っている和田さんは気を揉まずにはいられなかった。


 四、五歳の男の子が、足を引っかけたり背中を押したりして、他の子を転ばしているのだ。ある程度は手加減をしているようだが、危ない行為であることに変わりはない。和田さんはいつもひやひやしているという。


「注意してみたらどうです?」

「しましたよ。でも、まったく効果無しなんですよね」


 あるとき、和田さんは他の保母がいないのを確認したあと、男の子をつかまえてこっそりと注意した。


「なんでそんなことばかりするの? 危ないでしょう。いつか誰かが怪我するよ」

「だって……」


 男の子はもじもじしたが、怒られてしゅんとはしなかった。むしろ、嬉しそうな顔をしていたそうだ。


「怒鳴りつけることくらいのことをすれば、いたずらをやめるかもしれません。でも、それをすると他の保母さんに変に思われてしまいますから、こっそりとしか注意できなくて……」

「なるほど。まあ、そうですよね……」


 和田さんは肩を落として、「困りました……」と呟いた。


「でも、その男の子、どうして幼稚園にいるんですかね」

「それは、だいたいの見当がついてるんです。昔、うちの園にいた子じゃないかと。私が保母になる二、三年前のことなので、ベテランの保母さんに聞いた話なんですが――」


 今から十年ほど前にある男の子が幼稚園に通っていた。いたずらっ子ではあったものの、どこか憎めない子で、園児にも保母にも好かれていたという。そればかりか、他の園児の保護者にまで人気があったそうだ。


 幼稚園でいたずらを繰り返す幼い子の霊は、その男の子が正体ではないかと和田さんは考えている。


「男の子の写真を見たわけではないので、絶対にそうだとは言い切れません。でも、その子が現れると少しげ臭いんです」


 男の子の死因は焼死だった。漏電がもとで家が火事になり、両親と共に遺体となって見つかった。和田さんの話によると、火事で亡くなった霊はときに焦げ臭いそうだ。


「その子のまわりにはいつも誰がいたそうです。それだけ人気のある子だったんでしょうね。そう考えるとちょっと可哀想な気もします。今は私しか視えていないので、常にひとりぼっちです。その寂しさを紛らわせるためのいたずらかもしれません」


 幼くして亡くなった男の子を気の毒に思っているのだろうか。和田さんの顔はやや悲しげだ。それを見つめていた僕はふと思った。


「その男の子、もしかしたら和田さんのことが好きなのかもしれませんよ。子供って気を引きたいときにいたずらをしたりしますからね」


 子供というのはいたずらで好意を示すものだ。決して珍しいことではない。


「きっとそうですよ。和田さんもさっき言っていたでしょう。その子、ひとりぼっちで寂しいんですよ。だから、大好きな和田さんの気を引きたくていたずらしてるんですって」


 僕が勝手な推測を口にすると、和田さんは複雑な顔をして小さく唸った。


「んー……」


 それからこう続けた。


「いつかちゃんと叱ろうを思っていたんですけど、なんだか叱るのが可哀想になってきました……」





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